政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5
前々回の記事で、昭和3年(1928)5月24日付のプラウダ (ソ連共産党機関紙)に、日本の陸海軍の軍人に対し「諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ」と書いていることを紹介した。このような記事がプラウダに掲載されていたということは、昭和初期には日本軍人の中に、ソ連の共産主義に共鳴するメンバーが少なからずいたと考えるべきである。
さすがに昭和初期には軍の幹部にそのような人物は少なかったかもしれないが、終戦の頃には共産主義者が日本軍の枢要な地位を獲得していたようなのだ。

以前このブログで紹介したが、昨年8月11日の産経新聞に「昭和20年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として『日本政府が共産主義者達に降伏している』と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった」という記事が出た。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-214.html
この記事は、当時の日本政府の重要メンバーの多くがコミンテルンに汚染されており、日本の共産主義者たちが他国の共産党と連携しながらソ連に和平工作を仕掛けたということを、中国国民政府の陸軍武官が重慶(中国の臨時首都)に打電していたことを米国が傍受し、英国に最高機密情報として伝えたという内容なのだが、産経新聞はこの記事の中で、こう解説している。

「(鈴木貫太郎の)首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、(昭和20年)4月に国家再建策として作成した『終戦処理案』」では「『戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる』として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。」
という話や、
「同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案『今後の対ソ施策に対する意見』でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結 (2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる (3)ソ連、中共と同盟結ぶ――と書かれている。」
記事に出てくる松谷誠・陸軍大佐は、解説記事を読むだけで共産主義者であることが分かる。種村佐孝・陸軍大佐については後述するので、ここではこの人物は戦後に日本共産党に入党した人物であることだけを補足しておこう。
この記事に出てくる最高機密の電報がベルンから重慶に打たれた日付は1945年6月22日なのだが、この日にわが国でどのような出来事があったのか気になるところである。
この点についてはこの記事を書いた産経新聞編集委員の岡部伸氏が、『正論』平成25年10月号の「日本を赤化寸前まで追い込んだ『敗戦革命』工作」という論文に詳しく書かれている。次のURLに全文がある。
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikondaHaisenKakumei.html

「この電報がベルンから重慶に打たれた日付に注目していただきたい。1945年6月22日、東京では最高戦争指導者会議が開催され、鈴木貫太郎首相が4月から検討して来たソ連仲介和平案を国策として正式に決め、近衛文麿元首相を特使としてモスクワに派遣する計画が具体化した。奇妙にもソ連仲介案が正式決定したその日に、ベルンから『共産主義者たちに降伏した日本がソ連に助けを求めている』と報告しているのである。スイス・ベルンは日本から夏時間で7時間遅れの時差があることを差し引いても、国策が決まった直後に打電されていることには、アメリカの素早い情報のキャッチとともに驚くしかない。しかも中国は以前から『迷走』する日本の動きを正確に捉えていたのである。」
このように、わが国の最高戦争指導者会議における重要決定事項がその直後に中国に把握され、そのことを伝えた機密電文がアメリカに傍受され、英国にも伝えられているのである。わが国の機密が奪われていたのはゾルゲグループばかりではなかったのだ。当時のわが国は主要国に対してほとんど丸裸の状態になっていたと言って良い。
しかし、なぜソ連仲介和平案を国策として正式に決定したその日に、わが国の政権中枢が「共産主義に降伏している」と中国陸軍の武官が重慶に打電したのだろうか。そもそも、この機密電文の内容は信頼に値するものなのかとまず疑問に思うところだ。
大戦時に政府中枢の主導権を握っていたのは陸軍の統制派だと言われているが、岡部論文を読み進むとそのことを匂わせる文書が、英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAの中にあり、その内容の紹介とともに解説がなされている。しばらく岡部論文を引用する。
「…ヤルタ会談が終わった直後の45年2月14日にベルリン駐在ポーランド外交官が、ベルンの日本外交官談話として、ロンドンの亡命ポーランド政府に送った電報である。
『日本はドイツ敗戦後中立国との外交が一層重要になる。ソ連との関係がカードとして身を護る保険として重要になる。日本とソ連は結合してアングロサクソンに対抗、アジアの影響力と利害を分け合う関係に変わるかもしれない。日本の軍部では、いまだに、東京-ベルリン-モスクワで連携して解決する幻想を抱いている。ここでベルリンとは、共産党政府もしくはソ連に共感を抱く政府のことである』
