2007-12-30 偽ちきりん!?
今日は、今年の字として選ばれた“偽”ということについて書いてみる。
まずは、今年こんなに食品偽装が報道された理由は、“構造的なもの”だということを書いておきたい。
商品やサービスのコストは原料と人件費と管理費の3つしかない。原料代を下げるか、人件費を下げるか、経費を浮かすか、しか、安くする方法はない。だから「限界を超えてコストを下げたい企業」は、原料に偽物を使うか、労働者から搾取することを考える。
搾取されている労働者は、それでも職についている間は沈黙しているが、職を離れる時に置きみやげのように原料の偽物問題(使い回し等を含む)を“告発”する。
ところで、今回の賞味期限の偽造問題では、多くの人が「消費(賞味)期限なんか、意味無いのでは?」と気がついたと思う。
例えば家族の間なら、主婦が期限切れの食材を使うことはよくあるでしょ。でも、その料理を食べた家族が「騙された」と訴えることは(日本では)あり得ない。
じゃあ介護ヘルパーさんがご老人のおうちで調理をして、その家の台所にある期限切れの調味料を使って料理をして、介護をしている相手であるに食べさせたとしよう。これは問題?
あんまり問題になりそうにないよね。そんな状態はいくらでもあるでしょ。家にひとつも消費期限切れの調味料がない人の方が少なそう。
じゃあ、そのご老人が翌日はデイケアセンターに行って、その介護施設の食堂で食べたご飯に期限切れの調味料が使われていたら問題?
その介護施設が、個人が自宅を改装して運営している、被介護老人5人のところだったら問題?
その介護施設が、全国にチェーンを持つ有名な不動産会社の運営だったら問題?
その調味料の仕入れ方法が、「消費期限が近づいたものを集中的に仕入れて、単価を安くして売っていることで有名なスーパーマーケット」での購入であったら、問題?
いったい何が問題で、何が問題でないのか。微妙だよね。
それと、今でも魚屋や肉屋で鮮魚、生肉を買うと、消費期限なんてついてないこともあるでしょ?(スーパーの中の肉屋だと、価格を印刷したシールに期限がついてます。)
卵や牛乳だって、明確な期限なしに売っている産地に近い田舎の店とかまだありそう。小さなパン屋で、焼きながら売っているパンにも、自家製まんじゅうを売っている小さな土産物屋のまんじゅうやせんべいにも、消費期限も賞味期限もついてない。ことはよくあるんじゃないかな。
これは法律だから、一定の条件を満たすと期限を設定しなくちゃいけなくなって、それを守らないと大変なことになる。そのラインがどこにあるか、私たちは知っているか?
あたしゃ知りません。(って、開き直ってどーするよ。)
★★★
コンビニの弁当の作り方は有名だ。夜の9時くらいから大量の弁当を作り始める。夜中の12時の1分前にすべての食材を、大量の弁当箱に“詰め終える”。それぞれの食材は、もっともっと前の時刻に調理されたものだ。夜にやっているのは“トレイに詰める”という作業だけだ。
そして、12時を過ぎて日付が変わると一斉に、弁当に“その日の日付”が製造日として印刷されたシールを貼る。大手のコンビニチェーンは、さすがに“日付の改ざん”はしないかもしれない。しかし、前日に作られた食材を“詰めて”“蓋をした日”を製造日とする手法は、昨日のプリンを明日売るのとどーちがうのか。
も一回言うと・・
「何が問題なのか」明確にした方がいいと思うわけだ。
ちきりんがこの問題で思ったのはね、日本にはびこる“オーバースペック病”のひとつに不審のメスが入ったということかな、と。
実は家電なんかも昔はそうだった。日本の商品は明らかにオーバースペック。そのためのすべてが価格に上乗せされていた。現在はオーバースペックな家電は“ちゃんと”ブランド化されている。“亀山モデル”とか。
必要以上の品質を備えたモノは“ブランド化”して売ればいい。普通のものは、そんな異常な品質である必要はない。ということ。
過剰包装とかも同じだと思うのだけど、この国の“やり過ぎ感”は目に余る。デパ地下でいくつか食材を買うと、包装紙でゴミ箱が溢れかえる。
あまりにも無駄な決まり事が多くないか?
実は誰も守れてないし、守れないようなルールを作って自己満足するのはやめようと、誰かがそう言い始めることが必要なんじゃないの?日本の食品会社の社長すべてに頭を下げさせるまでコレ続けるつもり?と思っていたら、衣料会社もだって。カシミヤ70%のマフラーにカシミヤゼロ。
あのね。カシミヤ70%の手触りとゼロの手触りがわからないなら、「騙されてもいーんじゃないか?」と思う。表示がないとわからないようなものは、なくてもいいだろ?と。まあ、それに「気がつかなかった」(と言い張れる)アパレル会社の社員って何さ?とも思うけど。
新鮮と表示されているから新鮮なのではなくて、美味しいと思えることが(その理由が新鮮さである場合もあるだろうし)大事。食べ物が“食べたらやばいかどうか”くらいのことはクンクンして推理できるくらいの生存スキルを身につけた方がいい。
カシミヤ100%だから高くても納得するのではなく、「私は○万円払ってでもコレを手に入れたい」という自律的な意思こそが重要なのではないかと。思うわけ。
まあそんなことで。
偽物ちきりんより。
じゃね!
2007-12-29 ドル売り
今年と来年で大きく変わることのひとつは、「世界がアメリカを怖がらなくなる」ということだ。
一昨日パキスタンで起こった事件(ブット女子が街で狙撃された)は非常に象徴的だ。CIA劇場パキスタン支店の主役に抜擢されていた女優が消された。人前で演説中に狙撃されるというあまりにも劇的な形で。
これは明確な意思表明だ。
世界は今、高らかに宣言する。
「アメリカはもう怖くない。」 と。
思えば2001年の9月以来、理性とブレーキのネジを(半分、意図的に)失ったアメリカの癇癪的横暴に、世界は自律的な意思をなくしていた。いや息を潜めていた。
「あのクソガキ、また暴れとるわ」「んやけど、あいつが暴れとる間は近寄ったらあかんで。けがするからな。離れときや」ってな感じ。大人の皆さんは距離を置いて、時を待ってたというわけだす。
そしていよいよ2008年。世界は「もうアメリカに気ぃ使わんでも大丈夫」と思い始めた。
そしてなにより大きいのは「石油価格」だ。石油価格が高騰して、アメリカの力は相対的に削がれてしまった。
「アメリカがイラクを攻撃」→「しかし戦争に失敗」→「石油供給に世界が不安感を持ちはじめ」→「石油価格高騰」→「投機筋が参戦して、価格高騰に歯止めがかからなくなり」→「ロシアや中東などの産油国の力が強大になり」→「もうロシアも中東もアメリカに従属しなくなってきた」
という流れなんで、アメリカさんの自業自得なんですけどね。
ドイツもフランスも元々アメリカに追随なんかしたくなかった。最初にしっぽを振ったイギリスとスペインは大規模なテロに首都を襲われ、高い代償を払った。中東は今やサブプライムで痛んだアメリカの資産をすべて肩代わりしつつある。
ロシアはプーチン体制を継続することを明確にし、あからさまにアメリカに反旗を翻し始めた。金正日も完全にブッシュの足下を見ている。日本でもオーストラリアでも親米首相(ハワード&小泉・安倍)が政権の座を追われた。そしていよいよイスラム過激派が「もうブットを殺しても大丈夫」と判断したってことだ。
世界が「もうアメリカは怖くない」と思い始めた理由はもうひとつある。ブッシュは来年で政権から降りる。そして“誰か”新しい大統領が誕生する。
しかし、それが“誰であれ”「もうアメリカは怖くない」と世界は思っている。民主党の若い、肌の黒いおにーちゃんも、ミーハーなおばちゃんみたいな候補者も、共和党の、北米大陸から一度も出たことのないようなドメな候補者も。だーれも怖くない。誰でも怖くない。
世界はそう見てる。
「ブットを殺しても、アメリカは何もできない」と。
彼らはわかってる。
今までちきりんはこう思ってた。「こんなにアメリカばっかり強くなってどーなっちゃうんだ?」って。「アメリカに対抗できる力はもう出てこないのか?」「中国が米国に対抗できるようになるには後何年かかるの?」と。
しかし、潮目は一気に変わった。
「世界はもうアメリカをおそれない。」
2008年という年が、今年と最も大きく異なる点はこの点だ。
じゃね。
2007-12-28 若者達の分水嶺
今年一年、“格差”というテーマで議論されたことは、次の二つに収束します。
ひとつが「地方をどうするか」問題であり、もうひとつが「捨てられた若者達をどうするか」問題です。
後者の若者切り捨て問題に関して、ちきりんが今年明確に意識したのが、「既得権益のえげつなさ」です。
問題は若者の問題ではなく、若者を切り捨てている方の「中高年の問題」とでも呼びたくなるほど、既得権益者のエゴと我が儘さはヒドイ。
★★★
全体のパイが拡大していた高度成長時代と異なり、90年以降、日本経済が深刻に痛んだ時代、大人達は躊躇無く自分たちの既得権益を守り、それ以外の人たちを冷淡に切り捨てました。
企業は中高年の雇用と給与を守るために正社員採用をストップし、足りない労働力を非正規雇用で補完。そのために派遣法を改正させたんです。
当時正社員の座にあった中高年の人達は、自分の立場を守るため、必死の形相で、若者を切り捨てたんだと思う。
新卒の採用を絞りに絞っても、まだコスト削減が必要だった企業が(新卒採用の凍結に加え)中高年の首を切ると、“40代以降のリストラ”は、あたかも人道に反する罪であるかのように報道されました。
