スタジオパークからこんにちは 左とん平 2015.11.13


生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!清水⇒皆さんありがとうございます。
きょうの司会は清水ミチコさんです。
よろしくお願いします。
伊藤雄彦アナウンサーです。
よろしくお願いします。
早速きょうのゲストをご紹介しましょう。
楽しみ。
俳優の左とん平さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
ようこそお越しくださいました。
よろしくお願いいたします。
左さんは去年喜寿を迎えられてことし78歳です。
拍手
左⇒どうも。
すごいね。
本当に。
この辺の小学生の7倍ぐらいですよ。
嫌になっちゃうね。
昔から全然変わらないですね。
そんなことはないよ。
本当ですよ。
老けちゃったよ。
そんなことないですよ。
左さんは、今夜スタートのこちらのドラマにご出演です。
BS時代劇「子連れ信兵衛」です。
おそば屋さんの役で長屋の住人です。
そばなんか作ったことないけどね。
こちらのドラマの話はもちろんですけれどデビューしてまもなく60年。
そんなになりますか。
知らなかった。
大丈夫かい。
さすがベテラン。
その辺の話もじっくり伺っていきます。
左とん平さんに歌も披露していただきます。
拍手
期待していただきたいと思います。
左とん平さんへの質問メッセージお寄せくださいお持ちしています。
ではお席のほうにお願いします。
はい。
本日のゲスト俳優の左とん平さんです。
どうも。
全然変わらないと清水さんおっしゃっていましたけれど。
全然変わらないです。
久しぶりだね。
久しぶりです。
4、5年前、ドラマでごいっしょしたりして。
10年前じゃないの?そうかもしれません。
周りの方が、すぐとん平さんのことを好きになるという感じでどんどん引き寄せていくんだけれど本人は好かれようが嫌われようがどちらもよいという感じでかっこいいなと思いました。
みんなとん平さんと言ってファンが多かったですよね。
困っちゃうな。
その笑顔に引きつけられるんですね。
現在78歳もうすぐデビュー60年になるということで伺うテーマを決めさせていただきました、題してこちらです。
左とん平さんは交友関係もかなり広くていろんな人に愛され続けて78年ということなんです。
愛されている方愛している方の証言も交えていろんな方の。
どんな人?さあそれは、お楽しみです。
誰が出てくるかは。
ぐぐっと清水さんに迫っていただきましょう。
分かりました。
左とん平さんは1937年、東京のお生まれ。
お父さんが旅館や飲食店などを経営していて家にはお手伝いさんがいるような裕福な暮らしでした。
お坊ちゃまだったんですね。
でもこれを見るとお坊ちゃんという感じじゃないけどね。
そんな感じがしますよ。
駒澤小学校だったの。
トロフィーは?これは野球部だったと思うの。
覚えているでしょう?あまり覚えてないんだよね。
こんなに印象的な写真ですよ。
このカップはやっぱり野球だろうね。
勉強のカップじゃないよね。
野球はやっていらしたんですか。
野球はやっていた。
子どものころの楽しみはお母さんに映画に連れていってもらうこと。
映画の中のスターに憧れていました。
どういう映画ですか?あの当時紫ずきんとか阪東妻三郎さんのあれを見るとね見ている間早く家に帰ってまねをしたいと。
マフラーで覆面をしていすを馬にして。
おうちでこっそりまねをしていたんですね。
高校生になると野球部に所属しながらタップや日舞を習っていました。
これはなぜですか?かっこいいですね。
高校生のころ、やっぱりこの当時から芸能界に入りたかったんじゃないですかこのポーズも。
日舞を習っていたころの写真ですね。
周りを見たら男性はいませんね。
全部女性で、僕だけなの。
両手に花。
