パリ同時多発テロ、120人超死亡「イスラム国」犯行声明
フランス・パリの中心部や郊外などで、13日午後9時(日本時間14日午前5時)からわずか1時間ほどの間に6か所で乱射や爆発が起きる同時多発テロが発生した。128人が犠牲となり約250人が負傷。容疑者8人も死亡した。オランド大統領は、過激派組織「イスラム国」による犯行と断定し「イスラム国」側も犯行声明を出した。付近で自爆テロがあったサンドニ市の競技場「スタッド・ド・フランス」でサッカーのフランス対ドイツ代表の親善試合を取材していたスポーツ報知の小川由紀子通信員が、現地の様子をリポートした。
午後9時のキックオフから17分後に聞こえた「ドン」という音。さらに2分後に同じような音がスタジアムに響いた。私はメインスタンドの記者席にいた。選手も一瞬「ん?」と感じたようだったが、爆竹だと思った。情報が何もなかったのも「おかしい」と思わなかった理由だ。
しかし、この音がスタジアムの東隣にあるレストラン街で起きた自爆テロだった。試合中に観客が出入りする東側のゲートは急きょ封鎖された。オランド大統領も現地で観戦していたが、テロの報告を受けてすぐにスタジアムを出たという。
ハーフタイムになって、大統領がいないのが分かった。別の記者と「まずいことが起きたのかも」と話した。その時には、3度目の爆発が発生。すべて自爆テロで犯人を含む4人がスタジアムの外で死亡した。8万人の観客に事件が知らされたのは、試合終了後だった。「事件が起きたため東側のゲートからは出られません」とアナウンス。東側の座席にいた観客がピッチに下りて別の出口に向かった。
その時には、すでに状況を把握していた人もいた。「このまま中にいた方がいい」という声や、子供の泣き声も聞こえるスタジアムの景色は、過去に見たことのない異様さ。試合後のミックスゾーンの取材、監督の会見は中止された。
午後9時から10時のわずか1時間で6か所もの同時テロが起きたことは試合後に知った。競技場から市内までの地下鉄は通常通り運行されていたが、1962年まで続いたアルジェリア戦争以来となるフランス全土での非常事態宣言が出された街中は異常な雰囲気だった。穏やかなパリの空気はどこにもなく、緊張の糸が張りつめたような金曜の夜。国境も閉鎖された。武装した兵士が街を歩く。今年1月に風刺週刊紙「シャルリエブド」でテロが起きたばかりの“花の都”は、戦場と化したようだった。
一夜明けた14日、街は静まりかえっていた。ほとんどの店舗は休業となり、人の行き交いもまばら。学校も当面、休みになった。テレビの地上波は、すべて報道特番に切り替えられた。週末の首都圏のスポーツ行事は中止され、ルーブル美術館などの市内の文化施設、パリ郊外の「ディズニーランド・パリ」も休園に。また、年末まではデモなどの集団行動を慎むように言われているという。
オランド大統領は、国民向けのテレビ演説で犯行を「イスラム国」と断定。「国外で周到に準備され、フランス国内の共犯者と共に実行された戦争行為であり、極めて野蛮な行為だ」と激しく非難した。フランスがシリアを空爆したことによる報復を狙ったものと判断。その上で「恥知らずな攻撃を受けたフランスは『イスラム国』の蛮行と無慈悲な戦いを決行する。テロの脅威に同様にさらされている同盟国と共に国内であれ国外であれ、あらゆる手段を駆使して戦う」と報復に言及した。
犠牲者は今後増える可能性もある。さらに、実行犯の中には逃走した者がいるとの説もある。大統領は「3日間を国民服喪の日とする」と述べた。穏やかなパリがいつ戻るのか。今はただ、祈るしかない。(小川 由紀子通信員)
◆フランスのテロ事件 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したパリの週刊紙本社に1月、覆面をした男2人が押し入り自動小銃を乱射、その後印刷会社に立てこもり、別の男も食料品店に人質を取って立てこもった。一連のテロ・襲撃で計17人が死亡し、容疑者3人は当局に射殺された。6月には、南東部リヨン郊外にある米企業のガス工場に車が突っ込み、爆発が起きた。工場では首を切られた男性の遺体が見つかり、フランス当局は「テロ行為」と断定した。さらに8月、オランダ・アムステルダム発パリ行き国際特急列車の車内で男が銃を発砲し、乗客2人が重軽傷を負った。