軍部が、なお日独ソの連携に幻想を抱き、共産主義に共感を抱いているというのだ。アングロサクソンに対抗するためソ連と結合してアジアの利権を分け合うというのは実現性に乏しい白日夢だろう。ソ連はヤルタで対日参戦の密約を交わしている。ポーランド外交官が日本公使館員から聞いた情報として伝えているので、日本の外務当局が『軍部は共産主義に共感を抱き、ソ連に幻想を抱いている』と理解していたとも考えられる。中国の電報が指摘した日本政府の指導層とは、軍部とりわけ陸軍統制派であったに違いない。
ここまで来れば合点が行くことだろう。日本は早くからソ連が中立条約を破って参戦してくることを察知していた。1945年2月、クリミア半島ヤルタでソ連が対日参戦を正式に決めた密約を会談直後にストックホルムから陸軍武官、小野寺信少将が参謀本部に打電していた。さらに同3月に大島浩駐ドイツ大使が『ロシアが適当な時期に参戦する』と外務省に打電。5月以降は、ベルン海軍武官やリスボン陸軍武官らもソ連参戦を機密電報で報告している。6月22日の最高戦争指導会議でソ連仲介和平を決定する時点で、陸軍、海軍、外務省ともソ連参戦情報は掴んでいたのだ。にもかかわらずソ連が『最後は助けてくれる』『交渉で参戦阻止できる』と希望的観測を抱き、ソ連に擦り寄り、和平交渉を委ねたのである。この様な非論理的行動も、政府中枢にコミンテルンが浸透し、水面下でソ連と気脈を通じる人物がいたのなら理解出来よう。愚策ではなく、共産主義国家建設に向けた『敗戦革命』工作だったと解釈すれば筋が通るのだ。」

上記岡部論文のなかで、この年の4月に鈴木貫太郎内閣が成立しソ連に和平仲介を依頼するために、参謀本部が東郷外相を訪ねたことが記されている。その後に参謀本部が提出した、ソ連に仲介を依頼するに際して提出された意見書は、冒頭に紹介した産経新聞の記事に出てきた種村佐孝大佐が作成したものであったが、その内容は『ソ連の言いなりに従え』という、とんでもないものであった。再び岡野論文を引用する。
「陸軍は本土決戦準備と沖縄戦で奔走する中、22日午後、参謀本部の新任次長、河辺虎四郎中将は、有末精三第二部長を伴って外相官邸に新任の東郷外相を訪問、対ソ仲介による和平工作を持ちかけ、渋る東郷を河辺は説得した。
『特使は大物中の大物・・・出来れば外相ご自身か近衛公・・・。大物が直接スターリンに会って、欲するものを欲するままに与えるという条件ならば動きます。一世一代の大工作に賛成して頂けませんか。ソ連への引き出物は書類にしてお目にかけます」
しばらくして参謀本部から、東郷外相に4月29日作成の『今後の対『ソ』施策に対する意見』と『対ソ外交交渉要綱』がもたらされた。作成したのは参謀本部第二十班(戦争指導班)班長、種村佐孝大佐だった。対ソ和平の意見書は、『ソ連と結ぶことによって中国本土から米英を駆逐して大戦を終結させるべきだ』という主張に貫かれていた。全面的に対ソ依存して、日ソ中(延安の共産党政府)が連合せよというのである。
対米戦争継続には『日ソ戦争を絶対に回避すべき』で、そのために、『ソ連側に確約せしむ条件は日「ソ」同盟なり』と主張、日本の対ソ交渉は『ソ連側の言い分を持ってこれに応ずるという態度』(ソ連の言いなりに従え)、ソ連が寝返ってソ連の干渉(仲介もしくは恫喝)で戦争終結が余儀なくされる場合には、『否応なしに仲介もしくは恫喝に従わざるをえない』と唱えた。ソ連に与える条件は、『ソ連の言いなり放題になって眼をつぶる』前提で、『満州や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて、日清戦争前の態勢に立ち返り、対英米戦争を完遂せよ』としている。
ソ連と日本列島との間にある北側の領土と日本の南側の台湾、沖縄までソ連に差し出せば、日本はソ連に包囲され、東欧が辿ったように共産政権によるソ連の衛星国になっただろう。沖縄まで献上するというのは、ヤルタ密約にさえない。
さらに『対ソ外交交渉要綱』は、『対米英戦争を完遂のため、ソ連と中国共産党に、すべてを引き渡せ』と述べている。米英の『世界侵略』の野望に対して、日・ソ・支三国が『善隣友好相互提携不侵略の原則の下に結合し、以て相互の繁栄を図る』ため、ソ連との交渉役として外相あるいは特使を派遣し、『乾坤一擲』を下せと進言している。支那との交渉相手は延安(共産党)政権として、同政権の拡大強化を計り、希望する地域から日本軍を撤退させ、必要ならば国民政府を解消せよとも主張。ソ連には、北支鉄道も満鉄も漁業条約も捨て、満州国も遼東半島も南樺太も割譲し南方占領地域の権益を譲渡せよと訴えていた。」
このような史料が教科書などに引用されていたら、終戦直後は参謀本部が共産主義者に主導権を握られていたことが誰でもわかる。
しかし、このような史実がもし国民に広く知られていてら、「日本だけが悪かった」という偏頗な歴史観が通用しなくなってしまうに決まっている。そうなっては困る勢力が国内外にいるからこそ、公教育やマスコミに圧力をかけて今も『自虐史観』を垂れ流し、日本人をいつまでも洗脳し続けようとするのだろう。
ソ連が参戦することが分かっていながら、『ポツダム宣言』が出た後もソ連の和平工作の回答を待ち続けようとしたわが国の不可解な動きは、ソ連軍にわが国土を存分に占領させるところまで戦争を終わらせたくなかった共産主義者たちが、この時期にわが国の主導権を握っていたことを知ってはじめて腑に落ちる話なのだ。
こういうことを書くと、「共産主義者が判明していると言っても、たった数名で主導権が握れるはずがない」などと考える人もいるだろう。