しかしその裏で、その倍の失業率に達していた若年者失業率は当初、全く注目されず、
それどころか、こちらは「甘えた若者達」「ニート問題」などという言葉で、責任は社会ではなく若者にあるという一大キャンペーンが展開されたんです。
40代が職を失うのは「社会の裏切り」であり、20代が職を得られないのは「甘えているからだ」という二枚舌的な理屈が社会の常識となってたわけ。
★★★
最近の格差に関するニュースでは、生活保護が受給できない貧困層をとりあげ、行政を糾弾する論調が多いですよね。でも、それらのニュースにさえ、上記の構造が透けて見える。
というのも、高齢の貧困者はただただ哀れでかわいそうで社会が助けるべき対象として映し出され、視聴者は「かわいそうだから、ちゃんと福祉を適用すべきだ」と思わせられるようにカメラが回ります。
一方、若者の貧困者としてテレビに映し出されるのは、
「訓練を受けていない“何もできない”若者」、
「裏切られ続けて“気力を無くしてしまった”若者」であり、
企業の中枢にいる中高年達の目に映るその姿は「かわいそうではあるが、こんなのを正社員では雇えないよな」と思わせる、まさに彼らの描く“だめな若者”の姿です。
つまり、高齢者に関しては「かわいそう」なのに、若者に関しては「これでは仕事がなくても当然かも」という印象を残すんですよね、テレビ番組って。
★★★
今年は、搾取され、いたぶられ続けた若者達が初めて声を上げた年だったと思います。
これって画期的だったよね。とはいえ解決はまだだから、来年が「解決の最初の一年」になるかどうか。
ただし、残念ながらちきりんは、この問題に対して効果的な解決方法が提唱されてるのを、まだ見たことが無いです。
例えば景気が良くなって雇用を増やそうとする企業に対し、「新卒採用を増やす前に、今も非正規雇用のまま取り残されてる“10年前の新卒世代”を正社員として雇え」という主張も聞くんだけど、そんなお題目みたいなこと言っても誰も動かない。
「こんな給与じゃ食べられない」とか「こんな年収じゃあ結婚もできない」と」言われても、企業が「若者が結婚するのに必要な金額を払おう!」と思ったりするなんてのも、あり得ない。
でしょう?
最近やたらと化けの皮がはがれているキヤノンは、偽装請負で工場労働者のコストを抑えてるけど、これを糾弾する若年労働者達の声が一定以上盛り上がれば、企業側は工場を海外に移しちゃう。
彼らが、「若者が怒っているから正社員にしよう、高い給与を払おう」なんて思うわけがない。
けーたい派遣にも若者達は労働組合的な動きをして対抗し、結果としてフルキャストもグッドウィルも崩壊しつつある。
だからといって、けーたい派遣の仕事さえ失った若者達を、どこかの企業がいきなり正社員で雇ってくれるわけじゃない。
このあたり、巧妙に若者を追い込んでいった過去10年の中高年の巧みさに比べ、若者は圧倒的に未熟で策を持たない。
★★★
彼らの発するメッセージは 50年前と全く同じ。「搾取するな」「労働者に人間らしい生活と権利を!」
そういってデモるのって 50年前の方法論なんだよね。現代において、この方法で本当に何かが変わるのかな?
「悪いのは俺たちじゃなくて、おまえらだ!」と若者が叫び始めたのが、今年だった。それは重要な一歩だよね。
だけど、「だから、こうしてくれ。こうすべきだ」という具体的で実効性のある“解”は、今はまだ全く提示されていない。
若者には「戦略」が必要だと思う。
この社会をどう変えていくのか、その絵を書くのが“中高年”であれば、それはまたしても“結局、中高年層に有利”なものになっていく。
その力に、若者達は対抗できるのかな? つまり、自分たちで絵を描くことができるのかな?
そういうことが問われる一年になると、思います。だから来年あたり、“若者達の分水嶺”だと思うんだ。
まあ頑張ってください。
じゃね。
2007-12-27 恐るべし 伊勢神宮
お伊勢参りしてきました。
今回驚愕したのは、伊勢神宮の仕組みのスゴさについてです。「式年遷宮」は日本の常識という人もいますが、ちきりんは知りませんでした。
伊勢には外宮と内宮があるわけですが、その隣には、それと全く同じ大きさの空き地があるんです。
その空き地に、20年ごとに全く同じものを建て、できあがったら古い方を取り壊す。そういう形で20年ごとに、東と西の敷地に交互に宮を置いてきたらしい。
しかも、
「それを過去 1300年ずっと実施してきている。」とか(アメリカが建国する 1000年以上も前から!)、
「内宮、外宮の建物だけではなく、御垣、鳥居、橋、内部の布品なんかも全部新しく作り直します」とか
「前回の遷宮の費用は 380億円だったけど、次の遷宮の予算は 550億円です」とか言われた日には、まーじ驚きました。
一番興味深いのは「前回は誰が 380億円出したんだ? 次は誰が 550億円出すんだ?」ってことです。だって政教分離なんだから、今は税金は投入できない。ということは、宗教法人である伊勢神宮の収入でまかなうわけです。
でも 20年で 550億円って、毎年 27億円以上を 20年間集め続けるってことなんですけど。。そんな多額の寄付が集まるの?
いや、寄付をする人がいるのはわかります。しかし、額としてすごすぎないでしょうか? 全国の神社からの上納金があるたって、全国の神社自体がたいしてお金ありげに見えないんですけど・・。
伊勢神宮の方に「すごい額ですね」と聞いてみたら、「でも、年金の無駄遣い等で報道されている額に比べると、たいしたことありませんよね」と言われました。
そっ、それと比べるんですか???
驚いた。
恐るべし、伊勢神宮
ライバルは国家財政
★★★
その他にもいろいろ驚いた。
過去 2000年近くの間、朝と夕には毎日 6つの宮にご飯が献じられ、季節ごとに相当数の“祭”(農業のサイクルにあわせてのイベント)が行われてる。
「伊勢神宮で働いている人ってどれくらいですか?」と聞いてみたら「全体だと 500人、(神様に)お仕えしているのは 100人程度」とのこと。
500人の人件費が一人 500万円として、年間の人件費だけで 25億円。総経費の 3分の 1が人件費だとすると、全体で 75億円の運営費。それに 27億円の積立金が必要。とすると、毎年コンスタントに 100億円を超える収入があるってことですね。
ひや〜
「一生に一度は伊勢に!」という超パワフルなスローガンを日本中に広めた“何か”がなければ、こんだけのお金は集まらないよね。
「一生に一度は高野山」とか聞いたことないでしょ? 「一生に一度はお東さん」も「一生に一度はお江戸」も聞いたことが無い。未だかってこの国で「死ぬまでに一度は行きたい場所」という枕詞で呼ばれた地は、伊勢しかないんです。
で、なぜ「伊勢がそこまで特別視されたか」といえば、それは単なる伝統だけではなく、やっぱりきちんと仕組まれて、そうなったんだという気がします。
伊勢に行っていろいろ見学してわかったのは、御師、伊勢講、抜け参りなどなど「伊勢を特別にするための仕掛け」が実にたくさんあったってこと。
欧米諸国が植民地を安定的に支配するために、キリスト教の宣教師を世界中に送り出したように、伊勢の御師は日本中に伊勢への布教に出かけていました。
「伊勢講」ってのは一種の旅行積み立て募金なんだけど、当時の庶民は、ひとりひとりは貧乏すぎて伊勢にいけないので、「全員のお金を持ち寄って、代表として一人でも伊勢に送ろう」と考えたわけです。食べるに困るほど貧しい人たちが、そこまでして行くべきところだと認識させた伊勢ってスゴイでしょ。
抜け参りに至っては、移動の自由が制限されていた時代に「伊勢に行くために家出した場合のみは、お咎め無し」みたいな制度で「どこまで特別やねん?」って感じです。
その裏には、“ものすごい大がかりな宗教マーケティング”というか、“作り込まれた伊勢神宮伝説”というか“強固なる信仰を支える超緻密な仕組み”が存在してる。
そしてその結果として「いつかは伊勢」「死ぬまでに一度は伊勢」と言われ、その結果として 550億円の寄付がある。
単に神道の総本山だから、天照大神だからとか、天皇家の神社だから、などという精神論的な理由では、 550億円も集まらない。
★★★
あとね。この式年遷宮が 20年ごとというのにも、大きな意義があります。これは「伝統技術や儀式、その作法や芸能を守るための 20年」なんです。
式年選球の際には、宮大工さんが内宮などの正殿や御垣、鳥居なんかを作るわけですが、これが 100年ごとだと、前にやった人がいなくなってる。そうすると技の継承ができない。
ところが 20年ごとに遷宮すれば、20才代で初参加、40才代で中核人材として参加、そして 60才代で頭領として正殿建築を率いる。これだと、1300年間、伝統の技、一流の技能が承継できるんです。
宮大工だけじゃありません。木細工や機織り、絹作り、料理方法などなど、内部の装飾や小物もすべて作り直すわけで、式年遷宮が 20年ごとに行われるおかげで、多種多様な伝統技術を絶やさず次の世代に伝えることができる。
この仕組みの巧みさにも感動しました。
単に「 20年使ったら古くなるから建て替える。新しいのに替える」ってことだけじゃないんです。
どんな世界でも、超有名なブランドとか、超強固な慣習とか、どれもこれも“自然に”できあがったりはしていない。
“仕掛け人”が、いろんな細かい仕組みを、大きなひとつの目的のためにきちんと設計してて、それが成功して長い期間の後、誰もがひれ伏す確固たるブランドが作り上げられる。
伊勢はその仕組みがすごい!