知っている先生のお師匠さんのところに習いに行って。
モテたんじゃないですか?モテたのか無視されたのかどっちか分からない。
この時代に習いに行く、日舞とかタップダンスなんて。
男子がね。
珍しいんじゃないですか?芸能界に入っていろいろ役に立つんじゃないかというのがあったんじゃないですか。
それでダンスとか日舞とかを習って。
タップダンスは要するにミュージカル映画が好きだったんで、フレッド・アステアとかが好きだったのであんなふうになりたいなと思って。
ここでクイズです。
習い事をされていた左とん平さん、高校卒業後に左とん平さんが就いた職業はいったい何だったのか皆さんお考えください。
画面に決定ボタンが出ている方は決定ボタンを押してクイズに参加してください。
メールが届いております。
ご紹介いたします。
千葉県の30代の女性の方です。
小学生のころは「西遊記」、「西遊記II」ですそれから室生先生の警部先ほど、清水さんと共演されたということですね。
浜木綿子さんが出ていたやつですね。
浜木綿子さんが主演ですね。
大好きでした、今でも変わらぬ元気なお姿で優しい笑顔、今後も元気でご活躍を願っていますといただきました。
ありがとうございます。
そして愛知県の50代の男性の方です。
いつまでも若々しいとん平さん。
ゴルフがお好きで大変お上手なように伺っています。
どのくらいのペースでラウンドされているんですか?ベストスコア、ホールインワンの回数などよろしければ教えてくださいということです。
ホールインワンワン…いくつですか?3回ですかね。
3回も。
一生に1回あるかどうかじゃないんですか?本当はね3回偶然にやっちゃったんですよ。
すごい。
かなりの腕前だということですね。
若いころはハンディセブンまでいったんですけれど今はちょっとね距離も飛ばなくなったし。
今もゴルフは?やっています。
なるたけ歩くようにしているんですよ。
健康にいいですよね。
高校卒業のときにいったいどんな職業に就いたか視聴者の皆さんの答えはこちらです。
やっぱりダンサーが多いですね。
その次が緑。
いちばん少ないのが赤でした。
左さんお答えは?経営者です。
スタジオからもええ!という声が上がっていますよ。
信じられないでしょ。
本人も信じられない。
何を経営していたんですか。
おやじが料亭をやっていたものですから、近所にすし屋をやめたいということで買ってくれないかと言われて買ってお前が高校を出て何もすることないから経営をやれと言ってやったのがおすし屋さんだったんです。
そのころの写真ですね。
お隣はどなたですか?親戚の子なんです。
もう亡くなったんですけどね。
すし屋の経営はうまくいったんですか?だめだったんです。
使い込みをして。
僕が。
経営者が自分のお金を?売り上げを使い込んじゃってね。
うわあ、似合う、やりそう。
1か月でクビになって。
そのころ何にお金を使っちゃったんですか?近所に飲みに行ったりクラブの女の子たちを呼んじゃあすし屋でごちそうしたりなんかして。
こちらのおすし屋さんじゃなくて?ここのおすし屋さんで。
なかなか経営は成り立ちませんよ。
写真はどうもすいませんという感じですよね。
そうそう、謝っているの。
二十歳のころ、転機が訪れます。
高校時代の友人に誘われ舞台に出演。
偶然その舞台を見た人の紹介で喜劇を制作していた冗談工房というところに参加。
そして、すぐに俳優デビュー。
最初の仕事はラジオ番組で会話の相づちを打つだけの役でした。
そうそうたるメンバーですね。
フランキー堺さんがいます。
仁丹一粒エチケットという番組がありまして。
後ろにいますけれどコント集みたいな。
はい、とかうん、とかことばはあまり発しないで。
せりふがない。
当時はねこれで初めてギャラをもらったんです。
これがデビューだったんですね。
運が強いですね。
ホールインワンにしても。
その後、新宿コマ劇場で本格的に舞台の仕事を始めます。
