白石村分遣隊辛庄付近の戦斗概要
(昭和十五年十二月二十五日 自一〇、〇〇 至一七、三〇)
一 戦斗前に於ける彼我形勢の概要
・・・長谷軍曹は敵情を報告に来りし村民の態度其の他より考察し必ずや敵は我を誘致して掩撃せんと企図しあるものと判断し捷路たる峪地道を避け制高地点たる辛庄村北川高地より該敵を攻撃すべく決意し且其の近接を容易ならしむる為全員便衣を著し先ず稜線に沿ふて白石村東側A高地に向ひ前進を開始す
七 将来の為の参考事項
5 全員便衣を著したるが為敵をして誤認せしめ最初の攻撃に於て敵の意表に出でたるも爾後村落内に突入したる際後方の射撃部隊は彼我の識別困難にして為に射撃の好機を逸したることあり
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レファレンスコードC11111496300(2・3・8・10枚目)独立歩兵第6大隊第1中隊戦闘詳報 昭和15年12月25日
昭和十八年九月二十日
討伐粛正戦例集 第一輯
河野兵団
便衣隊を以て敵蠢動地を攻撃し効果を収めたる例
歩兵第二十連隊第三大隊
四元中尉以下三十一名
一、戦闘前の情況
「フアブリカ」警備隊四元中尉は「ゲリラ」戦を以て我に抵抗しある敵兵匪を積極果敢に討伐しありしが昭和十七年十二月十日「ビト」(「フアブリカ」東方約三十粁)付近に約二百の敵兵匪ありとの土民の報告を受領せり
二、戦闘経過の概要
土民の報告に接するや直ちに之を攻撃するに決し全員便衣を着服して同日出発す
戦闘経過概要別紙要図の如し
三、教訓
1、便衣を着用して敵を欺瞞し至近距離迄近接攻撃せば効果あり
四、当時の便衣の装着要領
1、便衣は住民より借用す
2、襦袢の上に雑嚢水筒帯革を装着し其の上に便衣を着用して装具を隠匿し巻脚絆を用ひず鉄帽には各種住民の帽を縛着偽装す
3、銃は砂糖袋其の他布片等にて覆ひ提銃とし或は荷物の如くして担ふ
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レファレンスコードC13071678600(22・23枚目)第11独立守備隊 比島討伐に関する書類其2 昭和18年
昭和十六年十二月陣中日誌
十二月一日 小雨 南岡
一、〇六三〇昨十一月三〇日作命甲第三二号に基き横島中尉以下二八名便衣を着用し鐘萬常の部下一味の検索に出発す
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レファレンスコードC13071146900(1枚目)輜重兵第51連隊陣中日誌 昭和16年12月1日~16年12月31日
一三師作命甲第一二六一号に基く指示
企図の秘匿に関する注意事項
三、河岸偵察は凡て便衣を着用するものとす
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レファレンスコードC13070555600(1枚目)歩兵第65連隊江南殲滅作戦 戦闘詳報 (第45号) 2/2 昭和18年5月6日~18年6月25日
軍事極秘の押印有
警備会報 八月四日
一、軍隊が直接比島側政務機関に軍政上支障を来すが如き各種交渉をなすべからず
之等交渉は順序を経て師団を通じ以て軍政部機関と連絡の上相互の業務遂行に支障を来すが如き事なき様注意するを要す
但し民心は悪、情報蒐集等今迄の施策には何等変更を来すものにあらず
三、便衣を濫用すべからず
特別攻撃隊追撃隊等にして任務終了後尚便衣を着用し甚だしきは頭髪を長くせるものあり斯の如きは軍紀の破壊者にして軍隊の惰〔ママ〕落なり
幹部たる者は厳に監督すべし
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レファレンスコードC13071869700(2枚目)左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月
自十一月一日
至十二月三十一日
「レイテ」「サマール」地区への転進並粛正討伐
第一次「レイテ」「サマール」島師団統一討伐
第二大隊