もちろん、神宮そのものもすばらしい場所でした。精神が洗われるような清々しい凛とした緊張感があって、まさに“神様のいらっしゃるところ”という雰囲気を醸し出しています。
まあそういうわけで、
伊勢エビ食べて
松阪牛食べて
鳥羽の温泉でまったりしつつ
伊勢参りしてきました。
また明日。
2007-12-23 ヤクザと官僚
グッドウィルグループはコムスンでの介護保険の免許取り消しに加えて、人材派遣の方もやられました。例の和歌山県知事さん含め官僚の方々も、このお正月は安心して愉快に美味しいお酒を楽しめると思います。よかったですね。
→ http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070611
★★★
今回の営業停止の理由は「派遣が禁止されている港湾関係への派遣をやっていた」「禁止されている二重派遣をやっていた」ということですが、これ事実上ひとつの罪です。港湾関係へは人材派遣が禁止されているので、他の会社を経由して(つまり二重派遣の形で)派遣してたってことです。
つまり、「港湾関係に派遣した」からアウトになったんです。
行政権力者の折口イジメ(目つきも育ちも悪いからね!)の様相は、上記の過去エントリにも書いた通りですが、グッドウィルグループにとどめを刺す今回の営業停止の理由が“これ”だったことは、結果として非常に興味深いです。
皆さん、なんで港湾の荷役労働に人を派遣しちゃいけないのだと思います?
“港”での荷下ろし、荷積みだけ、なんでだめなのか。港以外の場所、たとえば工場でその荷物をトラックに積み下ろしする作業に人を派遣するのは問題ないのに、“港湾”という限定した場所を“派遣できない場所”として“法律が指定”してる理由はなんでしょう?
これ、“港湾は暴力団の縄張りだから”というのが理由のひとつなんじゃないの?と思うのですよね。
ご存じのとおり、山口組はその成り立ちにおいて神戸港の港湾労働の仕切りで組の基盤を作りあげました。この例に限らず日本における港湾ってのは、そういう団体が人を手配して仕切ってきたという歴史があります。
だからチャカやブツの密輸もできたし、指名手配された“組の功労者”もこっそり香港行きの船に乗せちゃうとかできる。物資の流通が規制されていた時代には“横流し”的な裏ビジネスも多く存在したと思います。
今、日本の港湾は24時間稼働じゃないしコストも高くて国際競争力が全然ありません。アジアの海運物流は中国や韓国、その他のアジアの港湾を起点として動くようになっていて、日本の港湾は国際的な流れに取り残され、一直線に滅びていく運命にあります。
それでも政府はこの現状を改善しようとしません。“港湾”というのはとても特殊な場所であり、国際競争力や生産性云々というビジネスの論理や普通の管理が通用する場所ではないのです。
そして人材派遣業法を作るときも「わざわざ」“港湾には派遣を禁ず”という項目まで入れて、港湾の利権は守られた。港湾への人材派遣というのはまさに“そういう団体の方々”が仕切っている仕事であって、よそモンに荒らされてはかないません。
警察としても“山口組の利権を守ってあげなくちゃ”いけないし。
折口会長がこの港湾への派遣で“トドメ”をさされたのは象徴的だと思います。この国で一番怖いもの二つに同時に喧嘩を売ったら勝ち目無いです。
やくざと官僚には勝てません。
じゃね。
2007-12-20 ドラマと現実の交差点
韓国ドラマの“英雄時代”を見てます。全70回の大作で、現代(ヒュンダイ)グループと、サムソングループの創始者の物語です。
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創始者の二人が子供の頃、つまり日本が韓国を併合していた時代からスタートし、今は朝鮮戦争が休戦になったあたり、のとこまで見ました。歴史の勉強になるいいドラマです。
現代グループは建設と自動車分野で一大財閥になるんだけど、政治やスキャンダルにまみれ、今は一族の子孫がそれぞれ個別企業を分割統治し、財閥としては力が削がれてしまったみたいです。韓国といえば現代、という時代もあったのに、今や(日本語の方の)ホームページでも“財閥の歴史”ページさえ見つけられない。
一方で“泣く子も黙るサムソン電子”を抱えるサムソングループの方は、今は非常に存在感が大きい。こっちは創業者が作った時代よりも、よりグループが発展してるみたい。
ところで今回大統領に選ばれた李明博氏は、現代建設で頭角を現し30代でその社長になっている。30年前に、韓国を代表する財閥の基幹企業で、30才代の社長が誕生しているのだ。しかも、彼にはコネも血縁もなかった。どれくらいこれらの企業が革新的であったか、わかろうというものだ。
ドラマによると、つまり、実際にはどーだかしらんけど、って意味なのだが、現代とサムソンの成り立ちは結構違う。
現代の方の創始者は、今で言えば38度線の北に位置する、つまり北朝鮮側に存在する貧村の生まれだ。彼はソウルにでて立身出世するわけだが、大学はもちろんまともな学校教育は全く受けていない。根性と実力だけでのし上がる。行った学校はソウルで通った経理の職業学校だけだ。
一方のサムソンの創始者は、そもそも比較的裕福な家の生まれで、親からの遺産を引き継いで事業を始める。順調に学校を卒業し、大学は日帝時代の早稲田大学に留学していて、その後何度も日本を訪れる。また、中国を遊学しながら視野を広める。貴族ではないが、かなり裕福な生まれのようだ。
だからか現代の方は、成り上がり的な仕事の仕方だ。自動車業はもともとは修理工場としてのスタートだし、建築業では米軍の仕事を独占受注しながら大きくなるが、賄賂を渡して官吏を巻き込むとか、無茶な入札で仕事を独占するとか、突貫工事で現場の土工を暴力的に酷使しながら実績をあげるとか、かなりリアルに“成り上がり”な様子が描かれている。
学がないから、時代にも翻弄される。日本の支配が終わるとか、戦争で半島がどうなるとか、インフレでデノミがあるとか、サムソンの創始者の方は、そういう流れを半歩先に読みながら事業を進めるが、現代の方はコトが起こってからあわてふためき、でも腕力で乗り切っていく。
サムソンの創始者の方は、たとえば自分の財力で朝鮮王朝の財宝を買い集める。そして言う。「自分がこういったものを集めるのは単なる骨董趣味ではないのだよ。誰かがこういうものを保護しないと朝鮮文化が日本にすべて滅ぼされてしまうからだ」と。つまり、私的に自分の民族の文化品の保存を試みているわけだ。実際、日本軍は朝鮮高麗の壺を惜しげもなく灰皿にしたりしているわけですよ。それを見て、彼は「オレが守らねば」と思うわけです。
彼は自分の息子にも「お茶文化は元々韓国の文化だ。韓国は何千年も日本の兄としてこれらの文化を中国から半島を経て日本に伝えてきたのだ。ここ数十年の国の運営を間違ったために、私たちはすべてを失ってしまったが、韓国の歴史と文化に誇りをもちなさい。」と話し、息子にお茶のたしなみを教える。
早稲田大学の同級生と定期的に連絡をとりながら日本の狂気を見定める一方で、復興期の日本ではその職人の仕事に対する姿勢を見、「朝鮮では誰も彼もが儲かる事業に群がってしまうのに、日本の職人は自分の仕事に誇りを持って、儲けを度外視してよりよいものを作るために丹精を込める。焼け野原になったとはいえ、日本のこの力を見くびっては行けない」などと気を引き締める。
どの分野のビジネスを行うかという選択においても、材料を日本に輸出して儲けるのではなく、朝鮮でモノを作る工場を造らなければ、私たちはいつまでも外貨を失ってしまうだけだ、これではいつまでも日本に追いつけない、等々と考え、砂糖や紡績など、韓国の復興を支える必需品を国内生産するという大義から、投資分野を選んでいく。
つまり、朝鮮の上流階級にいた創始者が、時代の波に翻弄されながらも、常に常に、朝鮮の国士的、リーダー的な視点で事業を展開していく、それがサムソングループだ。
今、このグループの先頭企業が、“半導体”“電子デバイス”という、韓国をまさにグローバル競争の時代に勝者に導くことができるエリアで先頭を走っているというのは、決して偶然とは思えない。サムソングループの起源からみると、必然とも言える分野での成功と、思える。