しかし、わが国の政治や外交に影響を与えるような参謀本部の重要なポストにこの様な人物が就いていたことは、その背後には相当数の共産主義者がいたと考えるのが自然だと思う。ほかにもソ連に忠誠を尽くそうとした幹部メンバーの固有名詞がわかっているのでついでに挙げておこう。
昭和29年(1954)に在日ソ連大使館の二等書記官という肩書を持つラストヴォロフKGB中佐が東京から米国に亡命した事件があった。(ラストヴォロフ事件)
彼はソ連の工作員で日本の共産化のための工作を行なっていたのだが、亡命先のアメリカで、36人の日本人エージェントを有していたと証言したことがマスコミに報じられ、エージェントのうち元関東軍第三方面軍情報参謀・志位正二少佐と元参謀本部作戦課参謀・朝枝繁春中佐が警視庁に自首したという。志位正二少佐という人物は現在の日本共産党委員長・志位和夫の叔父だという。
ラストヴォロフは米国で、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で、11名の厳格にチェックされた共産主義者の日本軍人を、共産革命のための工作員として養成したという証言もしているようだ。
その11名のうち氏名が判明しているのは、志位、朝枝のほかには、帰国後総合商社伊藤忠商事の会長や中曽根康弘総理のブレーンを務めた瀬島龍三、先ほどの対ソ和平仲介工作で名前の出てきた種村佐孝がいる。種村は帰国後、日本共産党員となっている。

『一億玉砕』と本土決戦を国民に呼びかけたことも種村や松谷が作成した「終戦構想」にあるようなのだが、こういう史実を追っていくと、われわれには重要な真実が戦後の長きにわたって封印されてきたことを知らざるを得ない。真の戦争犯罪人はソ連のスターリンではなかったか。

第56-57代の内閣総理大臣を務めた岸信介は、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文でこう記している。
「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うならば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない。

何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し、考えてみれば、本来この両者(右翼・左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当然、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制(筆者註:昭和25年)と酷似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる
…日本の共産化は実らなかったものの、国際共産主義の世界赤化戦略だけは、戦前から今日まで一貫して、間断なく続いていることを知らねばならない。…」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.319-320)
わが国が国益を考えて何か新しい動きをしようとすると、必ずマスコミが「軍国主義の足音が聞こえる」などと言うフレーズを繰り返し国民を思考停止に陥れてきたのだが、史実に照らして日本人が真に警戒すべきものは、「軍国主義の足音」ではなく「共産主義の足音」であると言いかえるべきなのではないのだろうか。
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さすがに昭和初期には軍の幹部にそのような人物は少なかったかもしれないが、終戦の頃には共産主義者が日本軍の枢要な地位を獲得していたようなのだ。
以前このブログで紹介したが、昨年8月11日の産経新聞に「昭和20年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として『日本政府が共産主義者達に降伏している』と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった」という記事が出た。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-214.html
この記事は、当時の日本政府の重要メンバーの多くがコミンテルンに汚染されており、日本の共産主義者たちが他国の共産党と連携しながらソ連に和平工作を仕掛けたということを、中国国民政府の陸軍武官が重慶(中国の臨時首都)に打電していたことを米国が傍受し、英国に最高機密情報として伝えたという内容なのだが、産経新聞はこの記事の中で、こう解説している。
「(鈴木貫太郎の)首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、(昭和20年)4月に国家再建策として作成した『終戦処理案』」では「『戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる』として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。」
という話や、
「同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案『今後の対ソ施策に対する意見』でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結 (2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる (3)ソ連、中共と同盟結ぶ――と書かれている。」
