団塊スタイル「自分再発見!輝く女性たち」 2015.11.13


自分が上に立つことが楽しくなったりとか…。
いじめてしまう気持ちを考えるといじめがなぜダメかが少し見えてこない?高橋さんの話のつづきは番組ホームページで。
新しい自分を発見し輝き続ける女性たちがいます。
92歳の世界一速いおばあちゃん。
マスターズ陸上大会で世界新記録を次々と塗り替えています。
実は陸上を始めたのは69歳の時。
地域の運動会がそのきっかけでした。
59歳の時に歌手としてデビューしたこちらの女性。
なんと還暦の時にはファッションモデルとして舞台に立ちました。
その陰には激太り親の介護離婚。
壮絶な人生を経て…。
こちらは99歳。
今も精神科の医師として患者と向かい合っています。
自宅はエレベーターのない3階。
階段は51段。
92歳の時脚を骨折しましたが…。
今日は「輝く女性たち」という事でさまざまな分野で活躍していらっしゃる女性たちを紹介します。
風吹さんもまぶしいくらい輝いてるじゃないですか。
まだまだまだ今日のVTR見たら全然全然私なんて…。
いや〜。
まだまだ頑張らなきゃ。
3人の方もそうですけど…今女性はどなたもみんな元気で。
元気ですよ。
輝いてますよ。
今日のゲストをご紹介しましょう。
はい。
木野花さんです。
こんにちは。
こんにちは。
お久しぶりです。
もう一人輝いている方に来て頂きました。
そうです。
本当に元気な女性たち多いでしょ?多いですね。
芝居やって私ぐらいの年齢で芝居やってるというと気持ちの張りとかね体力もそうですけどそれないと続けていけないから。
私は今日はその輝く女性たちを見ながら少し自分も…。
え〜何でそんな謙遜してるの?今回3人ご紹介致しますけどまず1人目は肉体の限界に挑戦する92歳のアスリートです。
熊本県八代市の河川敷のグラウンド。
白髪の女性が走っていました。
今も現役の陸上選手です。
守田さんの自宅の棚には数々のトロフィーやメダルが飾られています。
マスターズ陸上大会で獲得しました。
守田さんが出場しているマスターズ陸上大会。
35歳以上が参加する事ができ5歳ごとに分けられたクラスでタイムや順位を競い合います。
守田さんは100メートルや200メートルの短距離走で5つの世界記録を塗り替えてきた世界が注目するスーパーアスリートです。
実は守田さん学生時代は卓球の選手。
陸上競技とは全く無縁でした。
結婚後は夫が作った冠婚葬祭の会社で夫の片腕として40年も支えてきました。
67歳で仕事を辞めてから会社を子供たちに譲り悠々自適の隠居生活を送っていたのですが…。
そんな守田さんの人生が変わったのは69歳の秋。
地域の運動会に見物に行った時の事です。
年代別の対抗リレーで40代の走者が欠員。
急きょ69歳の守田さんが走るはめになったのです。
当時守田さんに出場を頼み込んだのが地域の体育委員福田さんでした。
ところが69歳の守田さんは40代の若いランナーたちを尻目にぐんぐんとスピードを速めなんと2位でゴールしたのです。
秘められた自分の能力に気付いた守田さんはマスターズ陸上大会に参加するようになります。
世界のライバルたちと戦うために守田さんは地元の小学生の陸上チームに入り基礎からランニングを学びました。
タイヤ引きの筋力トレーニング。
階段の駆け上がり。
ハードな練習を子供たちと一緒にこなします。
守田さんのライバルは小学1年生たち。
ちょうど同じくらいのタイムで走るからです。
5つの世界新記録を出した守田さん。
これは2年前京都で行われた国際大会の映像です。
守田さんは女子100メートルに出場します。
90歳から94歳のクラスで記録を競う守田さんですがこの大会では同年代の選手がおらず若いランナーたちと走ります。
ゴール!記録は23秒15。
果たして世界の90歳から94歳のクラスで何位に入っているのでしょうか?
