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能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び 「私は仕事がしたい」 〈国民的アイドル女優はなぜ消えたのか?〉

 投稿者:tomocci  投稿日:2015年 4月28日(火)09時06分40秒
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  能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び 「私は仕事がしたい」
国民的アイドル女優はなぜ消えたのか?〉

朝ドラとして、かつてない熱い支持を得た「あまちゃん」。しかし今、主役を演じた能年玲奈の姿をテレビで見ることはほとんどない。そして、流れ始めた「洗脳」報道。だが、真の理由は別にあった。彼女が苦しんだ過酷な待遇、社長による「パワハラ」発言とは――。

 四月六日、「あまちゃん」がお茶の間に帰ってきた。NHKのBSプレミアムで始まった再放送は、ファンたちを再び熱狂させている。
 二〇一三年四月に始まった「あまちゃん」は回を重ねるごとに人気を呼び、好調が続くNHKの「朝の連続テレビ小説」の視聴習慣を取り戻すきっかけとなったと言われるドラマだ。
「あまちゃん」が、なぜ視聴者の心を掴んだのか。主人公・天野アキの母・春子を演じた小泉今日子(49)は、エッセイでこう綴っている。
〈ヒロインを演じた能年玲奈ちゃんの瑞々しさはアキそのもので、この子を全力で守りたいという気持ちにさせてくれる魅力的な女の子だった。ドラマの中でのアキの成長はそのまま能年ちゃんの成長だった。これはもうドラマを越えたドキュメンタリー〉(「SWITCH」二〇一三年十月号)
「地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も個性も華もない、パッとしない」アキがアイドルを目指して成長していく「あまちゃん」同様、ほぼ無名の女優だった能年玲奈(21)が祖母役の宮本信子や小泉たちに揉まれながら、才能を開花させていく。この二つの過程を、視聴者は同時進行で見ていたのだ。
 しかし今、能年の姿を見ることができるのは、「あまちゃん」の再放送とテレビCMのみ。NHKの朝の顔は、この二年ですっかり姿を消してしまった。
 そして、急に流れ始めた「洗脳」報道。国民的女優となったはずの彼女に一体何が起きたのか。
 小誌取材班は、能年玲奈の二十一年を克明にたどった。
 能年は兵庫県神崎郡で生まれ育った。神戸から電車で一時間半かかる田舎町だ。妹やいとこたちと野山を駆け巡り、近所のまだ青い柿を袋いっぱいに獲ってきて、母があわてて謝りに行く。まるで昭和のような、おてんばな少女時代を過ごした。
 おしゃれが大好きな少女でもあった。洋服好きの母が買ってきた服を、次々に着ては鏡の前に立つ。そんな一面もあった。
 中学校の同級生の印象に残るのは、上京し芸能界を目指すと決意した時の彼女だ。中学ではソフトテニス部で真っ黒に日焼けし、友人とバンド活動をしながら、雑誌『ニコラ』でモデルの仕事を始めた。神崎郡から東京に通っていたが、卒業と同時に、東京行きを決めた。家族は反対したが、彼女は押し切った。おっとりした性格と見られていた彼女の強い意志は周囲を驚かせた。
 上京した能年は、事務所レプロエンタテインメントの寮で暮らすことになった。ただ、『ニコラ』のモデルは高二の五月で卒業。あまり仕事が入らず、悶々とした日々を送っていた。