大部屋役者から看板役者まで上り詰めました。
とんとん拍子という感じ。
それが兵隊物だったんですけれどね。
何の格好しているのかいまだに覚えていないです。
ワニに食べられているような感じですね。
演芸大会を兵隊みんなでやるというような場面じゃないかな。
看板役者に上り詰めていってこれでやっていけるぞみたいな感じだったんですか。
段階があるんですよ大部屋から看板も名前が出て顔写真が出るようになると朝に行ったときにうわあ俺の顔が看板にあるってしばらくそこに立っているのうれしくて。
そんな時代があったんですね。
30代、とん平さんは刑事ドラマ「非情のライセンス」シリーズや「西遊記II」「時間ですよ」など人気番組に次々と出演。
お茶の間の人気者になっていきます。
なんだい、48円ぽっちでけちるんじゃないよ。
それじゃ俺の立場がねえじゃん。
俺は脱いでから金払おうかなと思ってんだから。
けちってるのはお前じゃないか。
はい、お釣り。
嫌いなの、こうひん曲がった一円玉って。
僕ってもっと新しいやつじゃないとね。
笑い声
森光子さんとのね。
あれは32、33歳。
思い出深いですか?森光子さんとの共演は。
森さんとはねこれが森さんとの出会いだったんですよ。
「時間ですよ」が。
それからずっとお世話になったりして。
金銭的にもお世話になりました。
まだ直っていませんでしたね。
いろんなものが出てきますよ。
共演者というよりも家族とか、お母さん的な感じですか。
そうでしたね、やっぱり。
何か頼んでも晩年も会うととんとんちゃんって。
とんとんちゃん、お金大丈夫?って。
優しい、森光子さん。
気になってしょうがないんでしょうね。
そしてNHKでは声優として「ひょっこりひょうたん島」にも出演。
俳優として活躍の幅を広げていきます。
これ全然覚えていない。
声をやっていらっしゃいますよ。
もうしばらくしたら出てきます。
王様がお待ちかねだ。
早く沸かしてね。
地面の下の生活も、結構楽しいではないかのう、デビソン。
お気に召して何よりでございます王様。
うん、地下に立派な国を作ろうなデビソン。
必ず。
作ってね。
こんなのやっていた?NHKに「ひょっこりひょうたん島」の白黒版というのは映像として8本しか残っていないんですけれどそのうちの1本に出ていらしました。
大ヒットですよね。
当時ね。
よく忘れていましたね。
いつも無欲な感じなんですよねとにかくあがったことないとおっしゃっていましたね。
緊張しないですか。
緊張しないこともないんだけどそんなには。
さらに、1973年にはバラエティー番組から生まれた歌「とん平のヘイ・ユウブルース」が人気に。
マルチな才能を発揮します。
かっこいいですね。
ジェームス・ブラウンみたい。
プロデューサーはミッキー・カーチスでした。
ミッキーがスタジオのミュージシャンに一流のメンバーを集めたんですよ。
バックがものすごくいいんですよね。
だから洋楽みたいな感じなんだ。
かっこいい。
歌唱力を知ってのことですか。
そうそう。
よく自分でそんなこと言いますね。
若い方も「とん平のヘイ・ユウブルース」をアレンジしたりしていますよね。
そうですか。
ちょうど30代のころの左とん平さんですけれどこのころ、活躍され始めていたころの左さんを知るある後輩からお話を聞いてまいりました。
第一印象って、だから有名人そこにいるっていう、ええ。
でもテレビってもう、そのときみんな有名人しか出てませんでしたからね。
有名でないで出てたのが僕ぐらいじゃないですか。
さみしい思いをしているときにぽつーんとしてたら何だ、お前、欽坊、お前飯食いに行くんだからついてこいっつって、とん平さんだけが飯食いに行くからついてこいって言うんで、で、ついて行きました。
感謝する先輩でしたね。
有名人でこんな見知らぬ男を声かける先輩いるんだっていうんでもうね、本当にね、垣根のない人。