記事に出てくる松谷誠・陸軍大佐は、解説記事を読むだけで共産主義者であることが分かる。種村佐孝・陸軍大佐については後述するので、ここではこの人物は戦後に日本共産党に入党した人物であることだけを補足しておこう。
この記事に出てくる最高機密の電報がベルンから重慶に打たれた日付は1945年6月22日なのだが、この日にわが国でどのような出来事があったのか気になるところである。
この点についてはこの記事を書いた産経新聞編集委員の岡部伸氏が、『正論』平成25年10月号の「日本を赤化寸前まで追い込んだ『敗戦革命』工作」という論文に詳しく書かれている。次のURLに全文がある。
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikondaHaisenKakumei.html
「この電報がベルンから重慶に打たれた日付に注目していただきたい。1945年6月22日、東京では最高戦争指導者会議が開催され、鈴木貫太郎首相が4月から検討して来たソ連仲介和平案を国策として正式に決め、近衛文麿元首相を特使としてモスクワに派遣する計画が具体化した。奇妙にもソ連仲介案が正式決定したその日に、ベルンから『共産主義者たちに降伏した日本がソ連に助けを求めている』と報告しているのである。スイス・ベルンは日本から夏時間で7時間遅れの時差があることを差し引いても、国策が決まった直後に打電されていることには、アメリカの素早い情報のキャッチとともに驚くしかない。しかも中国は以前から『迷走』する日本の動きを正確に捉えていたのである。」
このように、わが国の最高戦争指導者会議における重要決定事項がその直後に中国に把握され、そのことを伝えた機密電文がアメリカに傍受され、英国にも伝えられているのである。わが国の機密が奪われていたのはゾルゲグループばかりではなかったのだ。当時のわが国は主要国に対してほとんど丸裸の状態になっていたと言って良い。
しかし、なぜソ連仲介和平案を国策として正式に決定したその日に、わが国の政権中枢が「共産主義に降伏している」と中国陸軍の武官が重慶に打電したのだろうか。そもそも、この機密電文の内容は信頼に値するものなのかとまず疑問に思うところだ。
大戦時に政府中枢の主導権を握っていたのは陸軍の統制派だと言われているが、岡部論文を読み進むとそのことを匂わせる文書が、英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAの中にあり、その内容の紹介とともに解説がなされている。しばらく岡部論文を引用する。
「…ヤルタ会談が終わった直後の45年2月14日にベルリン駐在ポーランド外交官が、ベルンの日本外交官談話として、ロンドンの亡命ポーランド政府に送った電報である。
『日本はドイツ敗戦後中立国との外交が一層重要になる。ソ連との関係がカードとして身を護る保険として重要になる。日本とソ連は結合してアングロサクソンに対抗、アジアの影響力と利害を分け合う関係に変わるかもしれない。日本の軍部では、いまだに、東京-ベルリン-モスクワで連携して解決する幻想を抱いている。ここでベルリンとは、共産党政府もしくはソ連に共感を抱く政府のことである』
軍部が、なお日独ソの連携に幻想を抱き、共産主義に共感を抱いているというのだ。アングロサクソンに対抗するためソ連と結合してアジアの利権を分け合うというのは実現性に乏しい白日夢だろう。ソ連はヤルタで対日参戦の密約を交わしている。ポーランド外交官が日本公使館員から聞いた情報として伝えているので、日本の外務当局が『軍部は共産主義に共感を抱き、ソ連に幻想を抱いている』と理解していたとも考えられる。中国の電報が指摘した日本政府の指導層とは、軍部とりわけ陸軍統制派であったに違いない。
ここまで来れば合点が行くことだろう。日本は早くからソ連が中立条約を破って参戦してくることを察知していた。1945年2月、クリミア半島ヤルタでソ連が対日参戦を正式に決めた密約を会談直後にストックホルムから陸軍武官、小野寺信少将が参謀本部に打電していた。さらに同3月に大島浩駐ドイツ大使が『ロシアが適当な時期に参戦する』と外務省に打電。5月以降は、ベルン海軍武官やリスボン陸軍武官らもソ連参戦を機密電報で報告している。6月22日の最高戦争指導会議でソ連仲介和平を決定する時点で、陸軍、海軍、外務省ともソ連参戦情報は掴んでいたのだ。にもかかわらずソ連が『最後は助けてくれる』『交渉で参戦阻止できる』と希望的観測を抱き、ソ連に擦り寄り、和平交渉を委ねたのである。この様な非論理的行動も、政府中枢にコミンテルンが浸透し、水面下でソ連と気脈を通じる人物がいたのなら理解出来よう。愚策ではなく、共産主義国家建設に向けた『敗戦革命』工作だったと解釈すれば筋が通るのだ。」
上記岡部論文のなかで、この年の4月に鈴木貫太郎内閣が成立しソ連に和平仲介を依頼するために、参謀本部が東郷外相を訪ねたことが記されている。その後に参謀本部が提出した、ソ連に仲介を依頼するに際して提出された意見書は、冒頭に紹介した産経新聞の記事に出てきた種村佐孝大佐が作成したものであったが、その内容は『ソ連の言いなりに従え』という、とんでもないものであった。再び岡野論文を引用する。
「陸軍は本土決戦準備と沖縄戦で奔走する中、22日午後、参謀本部の新任次長、河辺虎四郎中将は、有末精三第二部長を伴って外相官邸に新任の東郷外相を訪問、対ソ仲介による和平工作を持ちかけ、渋る東郷を河辺は説得した。
『特使は大物中の大物・・・出来れば外相ご自身か近衛公・・・。大物が直接スターリンに会って、欲するものを欲するままに与えるという条件ならば動きます。一世一代の大工作に賛成して頂けませんか。ソ連への引き出物は書類にしてお目にかけます」