一方の現代は、貧農出身の学の無い、しかし、根性と喧嘩だけは誰にも負けない創始者が圧倒的に鋭い動物的な“事業のカン”を以てのし上がる。どこに金が集まるかを嗅ぎ分けて米屋、修理工場、建設会社、自動車製造と進んでいく。彼には朝鮮全体がどーのこーのという視点は全くない。「オレは金持ちになる!」というのが彼の唯一の目標だ。儲かりそうな事業をやっていたら自動車と建設だった、ということだ。
彼自身は学校に行っておらずすべて独学だが、彼は自分の兄弟は日本やアメリカに留学させて学をつけさせ、彼らにはいい家の嫁をもらわせたりして閨閥を拡げる。一族を支配する独裁的な権限をもちながら、あくまで“ファミリーメンバー”に事業を任せつつ拡大する。家族ではなく志や能力を共にする仲間と事業を進めるサムソンの創始者とは全くやり方が違っている。“家族しか信じない”現代の創始者の心中が浮かび上がるようなビジネス運営だ。
最初に書いたように、現代グループはこの創始者の時代が終わると政治とスキャンダルに巻き込まれ、グループ各社が分裂解体に向かっていくわけだが、このあたりは上記のような創業者のスタイルを見てるとその背景がよくわかる。
現代という巨大な財閥が、たったひとりの創業者の類い希なる能力とカリスマ性によって維持されていたというのは驚愕に値するが、彼無き後には一気に求心力を失い崩壊していったというのもすごく自然に理解できる。また、政治に翻弄されて激怒した創始者が、だったら大統領になればいいんだろ?というような無謀な選択をするのも、スマートで戦略的なサムソンでは考えられない選択だ。
また、現代グループは北朝鮮に巨額の投資をし、これが財閥の根幹を揺るがす政治スキャンダルや資金難につながっていくわけだが、これもこの創始者の元々のふるさとが北朝鮮側に存在する街である、ということから、その趣旨が必ずしも経済的野心だけではなかったことがよくわかる。(これは初めてわかったよ。)
★★★
というわけで、この英雄時代という韓国ドラマを通して韓国を代表するふたつの財閥の成り立ちを学んでいるちきりんなのでありますが、今日、韓国の大統領選のニュースを見ていて、ああ、この人は現代建設なんだな、とおもったわけです。
新大統領となる李明博氏は、本当に貧しい家の生まれで、でも現代建設で創始者に認められて一気に取り立てられる。その豪腕が“ブルドーザー“と呼ばれていたって、すごいことだと思う。建設会社で一番出世する人のあだ名が“ブルドーザー”ですよ。どういうタイプの仕事をする人だったか、非常に鮮明にイメージが涌くよね。
そう、日本で言えば・・まさに田中角栄なんだと、思う。土建屋から国のトップへ。ね。
自分も貧農から腕一本でのし上がってきた現代グループの創業者が、取り立てたいと思う何の後ろ盾もない若者が、“どういう若者であったか”、ちきりんには目に浮かぶような気がする。ああこの人は、サムソングループでは生まれなかった人なんだろうな、と、新大統領の誕生を報じるニュースを見ていると思えるわけですよ。
そうそう、この人は現代建設でのし上がるタイプの人だ、と。
韓国は田中角栄を大統領に選んだってことなわけですわ。
ちなみに李明博氏もドラマにでてきます。
というわけで、韓国ドラマと実際の韓国の政治ニュースがすんごく巧く融合されて、本当におもしろい。時代絵巻物みたいだ。そして、英雄時代の主役のチャインピョという男優も、ほーんとかっこいい。
そんじゃまた。
2007-12-18 狙う側の視点
防衛省の守屋(元)事務次官の長男に消費者金融からの借金があり、守屋氏にも借金の取り立てが来ていたとか。で、彼はその返済資金を、防衛省の納入業者に払わせていた、という報道を見て、なるほどね、と思ったちきりんです。
これで思い出したのが、先日 3度目の逮捕をされた女優、三田佳子さんの次男。覚醒剤で 3度目の逮捕。しかも今回は“通報”されたらしいから、“隠せないレベルの中毒状態”だったのでしょう。
このふたつのニュースで私がスゴイなと思うのは、“狙う側”の視点です。
★★★
消費者金融も覚醒剤も、手をだす方がアホなのであって、「オレはしっかりしているから、そんなことは絶対しない」と思う人もいるのでしょうが、実際には、上記のふたりと“わたし&あなた”の状況は全く違います。
普通の人は、学生時代に朝まで六本木や渋谷の飲み屋やクラブにいても、「覚醒剤有りますよ」と、声をかけられたりしないです。
そういう生活が半年や一年続いても、そんなものに誘われる可能性はほとんどないです。
自分の方から危ない人に近寄って、そういうものが手に入るという噂のバーに行き、こっそりマスターに「覚醒剤が欲しいんだけど」と言っても、実際のブツを手に入れるまでには、相当の時間がかかります。そんな簡単に入手できないんです。
なんでかというと、売る方がリスクマネジメントをするからです。
今日あるアホに覚醒剤を売ったら、そのアホが数日後に「オレさ〜、この前スゴイもん手にいれちゃってさー」などと合コンで自慢し、んで警察に捕まったら今度はすぐに「すみません〜、初めてだったんです。えっ? 買った店ですか? 渋谷のあそこの○○です〜。何日の何時頃に、○○さんという人から買いました〜」みたいなことをぺらぺらしゃべる。
こんなのに薬を売ってたら、売人も命がいくつあっても足りません。すぐ逮捕されちゃいます。
だから、「そういうことにはならない」と確認しないと売りません。(大麻とか合法ドラッグくらいなら、もう少し簡単に手に入ります。ここで言ってるのはもうちょっと高いやつね)
また、中毒になりかけた時に“問題になりやすい人”にも売りたがらないです。
覚醒剤は高いので、中毒になると普通のサラリーマンでは経済的にすぐに破綻します。最初はみな消費者金融でお金を借りますが、それも続きません。
お金が無くなれば、他のものなら「買うのをやめる」わけですが、覚醒剤は中毒になるから「やめられない」。すると、借金ができなくなった段階(闇金からも借りられなくなった段階)で、かならず犯罪に走ります。
犯罪に走ると、逮捕されます。知能犯ではありません。ラリってわけのわからない行動にでる(包丁もってコンビニに押し入るとか)わけですから、すぐに捕まります。そして速攻で逮捕され、速攻で覚醒剤やってたことがわかり、速攻で薬の出所が探されます。
こういう人に薬売りたくないんです。売る方も。
★★★
じゃあ、誰に売りたいか。
ベストなのが「いくらでも金の出てくる客」です。中毒になっても、いつまででも犯罪をおこさずに、お金が出せるレベルの人。
三田佳子氏の次男は、前回の逮捕では、自宅の地下室で友達を集めて覚醒剤をやってたところに踏み込まれて逮捕されてます。この頃、彼は友達の薬代もすべて払っていました。これは売人側から見ると、めっちゃ“筋のいい顧客”です。
売人側は、一度こういう人を見つけたら“決して離さない”し、むしろ積極的に“アプローチして”きます。たとえば最初は合コンで、かわいい女の子があなたに目線を送ってくるんです。
で「あれ? えっ? そういうこと?」とか言って、いい感じになったら、ベッドの中でさあこれから!というタイミングで彼女は言い出します。「ねえ、コレ使おうよ」と。
彼らは、どうすれば男性側が最も断りにくいか、熟知してます。
ちなみに、この女性も軽くジャンキーです。
彼女はこういう役目を担うことにより、一ヶ月分のクスリをタダでもらえると、胴元から持ちかけられてます。そう言われれば、喜んでそういう役目を引き受ける程度に、ジャンキーな女の子です。
つまり、あなたが「超有名人の、お金持ちの、息子、娘」であったなら、こういうことの誘惑は、普通の人であるあなた、私より、圧倒的に大きいんです。
有名な芸能人、スポーツ選手、政治家などの息子、娘であって、一度こういうものが手に入ってしまうと・・・相手が離してくれなくなるんです。
別の言い方をすれば、普通の人であるあなたは「売人に信用されてない」わけですが、こういう立場にいると、向こうがあの手この手で寄ってきて、誘ってくる。“ひっかけられて”引き込まれる。
「そうなってしまうリスク」は、普通の人とは全く異なるレベルです。