垣根を取っ払った人なんでしょうね。
とん平さんって師匠であったりね先輩って感じしないんですよね。
ですからわりとお会いしても平気で突っ込み入れるし。
欽坊元気ですよ。
そっちで叫んでんでしょう欽坊欽坊って。
もう、今ね、欽坊って言ってんの1人だけですよ。
大事にしておきたいですね。
え、何ですって?また言ったでしょ。
その節は本当にだめな欽坊をよく放り投げなくてありがとうございました。
拍手
すごいエピソード。
後輩なんですよね、萩本欽一さん。
こないだね、森光子さんのお葬式のときに欽坊に会ったんですよ。
欽坊、久しぶりだなと言って欽坊といってくれるのはとん平さんだけですよって。
すごくいいエピソードでした。
ずっと感謝なさっているんですね萩本さんも。
なんで食事に行くって言ったんだろう。
しょげていたことはしょげていたんですよね。
こいつかわいそうだと思ってお前、来いと言って連れて行ったことはあるんです。
萩本さんはうれしかったんでしょうね。
萩本さんは左さんにならって後輩に声をかけるようにしているということなんですね。
萩本さんに欽坊というのは左とん平さんぐらいしかいないですよね。
今度、萩本さんって呼ぼうかな。
笑い声
萩本さんは欽坊って呼んでほしいんだと思いますよ。
続いてプロフィールです。
50代になった左さんは転機になる作品に出会います。
1990年、53歳のときに出演した森繁久彌さん主演の舞台「佐渡島他吉の生涯」。
舞台の後半に出てくる1人のシーンを演じきったことで、改めて俳優としての手応えを感じたそうです。
匂いぐらいはいいじゃろうおい、なあ。
匂い嗅がせてもらって…うわあ。
いい匂いだなあ、おい。
久しぶりにこの匂い…いかんいかん、あららよだれが入ってしまった、おい。
よだれ飲ますわけにいかんなあ。
よだれだけ取ってやろうなあ。
どうせ取るなら大きいほうがいいだろう、なんて。
ああ、自分のよだれがこんなにうまいとは思わなかった。
これでもう、俳優としてやっていけると。
いやね、これね三木のり平さんが最初にやったんですよ。
そのあといろいろな人がやっていてこれはね20分ぐらい1人でやるんですよ。
1人芝居のシーンが。
これがね、お客さんがうんともすんともなかったら役者生命終わっちゃうなって。
これだけはねずいぶん考えましたよ。
考えるというのは。
自分1人でやるギャグをね森繁久彌さんが留守のとき、終戦直後バラックのうちなんだけどそこで飯を食っちゃうという話で。
そういうシーンなんですね。
アドリブというよりも考えていて。
考えていてねお客さんをどっと沸かせなきゃいけないじゃないですか。
これは稽古のときにね僕がてれてやらなかったんですよ考えていたんだけど、そしたら松山英太郎さんって、昔の役者がねとん平、お前大丈夫か大丈夫じゃないですか?って。
森繁さんも不安松山英太郎も不安ところが舞台稽古のときに客入れでやって公開舞台稽古をやったの。
そのとき初めて僕のこの芸を見たわけですよ。
そしたら客がねぶわーっときたわけね。
それがきたときのはあ、これで大丈夫、役者って思ったの。
本当に懐かしい舞台。
全身全霊で感じたんでしょうね。
よかったって。
53歳のときですね。
70代を迎えた今も精力的に活躍。
現在の左さんをよく知るこの方からもお話を伺ってきました。
どうも、コロッケです。
とん平さんという方が役者として愛されているのはお芝居の中で自分が自分がと、はみ出す方がいらっしゃるんですね。
自分をアピールしたい方がやっぱり芸能界ですから多くて当然なんですけれどもでも、とん平師匠って絶対、出てこないんですよ、前に。
俺が俺がっていうのは一切なくてそれなのに存在感があって笑いも取ってお芝居もびしっと決めるんで。
壁に掛かった掛け軸の中の幽霊が。
はい、志村さん。
(志村けんのものまねで)恨めしや、恨めしや。