一カ月間事務所の掃除当番

 能年の演技の才能が、開花し始めたのは高校二年生の頃だ。高校一年から、レプロのタレントたちの演技レッスンを担当していた滝沢充子の指導を受け始めた。口下手に見られがちの能年だが、レッスン後にわからないことがあると滝沢を質問攻めにした。それは二時間に及んだこともあると、滝沢は雑誌の取材に語っている。ただ、説明を受け、納得して行動に移すと、見事な輝きを放つ。能年は、関西弁を直し、髪をショートにし、ダイエットをし、少しずつ変わっていった。
 その変化にあわせるように、オーディションの数が増え、出演が決まるようになっていた。
 映画「告白」(二〇一〇年)で女優デビューを果たし、映画「カラスの親指」(二〇一二年)で報知映画賞・新人賞を獲得。「サマーレスキュー~天空の診療所~」など、テレビの連続ドラマからも声がかかるようになった。
 そんな時、オーディションが始まったのが「あまちゃん」だ。二〇一二年四月から始まったオーディションには千九百五十三人が参加した。ただ、所属事務所レプロにとっては、無名の能年は“当て馬”に過ぎなかった。レプロが事務所をあげてプッシュする川島海荷(21)もオーディションを受けていたためだ。川島は社長の本間憲が自ら見出した秘蔵っ子だった。
 レプロは本間が一九九一年に創業した会社だ。本間はもともと石田純一らが所属するスカイコーポレーションで運転手やマネージャーを経て、芸能プロダクションを始めた。
 レプロはモデル出身の長谷川京子や新垣結衣などを女優に育て、業界で存在感を増していく。「オレたちはハリウッドを目指す」と本間は、本社のレッスンルームにハリウッドの絵を掲げさせている。社長の号令一下、社員はみな英語のミドルネームを持つ。本間は、スティーブだ。毎年、成績をあげた社員にはロレックスをプレゼントする親分肌で、社内の空気は体育会系。そのせいか、打てば響くタイプではない能年は、事務所の怒られ役だった。
「あまちゃん」のヒロインに決まる直前には、寮の掃除がなっていないと厳しく注意を受け、一カ月間、事務所の掃除当番を命じられていたという。
 本間は、能年が「あまちゃん」ヒロインに決まった頃、能年と川島が共演した雑誌「H」のグラビアについて、自身のツイッターでこんな書き込みをしている。
〈『H』でホッコリ。能年も頑張ってるが今回は川島の貫禄勝ちだなこりゃ。このまま切磋琢磨しとくれよ〉(二〇一二年七月十一日)

小泉「あんた、筋通したね」

 朝ドラのヒロインに抜擢されても、能年の扱いは変わらなかった。
 当時の月給は五万円。朝ドラはロケやリハーサルも多く、拘束時間は長い。当然、アルバイトする時間はない。能年は仕事が増えれば増えるほど、実家の仕送りに頼らざるをえない生活が続いた。
 最初の事件が起きたのは、二〇一二年十一月。岩手県久慈市でのロケからの帰りのことだった。能年についていたのは新人のマネージャー。新幹線に乗り込む時、能年は長期ロケのためリュックとキャリーバッグの大きな荷物を抱えていた。重い荷物に彼女の足は上がりきらず転倒。右足の脛を大きく切った。出血に気づいたのは新幹線に乗った後。次の駅で降りて、救急車で病院に運び込まれる事態に発展した。
 傷は骨が見えるほど深く、七針を縫った。傷が残り、この後の撮影シーンでは、足を出す衣装が長ズボンに変更を余儀なくされた。
 ただ、「あまちゃん」の撮影は、能年にとって幸福な時間だった。
 スケジュールのタイトな朝ドラだけに、セリフ覚えは大変だったが、そんな時は、祖母・夏役の宮本信子が助け船を出してくれた。「疲れたわ」とスタッフに言っては、わざと休憩時間を作ってくれるのだ。
 宮本は、演技前、台本の再確認をしたい能年のために、一人になれる部屋を用意するようスタッフに提案してくれた。メイクルームの近くの、着替え用に使われる小部屋がそれにあてられ、後に「おこもり部屋」と呼ばれるようになった。
 能年が共演者たちやスタッフに愛されたのには理由がある。
 彼女は、小泉や宮本、父親役の尾美としのり、大女優・鈴鹿ひろ美を演じた薬師丸ひろ子、さらには劇団出身の渡辺えり、木野花らの出演作に熱心に目を通していたのだ。過去の作品について、目を輝かせながら語る能年の一生懸命さに、共演者たちも惹かれていた。
 渡辺は、プライベートで一緒に出かけるほど能年をかわいがった。ある時、一緒に観た映画「レ・ミゼラブル」に感動した二人は、演劇好きが集う喫茶店に入ると終電まで感想を熱く語り合ったという。
 二〇一三年二月、再び事件が起きた。能年の父が、交通事故を起こしてしまったのだ。あと二カ月で放映が始まる大事な時期だった。
 撮影は久慈で行われていた。母からの連絡を受けた能年は夜、宿泊するホテルで小泉の部屋をノックした。
「父のことで、皆さんにご迷惑をおかけするかもしれません」
 謝る能年を小泉はこう言って慰めた。
「あんた、筋通したね。大丈夫、私たちみんなで守るから」
 宮本もやさしく支えてくれた。
「大丈夫よ。今は一生懸命がんばることしかできないんだから、がんばりなさい」
 事故は共演者との絆をさらに深めることになった。
 しかし、「あまちゃん」を一歩出た外の世界は、能年にとって過酷だった。レプロでは、リハーサルや打ち合わせでは、車が用意されない。撮影本番が深夜に及び八時間以上続く時だけ車がつくのだ。そんな時、サポートしてくれたのはNHKのスタッフたちだった。
 二〇一三年四月、「あまちゃん」の放送が始まり、能年に注目が集まると、NHKサイドがタクシーチケットを用意してくれたり、車を手配してくれた。行き帰りに事故が起きては困る、というのがその理由だった。
 東京に戻り、怒濤のスケジュールで撮影が進行していた。深夜、寮に帰ってから明日の本読みを始めるため、睡眠時間は平均三時間。
 スタジオに着ていく服の洗濯も間に合わなくなった。お金もない。月給五万円では経費の精算が追いつかないのだ。
 撮影が終盤に入り佳境を迎えた四月、ついに能年はパンクした。
 この時、能年が弱音を吐いて頼れるのは、折にふれて演技指導を受けてきた滝沢しかいなかった。
 深夜、滝沢に電話をした能年は泣いていた。
「寮の乾燥機が壊れて、もう明日のパンツがない」
 コンビニで買えばいいと言う滝沢に能年は訴えた。
「財布には二百円しかない」