(拍手)カナダの選手が10年前に出した記録を100分の3秒縮めたのです。
更なる記録向上を目指して臨んだ去年の大会。
しかしそのタイムは1秒も遅くなっていました。
年々確実に衰えていく92歳の肉体。
その事をはっきりと自覚しながら朝晩ベッドで行う自転車こぎ運動。
100メートル200メートル走を走りきるための闘いです。
(取材者)疲れました?やっぱり。
(取材者)大丈夫ですか?はい大丈夫です。
一緒に住んでいる娘夫婦との朝の食事です。
守田さんのメニューは野菜いっぱいのみそ汁にメインディッシュは豚肉と生卵。
朝から豚肉を4切れ。
生卵はそのままごくり。
週に3回守田さんが通っている介護施設です。
実は守田さん今年9月自宅で転倒しけがをしたのです。
転倒し肩を痛め走る練習ができなくなった守田さん。
この施設でできるかぎりのトレーニングをしています。
廊下を何度も往復して5,000歩を歩きます。
マシンを使ってのトレーニング。
痛めた肩と腕の筋肉足腰の筋肉も鍛えます。
10月上旬1か月ぶりに走る練習を再開しました。
まずは30メートル先まで。
今年の全国大会は10月の末。
大会まであと1か月を切っていました。
92歳。
肉体の限界への挑戦が続きます。
もう拍手〜。
あの小学1年生と競走して悔しいって…あれ。
負けてたまるかって言ってましたもんね。
さてここでもう一人話に加わって頂きましょうか。
スタジオには桜美林大学大学院教授の長田久雄さんに来て頂きました。
こんにちは。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
守田さんをご覧になっていかがだったですか?初めにですねやっぱりこの要介護1というね普通デイサービスというと歌歌ったりとかやるんですけど何かマシントレーニングみたいなのをおやりになっててあれまず驚きました。
あのパワーはどこから出てくるんでしょうね?目標をお持ちになってるというね。
これ目標というのは人から与えられるというものもあるけれども自分で作り出してるような感じがありますよね。
95までやろうとか100までやろうと。
毎年1秒ずつ遅くなるという話ありましたよね。
少しでも今年の記録になりたい。
それすごい話だよね。
私あれ感動した。
あそこで感動したまず。
1秒という時間をきっちり捉えてしかも諦めずに。
諦めない。
その1秒に向かって今年1年を生きていく訳でしょ。
数値目標があるからいいとも言えるんじゃないでしょうか。
つまり1秒をやろうというね。
漠然と老いたなとかって言うんだと分かんないですよね。
シニアの…この何て言うのか健康度というか体力は昔に比べるとやっぱりついてきてるようですね平均的に。
それはもう良くなってきてますね。
スポーツ庁の体力・運動能力の調査によれば75歳から79歳の体力は男女とも右肩上がり。
特に女性の体力は男性を上回りそうな勢いで伸びています。
守田さんはあれですよね不思議な感じがするのは69でたまたま運動会で…。
代理で走ったという。
そのあとにこれ走ろうと思ったのがすごいと思う。
続けてね。
普通は「代理で走っただけなんだから」って終わるじゃないですか。
人生の中で何か一つ自分の中で「これ」というものに出会った時はやり過ごさずにちょっと何かつかんだ方がいいですよね諦めないで。
これから出ると思うんですよチャンスはね。
それをやっぱり見過ごしちゃうという。
地域の運動会から世界記録ですからこのつながりですよね。
世界記録ですからね。
続いては年齢を重ねても美しさを保ち続けている方をご紹介しましょう。
ファッションモデル秀香さん。
なんと現在66歳です。
信じられますか?この美貌とセクシーさ。
60歳を超えて現役で活躍するスーパーモデルです。
秀香さんがファッションの世界で有名になったのは30歳を過ぎてから。
結婚して一児の母親でありながらパリコレに挑戦。
世界的なスーパーモデルの一人として注目を集めました。
しかし…。
ところが59歳でなんと歌手デビュー。
60歳の時には「NHK歌謡コンサート」にも出演しました。
東京・表参道を行く秀香さん。
歌手としてデビューしたかたわら60歳の時にファッションモデルにもカムバックしました。