芸能人の子供が薬で捕まると、「親が甘やかしてるんだろう」とか「しつけができてない」と思われがちですが、それだけではありません。
彼らは「狙われている」んです。あたしたちと違って・・・
★★★
もちろん、そういう立場にあるすべての人がそんなのにひっかかるわけではないので、本人の責任を減じる議論をする気はありません。
ですが、少なくとも「なんで 3回も逮捕??」ということの裏には、「狙われた獲物」がどれくらいこういうことから逃げにくいか、という特別な事情もあると知っておくべきでしょう。
三田佳子氏の資産が残っている限り、この次男を“業界”は手放さないです。いくらでも買ってくれるんだから。今回のように、街を歩いていても通報されるほどの状態、になるまで、あの手この手で営業がかかります。
反対に一般の人だと、中毒になって犯罪をおこして捕まって、塀の中から出てきて、また薬を買おうとしても、売人の方も「おっさん、もうアカン。やめとき」って言ったりします。
「こんな金の無いおっさんに売ったら、またすぐどっかのコンビニに包丁もって暴れこむ。ややこしすぎ」と思われたら売ってもらえないんです。
売人は中毒者を作りたいわけではなく、「金ヅル」を探してるんです。彼らがやってるのは「商売」です。
★★★
若い女性が(中年男性なんかより)消費者金融からお金を借りやすく、薬も手に入れやすい、というのは事実でしょう。若い女性には「捕まりにくい方法でお金を稼ぐ方法」があるからです。
昔、武富士の創業者が貸し金業を始めたとき、収入のない団地の奥さんにもお金を貸し始めた。その際、貸すかどうか決める前に、早朝にその人の家を見に行く。朝の間に布団や洗濯物がベランダに干される家にはお金を貸し、そうでない家にはお金を貸さなかった、というのは有名な話です。
そのロジックはこうです。「きちんと生活している家は、きちんとお金を返してくれる」「昼まで寝ているような家にお金を貸したら返ってこない」
銀行が担保だけに頼った融資をやっていた時代に、「実質的な返済能力」に注目して融資をする。この画期的なパラダイムチェンジが大成功し(=実際に、朝ベランダに洗濯物を干す家は返済率が高かった、ということです)、消費者金融はこういう「誰がきちんと返済するか」というノウハウを蓄積していきます。
メガバンクが喉から手が出るほど欲しがった「個人信用DB」は、こういう「ほんとの返済能力を見分ける基準」の蓄積物なわけです。
★★★
さらに、消費者金融業界も気がつきます。「きちんと生活していなくても、返済能力の高い人がいる」と。
ひとつは若い女性。もうひとつは「親が大企業に勤めてる」か「親が田舎でたんぼをもっている人」です。
結局のところ返せているから問題になっておらず、だから統計もないだけで、ものすごい額のお金が、「親が田んぼを売って、息子の借金を一括返済」とか、「大企業に勤める親(公務員の親)が、老後のための貯金や退職金をつぎ込んで、子供の借金の後始末をする」、という形で消費者金融に流れているはずです。
「親が事務次官」までいけばもちろん、親が防衛庁の官僚というだけでも、業者側からすれば「絶対に貸し倒れのない“超上玉”見っけ!」です。
「こいつに貸した金は絶対返ってくる!」と確信できます。業者的には「おし、どんどん貸せ!」です。
「失いたくないモノがある」人は、返してくれる。「守りたいモノがある」人は返してくれる。
気軽に金を借りに来たり、薬を買いに来るアホな若者には守りたいものはなくても、その娘息子がかわいくてしかたないアホな親には「守りたいもの」がある。自分の仕事と名誉とか、自分の息子、修復できるかもしれない親子関係、とかね。
まあ業者の方も、親が家を売ってとか、貯金をはたいて、というのは想定していたとしても、まさか「親が業者に賄賂を要求して、その金で返してくれる」ところまでは想像してなかったろう、とは思いますけど。
★★★
「狙う人側の視点」というのは、残酷で実務的です。
ちきりんが思うのは、上記のふたつの例において、「狙う側」は明らかに「彼らを狙う理由を意識していただろう」ということです。
守屋家の長男に貸し付けたサラ金業者も、三田さんの次男に薬を売っていた売人も、「彼らに目を付けた理由」を明確に意識していたと思います。
一方で、守屋夫妻にも三田夫妻にも「うちが狙われている」という意識が無かったのではないでしょうか? あったのは「うちのバカ息子が」とか「育て方を間違えた」という考えだけです。「こっちが悪い」と思っていたのでしょう。
いやもちろん「そっちも悪い」でしょう。
しかし、それだけではないんです。彼らは「目を付けられて、罠をしかけられ、ちょっとでも対応を間違えると引きずりこまれる」立場だったのです。
★★★
ちなみに最近は、反対のケースもあります。
田んぼ持ちや、小金を貯め込んでる単身高齢者だけが、振り込め詐欺に騙されるわけではありません。最近は、「娘や息子が都会で成功して小金持ち」の家の、田舎の親、も狙われるんです。
「うちの息子は、○○銀行で常務になったんですよ〜」とか喜んでると、そういう話が伝わります。「○○さんのお家、息子さん一家が一年に一度帰ってくるけど、すごい羽振りがよさそうだったわ〜」みたいなご近所の話も有用です。
そういうことを言ってる高齢の母親に、「息子さんも都会で出世されてるんでしょ? だったら、お母様もこれくらいのお着物はお持ちにならないと・・・」とか言って、バカ高い着物を買わせようとする業者がいるんです。
お金はぜったいに(誰かが)払ってくれますからね。そして着物を買えば、その顧客リストが回されて、悪徳リフォーム屋から宗教団体、最後には壺売り屋までやってきます。
狙う側は、常に狙われる側より「一生懸命」です。狙われる側は、それに較べると圧倒的に「のほほん」と生活しています。
そういう感じなんだな、と思わせる、ふたつの事件でありました。
ね。
2007-12-15 業界の力の違い
さて、今日は証券税制のお話。今、与党も野党も税制改革案を出すのに忙しい。お互いに選挙を意識して消費税に関しては言葉を濁しており実質的には先送り。だけどバラマキのためには増税は必須なんで「どこから絞るのか」というのが高度に政治的&センシティブな問題になっている。
そして、端から見ていてもかなーり微妙だよなあと思えたのが、株式等の運用益と配当課税のお話。
簡単にいうと、現在、株式や投信の売却益そして配当にかかる税金は、本来は2割なのに1割に減額されてるんです。これ、ちきりんも多大なる恩恵を受けています。が、自分も恩恵を受けてはいるものの、明らかに変な優遇税制だと思ってます。
だってたかだか0.5%しかつかない定期預金の利子にも2割の課税がされるのに、株やら投信やら配当なら税金がその半分なんですよ。
ちきりんの今年の運用益目標額は手取りで500万円。これって、2割課税なら625万円儲けて125万円もの税金を払う必要があるんです。信じられないくらい高いよね・・が、1割課税なら税金は56万円で済みます。(556万円で1割課税されてネットで500万円)
★★★
いやいや、超自分目線でいうとね、
・そもそも給与から高い税金を払ってやっとこさ手元に残ったお金を、
・自分の消費に回さずに、
・自分のリスクと才覚で運用して500万儲けても、
そこから50万も持って行かれるだけでも「勘弁してよ!!」と言いたいです。1割でも高すぎ!!って思います。
で・す・が、
社会派目線でいうと、ありえないよね、日本の今の財政状況で、こんなところで税金優遇してるなんて。いったい金融機関ってのはどんだけの力をもってんねん?と驚愕します。
ちきりんは一番最初の仕事では、こういうのをやってました。官僚や政治家を回ってなんとかこの税制優遇を温存するため、表のロジックから裏の妙技まで、すべてを駆使して特権を守る。それがMOF担と言われる人達の仕事です。
この職名は今はなくなっているようだけれど、今回の議論の様子を見ていると、まだまだ金融業界、証券業界の力は強いなあと痛感します。
だって格差問題が自民党を政権から引きずり落とそうとしているんですよ。なのに、数千万円単位の金融資産を持つ人達への優遇措置を温存するってすごすぎない?