「事務所への態度を改めろ」

 寮に駆けつけた滝沢は、洗濯を引き受けると、能年に明日の撮影に備えて眠るよう、強く言った。能年の母と話し合った滝沢は、この日以来、身の回りの世話を引き受けるようになった。
 こうした状況の中、能年はレプロへの不信感を強めていった。経験の浅いマネージャーが現場に出されることが多かった。現場マネージャーが次々に替わる上、移動の時にいない、先に帰ってしまう、画面に映り込んでしまうなどトラブルが続出した。共演者やスタッフに、能年が謝って回ることも少なくなかった。
 実はレプロにとって、「あまちゃん」の放送が始まった二〇一三年四月は、大きな転換期だった。業界では、レプロは、社長の本間とナンバー2で本部長のHが二人三脚でここまで大きくしたと見られている。営業力のあるHは、本間のプレッシャーでつぶれかけた社員やタレントをフォローする役割を果たし、人望があった。だが、両雄はいつまでも並び立たない。
 Hは、本間から「お前がいると若手が育たない。タレントのマネジメントからは外れてくれ」と告げられ、子会社の社長に転じた。もともとレプロは毎年十人以上の社員を採用し、その多くが退職していく。だが、Hがレプロ本体から外れてからは、有能と見られてきた社員や中堅社員の退職が相次ぐようになった。Hの後任として、本部長になった女性社員のNも、業界では「長谷川京子や新垣結衣を見出した」と評価の高い人物だったが、約一年で退任した。
 能年とレプロの亀裂が深まっていったのは、会社の混乱期でもあったのだ。
 七月十三日、「あまちゃん」撮影中に、能年は二十歳の誕生日を迎えた。小泉からは、ティファニーの三つの鍵がついたネックレスをプレゼントされた。
「大人になるまでに、必要な鍵だよ。三つまでだったら助けてあげる。まあ三つじゃなくてもいいけどね」
 八月一日、ついにクランクアップ。当時、NHKの「あまちゃん」公式ホームページには、能年のこんな感謝の言葉が掲載された。
〈共演者のみなさま、スタッフのみなさま、プロデューサーの訓覇さん、菓子さん、そして監督のみなさま、宮藤官九郎さん、本当にお世話になりました。私に演技の基本を教えてくださり、毎晩本読みにも付き合ってくださった滝沢充子先生にもお礼を言いたいです〉
 だが、この発言はレプロを怒らせた。レプロにとっては「部外者」の滝沢の名前があったからだ。
 クランクアップ後の打ち上げが終わった数日後、能年は、レプロ本社の入るJR東急目黒ビル十六階のミーティングルームに、呼び出された。
 Sチーフマネージャーは、今後の仕事の方針について説明を始めた。Sマネージャーはこう告げた。
「玲奈の態度が悪いから、オファーが来てない。仕事は入れられないよね。事務所を辞めたとしても、やっていけないと思うけどね」
 驚いた能年はこう聞いた。
「それは、干すっていうことでしょうか」
「仕事は入れられないけど、干すとは言っていないじゃないか」
 このミーティングの後にも、何度か話し合いがもたれたが、Sマネージャーは再び、こう宣告した。
「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない」
「『あまちゃん』の視聴率は高かったから評価していますよ。でもお前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」
 そして、決定的な事件が起きた。当時、累計四千万部を突破する人気漫画「進撃の巨人」に映画化の話が持ち上がっていた(今年夏に公開予定)。制作陣の間で、女性人気キャラクターであるミカサ役に能年の起用が検討された。ミカサを主役に脚本を書き直す話もあったという。能年には知人を通じて、この話が届いていた。
 だが、レプロは能年に事前に接触をしたことを問題視し、オファーを断った。
 能年の心は折れた。
 二〇一三年は「あまちゃん」の年だった。
「じぇじぇじぇ」は流行語大賞にもなり、大晦日には紅白歌合戦にも出演し、三曲を歌った。能年は紅白PR大使に起用され、宮藤が書いた「あまちゃん」の紅白特別編も放送された。「あまちゃん」コーナーの視聴率は五〇%に達した。能年は、老若男女誰もが知る国民的女優となっていたのだ。
 だが、「進撃の巨人」出演が消えたことで限界に達した能年は、二〇一四年一月、「ホットロード」の撮影を終えると、担当のMマネージャーに、「事務所を辞めたいです」とメールを送った。そして、三月には正式に文書で事務所を辞めたい旨を伝えた。
 一方、レプロ側も怒りをつのらせていた。社長の本間から見れば、ようやく育て上げた女優が、事務所の言うことを聞かずに、辞めたいというわがままに映った。
 本間は、能年との面談を行うことにした。五月から六月、能年の「海月姫」の撮影中、複数回にわたり面談は行われた。

