“アジアのユダヤ人”ロヒンギャ族がミャンマーで迫害される理由
ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャによる周辺国への脱出の動きが顕著になっている。中には劣悪な密航船に乗る者や、人身売買組織に身をゆだねる者も。なぜ同民族はミャンマーで自国の民族として認められず、不法入国者として差別を受けてきたのか。
《ロヒンギャ族》
ミャンマー西部ラカイン州に住むイスラム系少数民族。交易に従事したイスラム商人やベンガル人の子孫とされる。ロヒンギャ族の人口は、イスラム教徒が比較的多いラカイン州の人口(約310万人)の3分の1を占める。政府は自国の民族とは認めず不法入国者として処遇する。ミャンマーには他にも昔から住むムスリムが多いが、ロヒンギャ族に対してだけは政府が厳しい姿勢を取っても、国内にそれを非難する声は少ない。
ロヒンギャらの密航船が急増
迫害や貧困から逃れようと企てるも海上で困窮
アンダマン海やベンガル湾では、迫害や貧困から逃れようと密航を企てたミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ族やバングラデシュ人を乗せた船が最近、相次いで発見されている。
周辺国が入国を拒否→国連や米国が懸念「非人道的」
インドネシア、マレーシア、タイなどの周辺各国は、水や食料などの支援物資を提供するものの、その大半は一時、接岸を拒んで追い返していたため、国連や米国は懸念を表明していた。6千人を乗せた密航船内では死者も出ており国連からは「漂う棺おけ」との表現も。
英紙、漂流するロヒンギャは「独の遠洋汽船に乗っていたユダヤ人」
5月21日付の英紙「フィナンシャル・タイムズ」は「海で漂流している今、ロヒンギャはセントルイス号に乗っていたユダヤ人と同じように、安全な避難先となり得る国々から入国を拒否されている」と記している。
【一転、一時的な受け入れを表明する関係国】
マレーシアなど周辺国ではロヒンギャらの大量遺体が見つかる
人身売買組織に捕らわれ死亡し埋められた可能性
マレーシア北部ペルリス州周辺は、タイから国境を越えマレーシアを目指すロヒンギャらの密入国ルートとして知られる。その付近で139カ所の墓穴が見つかり、これらには人身売買組織に捕らわれ虐待や衰弱で死亡したロヒンギャらが埋められたとみられる。遺体は数百人分に及ぶ可能性がある。
タイ南部でも集団墓地が→軍政が摘発に着手
マレーシア北部ペルリス州と隣接するタイ南部では、ロヒンギャを拘束・収容する人身売買組織の施設が摘発され、付近では衰弱死したロヒンギャの集団墓地も見つかっている。AP通信によると、タイはこれまで「賄賂により長年、人身売買を黙認してきた」が、多数の遺体が発見されたことをきっかけに軍政が摘発に着手した。
人身売買を通じ脱出したロヒンギャは過去3年で12万人
人身売買組織などを通じミャンマーなどから脱出したロヒンギャ族は、過去3年で12万人にのぼるとの推計もある。
ロヒンギャがミャンマーを脱出しようとする背景
《ミャンマー内のイスラム人口》
仏教徒が90%を占めるミャンマーでは、イスラム教徒はわずか4%。少数民族ロヒンギャの多くが暮らす西部ラカイン州は比較的イスラム教徒が多いといわれる。イスラム教徒が比較的多いラカイン州では州人口(約310万人)の3分の1にあたる約130万がロヒンギャ族といわれる。
政府はロヒンギャを自国の民族と認めていない
政府はロヒンギャ族を自国の民族とは認めず、ベンガル系の不法移民と位置付ける。ミャンマーには他にも昔から住むムスリムが多いが、ロヒンギャ族に対してだけは政府が厳しい姿勢を取っても、国内にそれを非難する声は少ない。
スー・チー氏も黙認…世論はロヒンギャの大量流入を恐れ差別
国民の間では、ロヒンギャがバングラデシュからさらに大量流入すれば約9割を占める仏教徒の社会への脅威につながりかねないとの思いもある。密航問題では、同国の最大野党党首アウン・サン・スー・チー氏でさえも沈黙を守っている。
調査団体、ロヒンギャは「人間性の喪失に見舞われている」
「ジェノサイド防止のためのサイモン・スコットセンター」は3月、ミャンマーに調査団を送り込んだ。ラカイン州での調査では、ロヒンギャが「激しいヘイトスピーチや市民権の拒否、移動の自由の制限を通じて、人間性の喪失に見舞われている」ことが分かったという。
《政府、デモ発生でロヒンギャへの投票権付与を撤回(2月11日)》
2015年2月10日、ロヒンギャ族であっても「ホワイトカード」(暫定的な身分証明書)を発給されている一部の人に限り、憲法改正のための国民投票の投票権を与えるとする法律がミャンマーで成立。しかし翌日、首都ヤンゴンで多くの仏教僧も参加して、この条文の撤廃を求めるデモが起きたことで、同民族への投票権を与える方針をわずか1日で撤回した。
ミャンマー政府が5月の国民投票の投票権をロヒンギャ族に与えることに反対するラカインの僧侶ら=2015年2月、ラカイン州シットウェ(ロイター)
ラカイン州の「仏教徒VSイスラム」はなぜ生まれ、深刻化したのか
英国植民地時代、ラカイン族から土地を取り上げてロヒンギャ族に与えたのが遠因
ロヒンギャ族は15世紀に今のバングラデシュなどから流入したとの説がある。19世紀前半、インドから侵入した英国の植民地政策によって、仏教徒地主が継承してきた農地がイスラム教徒の労働移民にあてがわれた。このことによって仏教徒対イスラム教徒の対立構造が顕著になったといわれている。
さらに第2次大戦下、「英国を支援するロヒンギャ族VS日本を支援するラカイン族」の構図生まれる
第2次世界大戦では、日本と英国はそれぞれに宗教別に地元の人々から構成される軍を作り、戦わせた経緯がある。ロヒンギャが英国とともに戦う一方、ラカイン族が一時は解放者と見なされていた日本を支援。その時代からの恨みが今日まで続いているといわれる。
1960~80年代、政権が州安定化のためロヒンギャ族を差別
1962年のクーデターで誕生したネ・ウィン政権が、同州安定へ多数派の仏教徒ラカイン族を懐柔するためにロヒンギャ族を差別し、現在も国民と認められていない。
2010年以降、民主化で反イスラム感情が強まる
仏教徒とイスラム教徒間の不信感は根強いが、軍事政権の管理体制下では表面上、良好な関係を保っていた。しかし2010年以降、民主化の進展に伴いタガが緩み、対立感情が噴出。より一層、反ロヒンギャ、反イスラム感情が強まったといわれる。言論の自由はイスラム教徒へのヘイトスピーチへと向けられた。
2012年6月以降、ロヒンギャ族とラカイン族がたびたび衝突するように
2012年6月以降、ロヒンギャ族と仏教徒ラカイン族がたびたび衝突し、230人超が死亡、14万人以上が避難生活を送る。