NHKスペシャル オウム真理教 地下鉄サリン事件
1989年には坂本弁護士一家殺害事件を起こしたオウム真理教は、大量破壊兵器の開発を進めていた。この当時警視庁はオウムに対する極秘調査を行なっていたことが明らかになった。捜査に携わっていた元警視庁捜査一課の小山金七さんの日記を、兄の賀奈男さんが見せてくれた。寺尾正大さんの指示で、1991年から捜査は始まっていた。極秘捜査員の1人だった高野正勝さんは、都内にある複数の教団施設を張り込んでいたという。
日記にはわずか2週間でオウム真理教の拠点や組織の内情を把握していたことが記されていた。この時、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の内偵が指示されていたという。しかし2ヶ月後には警視庁の動きが神奈川県警に伝わったことから捜査は打ち切りとなってしまった。高野正勝さんは、あの時踏み込んでいればと後悔の気持ちを語った。
1993年3月、オウム真理教は山梨県旧上九一色村でサリンの開発に着手し、純度70%のサリンが作られた。そして1994年6月27日には死者8人・負傷者140人以上を出す松本サリン事件が発生した。
全国の警察に指示を出す司令塔・警察庁が動き出した。元警察庁刑事局長の垣見隆さんは、長野県警からオウムがサリンの原材料となる薬品を大量に購入していたという報告書を受け、山下計画を実施した。
宗教法人であるオウムへの捜査は容易には進まなかったと元警視庁刑事局 幹部の安村隆司さんは語った。またオウムは事あるごとに捜査への抗議を行なったという。その後、第七サティアンから異臭がし、周辺の植物が枯れ、土壌からサリンの残留物が検出されたことで、製造可能なサリンの量を推計すると東京の人口の1/5を死に至らしめる量だった。これを受け、オウムの実態解明の捜査が警察庁長官の國末孝次さんより指示された。
オウムの施設の周辺でサリンの残留物が検出されたことが報じられ、1995年1月17日には阪神・淡路大震災が発生し警察は総動員で対応に追われ、オウムに知られる前に奇襲をかけるという山下計画は大幅な見直しを迫られることとなった。またサリンを製造した元信者は教祖に「70tのサリンを作らなければ救済が失敗する」と言われていたと話した。
地下鉄サリン事件の20日前にオウム真理教から家族を脱会させようとしていた男性が警視庁の管轄下で拉致され、元警視庁捜査一課の寺尾正大さんが指揮することとなった。捜査に当たった山田正治さんは、寺尾さんから「いつでも強制捜査できるように用意しておけ」という指示を受けていたという。
一刻も早く強制捜査を行いたい警視庁の寺尾正大さんに対し、警察庁の垣見隆さんは大量のサリンを保有するオウムが反撃に出る可能性が高いと見ており、サリンの製造拠点も同時に叩く必要があると考えていた。単独で動く可能性を示唆した警視庁は、強制捜査を3月18日に着手しようとしていたことが今回の取材で明らかになった。
警視庁の元警視総監の井上幸彦さんは誘拐された男性を助けるためにいち早く捜査に踏み切りたいとしており、一方一斉の強制捜査を望む警察庁の元警備課長・近石康宏さんは、サリンへの備えが不十分なまま直ぐに強制捜査に踏み切るのは危険だと考えていた。強制捜査の着手日は22日に決定した。しかしオウムは報道後、サリンプラントを神像で隠蔽し全てのサリンを廃棄していたという。そして警察の強制捜査を知ったオウムは、地下鉄サリン事件を実行した。警察は22日に強制捜査に入ったものの事件に間に合うことが出来なかった。