業界を震撼させた小泉発言

 休日の夕刻、レプロ本社の静まり返った広い会議スペースで、本間は能年に辞めたい理由の説明を求めた。
「仕事をさせてもらえない。それが辞めたい理由です。Sさんとのミーティングで、事務所を辞めなくても仕事はさせないと言われました。実際、連ドラは入れてもらえていません。少なくとも今年は入っていないと言われています」
 本間は一言、
「全部、お前の妄想だよ」
 と返すと、
「Sに確認したが、そんなことは言っていないそうだ。お前の勘違いだよ。辞めたい理由をもっと分かるように説明しろ」
 能年は、ゆっくりとこう話したという。
「もうすぐ私の二十歳という年が終わります。女性にとっては特別な年齢です。でもその二十歳が干されて終わってしまいました。とにかく精神的に限界です」
 約三時間、押し問答が続く日もあった。埒が明かず、泣きながら能年が「話を聞いてもらえないのなら、私からお話しすることはありません」と帰ろうとすると、激昂した本間は、廊下まで能年を追いかけ、こう吠えた。
「負け犬! お前はそんなんだからダメなんだな。逃げたな!」
 本社を飛び出た能年はタクシーを拾うと、滝沢に号泣しながら経緯を語った。
 能年からすれば、本間との面談は恐怖でしかなかった。能年とレプロの話し合いは弁護士を通じて行われることになった。
 九月に入り、レプロから能年の元に文書が届いた。
 もともと能年とレプロとの契約は二〇一四年六月まで。ただ、契約書には事務所の申し出により一度延長できるとの条項がある。
 文書は、契約を二〇一六年六月まで二年間延長すること、能年は育ててもらっているプロダクションの指示に従うという芸能界の常識を理解して行動するべきとの文面だったという。
 この間、能年の心の支えになったのは、やはり「あまちゃん」たちだった。能年のブログには、小泉、宮本、尾美ら共演者がしばしば登場している。
 小泉の衝撃的なインタビューが掲載されたのは、能年と事務所との対立が抜き差しならない状況になっていたこの年の四月のことだ。
〈日本の芸能界ってキャスティングとかが“政治的”だから広がらないものがありますよね。でも、この芸能界の悪しき因襲もそろそろ崩壊するだろうという予感がします〉(「AERA」二〇一四年四月二十一日号)
“芸能界の悪しき因襲”発言が注目されたが、実はインタビューにはこんなくだりもあった。若い人へのメッセージを聞かれた小泉は、こう返している。
〈私、若い人たちに向かってよりも、若い人たちを動かしている大人たちに向かって説教したい気分です(笑)。フフフ。若い子たちは頑張るしかないんだよ、頑張ってるんだよ、人の人生を何だと思ってるのよ、と。みんな一人の人間だし、一人の人格だし、大人たちがもっとちゃんと向き合ってほしいな、と。
 芸能界にはしっかりした事務所もいっぱいあるし、互いの相性もあるから一概には言えないこともあるけど、やっぱり、もうちょっと大人たちがちゃんとしろと言いたいな〉(同前)

