70年前、戦争で親を亡くし、駅などをねぐらに厳しい時代を生きぬいた戦争孤児の証言を聞く会が14日、下京区の真宗仏光寺派、大善院であり、約120人が体験談に耳を傾けた。家族にも伏せてきたつらい日々を語る決心をしたのは、戦争孤児を二度とつくってはならないという強い思いからだという。

 証言したのは左京区のマッサージ師、小倉勇(いさむ)さん(83)。13歳だった1945年7月12日夜、生まれ育った福井県敦賀市は空襲に見舞われた。米軍機から落とされる焼夷(しょうい)弾の「雨のような音」を聞きながら、必死で山手へ逃げた。振り返ると街は真っ赤に燃えていた。翌朝、炊き出しの行列で近所の人から「勇ちゃん、お母さんのことはあきらめや」と言われ、母の死を知った。ショックで涙も出なかった。

 母は映画館の前の用水おけの中で亡くなっていた。トラックで運ばれる多くの遺体は悪臭を放ちハエがたかっていた。「本当に悲惨で、死んでも1人の人間として扱われないのが戦争です」。