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【芸能・社会】阿藤快さん急死 個性派の脇役、グルメレポで人気2015年11月17日 紙面から
テレビドラマや映画で独特の存在感を放つ個性派の脇役として活躍する一方、グルメリポーターとしても親しまれた俳優の阿藤快(あとう・かい、本名公一=こういち)さんが、16日までに東京都新宿区の自宅で死去しているのが見つかった。関係者によると、死因は大動脈破裂胸腔(きょうくう)内出血で、69歳の誕生日だった14日ごろに亡くなったとみられる。神奈川県出身。通夜は20日、葬儀・告別式は21日にいずれも同県小田原市内の斎場で近親者のみで行う。「送る会」を開く予定はない。 ◆14日が誕生日所属事務所などによると、15日に親族らが自宅の布団の中で亡くなっている阿藤さんを見つけた。阿藤さんの遺体は16日、親戚が住む神奈川県小田原市に搬送された。 東京都立大学(現・首都大学東京)法学部を卒業後、俳優座に加入。俳優を目指したのは中村敦夫(75)の誘いを受けたため。俳優座で美術を担当し、1970年に舞台デビュー。80年、黒澤明監督の映画「影武者」で存在感を発揮して注目され、三枚目からシリアスな役までこなせる脇役として活躍。88年からのフジテレビ系ヒットドラマ「教師びんびん物語」シリーズで、田原俊彦(54)演じる主人公の同僚教師を演じて幅広い人気を得た。2001年11月に「阿藤海」から改名した。 日本テレビ系「遠くへ行きたい」など旅番組やグルメリポーターも長く務め、飾らない人柄で親しまれた。「なんだかなぁ〜」という口癖が有名になり、物まねされるほどになった。 現在放送中のTBS系ドラマ「下町ロケット」では弁護士役で、公開中の映画「シネマの天使」では映写技師役で出演していた。 また大の競馬好きで競馬場でのトークや予想イベントなどにも出席。競馬関連の著書も出版している。公式ブログ「やみつき暗示馬券」には「競馬歴は35年。九星を使い、楽しみながら万馬券を狙う!」と記している。また、主な的中例として08年の桜花賞の馬単33万4440円、同年の有馬記念の3連単98万5580円を挙げている。ブログではメーンレースの予想をし、昨年の有馬記念の予想を最後に更新が途絶えていた。 出身地・小田原市の小田原ふるさと大使を務め、同市で開かれた「北條五代祭り」では北条早雲にふんし、馬に乗ってパレードに参加したこともある。 ◆「教師びんびん」ドラマで共演阿藤さんと1987年から2000年代に放送されたフジテレビ系人気ドラマ「びんびんシリーズ」で共演した俳優の野村宏伸(50)は、「ただただ驚くばかりです」などとコメントを寄せた。 野村は、自身の初のドラマ出演作「ラジオびんびん物語」(87年)や、「教師びんびん物語」(88年)で阿藤さんのほか、今年4月に交通事故で死去した俳優萩原流行さんとも共演。「萩原さんが亡くなられ、今度は快さんまで亡くなったことに実感がない」とショックを受けた。 阿藤さんとの初対面を振り返り、「本当に怖そうな人だなと思っていましたが、実は心優しく、いつも現場を和ませるなど、すごく周りの方に気を使う方」と回顧した。 初ドラマの収録では、「現場に慣れない不安だらけの僕がNGを出しても『大丈夫、大丈夫! まったく問題ないよ!』と笑って僕のミスを許してくれた」。野村の演技を見て「一番にほめてくれたおかげで、芝居にも自信が持てた」という。 時代劇の撮影で京都にいた際は、阿藤さんと初めてお酒を飲んだとか。「僕と同じでシャイな方なので、多くは語らないのですが、いろいろと勉強させていただいた」とし、「快さんのような器の大きい人が本当に男として格好いい人なんだなとつくづく感じ、それ以来、意識的に振る舞いなどをまねるようにしていました」。 「ふと快さんとお会いしたいなと思っていた」そうで、「今度はバラエティーで共演したり、成長した自分とお酒を酌み交わしたりしたかったです。そんな思いもかなわずに本当に残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます」としている。 ◆体調不良訴え…大林素子 不安感じていた俳優・阿藤快として最後の仕事となった舞台「MOTHER〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜」で主演を務めたタレント大林素子(48)が16日、東京都目黒区のホリプロ本社で急きょ会見。阿藤さんの通院や酒席のキャンセルなど、体調不良を思わせる兆候があったことを明かした。 同舞台は10月7日の東京公演から今月1日の大阪公演で千秋楽を迎えた。