しばらくして参謀本部から、東郷外相に4月29日作成の『今後の対『ソ』施策に対する意見』と『対ソ外交交渉要綱』がもたらされた。作成したのは参謀本部第二十班(戦争指導班)班長、種村佐孝大佐だった。対ソ和平の意見書は、『ソ連と結ぶことによって中国本土から米英を駆逐して大戦を終結させるべきだ』という主張に貫かれていた。全面的に対ソ依存して、日ソ中(延安の共産党政府)が連合せよというのである。
対米戦争継続には『日ソ戦争を絶対に回避すべき』で、そのために、『ソ連側に確約せしむ条件は日「ソ」同盟なり』と主張、日本の対ソ交渉は『ソ連側の言い分を持ってこれに応ずるという態度』(ソ連の言いなりに従え)、ソ連が寝返ってソ連の干渉(仲介もしくは恫喝)で戦争終結が余儀なくされる場合には、『否応なしに仲介もしくは恫喝に従わざるをえない』と唱えた。ソ連に与える条件は、『ソ連の言いなり放題になって眼をつぶる』前提で、『満州や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて、日清戦争前の態勢に立ち返り、対英米戦争を完遂せよ』としている。
ソ連と日本列島との間にある北側の領土と日本の南側の台湾、沖縄までソ連に差し出せば、日本はソ連に包囲され、東欧が辿ったように共産政権によるソ連の衛星国になっただろう。沖縄まで献上するというのは、ヤルタ密約にさえない。
さらに『対ソ外交交渉要綱』は、『対米英戦争を完遂のため、ソ連と中国共産党に、すべてを引き渡せ』と述べている。米英の『世界侵略』の野望に対して、日・ソ・支三国が『善隣友好相互提携不侵略の原則の下に結合し、以て相互の繁栄を図る』ため、ソ連との交渉役として外相あるいは特使を派遣し、『乾坤一擲』を下せと進言している。支那との交渉相手は延安(共産党)政権として、同政権の拡大強化を計り、希望する地域から日本軍を撤退させ、必要ならば国民政府を解消せよとも主張。ソ連には、北支鉄道も満鉄も漁業条約も捨て、満州国も遼東半島も南樺太も割譲し南方占領地域の権益を譲渡せよと訴えていた。」
このような史料が教科書などに引用されていたら、終戦直後は参謀本部が共産主義者に主導権を握られていたことが誰でもわかる。
しかし、このような史実がもし国民に広く知られていてら、「日本だけが悪かった」という偏頗な歴史観が通用しなくなってしまうに決まっている。そうなっては困る勢力が国内外にいるからこそ、公教育やマスコミに圧力をかけて今も『自虐史観』を垂れ流し、日本人をいつまでも洗脳し続けようとするのだろう。
ソ連が参戦することが分かっていながら、『ポツダム宣言』が出た後もソ連の和平工作の回答を待ち続けようとしたわが国の不可解な動きは、ソ連軍にわが国土を存分に占領させるところまで戦争を終わらせたくなかった共産主義者たちが、この時期にわが国の主導権を握っていたことを知ってはじめて腑に落ちる話なのだ。
こういうことを書くと、「共産主義者が判明していると言っても、たった数名で主導権が握れるはずがない」などと考える人もいるだろう。
しかし、わが国の政治や外交に影響を与えるような参謀本部の重要なポストにこの様な人物が就いていたことは、その背後には相当数の共産主義者がいたと考えるのが自然だと思う。ほかにもソ連に忠誠を尽くそうとした幹部メンバーの固有名詞がわかっているのでついでに挙げておこう。
昭和29年(1954)に在日ソ連大使館の二等書記官という肩書を持つラストヴォロフKGB中佐が東京から米国に亡命した事件があった。(ラストヴォロフ事件)
彼はソ連の工作員で日本の共産化のための工作を行なっていたのだが、亡命先のアメリカで、36人の日本人エージェントを有していたと証言したことがマスコミに報じられ、エージェントのうち元関東軍第三方面軍情報参謀・志位正二少佐と元参謀本部作戦課参謀・朝枝繁春中佐が警視庁に自首したという。志位正二少佐という人物は現在の日本共産党委員長・志位和夫の叔父だという。
ラストヴォロフは米国で、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で、11名の厳格にチェックされた共産主義者の日本軍人を、共産革命のための工作員として養成したという証言もしているようだ。
その11名のうち氏名が判明しているのは、志位、朝枝のほかには、帰国後総合商社伊藤忠商事の会長や中曽根康弘総理のブレーンを務めた瀬島龍三、先ほどの対ソ和平仲介工作で名前の出てきた種村佐孝がいる。種村は帰国後、日本共産党員となっている。
『一億玉砕』と本土決戦を国民に呼びかけたことも種村や松谷が作成した「終戦構想」にあるようなのだが、こういう史実を追っていくと、われわれには重要な真実が戦後の長きにわたって封印されてきたことを知らざるを得ない。真の戦争犯罪人はソ連のスターリンではなかったか。
第56-57代の内閣総理大臣を務めた岸信介は、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文でこう記している。
「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うならば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない。
何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し、考えてみれば、本来この両者(右翼・左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当然、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制(筆者註:昭和25年)と酷似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる
