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ゆる体操がつまらない理由

それにしても、ゆる体操はつまらないです。
気を悪くする方がいらっしゃったらごめんなさい。

 

僕は寝ゆるは物凄く好きですし、基礎ゆるも大好きです。DSトレーニングにも大好きなものがいくつかあります。
でも、ゆる体操だけはやる気にならないです。(寝ゆる・教室でのゆる体操を除く)
その理由をいくつか挙げてみます。

 

 

@教室サポートがないと一気にDS形成力が薄まる

 

先ほど書いたように、ゆる体操は教室で行うことを前提に作られています。
身体意識に詳しい方のために説明しますと、教室でゆる体操を行っている時のDS図というものがあれば
かなりの規模・内容を含んだ素晴らしいDSの乱舞が見れるはずです。

 

教室でゆる体操をやっているときのDS図(予想)

温球が自分、先生、仲間の前にそれぞれ存在し、教室全体がどこもかしこも温かい。
さらに先生と生徒の間で幾筋ものリバースが行き交い、潜在意識化で、DSや気の流れ・交流が豊かに起きる。
もしかすると、温性の気の柱のようなものが、何本か教室の中に立ち上がっているかもしれない。

 

教室で行うゆる体操には、いわばそういった気のバックアップが強力に存在しているはずです。
ゆる体操教室に行くと、帰り道ルンルン気分で身体が軽く「いや〜、今日も行って良かった〜」となりますよね。
教室には、優れた食べ物やビールと同等かそれ以上の気のサポートが存在しているのです。

 

 

逆に考えれば、1人でゆる体操を行うならば、そういった気のサポートが一切ない状態から、ゆる体操を始めなくてはならないのです。
冷え切った空間を温め、自分をわざわざ奮い起こし…と、そこから自分1人で始めるのです。

 

でもそれは不可能に近いです。
温球やリバースなど、そもそも普通の人は持っていないわけですから。

 

Aゆる体操は記号的すぎる

 

ゆる体操は記号的すぎますが、それもつまらなく感じる大きな理由になっています。(*1)
ゆる体操がなぜ記号的なのかは、

 

■後ほど解説する予定です。

 

ここで簡単に説明しておくと、記号的になればなるほど、フリーなDSは発生しにくく、スティフルクラムが発生しやすくなります。
つまり、記号的になればなるほど、スティフの人でも実行しやすい体操になります。

 

ちなみに、記号的な体操といえば、ラジオ体操が有名ですね。
ラジオ体操が国民体操とされる理由は、それが記号性が高く、スティフルクラムに陥ってしまった現代日本人にも違和感なく取り組める体操だからです。
ただしそこには感動的なフリーDSは存在しませんので、いわゆる普通に身体を動かしただけの普通の運動効果が生まれるだけです。

 

しいて言えば、しっかりやれば、モワモワっとした熱性の気や、身体をビシッとさせる拘束性は強いけれども軸っぽくもあるDSは、多少導入できるかもしれません。
また、最近のラジオ体操は、昔よりはゆるっぽくなっていると感じます。

 

さて、ゆる体操は、ラジオ体操ほど記号寄り・スティフルクラム寄りではありませんが、それでも基礎ゆる等に比べるとかなり記号度が高くなっていますので
本当に勘のいい、フリー志向の人は「何か違和感があるな、好きになれない」という感想を抱きます。

 

ただし確認ですが、教室で行うゆる体操は特殊扱いです。
たしかにゆる体操本体の記号度はそのままですが、そのデメリットを吹き飛ばすだけの気のパワーがありますから、教室で行うゆる体操は総合的に見れば、フリーDSの体現に成功しているフリーな運動法だと言えるでしょう。

 

また、寝ゆるも特殊な条件下で行うため、誰がやってもフリーな運動法になりやすいです。
(ただし、そのフリー度はそれほど強烈なものではない)

 

この話は、また詳しくご説明するかもしれません。

 

さて、このページのタイトルは、正しくは「1人でやるゆる体操がつまらない理由」でした。
目を引くタイトルにしたかったので、「1人でやる」は省略してありますが、ご了承ください。

 

*1.記号的という言葉は、少し説明が難しいですが、「こういう風にやりますよ」という決まりがしっかりしている…という意味です。

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高岡英夫氏考案のゆるメソッド、身体意識理論を研究しています。
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高岡英夫氏考案のゆるメソッド、身体意識理論を研究しています。