★★★
現時点の議論では、「優遇措置は来年末で終わり」という本来のルールを少々修正・延長し、再来年以降は、「売却益で500万円まで、配当で年に100万円までは、優遇措置を続ける」ということになっています。(まだこれから変更になる可能性は十分ありますが、今の案はこれです。)
これで、普通の個人系の投資家であれば全く問題がなくなります。運用益で500万円出すってリターン2割でも元手資産が2500万必要、配当で100万円って、3〜5000万円の株の保有額がないと届かないでしょう。
個人といってもプロのレベルの投資家、それと一族系の方々(=この人達は税金が高くなっても株は売らない)以外はほとんど影響がない。事実上の優遇措置温存、です。
株や投信をメインに売っている証券業界はもちろん、今や定期預金より投信を売りたい銀行(郵便局もでしょう)も、優遇措置を続けて欲しいと熱望していたわけで、「ほ〜、こんな財政状況でも、これを続けるんだ」というのは、それらの業界の力をまざまざと見せつけたと思います。
★★★
この金融業界の力のすごさは、他の業界と比較すれば一目瞭然です。たとえば業界と税金の駆け引きがいつも注目されるのが、ひとつが自動車業界、もうひとつが酒煙草業界です。
自動車関連税は今一般財源化という議論が佳境に入っていますが、業界の方は「減税」を求めています。車を持つ人なら、車関連の税金がどれくらい加重か、痛感されているのではないでしょうか。ガソリンだって税金だらけです。
業界はあちこちの雑誌や新聞に広告をだして、「一般財源化するくらいなら、減税するのが筋!」という主張をしています。これは非常に正しい、まっとうな主張です。自動車関連の付加税は、自動車が「お金持ちのみが持てるもの」だった時代の産物です。今や自動車は金持ちではなく、地方の労働者・生活者の必需品でしょ。
ところがこれらの自動車関連付加税、一般財源化するかどうかは微妙ですが、大幅な減税はまず無理でしょう。本当はこちらの税金の方が「明らかに変」=ロジックの裏付けのない税金である、し、格差に悩む地方の人ほど自動車を必需品として使っているにもかかわらず、この部分は“業界の負け”が見えています。
そして、酒煙草業界。これほど税金の面で、国にいじめられている業界、搾取されている業界、いや、バカにされている業界は存在しないでしょう。
ビール飲む=税金飲んでるような状況になって、ビール業界はプライドをすて、工夫に工夫を重ねて発泡酒を作りました。でもそっちが売れ始めると、いきなり税制を変えて発泡酒に課税強化する当局。「あいつらの技術革新分は、全部税金でもらっちゃおうぜ」って感じです。
煙草も社会悪という側面はあるにせよ、ビール、焼酎、煙草、どれも、お題目のように唱えられる“格差社会”の底辺でこそ根強いニーズのある商品です。口では格差解消云々とかいいつつ、金持ち優遇は放置して、底辺からは容赦なく税金をとりたてる政治家と霞ヶ関。
考えられない、です。(社会派的にはね)
★★★
自動車業界の広告、見たことありますよね?「自動車を運転している人は、過大な税金負担を迫られています。今こそ、本来の税制に!」という広告。
ビール業界等の主張も時々広告が載りますよね。「庶民のささやかな楽しみを奪うな!」とか「国が、民間企業の技術力や経営努力にたかるのはおかしくないか?」とかね。
一方で、金融業界が「運用益と配当課税の優遇措置を続けるべきだ!」という広告を一般紙に出してるの、見たことありますか?
ちきりんはありません。
なんでかって?
自動車税も酒税も、「国民に、これは変でしょ!」と問える内容なんです。つまり、業界の言い分に正義がある。だから彼らは広告を出す。
金融業界の「金融資産が5000万円以上ある人に減税を!」という主張は、国民に表立って問えない。だから広告はでない。
しかし、実際には自動車業界(保有者)への理不尽な税負担は減らないし、酒税、たばこ税も止めどなく上げられてしまうでしょう。
そして裏で、配当と運用益の優遇措置が継続する。
国民に広告で、真正面から問えるロジックより、政治家と霞ヶ関だけにささやかれる金融業界の“エゴロジック”の方がどれほど強力であることか。
この業界が、他業界とは全く異なるレベルで権力と癒着していることを端的に示す事例だと思います。
ばたばたと民間企業が倒産する中で、銀行だけが(公的資金というお化粧された名前の)税金をつぎ込まれて助けられ、そんな状態でさえボーナスを支払い続けるという超ゆがんだ姿を、私たちは90年代に見てきました。それを「金融システムの安定のため」とのたまわった方々。この業界は“権力そのもの”だということなのでしょう。
よい子の皆さんに、世の中はこう動いているのだ、ということを示す、お手本のような出来事だと、思います。
なるほどね・・・
ふむ。
★★★
税金がらみでもう一つだけ。オリンピック招致への協力だかなんだか、自分の虚栄心を充たすための裏約束と引き替えに、都民の税金3000億円を田舎に回すと約束した石原さんにも、ちきりんは超怒ってる。彼の子供にも孫にも一生投票しない!
いやまあ、運用益と配当への減税措置は、是非是非続けてほしいですけどね。まあどうせちきりんは「エセ社会派」だしね。
そんじゃ。
2007-12-14 ネットで変わったこと
「ネットが普及して何が変わったの?」と聞かれた時に、「ああ、これとこれとこれが変化したことじゃない?」って、かっこよく(?)答えられるように、一度整理して考えておくことにした。
このあたり詳しくないので、抜けてるかも?何かあればご意見ください。追加修正致します。
ではね。
<仲介価値関連>
(1)小規模業者(もしくは個人)による、直販・自己チャネルの保有が可能性となった。(宣伝、販売、決裁手段の開設、維持コストの大幅な低下によるもの)
(2)(大規模業者にとっても)仲介業者の中抜き、マージン低減が可能となった。特に金融と旅行、書籍の分野で顕著ですね。どの仲介業者も“情報伝達”と“品揃え”だけでは付加価値=料金がとれなくなった。
<市場形成関連>
(3)中古品(一律条件でない財・サービス)の市場が形成された。
商品=オークションや交換サイト、人間=出会い系含む、お金=これはまだない?
(4)小規模業者(もしくは個人)による市場(コミュニティ)の開設が可能となった。
誰でも“市場開設”ができる、ってのは大きい気がする。市場は資本主義の基本だから。
<情報価値関連>
(5)無料、もしくは廉価で利用可能な情報の急増=“情報価格”の大幅な低減
最近は個人サイトでも無料で膨大な価値ある情報を提供しているサイトがありますよね。昔なら統計書などを購入しないと手に入らなかった。
(5)’加えて、情報入手コスト(情報対価ではなく)も劇的に安くなりました。特に時間コストの低減が著しく、昔は探すだけで一日かかった情報が10分で見つかり、しかもエクセルファイルでダウンロードできるなど、圧倒的に利便性が高くなっています。(Kabaさんコメントにより追記)
(6)同、情報格差の質的変化(距離、財力から、ITリタラシー、インフラ、語学)
今まではお金があり、東京に住んでいないと情報を手に入れるのが大変であったが、今は、ITが使え、英語が読め、ブロードバンドの整ったエリアに住むことが重要になった。
(7)情報蓄積(DB化)が急速に進んだ。
たとえば新卒採用では、日本中の学生がリクナビなどの特定サイトに一斉に個人情報を(しかも自分で)入力する。アマゾンなどのサイトでも、膨大な個人情報が容易に入手、蓄積されている。
・新DBの出現(新しい価値の創造とも言える。)
・新マーケティング手法の確立
・情報流出可能性(リスク)の大幅な増大
・情報検索可能性の増大=今までだとわからなかったことがわかる。「“あの”クレーマーが“また”電話してきた。」とかね。こういうのデジタルデータの蓄積がないとわからなかった。
“ネット上に、個人クレジットという概念が出現・確立“とも言える。昔は銀行から借りたお金を返す、とかいうのが個人クレジット=個人の信用履歴ということであったが、今は、ネット上に特定個人の実名が存在し、それを集めると、全然知らない個人の様々な情報が集まってしまう。結構怖いです。
<メディア機能関連>
(8)小規模業者、個人の格安な情報発信が可能になった。
今や、無名の人のブログ、けーたい小説、クレームなどが大規模に流通する場合もあるよね。
(8)’大規模業者も、情報発信コストが圧倒的に低くなり、また機動的になり、さらに自分の裁量権が増した。(情報発信者の既存メディアからの独立)
今は各企業がHPで書いていることも、昔は広告メディアを介さないと伝えられなかったんだもんね。
(8)”=裏返すと、独占メディアの影響力の低下、とも言える。
(9)新規広告メディアが出現した。
ポータル、個人コミュニティのバナー、アフィリエイトなどが主なモノ。テレビ、新聞、雑誌、ラジオ・・・そのうち、テレビの広告メディア価値をしのぐかも?