前述の如く大隊が新年早々敢行せんとする統一大討伐の為敵情地形の偵察を命ぜられたる小倉将校斥候一同(全員便衣にして拳銃携行)は其の任務の重大なるを肝に銘じ成功を期しつゝ勇躍出動命の如く先づ「ヒトムノグ」を経て「ロビ」山麓敵中に敢然挺身せり
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レファレンスコードC13071554200(1枚目)※表紙 C13071554800(9枚目)歩兵第20連隊 第2大隊戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日
極秘
支那事変情報記録第一六四号付録
昭和十四年七月十二日 関東軍参謀部複写
便衣利用上の参考
便衣利用上の参考
北支篠塚部隊に於て便衣の斥候を派遣し八路軍の密偵なりと詐称し土民より有利なる資料を蒐集し或は敵密偵を捕獲しつつあり。左に同隊の報告を抄録す。
(以下略)
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レファレンスコードC11110697300支那事変教訓 昭和13年10月~14年9月
「軍事極秘」印
警備会報 二月六日
一、軍紀、風紀、内務及教育につきて
(略)
二、討伐並に情報の収集につきて
3、変装隊は可なるも敵も又之に慣れ包囲等の策に出づる場合あるやも知れず故に之を要する場合には後方に一部を踉随し之に応じ得る如く準備するを要す
又奇襲する場合等は大いに利用して可なるも昼間的に察知さるゝこと明瞭なる場合は避くるを要す之軍紀風紀上よりも必要なり
又爾今変装隊を特別攻撃隊と称する如く師団に於て定められたり
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レファレンスコードC13071868900(4枚目)左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月
匪首捕獲の参考其の一
(「ナカール」中佐討伐)
一、部署(?)上の参考
2 密偵報(密告)等により挺進して検索を要する場合は特に土民服等を着用し変装せしむるの著意を要す
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レファレンスコードC14020723500(2枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
「ナカール」中佐捕獲経過概要
昭和十七年十二月二十日
高野兵団司令部調製
「ナカール」討伐捕獲計画
第一、方針
第二、要領
四、一部兵力を最も速かに北部「プゴ」付近に変装潜入せしむると共に「テチピオ」及其の南方「デイヅヨン」川河谷を占領し・・・
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レファレンスコードC14020725100(3枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
(二)第一回「ラコマ」小隊掃蕩戦闘
1、戦闘前の彼我態勢の概要
2 彼我兵力
イ、敵兵力 「ラコマ」少尉及護衛兵 約十名
ロ、我兵力
本部情報班 将校以下 四名
第六中隊森井少尉以下約一分隊 十八名
通訳 三名
比人密偵 一名
3 各時期に於ける戦闘経過
イ、八月九日二〇、〇〇土民に変装せる討伐隊は先づ「ラコマ」少尉に糧秣を補給しありとの情報ある「バリアドリツド」付近の土民を検索するに・・・
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レファレンスコードC13071509300(1枚目)歩兵第9連隊第3大隊 比島全島粛正討伐戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日
四 「ナガ」町西南方付近の戦闘
1、戦斗前に於ける彼我態勢の概要
イ 「ショック」中尉逮捕に依り土民に化せる敵及兵器所有者判明し「ナガ」西南方付近に敵匪秋毫しあるを探知す
ロ 大隊長は二十五日一六〇〇別紙福作命第三大号を下達し本部情報班及伝令をして之を奇襲せしむ
