非道なテロに慄然(りつぜん)とする。無差別に多くの人命を奪った蛮行はフランスだけでなく、世界にとっての悲劇である。

 金曜夜のパリが血に染まった。中心部の複数の場所でほぼ同時に銃の乱射や爆発があり、おびただしい死傷者が出た。

 襲われたのは、いずれも多数の人々でにぎわう場だ。若者が集うロックコンサートの会場ホールをはじめ、レストラン、カフェで銃の乱射があり、郊外のサッカースタジアムでは自爆テロとみられる爆発が起きた。

 被害者のほとんどは、紛争や過激思想とは無縁の、ふつうの市民である。犠牲者や遺族の無念さは察するにあまりある。

 市民を狙った卑劣な暴力を断じて許すことはできない。

 フランス政府は、当面は治安の回復により、国民の不安を取り除くことが大切だろう。同時に、テロの実態と背景の解明をしっかり進めてほしい。

 日本を含む国際社会は、力を合わせてその取り組みを支えたい。テロの矛先が向いているのは、フランスだけではない。明日は自国に突きつけられる問題だとの意識を肝に銘じたい。

 ■市民の分断を防げ

 パリではことしの1月、風刺週刊紙「シャルリー・エブド」編集部と、ユダヤ人の食品雑貨店が相次いで襲われた。市民や警官ら17人が死亡した。

 その記憶がまだ薄れていない時の出来事である。人びとが受けた衝撃は甚大だ。

 パリではまた、今月末から国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)が開かれる予定で、不安は世界に広がっている。テロリストたちはそれも狙いだったのかもしれない。

 1月以降、仏政府は警備を強化し、再発防止に全力で努めていたはずだった。しかし、それでも今回のような同時多発テロを防げなかった。

 軍などの施設と異なり、民間施設は「ソフトターゲット」と呼ばれる。攻撃に弱いとわかっていても、人の動きへの規制を強めれば、自由主義社会の原則が侵食される。

 テロが自由に対する挑戦と言われるゆえんである。

 直接の政治的な動機が何であれ、平和な文明社会に恐怖をもたらし、人々の間に亀裂をつくる意図があるのがテロの常だ。

 今回も1月と同様に、イスラム系過激派の関連が指摘されている。だとしても、テロとイスラム教徒や移民社会とを安易に結びつけるべきではない。

 フランスのイスラム教徒団体がテロを非難する声明を出したのは当然だろう。こうした事件の後では、イスラム教徒らへの攻撃や移民排斥をあおる言動がしばしばみられる。

 テロがもくろむ社会の分断をみすみす許してはならない。冷静に着実に、自由の原則を曲げずに対策を進めるべきだ。

 ■紛争と混乱の連鎖

 仏政府はこの事件について、中東で勢力を伸ばしてきた過激派組織「イスラム国」(IS)の犯行とみている。

 ISに影響を受けた人物によるテロは世界各地で起きている。仏政府によると、今回の犯行は、フランスの国外で計画、組織されたものだという。

 仏政府は昨年から、中東での軍事行動に踏み切った。米国主導の有志連合に加わり、イラクに加え、この秋からはシリアでもISを狙う空爆を始めた。

 今回がその報復であるとしたら、世界はあらためて、国境や地域を越えた地球規模の暴力の連鎖を目の当たりにしていることになる。

 01年の米同時多発テロは、当時アフガニスタンに拠点を置いた過激派のアルカイダと呼ばれる組織による攻撃だった。

 04年のスペイン・マドリードでの列車爆破や、05年に英国を襲った同時爆破テロは、イラク戦争と中東の混乱に関連して起きた。今回も、IS問題をめぐる中東の戦火が欧州に及んだものである可能性が高い。

 収束の兆しが見えないシリアの内戦は二十数万もの死者と、数百万の難民や避難民をだしている。その混沌(こんとん)が、テロの拡散や、難民の流出という深刻なグローバル問題を生んでいる。

 遠い海外のどこであれ、地域の荒廃、戦乱、貧困はやがて、国際社会全体の安定をむしばむ。いまの世界を覆う病理と、それに立ち向かう国際社会としての意思をいま一度、こうしたテロの惨禍を機に確認したい。

 ■克服へ国際連帯を

 今回のテロを受けて、オランド仏大統領は非常事態を宣言し、国境を閉鎖した。人々に外出しないよう呼びかけ、パリ市内の移動も制限している。

 安全確保と捜査の必要性を考えると当然の対応だが、市民生活が停滞するのは免れない。世界をリードする人権国家としての誇りも忘れずに、この難局を乗り越えてもらいたい。

 日本を含む各国も、フランスの人びとの苦しみ、悲しみに心を寄せるとともに、テロなき世界への決意を新たにしたい。