そしてその幽霊が傍らにあるお菊の皿を恨めしそうに数え始める、淡谷さーん。
(淡谷のり子のものまねで)1枚、2枚おしまい。
舞台に立たせていただいてお芝居とかも一緒にやらせていただくと演出とかも全部ここ、こうしたほうがいいよとか、これは、こうしたほうがもっと楽しいんじゃないとかうけるんじゃないとか、そのアイデアがあまりにも多すぎてお客さんがぶわっと沸くんですよ。
そこを僕は見てて、とん平師匠のそういうアイデアとかそういうものを、ああいうふうになれたらな、すごいなというように見てしまうのでその感覚を盗みたいっていう。
ほどよい感じのいたずらをしそうな人っているじゃないですか。
いたずらはしない。
でもなんか、しそうな顔してるというか空気というか。
そこがちょっとちゃめっ気があるというか、かわいいというか。
女優さんたちで左とん平さん好きな方はもう、すごい多い。
ほとんど共演した方ほとんどの人が好きになりますね。
左とん平師匠これからもすみません、盗みます。
いっぱい見せてください。
これからも末永くよろしくお願いいたします。
拍手
すごい。
心に残るメッセージばっかりじゃないですか。
コロッケ君はね、最初、芝居を見たときにこんな下手なやついないなと思ったの。
そうしたらだんだんうまくなってね。
今や、大したもんですよ。
びっくりしているくらい。
そうですか、コロッケさんも喜ぶと思います。
いろいろ盗ませてくださいって言える先輩がいるのはすごいですね。
後輩にそう言ってもらえるというのは。
いやいや、ありがたいことですね。
さらに証言をいただいている方もうひと方、いらっしゃいます。
昔からずっと今まで左さんのことをご存じの方です。
誰だろう。
こんにちは、加藤茶でございます。
そうですね兄弟みたいなもんですね。
僕が病気して入院したときにすごい心配してくれてもしかしたら加藤だめなんじゃないかみたいなことを言ってたらしいんですけどでも、まあ治って元気になってこないだ一緒に飯食ったんですけどもすごい喜んでくれました。
自分の年を考えていろんなおつきあいをしなさいっていう。
それだけですかね。
元気なんですよ、とにかく。
朝早くから夜遅くまで遊んでんですよ。
ゴルフやって終わって友達と飲み行ったりとかやってるんですよ、相変わらず。
だから、それがちょっとね年も年だしねちょっとその辺が心配かなと思うんだけどね。
とんちゃん、やってますか相変わらず。
まあね、今後、年のことを考えてもう少しセーブするとこはセーブして僕より長生きしてください。
僕を逆に見送ってください。
よろしくお願いします。
拍手
すごいですね。
当然、僕があいつを見送るかもしれないですね。
加藤のことを。
加藤茶さんのほうが6つ年が下なんですね。
去年ちょっと危なかったですよね。
薬の調合が悪くて体の具合を悪くしてね。
こいつ、だめじゃないかなって。
ことし元気になってねよかったなと思って。
よかったですね。
いい関係の方がたくさんいらっしゃいますね喜劇関係の。
朝からゴルフに行ってまた夜飲みに行っちゃう。
そうなんですよばかですよね。
そのパワーはどこから出てくるんでしょうか。
朝起きたらきょう行くぞって。
ストレスがないのがいいですかね。
あんまりなさそう。
あんまり考えないからいいのかもしれないね。
あんまり考えてないんですよ。
なるようにしかならないという感じでね。
そういう感覚だから若いときからくよくよしたことないんですよ。
なるほどね。
性分でしょうね。
性分というのか、ばかというのか。
どっちかですね。
すばらしい。
愛され左とん平の78年にぐぐっと迫ってみました。
ありがとうございます。
左とん平さんがご出演のドラマ今夜スタートです。
BS時代劇「子連れ信兵衛」山本周五郎原作の作品です。
他人の赤ん坊の世話をすることになった浪人信兵衛が長屋で起きる事件を解決していくという。
今で言ったらイクメン侍。