この日は日本を代表するファッションデザイナーの一人鳥居ユキさんのアトリエを訪ねました。
昭和24年生まれとは思えないスタイルの良さと若いモデルにはない表現力をデザイナー鳥居ユキさんは評価しています。
東京・浅草生まれ。
2歳の時の秀香さんです。
小学校6年生の時には既に身長が170センチもあったと言います。
強いコンプレックスでした。
ところが抜群のスタイルの良さを買われて…。
しかし当時モデル業界でも177センチの身長は高すぎました。
スポットライトが当たらぬままに23歳でモデルを諦め結婚し家庭に入ったのです。
モデルをやっていた頃から比べると20キロ以上も太ってしまったのです。
その悔しさから一念発起。
再びモデルとしてデビューしようという周りから笑われてしまうような目標を掲げダイエットを始めます。
ストレスのはけ口として膨大に食べ続けていた一つ一つの食べ物を克明に記録する事から秀香さんのダイエットは始まりました。
記録する事でどれだけ高カロリーの食事を不必要に食べていたのかいやがおうにも自覚させられます。
その事がダイエットの効果として現れました。
そして翌年なんとパリに渡りパリコレのオーディションに挑戦。
思ってもみないスポットライトを浴びる事になります。
仕事が多忙を極める一方で家事も手抜きをする事ができませんでした。
その事が次第に大きな負担となっていきました。
そして41歳の時秀香さんの暮らしを何かにつけて支えてくれていた母親が脳梗塞で倒れます。
翌年秀香さんはモデルを引退。
母の介護を始めました。
51歳の時秀香さんは夫と別れ本気でプロのシャンソン歌手を目指します。
一から歌のレッスンに通い小さなライブハウスのオーディションを受けてステージに上がりました。
そんな地道な活動を10年近く続けたのです。
そして59歳の時ようやくCDデビューを果たします。
歌手デビューを果たした事をきっかけに還暦でモデルにも復帰しました。
再び体型の維持が厳しく求められる秀香さん。
ダイエットの心配はないのでしょうか?5年前母も亡くなり1人暮らしの秀香さんの夕食を拝見。
なんと200グラムの分厚いステーキ。
そんな秀香さんのダイエットの秘密兵器。
体重ノートです。
毎日体重を記録する事で理想の体重とどれだけ差があるのかを把握するのです。
「63.1キロヤバイヤバイヤバ〜イ」。
10月の上旬都内の音楽スタジオに秀香さんがやってきました。
月末にちょっとしたディナーショーが開かれるのです。
一緒に出るピアニストと練習です。
・「あれは遠い想い出」秀香さんの歌手としての夢は自分で作詞した歌を歌う事です。
・「夢に夢を重ねてひとり生きる」何だっけ?いや〜共感共感また共感ですね。
40代は私ある面じゃ一番老けてたと。
人生の中で。
おっしゃってましたよね。
今一番いいというふうにね。
私もすごくそれがよく分かるんですよ。
分かる分かる私も。
分かりますよね。
女性はみんなおそらくですよ50という年齢を考えた時もしかしたらここで終わるんじゃないかと思う40代なんですよね。
今しか頑張れないという40代。
私はね40の終わり頃にね夜中にバッと起きて「私もう終わりだな」と思った夜があるんですよ。
何が終わるの?人生?多分女としてまず終わるんだと思うんですよね。
何か。
それからそれと一緒にいろんな事が道が閉ざされていくような。
何かぞっとして起きた時があるんです。
女性にとって40代というのは何とかここで花を咲かせなきゃまずいとかいろんなプレッシャーが…。
プレッシャーがあるんですよね。
秀香さんはノートに体重や何か記録されてましたよね。
セルフモニターというんですよね。
自分で自分のやった事や行為や状況を観察してそして記録する。
そうすると毎日違いが少しずつ分かってきてその違いが修正するという気持ちにもつながっていくという事でそれが例えば行動の自分の制御行動コントロール調整というのにつながっていくというふうに言われてますね。
非常に適切なやり方をされてると私は思いました。
歌手としてデビューするのは59でしょ。
ちょっと私習いたい。
習いに行きたい。
国井さんがとてもいいお手本。
何?何ですか?あの…歌を。
