「ああ、巴里(ぱり)の黄昏(たそがれ)! 其(そ)の美しさ、其の賑(にぎや)かさ、其の趣きある景色は、一度巴里に足を入れたものの長く忘れ得ぬ、色彩と物音の混乱である」▼若き日々、パリに熱狂した永井荷風は『巴里のわかれ』でこう芸術の都の魅力を力説している。そして嘆いた。「自分は何故一生涯巴里に居られないのであらう」。荷風の心を奪った艶(あで)やかなパリの「色彩と物音の混乱」。それは音楽や人声、料理の皿の触れ合う音が奏でた▼その日の「混乱」は違った。自動小銃の発射音、爆発音、悲鳴。それが重なる狂気の「混乱」。パリの同時テロ事件である。百二十人を超える死者数。パリでこれほどの犠牲者が出たのは第二次世界大戦中以来という。まさに戦場になった▼パリという夢見がちな場所。晩秋。金曜夜。レストラン。コンサート会場。サッカー場。場所と時間帯だけを読めば、本来、いずれも魅力的で、幸福を想起させる言葉である。そこにテロという言葉が加わる。一瞬にして悪夢となる▼一月のテロ事件や、開催迫る国際会議を受け、警戒を強めていたはずのパリである。それでもテロは起きる。いつでもどこででも起こりえる。恐怖に揺れたのは、パリだけではない。地球というわれわれの足元全体が揺れている▼「フランスよ、永世(とこしえ)に健在なれ」。荷風はパリを離れる時、祈った。「人類よ」「世界よ」と置き換え、祈る。