大林は1日に「お疲れさまでした」と言葉を交わしたのが最後だったという。 大林によると、阿藤さんから通院の話を聞いたのは10月30日。31日からの大阪公演を前に稽古を行い、阿藤さんの都合に合わせて打ち上げも予定。大林は阿藤さんが同月末に2回病院に通ったと聞いたという。最初の病院では良くならず、病院を替えたところ「『薬がすごい効いたから、きょうはすごい元気なんだよ』と言っていた」と明かした。「病気なんですか?」と尋ねると、阿藤さんは「年だから大丈夫だよ」と答えたという。 しかし阿藤さんは「疲れたから帰る」と打ち上げをキャンセル。公演期間中は大林らが連日酒席に誘ったが、阿藤さんが参加したのは1回だけだったという。 今回の訃報を受けて一連の出来事を思い出したという大林は「痛いとか、しんどいとか1回も口にされず、具合が悪いことも一切聞いてなかった。10月末が唯一のサインだったのかと胸が痛む」と悔やんだ。 ◆彦摩呂 講演を急きょ代役グルメリポーターの彦摩呂(49)は16日、自身のブログで、死去した阿藤さんの代役で急きょ岡山県で講演を行ったことを報告した。 前日の夕方に訃報を知らされ、代役の要請に「はい! わかりました」と応じたという。阿藤さんの所属事務所からは「阿藤の代わりに彦摩呂さんが行ってくれるなら、本人も安心します」と伝えられた。ナレーションの仕事が入っていたが、スケジュールをずらしてもらい岡山へ。 無事に代役を果たし「快さん…帰って来てくださいよ! 来年70歳の誕生日だよ! またお祝いして飲みましょうよ…! 戻らない旅に出やんといて…!」などとつづり、グルメリポーター仲間を追悼した。 ◆愛之助 結局紀香紹介できず歌舞伎俳優片岡愛之助(43)は16日、自身のブログで、阿藤さんとの思い出をつづった。愛之助は映画「築城せよ!」(09年)で阿藤さんと共演。当時の様子を「難しい役どころを飄々(ひょうひょう)と務められてました」と評した。 先日、阿藤さんから久しぶりに電話がかかってきたことも明かした。交際中の女優藤原紀香(44)についても話していたようで「プライベートなことを話していたら『良かったなぁ、今度、紹介してくれよ』と言われたので、喜んでと言ってましたのに、約束、果たせませんでした…」と残念そうに記した。 ◇ ▽ブログで阿藤さんとの2ショットを披露したタレントのギャル曽根(29) 「たった今ネットニュースで見てビックリして、涙が止まりませんでした。まだまだ、たくさんお話ししたかった。まだまだ、たくさんいろんなことを教えていただきたかった。こんな若い私にも分け隔てなく優しく接してくださった阿藤快さん。早いです。早すぎます。もう会えないなんて信じられません」 ▽同じ神奈川県出身で交流のあった女優名取裕子(58) 「旅先からおいしいものを送ってくださったり、私が体調不安があった舞台では兄役を買ってでてくださり、毎日支えてくださいました。しんからやさしい方でした。大好きな役者仲間でした。あの声や笑顔にもう会えないなんて、今はただ、ご冥福をお祈りいたします」 ▽映画「シネマの天使」などで共演した俳優ミッキー・カーチス(77) 「つい先日、映画の完成披露試写会の現場で会った時は元気そうで、いつものように楽しい会話をして盛り上がってたからなあ…。映画でも何回か共演してるんだけど、本当に、気遣いがすごいやつで、この前の試写会の時も好き嫌いの激しい本郷(奏多)君がまんじゅうを食べなければならないのを心配して俺が食べてやるよ、と言うようなやつだったよ」 ▽同映画で共演した本郷奏多(25) 「つい先日までご一緒にお仕事をさせていただいて、優しく温かい阿藤さんのお人柄に助けられておりました。お元気そうに見えたので、突然の訃報に驚きを隠せません。すてきな先輩であり、大好きな俳優さんでした」 ▽お笑いタレント今田耕司(49) 「いつもにこやかで元気な方でした。番組で定期的にお会いしていたので残念でなりません」 ▽お笑いコンビ「麒麟」田村裕(36) 「顔が似ているということで、ロケをさせてもらったりイベントに出てもらったりお世話になりました。いつも会うたび優しくしていただき、本当のお父さんのようにしたっていました」 ◆追悼番組放送へ阿藤さんをしのんで、スカパー!が関連番組を放送する。旅チャンネルの「旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記」(毎週土曜)のほか、ファミリー劇場の「タクシードライバーの推理日誌6 再会した女」(12月16日)、「太陽にほえろ!」(同26日)など、CSとBSで7番組を放送する予定。 PR情報
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