<コミニケーションツール関係>
(10)郵便、電話、音声モバイル電話、に加えて、メール、チャット、掲示板的な新コミニケーションツールが出現したということ。
これが一番シンプルな変化か?でも、年賀状市場が消滅する可能性など含んでおり、影響はでかいよね。
(10)’コミニケーションコストの量的&質的変化が起こった。
まずはコミニケーションコストが圧倒的に安くなった=量的変化が起こった。メールやネット電話などね。
それよりも、コストが“何に寄っていたか”ということの質的変化が重要。
これまでは、コミニケーションコストは、「量=嵩と重さ」と「距離」で決まっていた。海外に郵便出したり、電話かけると高いでしょ。でも今はコストは、
・セキュリティの高さ
・コミニケーションの利便性の高さ(一斉発信、保存性等々)
・使用言語の差異
で決まる。
<匿名性関連>
(11)足の着かない、バーチャルアクセスポイントの開設、保有が圧倒的に容易になった。
リアルな住所、固定電話はもちろん、昨今身元確認の厳しい携帯電話に較べても圧倒的に匿名性の高いアクセスポイントを、誰でもたてることができる。しかも、移動、隠匿も圧倒的に簡単なわりに、維持コストは非常に低い。
まあ、だから犯罪の温床になるし、今までは不可能だった犯罪が可能になるよね。
大項目でまとめると、ふたつになる。
1.市場機能関連(仲介、市場)
2.情報の流れ関連(情報、メディア、コミニケーション)
・・・かなりつまんない結論だな・・・
それより、付随して様々な“価値観が変わった”ということの方がおもしろいのかも。
<付随価値の変化>
・距離の意味↓
・量の意味↑
・立ち位置の変化(企業↑、個人↑、メディア↓、仲介者↓、主体↓、傍観者&匿名者↑)
・マイナーな人、モノ、意見↑
・英語の重要性↑
う〜〜〜〜〜〜〜〜む
あまりに凡庸な結論に、一気にやる気が削がれてきました・・。もうやめます。またそのうちおもしろい結論に結びついたら書き直してみます。
じゃね。
2007-12-13 ミシュランガイドの嘘くささ
ミシュランのレストランガイド東京編が発行されたことについて、各週刊誌がいろいろ記事を書いていて、飛行機の中で片っ端から読んでいた。なかなか笑えました。
たとえば
店は世界同一基準で選んだと言うが、世界にそうそう鰻屋があるわけではないだろう。
そのとーりだ。
世界基準って何さ?
ってのを、こういう言葉で表現できるのって、素敵。
いやそもそも、今まで東京のミシュランが発行されていなかったという事実自体が、その“世界標準”とやらの嘘っぽさを(良心的に言えば、不完全性を)、丸ごとあらわしているんじゃないかしらね。
栄光の三ツ星はパリに次ぐ8店舗選出の大盤振る舞い。日本でタイヤの拡販を図りたいのでしょうか?
“タイヤの拡販”ね、これも素敵な表現だ。
ニューヨークの三ツ星は僅か3店、ロスに於いては屈辱のゼロ店なのですから、アメ公を心底バカにしているフランス野郎の底意地の悪さがキッチリ現れた香ばしい仕打ちと言えましょう。
笑える。ほんとそうだ。
なおフランスにとって、イタリアは永遠のパートナー(正妻)で、日本は愛人みたいな感じかしらね。結構すかれているよね、日本って。(イタリアからはバカにされてますが)
ちなみに、上記のうち後ろのふたつはフェルディナント・ヤマグチさんのコラムですが、「すきやばし次郎」も「鮨 水谷」もユーモア混じりに大酷評されてます。
すきやばし次郎は、
地下鉄銀座駅に直結する店舗は日本語でいうと“便利”、英語で言うと“シャビー”。
飛行機の中で声たてて笑ってしまいました。
鮨水谷に至っては
韓国名での予約に対しては(日本語で電話しているのに)“あっ、うちは外人お断りなので”と答え、白人客に対しては“その白人客を連れていったこちらが恥ずかしくなるほどにへつらってくる”店です。
とのこと。ペ・ヨンジュンとかいう名前で予約してみたらどーだろ?
この前いった和食のお店(三つ星)も、「いかにも外人が好きそうなお店」でした。
味?
普通ですよ、別に。
んじゃ。
2007-12-09 類型
どこの職場やコミュニティにも、多くの人が認める“できる人”がいますよね。“あいつはすごいよな”という人。そういう人の類型を、パソコンのスペックになぞらえて表してみると・・・
(1)CPUが最新で高クロック数
思考および理解の速度が非常に速く、複雑難解な事象もすぐさま理解する“切れ者”。他者からの質問やリクエストに的確な返答を驚くほど早く出してくる。複数のプロジェクトを並行して短時間で処理できるデュアルコアな人も最近は多い。
(2)HDDが大容量
多方面にわたる膨大な資料や蔵書を有しており、デスク周りに大量に積み上げている。“何の資料でも持っている”と尊敬される一方、資料の保有数が膨大で、必要な資料がなかなか見つけられないこともある。部屋をパーティションで仕切ったり、時々は本棚の整理も行うよう勧告されている。
(3)RAMの装備サイズが大きい
目の前で起こったこと、直前に起こったこと、すべての事象を詳細まで記憶している人。読み上げ算やトランプの神経衰弱ゲーム、また、円周率の暗記などは、得意中の得意。ただし、いったん眠りにつき翌朝になるとすべてをきれいさっぱり忘れているため、試験勉強は常に一夜漬けらしい。動体視力もよいのか、テレビゲームなどでの動きもスムーズ。
(4)高度なグラフィックボードをつみ、高品質大画面で輝度も高い
なんでも図解して、非常にわかりやすく説明してくれる。いわゆる「プレゼン能力の高い人」。複数のプレゼンを随時切り替えながら説明するのも得意。見た目も華やかなイケメンで、スピーディな動きも自慢。ただし高CPU人間からは「プレゼンが巧いだけの奴」と陰口をたたかれている。
(5)キーボードが大きく使いやすい。テンキーも独立
とにかくインプットが早く、しかも大量にインプットしても疲れない人。たとえば本を読む、大量の数字を読み込むなどの作業について、人の半分の時間で終えてしまって悠々としている。また長文の論文などもあっという間に書き終えて、周囲を驚かせる。
(6)通信環境とネットワークが充実
様々な情報源として使える、充実した外部ネットワークを持っている。何かあると、すぐにそれぞれの専門家から必要な情報を集めてこられる。動画情報を短時間で手に入れるのもお手の物、わからないことがあれば、ちょっとつぶやけば解答やヒントがあちこちから提供される。本人は本も資料ももたず身軽に生きているが、イザという時の情報収集力はすごい。
(7)拡張機能が充実
現在の実力はたいしたことはないが、成長余力には溢れた人。努力と資金量次第では、かなりの地位&実力に上り詰めることが可能になると思われる。
(8)多彩なアプリがプリインストールされている
様々な資格を持っており、なんでも“専門道具”を持ち出してきてソツなくこなす。ただし、たまに融通が利かない場合もある。普通の履歴書の特技資格欄には書ききれないほどの資格名が並んでいるのだが、中には自分でもどんな資格なのか忘れてしまったものもある。また結局なにに使うのか意味不明な資格も実は多い。
(9)バッテリー容量が大きい
とにかくタフな人。何日も徹夜が続き、仲間がみな疲弊しているのに、ひとりで元気を保っている。しかも少々食事を抜いても空腹で倒れたりはしない。スタミナがある。特に食事がとれないほど忙しい時は、体の動きを少なくして省体力モードで乗り切るなど体力管理にも定評がある。
(10)ヘルプデスクが充実。メーカー保証も延長済み
何があっても実家の母親に電話して聞くとすぐに解決する。24時間いつでも電話できる。母の説明は時にはまどろっこしいが、病気やけがの時はやさしく介抱してなおしてくれる。なお、より高度な質問は兄に聞く必要があるのだが、こちらは兄弟とはいえ別途謝礼が必要になる。
こんな感じでしょうか。 時には自分はどれで勝負しようか?と考えてみるのもいいかもしれません。CPUに自信がない場合は、バッテリー持久力で体力勝負とか、外部ネットワークを築いてカバーするなど。得意分野を絞って“できる人”を目指しましょう。
ではでは
2007-12-06 ツーステップ方式の限界
「日本製品が世界に溢れてる!」
20年以上前、私が海外旅行を始めた頃は、どこの国の家電店にもソニー、パナソニック、シャープなど、日本メーカーの商品がずらりと並んでおり、日本人として本当に誇らしく思えました。
けれど今や状況は大きく変わりつつあります。
ホテルや空港、美術館などで見かけるテレビやディスプレイは、その多くがLGなど韓国製品となり、携帯電話やパソコンでも、北欧、韓国、アメリカ、台湾や中国の製品が売り場を占領しています。
家電以外の日用品では更に顕著で、生活慣習や趣味嗜好を共有しているはずのアジアの国でさえ、P&Gやユニリーバなど欧米企業の商品が多くの棚を占め、花王やライオンの商品は見つけられないことさえあります。食品や飲料でも同じような様相です。
なぜP&Gやユニリーバにできることが、花王やライオンにできないのでしょう? なぜ欧米の一流ホテルはテレビをブラウン管から薄型に買い換える時、ソニー製をLG製に変えてしまったのでしょう?