どの分野?シャンソンを。
いいなあ。
やったあとってやっぱり気持ちよくないですか?気持ちはいいですね。
聞いてる人はどうか分かりませんけども。
いやいや。
長田さんは何かやってらっしゃるんですか?昨年からバレエをね。
えっ!私体も硬いのでそれでとてもバレエにならない。
まずは迷惑かけないように個人レッスンでストレッチをやりましてね。
そのストレッチをやってやがてはこう…。
いやいや。
踊るんですね?さて最後の1人になりましたが100歳近い年齢ながら患者と向き合っている現役のお医者さんです。
神奈川県秦野市にあるベッド数151の病院です。
およそ50年前当時はまだ数が少なかった精神科のある病院として設立。
この病院を作ったのは…。
今も週に1回患者さんの診察を行っています。
99歳という年にもかかわらず現役の医師として病院の責任者として多忙な毎日を送っています。
午前中の診察を終えた橋さんは自宅へ帰ります。
病院の駐車場を挟んで向かいには橋さんが経営する高齢者向けのグループホームがあります。
橋さんの住まいはその3階です。
建物の端についている階段。
これが自宅への唯一のルートです。
エレベーターはありません。
階段は51段。
もう30年以上橋さんはこの階段を使って自宅と病院を往復しています。
年寄りだからと甘える事なく料理はもちろん自分でできる事はやる。
それが橋さんのモットーです。
82年前…大正5年新潟県に生まれた橋さんは女学校を卒業する頃には同級生の女生徒たちとは全く違う価値観を持っていました。
橋さんは17歳で上京。
当時はまだ珍しかったタイピストとして自立する道を選びました。
そして…当時日本の占領下にあった中国・青島の海軍省でタイピストとして勤務する事になったのです。
橋さんはこの中国で運命を変える1人の牧師に出会います。
中国の貧しい人々に教育や医療を施す慈善事業を行っていました。
清水さんが貧民街に建てた救護院です。
そこには病気に苦しむたくさんの人々がいました。
しかしお金がないためたまにしか医師を呼ぶ事ができずまともな治療を受けさせる事ができませんでした。
清水さんの活動を手伝っていた橋さんは清水さんから思いがけない言葉をかけられます。
そう言って…太平洋戦争さなかの昭和18年の事でした。
その頃戦時下の医師不足を補うため女子の医師専門学校が次々と設立されていました。
橋さんはその一つである福島女子医専に猛勉強の末見事合格しました。
(玉音放送)「堪え難きを堪え忍び難きを忍び…」。
その翌年戦争が終わりました。
橋さんが晴れて医師となったのは昭和25年。
33歳の時でした。
そして38歳の時に神奈川県大和市に内科と小児科の個人医院を開業したのです。
昭和30年代後半日本は高度経済成長を迎えていました。
橋さんは医師として新たな道を模索し始めます。
精神科の専門医を志したのです。
橋さんは49歳の時現在の精神科を持つ病院を作りました。
しかしその頃精神病に対する社会の偏見も根強く有効な治療法もまだ確立されているとは言えませんでした。
そこには患者一人一人と丁寧に向き合いあくまで患者の社会復帰を支援してゆきたいという思いがあったのです。
しかしその理想はたやすく実現できるものではありませんでした。
橋さんはより患者の心に分け入るために時には1時間2時間と対話を続けるようになったと言います。
橋さんは80歳になった頃結婚もせず仕事一筋だった人生を振り返り何か趣味を持とうと思いました。
そして始めたのが水彩画です。
じっくりと観察したうえで花の色や形を細かく描くのが好きだそうです。
(取材者)こっそりと?なぜこっそりと出したんですか?橋さんは92歳の時この場所で転び大きなけがをしました。
大たい骨を骨折してしまったのです。
大たい骨を金属で固定する手術を受けましたが年齢を考えるとそのまま寝たきりになってもおかしくありませんでした。
しかし橋さんは懸命にリハビリに励んだのです。
1か月後に退院。
自宅へ戻る日がやってきました。
例えばこうして…。
勇気を奮って踏み出した第一歩。
するとうそのようにあとは簡単に階段を上る事ができたのです。
おはようございます。
おはようございます。