2、彼我兵力
イ 敵兵力 「ショック」中隊の敗残匪約二〇
ロ 我兵力
本部情報班 村尾少尉以下四名
伝令 四名
通訳 一名
比人密偵 三名
3 各時機に於ける戦斗行動
イ 討伐隊は土民に変装し一九〇〇より「テイナアン」(「ナガ」南方一粁)に集合し二〇〇〇比人密偵の案内に依り出発す。途中土民に察知せらるることなく・・・
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レファレンスコードC13071508700(1枚目)歩兵第9連隊第3大隊 比島全島粛正討伐戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日
鎌報第二二号
情報研究問題解答送付に関する件
●●●九年四月四日 ラグナ地区警備隊長
垣第六五五〇部隊参謀長殿
首題の件に関し別紙の如く回答す
第一、主要匪首特に地下組織的匪団に関する情報収集要項
一、重点的匪情蒐集(別紙第二)
①密偵の使用
➁潜伏斥候
重点方面に対し将校及び下士官を長とする約十名の斥候を変装潜伏せしめ直接に匪団員特に之が諜報連絡員の獲得に努め之に依りて芋蔓的検索討伐を実施す。・・・
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レファレンスコードC13071634100(2枚目)歩兵第33連隊 (鎌田隊)発翰綴 昭和19年1月4日~19年10月11日
昭和十九年六月
河野兵団ボホール島統一討伐 揚陸作業計画
船舶工兵第一野戦補充隊
第一 方針
部隊は企図を秘匿し小型輸送船及発動艇の海上機動に依り満潮時を利用し一挙に奇襲敵前上陸を敢行し迅速なる揚陸完了に努む
第五 上陸点の偵察及誘導
大久保、小茂田及伊藤隊の上陸点は企図を秘匿し上陸点の事前偵察を行ふ
本事前偵察は漁船を使用し偵察将校は変装し上陸の為海上輸送開始前々日迄に終了するものとし・・・
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レファレンスコードC13071466500(4枚目)独立混成第33旅団 作命綴 昭和19年
別冊第一
便衣を着用し集市を奇襲八路匪十名捕獲に成功したる戦訓
岩下隊渡邊隊に於ては昭和十九年十一月十二日山東省新泰県平子庄の集市を便衣着用農民商人に変装敵の虚を衝き該集市に潜入しありたる魯中軍区匪蒙陰県独立営龍延区中隊指導員楊守先以下十名を捕獲拳銃三挺を齒獲せり
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レファレンスコードC13032084800北支那特別警備隊第7警備大隊 第2期作戦戦闘詳報 昭和19年6月10日~20年1月4日
八、齟齬過失将来の参考となるべき事項
(一)齟齬加湿
(二)将来の参考となるべき事項
2、小数兵力に分散便衣化せる謀略的行動は敵及農民を欺罔し得多く成功せるも昼間制服を着用せる単一の行動は一般に失敗せり。農民は之を遠望し我方行進方向部落に逓伝し敵を躱避せしむ。
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レファレンスコードC13032077800(2枚目)北支那特別警備隊第3警備大隊 第4中隊戦闘詳報 昭和18年9月20日~19年6月9日
特警三大四作命第三号
第四中隊命令 十月二十七日 一〇、〇〇 於天津
五、第四小隊長は下士官(便衣)兵(制服)各一を二十八日二十一時迄に本部に差出し本山大尉の指揮を受けしむべし
六、第一小隊長は下士官(便衣)兵(制服)二を二十九日唐山到着と同時に原田見習士官の下に差出し其の指揮を受けしむべし
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レファレンスコードC13032076800(5・6枚目)北支那特別警備隊第3警備大隊 第4中隊戦闘詳報 昭和18年9月20日~19年6月9日
六、行軍間小隊長は敵歩哨戦突破を次の如く考案し之を実行するに決す