小誌直撃に口を開いた能年

 人気はあるのに全く仕事が決まらない能年。芸能界では、「出し惜しみ戦略」「仕事を選んでいる」とされてきたが、「あまちゃん」以降の二年間で、女優として映画二本、わずか二十分のスペシャルドラマ一本の出演にとどまり、その理由をいぶかしむ声があがり始めた。そんな時、ある噂が芸能界を駆け巡った。
「能年は、演技指導の滝沢に洗脳されている。滝沢の家に同居し、レプロが仕事をオファーしても、滝沢が断らせている」
 そして、今年四月、能年が代表取締役の株式会社「三毛andカリントウ」が一月に設立され、取締役に滝沢が就いていたことがネットで広まった頃、本間はツイッターでこうつぶやいている。
〈善人の仮面をかぶって恩人ぶって近付いて来て洗脳しようとする悪党がいつの世にも何処にでもいるなと〉(四月十四日)
 そして、東京スポーツ、アサヒ芸能などが相次いで、〈滝沢による能年洗脳〉記事を掲載し始めた。いずれも会社設立を、〈能年独立へ〉として報じている。
 小誌は渦中の滝沢を直撃した。
――能年と同居し、洗脳していると言われています。
「違います。彼女のご両親に依頼されて、身の回りの世話をしているだけです」
――会社設立は独立のためでは?
「そんなつもりはありません。能年の描いた絵やグッズなどを販売する会社で、レプロとの契約に抵触しません。ただ、肖像権はレプロにありますので、作品は違う名義で出すことになると思います。能年とレプロの所属契約は続いていますので、これ以上は事務所に聞いてください」
 本間社長にも話を聞こうと、自宅を訪ねたがかなわなかった。レプロの担当者は次のように回答した。
――本間社長の意向により、現在、能年に関するドラマや映画などのオファーを一切断っているのでは?
「そのような事実はございません」
――会社設立にともない能年は独立するのか?
「(法人設立は)そういうことのようですが、事実関係を確認中で、詳しいことをお伝えできる状況ではありません」
――能年の「あまちゃん」撮影時は月給五万円だったというのは事実か?
「個人の給料についてはお答えできません」
 能年の弁護士は、独立騒動について、次のように説明する。
「昨年後半から良好な関係樹立のため、レプロ側と能年の処遇等について弁護士間で交渉しているのは事実だが、独立云々の話ではない。協議の具体的な内容は守秘義務があるので、話せない」
 当の能年は、事務所とのトラブルを抱えながら、今何を思うのか。小誌記者は都内でカフェから出てきた能年を直撃した。
――事務所との問題についておうかがいしたい。
「申し訳ないのですが、レプロを通してください」
 足早に歩きながら、会社設立や独立など何を聞いても、後は無言の能年。だが、去り際、
「能年さんは仕事を断っているのですか?」と声をかけると、記者に向き直りこう答えた。
「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」
「あまちゃん」では、大手事務所を干されたアキのために、母・春子が「スリーJプロダクション」を立ち上げ、芸能活動を続けさせた。小泉は、打ち上げの際、能年にプレゼントされた共演者・スタッフの寄せ書きにこう書いたという。
「『あまちゃん』が終わっても、お母さんだと思ってくれていいからね」
 今年二月、小泉は自身が代表取締役を務める個人事務所を設立している。
 小泉の冒頭のエッセイにはこう綴られている。
〈私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに『その火を飛び越えて来い!』という心持ちで待っている。すぐに傷の手当ができるように万全な対策を用意して待っている〉
 能年はその火を飛び越えることができるのだろうか。(文中敬称略)

「週刊文春」2015年5月7日/14日 ゴールデンウィーク特大号


 
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