信兵衛を演じるのは高橋克典さんです。
左とん平さんはその長屋の住人のおそば屋さん重助です。
お孫さんがおぶんさん。
中村嘉葎雄さんや笹野高史さんもご出演です。
僕はね、高橋君とは初めてやったんだけど彼はなかなかナイスガイだね。
びっくりした。
僕、あんまり人を褒めたことはないんだけれど彼がいるとねレギュラー陣がみんな、やわらかになっていくというかね。
まとまりがね。
すごいなと思って。
そしたら何が好きって彼が小っちゃいときに「西遊記」を見ていたんです。
「西遊記II」ですね。
とん平さん、僕は「西遊記」を小っちゃいころに見ていたんですと言うからいくつと聞いたら小学校ですって。
だいぶ俺も年取ったなあって。
高橋克典さんと共演しているこの時代劇どんな内容なんでしょう。
主人公は剣の腕がピカイチの浪人松村信兵衛。
信兵衛は、道場破りで日銭を稼いでいました。
ああ、ああ〜。
参った、参ったあ!はい?そんな信兵衛のもとには長屋の住人からさまざまな相談が持ちかけられます。
その子は、沖石殿の。
消えちまったんですよ、沖石さん。
赤ん坊と、この書き置きを残して。
消えた?ひょんなことから他人の赤ん坊の面倒を見ることに。
ある夜、長屋の住人・重助がトラブルに巻き込まれます。
ああ、ありがとうございます。
お代は、皆さんごいっしょで?あんなまずいそばで金取ろうっていうのか。
細かい稼ぎをしている年寄りをからかっちゃいけません。
ご冗談を。
1人16文でございます。
うるさい!こしゃくなじじいめ。
折れてんだよ、折れてる。
大丈夫!えれえ侍が寄ってたかって年寄りを。
このまま泣き寝入りしなきゃいけないの?信兵衛は、重助をけがさせた男たちを懲らしめるため立ち上がります。
周囲から頼りにされる信兵衛ですが実は人には言えない複雑な過去が。
イクメン侍の素顔とは?赤ん坊とのあすはいかに?これはおもしろそう。
ぜひ見ていただきたいですね。
いきなり第1話で左さんはけがをされるんですね。
そう。
代わりに屋台を引っ張るんですよ。
おそば屋さんのね。
信兵衛が代わりに屋台を引くんですね。
この重助も、襲われるシーンでしたけどかっこいい感じでしたね。
ちょっといいでしょう。
最初の本のときは弱々しく勘弁してくださいって。
それが嫌だって監督にそれでああいう感じだったのそんなこと言えるものなんですね。
言っちゃうんですよ、僕。
独特。
木刀を下げるところそのあと侍をこてんぱんにするのかって思うぐらい。
こてんぱんにやられるんだけどね。
長屋の住人ということで小さい子どもが赤ちゃんが現場にいてね。
この子がまたかわいい子なんですよ。
まだ1歳に満たないんですよね。
10か月ぐらいの赤ちゃんだそうですよ。
ついつい赤ちゃんのほうに。
よくこんな赤ちゃんを見つけましたね。
泣かないし。
結構芝居をしているんだかしていないんだか見ているとしているんだよね。
この写真だってね。
いいでしょ、感じが。
長屋の人たちも小さい赤ちゃんを含め長屋の物語が進んでいきます。
主人公の信兵衛役高橋克典さんにも聞きました。
赤ちゃんが好きみたいでよく僕がしょっている鶴坊にカットがかかるとそうかそうかって言って話しかけられてコミュニケーションしてるんです。
僕は背中にしょっているのでそのとき鶴坊がどんな反応しているかはちょっと分からないんですけど厳しさもあり、奥深さもあり厚みもあり、かといってくそ真面目ではないのでカジュアルに言って…本当に長屋にいてくださるおじいちゃんなんですけどそうか、とん平さんかと。
すごくユーモアもありながら温かい空気を出してくださるのでこれからも、ますます…そして、またごいっしょできるようにまだ少し、残ってますけどどうかここから先もよろしくお願いします。
拍手
ありがとう。
高橋さんにも愛されている。
この時代劇、今夜スタートです。
毎週金曜日です。
ぜひご覧ください。