その背景、原因にはさまざまな要因があるのでしょうが、私はその理由のひとつとして、海外市場をターゲットにする際の、検討方式の違いがあるのではと考えています。
検討方式の違いとは、「ワンステップ方式で海外市場向けに商品を開発・販売」している海外企業と、「ツーステップ方式」で海外進出を検討する日本企業の違いです。
★★★
「ワンステップ方式の海外市場進出」とは・・・
そのメーカーが商品開発・企画会議を行う際、メンバーに配られる検討資料に、「当該商品の市場規模」として、北米○○億円、欧州○○億円、アジア○○億円、南米○○億円、などと、世界の市場規模が明記されている企業です。
資料の2頁目には「競合分析」が載っています。
そこには、日本企業A社、米国企業B社、イギリス企業C社と自社の主力商品の、最近の市場シェアの推移が載っています。
それらは地域ごとに分析され、どの企業が南米で強い、どこは欧州でどんな売り方をしている、などがわかるようになっています。
3頁目は「顧客分析」で、それぞれの市場の特徴が書いてあります。最近の南米での顧客の好み、為替が影響を与えているユーロ圏での購買行動の変化・・・などなど。
こういう資料を使って商品企画会議を開いている会社を「ワンステップ方式」の会社と呼びます。
彼らは最初から、新商品を世界中で売ることを当然と考えています。そのために必要な商品スペック、価格帯、売り方、ネーミングなどを検討する会議が「商品企画会議」なのです。
これとは別に「ツーステップ方式」を採る企業があります。そこで商品企画会議の資料に載っている市場規模は、もちろん「日本市場」の規模です。
資料の2頁目の競合分析にでてくるのも、「日本市場で商品を売っている企業の一覧」です。3ページ目の顧客分析も「最近の日本人の購買行動の変化」についての分析です。
そして数年後の海外部門の会議。
メンバーの手元にある資料には「○○商品の海外展開に関する検討資料」というタイトルがついています。日本でヒットした商品が海外でも売れないか?、検討をするための会議が開かれるのです。
配られる資料にはもちろん「進出先の国の市場規模」や「競合商品」「顧客ニーズの分析」が掲載されています。
これが、最初から世界で売ることを前提としたワンステップ方式と、日本で売れた物を「海外展開しよう!」と考える2ステップ方式の違いです。
★★★
ツーステップ方式では、市場は「日本市場」と「日本以外の市場」に分かれています。そして、日本以外の市場は常に「後から考える」のです。
日本企業でも、売上の大半が海外であるという商品を持っているメーカーでは、ワンステップ方式で商品開発をしているのでしょう。反対にいえば、そうでなければ「売上の大半が海外」などということは実現できないのです。
特に、北欧のように自国の人口が少ない国や、韓国のように為替危機を経験し、外貨で売上を立てることが至上命題になった国では、「最初から世界の市場を見る」ことが当然のように行われているのでしょう。
その点、購買力の高い人口が多い日本市場を「ホームマーケット」として抱える日本企業にとっては、「まずは日本市場、そして海外」という発想はごく自然なものだったかもしれません。
しかし、技術進歩やトレンド変化のスピードが速い分野では、二段階に分けて考えることによるタイミングの遅れは致命的です。また、最初から世界市場を見据えていれば、より大きな開発予算、投資が可能になっるという商品もあるでしょう。
さらに、最初から世界の顧客ニーズをみて開発することで、よりそれらの市場に合った商品を作り出せるのではないでしょうか?
シビアな言い方をすれば、「ツーステップ方式」での商品開発とは「グローバル視野の欠如」を意味します。
商品企画の最初から、そして販売計画の最初からワンステップで考えている世界の競合企業と戦うためには、ツーステップ方式はあまりに不利な方式だと思います。
そんじゃね!
2007-12-03 長期的視野をもった経営?
世界の携帯電話端末のシェア
1位 ノキア
2位 モトローラ
3位 サムソン
4位 LG
5位 ソニーエリクソン
この市場は、トップ 5社で 8割近いシェアを占める寡占市場です。
それにしても・・・日本企業が少ないですよね。なんでこんなことになっちゃったんでしょう?
携帯電話って、小さくて電子部品が詰まってて、日本メーカーがすごく得意そうな商品です。そして、シャープ、パナソニック、NEC,東芝、ソニーと多くのメーカーが携帯電話を作っています。
それなのに、これらの会社は既に「世界での勝負は降りて」しまっているんです。
世界の携帯端末の出荷数は今年 10億台。日本の市場は既に「頭打ち」と言われていますが、世界市場はまだまだ高成長が予想されています。
既に人口数=携帯契約数に達している日本や米国に対し、中国はまだ 4億 5千万しか契約数がないし、ブラジルやロシアも人口に達していません。
世界の人口が 60億人として、この市場は 30〜 40億台くらいまで拡大する可能性があります。そうなれば毎年の買い替え需要だけでも巨大です。
ちなみに同じように小さくて電子部品ぎっしりのデジカメ。旅行するとよくわかりますが、どこの国の人も日本メーカーの商品を使っています。
このデジカメの世界の出荷台数は 9000万台にすぎません。それと比べても、いかに携帯電話が巨大な市場であるか、わかろうというものです。
以前は家電に圧倒的な強みを持っていた日本企業ですが、今は「世界を独占できるほど強い商品」と、「世界では全く勝てない商品」に分かれつつあります。
そして「全く勝てない商品」の中に、携帯電話であったりパソコンであったり、圧倒的に市場の可能性が大きいモノが多い。
これって、いったい何故??
日本メーカーが世界の携帯電話市場についていけなくなってしまった理由のひとつは、現在日本でも見直し機運が高まっている「ケータイ料金の構造」にあります。(通信方式の話は今日は略です)
ご存じのとおり、“ケータイ”は端末価格と通信料という本来の別々の価格設定がごっちゃにされ、端末を1円から1万円程度で売り、その値引き分は通信料に上乗せされて回収される、という形でした。
この方式のため携帯端末製造メーカーは、“高価格の高機能端末”を、“勝手に=消費者の審判を受けることなく”いくらでも作り続け、売り続けることができたのです。
これはメーカーにとって、あまりにもおいしい市場でした。
テレビなど他の家電商品はすべて、常に消費者からの激しい値下げ圧力を受けています。「シーズンごとに消費者が求めてもいない機能を付加して、より高い価格で売る」というメーカーに極めて都合のよい方法は、他の商品ではなりたちません。
ところが携帯については、どんどん付加価値をつけてどんどん値段を高くして売れるのです。
なぜならどんな高価格商品でも、消費者にその価格を見せないで(通信料に上乗せして)売ることができるから。
結果、日本の携帯端末はいまや 6〜 8万円。もしも端末価格が単独でプライシングされていたら、こんな高い端末を、多くの人が毎年のように買い換えたりするでしょうか?
消費者に本当の価格を見せず、抱き合わせ販売で本当の価格を隠すことにより、メーカーは、やたらと高い端末を売って、おいしい商売をしてきました。
表面の塗装の“でき”に懲りまくるなどの自己満足的な改善のためにかかったコストを、全部価格に上乗せして消費者に転嫁しても、消費者はそのことに気がつきさえしなかったのです。
一方で、世界ではそんなことは起こっていませんでした。端末は端末として値付けされ、価格は売れ筋商品で 1〜 2万円程度。世界中で日本人だけが異常に高い携帯端末を使っているという有様。
この姿をメーカー側からみると、販売価格 6〜 8万円の日本では、メーカーの出荷価格は 4万 5千円程度。一方で世界で携帯電話を売ると出荷価格ベースではせいぜい 5〜 7千円程度になります。
高価格品の利益率は低価格品より高いので、日本市場は世界市場より圧倒的に“おいしい”市場です。
もちろんその時点で、日本の人口がもう増えないことは皆わかっていました。最大売れて 1億台程度とわかっていたはずです。しかも、こんなまやかしの価格設定がいつまでも続くとも思っていなかったでしょう。
一方で、固定電話がないウィグルの砂漠の合間の村やアマゾン流域でさえ携帯が行き届き始めていることは、たいした調査などしなくても自明であったでしょう。
長期的にみれば世界には日本の何十倍もの巨大な市場がある!と、日本メーカーが気がついてなかったわけがありません。
けれども目の前には、現時点では 5倍の出荷価格で売れる 1億台の市場がある・・・
現在の日本の携帯契約数は 1億。端末の新規出荷台数は年間 5000万台くらいでしょう。
熾烈な競争を勝ち抜き、トップシェアをとるメーカー(シャープかな?)の出荷台数は一年で約 1000万台。一方、世界で一位のノキアの今年の出荷台数は、一社で 3億 5千万台です。
先日テレビで、日本の携帯端末開発競争の様子を伝えているドキュメンタリーを見ました。デザインや色合いやタッチの微妙さにこだわる職人芸の開発競争。
すばらしい! ですけど、、それは本当に世界で求められている商品の開発に向けた努力なのでしょうか?
大学の経営学の授業では、今でも「日本企業は“長期的視野”をもって経営にあたることがその特徴」と教えたりしているのでしょうか。
長期的な視野とはなにか?
ちょっと考えたくなるようなお話でありました。
ではね