今日も橋さんの一日が始まりました。
今日はまたいろいろお世話になりますけどよろしくお願い致します。
はいお願い致します。
誰が来るの?勇気を持って最初の一歩を踏み出してみる。
そんな思いで橋さんは99歳の今に至るまで新しい一日一日を歩き続けてきました。
いや〜すごいすばらしい。
ちょっと感動しちゃいました。
あの一歩というのはすごいキーワードで。
そうだと思います。
いつもそうなんでしょうね。
橋さんにとって一歩というのは医者になる時も。
私なんかもし同じ立場で医者になれって言われても全然触れるものが多分医者としてのねないからスルーしちゃうのかもしれないんですけど。
あったんだと思うんですたまたま。
いけるかもしれないって。
何か自分の中のDNAもひっくるめて。
潜在的に自分で気付かないけど何か持っててそこにきっかけがある。
引っ掛かればいいんだと思うんですよね。
自分がどういう道を選ぶかどう生きるかという事を自分で決めていく。
(長田)そうですね。
そしてそこに向かってその一歩でも頑張ればもしかしたらできるかもしれない。
今日は本当あっという間にここまで来てしまいました。
3人の輝いている女性を見ながら。
本当に今日はためになるというかすごい勇気が湧きましたね。
「生涯発達」と言いましてね成人になって大人になったらあとは老化して老いていくだけかというとそうじゃなくて心の面とか精神面まで含めると死ぬまで一生涯何らかの形で発達していく。
成長し続けられますよね?そういうようなね見方が一つあると。
私ちょっと歌は習いに行くかもしれない。
今日は何のお茶でしょうか?はい。
石鎚黒茶です。
愛媛県の石鎚山山間部で作られる後発酵茶。
微生物の発酵によって作られるお茶です。
あ〜。
あらこの酸味。
体の中へしみ渡っていきますこの酸味が。
へえ〜微生物に会ってみたい。
何か感謝したい感じだな私は。
おなかで元気に。
ふ〜んありがとねって。
さて視聴者の皆さんから輝いてる姿をお伝えする「私の団塊スタイル」今日もお手紙とお便り頂いております。
「実はみかんの皮で花を作るのが趣味です」。
あっこれみかん。
「2週間ほど天日干しをしてアイロン掛けを繰り返し行うとこのように薄く硬くなります。
仕上げにアクリル絵の具とニスを塗ると完成。
こちらは最新作のツバキです。
1年ほど前から博物館や介護施設などでも展示してもらえるようになりました。
これからも活動を通して地域そして世界に花と笑顔を咲かせていきたいです」。
さて「私の団塊スタイル」では皆さんから写真とお便りを募集しています。
趣味や仕事に打ち込んでいる輝いてる姿を紹介したいと思います。
皆様からのご投稿お待ちしています。
風吹さん今日は「輝いてる女性」。
階段の足の一歩がすごく印象に残っていてめげそうな時はあの一歩を思い出そうと思いましたね。
あ〜そうね。
さあ皆さんも一歩踏み出してみて下さい。
違う人生が…ねっ。
2015/11/13(金) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「自分再発見!輝く女性たち」[解][字]

シニアになってからでも自分の魅力や才能を再発見し、輝き続ける3人の女性を紹介する。90代のアスリート、現役女医、遅咲きの歌手。そのパワーの源とは?その秘密に迫る

詳細情報
番組内容
年をとっても輝いた存在でいたい!というのは誰でも持つ願い。それを絵に描いたように実現させているスーパーレディーを紹介。4つの世界記録をもつ90代のシニアアスリート。60歳近くなって歌手デビューした女性。90代で今も現役の女医。そのパワーの源は何なのかに迫る。自分がやりたいと思ったことはいつから始めてもいい、自分に思いがけない才能があると知ったならそれを生かすこと、など、輝く女性からのメッセージ。
出演者
【ゲスト】木野花,【出演】桜美林大学大学院教授…長田久雄,【司会】風吹ジュン,国井雅比古,【語り】バッキー木場

ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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