左とん平さんに歌っていただきます歌は?「人間って何だろう?」という10年ぐらい前に出した杉本まさと君の曲なんです。
彼が結婚式にね、うちの社長の結婚式に歌ってくれた歌なんだよ。
これいいなって題名と歌詞を変えてやった曲なんです。
これは絶対売れるよって。
でもすぐお蔵になっちゃったんですけど。
あまり売れなかったんだ。
俺、好きなんだけどな。
マイペースですね。
歌のご準備をお願いします。
ではお時間をいただきまして総合テレビ、このあとの番組を新聞のラジオテレビ欄ラテ欄でご紹介します。
今夜10時「ファミリーヒストリー」お笑いコンビドランクドラゴンの塚地武雅さんの出生に迫ります。
あのイカ大王に涙ということでどんなお話でしょうか。
そして「ドキュメント72時間」は関西国際空港に密着しています。
ぜひご覧ください。
お待たせいたしました左とん平さんで「人間って何だろう?」♪〜どうも。
拍手
ありがとうございました。
かっこいい。
すごい風格ですね。
そう?歌もよかったですし。
本当に?ありがとうございました。
おしまいに視聴者の皆さんから届いている質問・メッセージです。
質問からまいりましょう。
千葉県の方50代女性です。
素朴な質問です。
左とん平ってどうしてその名前になったんですか?あのね、三木鶏郎さんが付けてくれたの。
放送作家の?左というのは僕の本名が肥田木といってそれをもじってねとん平はね三木鶏郎さんが居酒屋に行っていてそこがとん平という名前だったの。
そんな簡単な。
でも最初のころは嫌だったんですよね。
でも今だったら愛着を感じて。
長崎県の50代女性です。
左とん平さんは確か梅干しが大嫌いだったと聞いています。
今でも大嫌いですか?梅干しがだめなんですよ。
今でも。
僕は小さいときにね紅しょうがの工場があったんですよ。
大きいたるにねおばあちゃんが足で踏んでいたところでね足のところに紅がねついていてそれを見てから梅干しがだめになったの。
重大ですね。
トラウマになっちゃって。
東京都の方です、とん平さんは多摩川の近くのゴルフ練習場でよく見かけます。
そうそう、よく行くんです。
おじさんたちとニコニコ話をしている姿がほほえましくて従業員のおばさんたちにも人気です。
いつまでも元気な姿を見せてくださいということです。
ありがとうございます。
千葉県の女性です。
私は喜寿を過ぎております。
若いころから左とん平様の大ファンです。
様を付けていただいてありがとうございます。
テレビに出てくるだけで笑ってしまいます。
お変わりなくお元気ですね。
またテレビで笑わせてください。
ありがとうございます。
長崎県のとんこさんという女性の方です。
中学生のころ「トップハット」という舞台で左とん平さんを知りました。
軽やかなタップダンスが意外で印象に残っています。
覚えています。
これは忘れないですね。
これからもご活躍ください。
神奈川県の20代の学生さん、女性です。
テレビでお芝居を何度も拝見しました。
年越しカウントダウン公演のときは深夜までやって、眠いとおっしゃっていたおちゃめな部分がかわいらしかったです。
これからもお元気な姿を見たいです。
きょうのゲストは左とん平さんでした。
2015/11/13(金) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 左とん平[字][双]

間もなくデビュー60年 愛されキャラの秘密! ゲスト:左とん平 司会:伊藤雄彦アナ、清水ミチコ

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】左とん平,【司会】清水ミチコ,伊藤雄彦

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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