…日本の共産化は実らなかったものの、国際共産主義の世界赤化戦略だけは、戦前から今日まで一貫して、間断なく続いていることを知らねばならない。…」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.319-320)
わが国が国益を考えて何か新しい動きをしようとすると、必ずマスコミが「軍国主義の足音が聞こえる」などと言うフレーズを繰り返し国民を思考停止に陥れてきたのだが、史実に照らして日本人が真に警戒すべきものは、「軍国主義の足音」ではなく「共産主義の足音」であると言いかえるべきなのではないのだろうか。
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- 戦勝国による「歴史の書き替え」が始まった (08/14)
Comment
知らないことだらけ…。
ここまで、ソ連からの共産主義が、軍部の中枢まで食い込んでいたなんて、まったく知りませんでした。
2・26事件で、青年将校らが反乱(内乱)を起こしますが、彼らの貧しい部下たちをどうにか“助けたい”などという(これは小さい理由でしょうが…。本来なら国家をどうにかいい方向にしたい。)気持ち(このままではいけない。)は、共産主義的な考え方と、わずかながら似ているような気がします。
…飛躍しすぎでしょうか。
それにしても、終戦に向けて、これだけ軍部のみならず、国務も混乱していたのですね。
2・26事件で、青年将校らが反乱(内乱)を起こしますが、彼らの貧しい部下たちをどうにか“助けたい”などという(これは小さい理由でしょうが…。本来なら国家をどうにかいい方向にしたい。)気持ち(このままではいけない。)は、共産主義的な考え方と、わずかながら似ているような気がします。
…飛躍しすぎでしょうか。
それにしても、終戦に向けて、これだけ軍部のみならず、国務も混乱していたのですね。
No title
しばやんへ
まるで打ち合わせをしていたようにタイミングのよい記事が掲載されたので、早速一番上の拙記事にリンクさせていただきました。
ーしかし、このような史実がもし国民に広く知られていてら、「日本だけが悪かった」という偏頗な歴史観が通用しなくなってしまうに決まっている。そうなっては困る勢力が国内外にいるからこそ、公教育やマスコミに圧力をかけて今も『自虐史観』を垂れ流し、日本人をいつまでも洗脳し続けようとするのだろう。ー
太字部分まったく同感です。しばやんにもコメントをいただいたこの記事の内容に関してですが
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-527.html
どうやら「WILL」の腰が砕けて、継続記事は無断不掲載の処分を受けたようです。なんということでしょうね。
・・・・・・・・・・
貴文章中にあるこの一行、-この年の4月に鈴木貫太郎内閣が成立しソ連に和平仲介を依頼するために..ー今回は「鈴木貫太郎内閣は本来ソ連との和平仲介を依頼するための内閣であったこと」ここは重要だと思います。もちろん今回の記事全部重要ですが、ちょっとクリップをはさんでおいていただきたいところです。
まるで打ち合わせをしていたようにタイミングのよい記事が掲載されたので、早速一番上の拙記事にリンクさせていただきました。
ーしかし、このような史実がもし国民に広く知られていてら、「日本だけが悪かった」という偏頗な歴史観が通用しなくなってしまうに決まっている。そうなっては困る勢力が国内外にいるからこそ、公教育やマスコミに圧力をかけて今も『自虐史観』を垂れ流し、日本人をいつまでも洗脳し続けようとするのだろう。ー
太字部分まったく同感です。しばやんにもコメントをいただいたこの記事の内容に関してですが
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-527.html
どうやら「WILL」の腰が砕けて、継続記事は無断不掲載の処分を受けたようです。なんということでしょうね。
・・・・・・・・・・
貴文章中にあるこの一行、-この年の4月に鈴木貫太郎内閣が成立しソ連に和平仲介を依頼するために..ー今回は「鈴木貫太郎内閣は本来ソ連との和平仲介を依頼するための内閣であったこと」ここは重要だと思います。もちろん今回の記事全部重要ですが、ちょっとクリップをはさんでおいていただきたいところです。
Re: 知らないことだらけ…。
鹿児島のタクさん、コメントありがとうございます。
教科書にも書かれていないし、マスコミでも伝えないことは、知らなくて当たり前なので気にすることはないですが、軍隊全員が共産主義者であったわけではなかったと思います。
上官の命令に従っただけの兵士が大半だったかもしれません。しかし上官の命令は絶対ですから、そむくことができないのが軍隊の世界です。その、軍隊の幹部クラスに共産主義者がかなりいたことが問題ですね。
その時代に、若い世代が共産主義に惹かれた背景はそれなりにあったのでしょう。タクさんの感想は間違っていないと思いますよ。
教科書にも書かれていないし、マスコミでも伝えないことは、知らなくて当たり前なので気にすることはないですが、軍隊全員が共産主義者であったわけではなかったと思います。
上官の命令に従っただけの兵士が大半だったかもしれません。しかし上官の命令は絶対ですから、そむくことができないのが軍隊の世界です。その、軍隊の幹部クラスに共産主義者がかなりいたことが問題ですね。
その時代に、若い世代が共産主義に惹かれた背景はそれなりにあったのでしょう。タクさんの感想は間違っていないと思いますよ。
Re: No title
Bruxelles さん、コメントありがとうございます。
また、貴ブログにリンクしていただき、感謝です。
この時代は、最近興味を覚えたばかりなので、まだわずかの史料しか読んでいませんが、探せばまだまだいろんなモノが出てきそうですね。