即ち兵二名をして便衣を着せしめ銃剣及拳銃を携行せしめ彼等の親交ある土民二名を合し警戒斥候の前方二百米を進め敵歩哨の問査に対し土民をして「昼忘れ物をしたから帰って来た」と云はしめて逐次近接し銃剣を揮て敵歩哨を倒し以て之を通過せんとし決死の二名を募集せしに小隊全員之に志願して肯ぜず。依て之を指名するに定め一等兵山下準作、二等兵神納鎌一の二名を選抜し直ちに更〔ママ〕衣と替へ顔に泥を塗り全く土民と一致し識別不可能なりき。依て相言葉を定む。
此の地に於て通訳を利用し三回歩哨線突破の要領を練習し二名の成功を祈願し今世の惜別の辞を交し水杯を以て其の壮途を祝福す。一同感涙極に達し其の景悲壮たり。
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レファレンスコードC14030282300(17枚目~)歩兵第18連隊第3中隊第2小隊 黒金河西方山中戦闘詳報 昭10.5.25
軍事機密
独歩Ⅲ第一中隊戦詳第一号 13部の内第3号
自昭和二十年五月二十二日 至昭和二十年五月二十三日
王家荘付近戦闘詳報
独立歩兵第三大隊第一中隊
第四 各時期に於ける行動戦斗経過の概要
(一)優秀なる兵を以て便衣を着し下士官を長とする便衣分隊(四名宛二組と各組に警察隊五名を付す)と一般小隊を編制し二十三時三十分
左記命令を下達し出発す
中隊命令 二十二日二十三時三十分 西合営
一 蔚陽支隊第二大隊及第六区遊撃隊約六十は栢樹村に潜在しある如し
二 中隊は今夜半栢樹村を奇襲此の敵を撃滅せんとす
三 便衣分隊は警察隊十名を併せ指揮し尖兵となり本隊の前方五百米を情報蒐集しつゝ牛大人荘王家荘を経て栢樹村に向ひ前進すべし
四 余は大橋小隊の先頭を前進す
中隊長 赤坂中尉
下達法 口達
(三)二十三日二時十分情報入手民兵捕獲の為便衣分隊を王家荘南堡に派遣し大橋小隊を以て永寧寨栢樹村方向に対し警戒せしむ
(四)便衣分隊は直ちに南堡城門に至るや歩哨らしき者上方に透視し得。第一組を以て東側より土壁を登攀之を奇襲し立哨中の敵側民兵一名を捕獲し第一組を城門警戒第二組を以て民兵を連行せしめ取調べたるに南堡南側家屋に第六区遊撃隊八名宿営しあること白状し宿営状況細部に付聴取す
(五)中隊長は直ちに遊撃隊殲滅に決し主力を部落東南側に近迫左記命令を下達す
中隊命令 五月二十三日二時四十分 王家荘南堡東南側
一 敵第六区遊撃隊は南側家屋に宿営しあり
二 中隊は部落を包囲し敵を撃滅せんとす
三 便衣分隊は民兵を連行し家屋に突入すべし
四 大橋小隊は敵脱逸を防止すると共に永寧寨栢樹村方向に対し警戒すべし
五 余は部落中央家屋上に前進す
中隊長 赤坂中尉
下達法分隊長以上を集め口達
(六)便衣分隊は逐次家屋に迫り大橋小隊は穏〔ママ〕密に警戒配備に付く(付図其の一)
(七)便衣分隊は敵宿営家屋に迫り便衣分隊長は第二組を屋上組と為し人梯により屋上に進出せしめ第一組を二名宛となし家屋内両側家屋に突入を命ず
(八)突入組は一挙に突入右家屋に突入したる寺岡兵長は敵就寝中なるを察知し壁に掛けありたる小銃四を分捕り家屋外にありたる他の一名は機を失せず家屋内に手榴弾を投擲す
左家屋に突入したる前田軍曹以下二名は敵手榴弾投擲姿勢にありたるを以て機先を制し手榴弾を家屋内に投擲し敵隊長以下三名即死せしむ。間を入れず敵は手榴弾小銃を両側家屋より投擲射撃し来り我に抵抗す。突入組は一時表門付近に損害を避く
(九)屋上組は手榴弾を一斉に家屋内に投擲し之を制圧 敵手榴弾止むと同時に突入組は再度左右家屋に突入し之を捕獲す
(十)直に家屋内を掃蕩す時に三時五十分なり
第六 将来の参考となるべき事項
(一)今次成功の因は便衣分隊の勇敢機敏なる挺進奇襲に依る。組編成は果敢周密なる組長組員の選定に留意し編成せば有利なり。
付表第一
王家荘付近戦斗詳報 赤坂隊編成表
便衣分隊
第一組
長 軍 前田善一
長 平野正夫
上 大木清
一 下村光治
第二組
長 長 寺岡調治
長 黒田真男
上 井上仁義
一 本谷登
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レファレンスコードC13032106300独立混成第2旅団新配備移行作戦 戦闘詳報 昭和20年5月18日~20年6月7日