Bruxelles さんののように英文の資料を読みこなせればいいのですが、さすがに60歳にもなると、辞書を引いて英語を勉強する気がしません。ひたすら自分の感性を信じて、確実な事実を拾いながら何があったかを推理する方法で、自分が今まで納得できなかった歴史叙述を自分で納得できるようにしたいという思いで書いています。
しかし、Bruxelles さんと、同じ問題意識で同じ時代のことを書いているということは、真実はやはりこの辺りにあるのかもしれませんね。
私もWILLを買いましたが残念でした。日本人の歴史観を変えさせたくないのは、中韓だけでなく、アメリカもそうなのでしょうね。
また、貴ブログにリンクしていただき、感謝です。
この時代は、最近興味を覚えたばかりなので、まだわずかの史料しか読んでいませんが、探せばまだまだいろんなモノが出てきそうですね。
Bruxelles さんののように英文の資料を読みこなせればいいのですが、さすがに60歳にもなると、辞書を引いて英語を勉強する気がしません。ひたすら自分の感性を信じて、確実な事実を拾いながら何があったかを推理する方法で、自分が今まで納得できなかった歴史叙述を自分で納得できるようにしたいという思いで書いています。
しかし、Bruxelles さんと、同じ問題意識で同じ時代のことを書いているということは、真実はやはりこの辺りにあるのかもしれませんね。
私もWILLを買いましたが残念でした。日本人の歴史観を変えさせたくないのは、中韓だけでなく、アメリカもそうなのでしょうね。
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近代国家における軍人は社会主義に親和性が高いかも知れません
しばやんさんのブログはいつも精緻な資料蒐集と分析で大変勉強になります。今回のシリーズも大変興味深い内容でためになりました。以前日本が本来信用できないソ連に終戦工作を頼ろうとしていたのか不思議に思った事をコメントさせていただきましたが、逆に取り込まれていた部分もあると解ると合点がゆくところがあります。
いつの時代もどこの国でも、国際関係の仕事をしている人達は自分の得意とする国や地域があるもので、その人がその地域や国を詳しいからといって他国のために働く(魂を売る)という訳ではないだろうとは思います。知日派と言われる外国人達が全員日本のために自国の国益を損ねてまで働くとはとても思えません。だから現在の外務省職員にしても当時の軍人にしても自分の専門とする国とは良好な関係を築いて自分の地位を高いものにしたいという我欲はあるでしょうが、他国の国益のために国を売る事まではしないのではと思います。そこに騙し、騙されの複雑なやりとりが絡むと一層外から判断することが難しいものになるだろうと思います。
さて、戦前の純粋な気持ちを持った日本の軍人達は当時の若者達が社会主義思想に傾倒したように我欲にまみれた資本主義よりも社会主義的な思想に親和性があったことは容易に推察されます。元々裕福なお坊ちゃんが軍人になる事は少なく、比較的貧しい田舎出の優秀な次男坊三男坊が兵学校などに進んでいったのだろうと思います。その点学徒出陣で兵役を免れていた大学生達とは少し違っていたのではと思います。
中世における戦争は領主達(貴族)が領民を率いて或は兵隊を雇って略奪のために戦争を行ったのであり、植民地争奪戦なども結果的には国の利益よりも自分の利益に直結するから戦争をしてきたものと考えられます。つまり軍人は資本家的な思考をしていたはずです。現在の中国解放軍も次第に革命前の軍閥のようになりつつあるようで、金と権力が結びついた構造になりつつある点で既に中国は中世に戻りつつあるのではないかと考えます。本来近代国家における軍人は戦争によって自分が豊かになる事はなく、あくまで国益が追求されるのみであり、自分が戦うことによって国民が幸せになる、と言う代償しかない点で非常に社会主義的な精神を強いられ、それを受け入れていると言えるでしょう。それは自由主義国家(西側)社会主義国家(東側)を問わず共通の事でした。だから一個人として軍人同士が話をすると体制によらず結構価値観が似ていて気が合うということがありました。
ところが、グローバル社会になって、米国が「テロとの戦争」を始めて見ると、軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている。むしろ中世の貴族や資産家が傭兵を雇って自分達の取り分を増やすために戦争をしている姿に戻りつつあると考えるほうが理解しやすく、米国でもブラックウオーターなどの傭兵企業が大きな役割を担うようになっています。
長いコメントで恐縮ですが、しばやんさんの渾身のブログを拝見してそのような感慨を持ちました。中国は国内の人民解放軍が中世の軍閥化しつつある事を危ぶんで国民国家型の軍(党の軍ではなく)に変換しようと試みているように見えます。強力な軍を背景にした国家資本主義が中国の目指す「21世紀生き残り戦略」のように見えますが、そのとばっちりを日本があびないようにうまく振る舞って行く必要があると思います。
いつの時代もどこの国でも、国際関係の仕事をしている人達は自分の得意とする国や地域があるもので、その人がその地域や国を詳しいからといって他国のために働く(魂を売る)という訳ではないだろうとは思います。知日派と言われる外国人達が全員日本のために自国の国益を損ねてまで働くとはとても思えません。だから現在の外務省職員にしても当時の軍人にしても自分の専門とする国とは良好な関係を築いて自分の地位を高いものにしたいという我欲はあるでしょうが、他国の国益のために国を売る事まではしないのではと思います。そこに騙し、騙されの複雑なやりとりが絡むと一層外から判断することが難しいものになるだろうと思います。
さて、戦前の純粋な気持ちを持った日本の軍人達は当時の若者達が社会主義思想に傾倒したように我欲にまみれた資本主義よりも社会主義的な思想に親和性があったことは容易に推察されます。元々裕福なお坊ちゃんが軍人になる事は少なく、比較的貧しい田舎出の優秀な次男坊三男坊が兵学校などに進んでいったのだろうと思います。その点学徒出陣で兵役を免れていた大学生達とは少し違っていたのではと思います。
中世における戦争は領主達(貴族)が領民を率いて或は兵隊を雇って略奪のために戦争を行ったのであり、植民地争奪戦なども結果的には国の利益よりも自分の利益に直結するから戦争をしてきたものと考えられます。つまり軍人は資本家的な思考をしていたはずです。現在の中国解放軍も次第に革命前の軍閥のようになりつつあるようで、金と権力が結びついた構造になりつつある点で既に中国は中世に戻りつつあるのではないかと考えます。本来近代国家における軍人は戦争によって自分が豊かになる事はなく、あくまで国益が追求されるのみであり、自分が戦うことによって国民が幸せになる、と言う代償しかない点で非常に社会主義的な精神を強いられ、それを受け入れていると言えるでしょう。それは自由主義国家(西側)社会主義国家(東側)を問わず共通の事でした。だから一個人として軍人同士が話をすると体制によらず結構価値観が似ていて気が合うということがありました。
ところが、グローバル社会になって、米国が「テロとの戦争」を始めて見ると、軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている。むしろ中世の貴族や資産家が傭兵を雇って自分達の取り分を増やすために戦争をしている姿に戻りつつあると考えるほうが理解しやすく、米国でもブラックウオーターなどの傭兵企業が大きな役割を担うようになっています。
長いコメントで恐縮ですが、しばやんさんの渾身のブログを拝見してそのような感慨を持ちました。中国は国内の人民解放軍が中世の軍閥化しつつある事を危ぶんで国民国家型の軍(党の軍ではなく)に変換しようと試みているように見えます。強力な軍を背景にした国家資本主義が中国の目指す「21世紀生き残り戦略」のように見えますが、そのとばっちりを日本があびないようにうまく振る舞って行く必要があると思います。
Re: 近代国家における軍人は社会主義に親和性が高いかも知れません
rakitarouさん、素晴らしいコメントを頂き感謝です。
rakitarouさんも書いておられますが、私も長い間「日本が本来信用できないソ連に終戦工作を頼ろうとしていたのか」が疑問でした。しかもヤルタ会談が終わり、ポツダム会談で『ポツダム宣言』が出て、ソ連が近いうちに対日参戦をすることがわかっていながら、我が国はまだソ連に期待していたということが到底納得できませんでした。
自分なりにいろんな本を読みましたが、数年前に読んだ三田村武夫氏の「大東亜戦争とスターリンの謀略」は衝撃的でした。以降、中川八洋氏の著作や当時の新聞の記事などを読んだりしているうちに、軍部にもソ連の工作が進んでいたことを今では確信しています。
rakitarouさんの戦争観は勉強になります。わかりやすく短い言葉で戦争の本質を衝いていますね。
特にグローバル社会になると、「軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている」というご指摘は、鋭いものがあります。
rakitarouさんのブログは面白そうなので、これから時々訪問させていただきますよ。
rakitarouさんも書いておられますが、私も長い間「日本が本来信用できないソ連に終戦工作を頼ろうとしていたのか」が疑問でした。しかもヤルタ会談が終わり、ポツダム会談で『ポツダム宣言』が出て、ソ連が近いうちに対日参戦をすることがわかっていながら、我が国はまだソ連に期待していたということが到底納得できませんでした。
自分なりにいろんな本を読みましたが、数年前に読んだ三田村武夫氏の「大東亜戦争とスターリンの謀略」は衝撃的でした。以降、中川八洋氏の著作や当時の新聞の記事などを読んだりしているうちに、軍部にもソ連の工作が進んでいたことを今では確信しています。
rakitarouさんの戦争観は勉強になります。わかりやすく短い言葉で戦争の本質を衝いていますね。
特にグローバル社会になると、「軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている」というご指摘は、鋭いものがあります。
rakitarouさんのブログは面白そうなので、これから時々訪問させていただきますよ。
アメリカ“帝国主義”
しばやんさんへ
最近、TVで映画監督のオリバー・ストーンズが制作した「もう一つのアメリカ史」とかいう番組を視聴しました。
…ソ連、共産主義のテーマから離れてすみません。
それにしても、わが国は現在では最大の同盟国はアメリカ合衆国ですが…。かの国も、第2次世界大戦(太平洋戦争と言った方がよいのでしょうか。日中戦争…?)…酷いですね。その後も酷いですが…。偉大で、恐ろしくて、怖い国だなあと感想をもちました。
真珠湾攻撃にしても、アメリカは事前にそれを知っていて、宣戦布告するために奇襲させたという話はよく出てきますが、ルーズベルト大統領は…。その後のトルーマン大統領なんて、酷いなあと感じることでした。
残念ながら「勝てば官軍」なんだなあと感じることでした。
最近、TVで映画監督のオリバー・ストーンズが制作した「もう一つのアメリカ史」とかいう番組を視聴しました。
…ソ連、共産主義のテーマから離れてすみません。
それにしても、わが国は現在では最大の同盟国はアメリカ合衆国ですが…。かの国も、第2次世界大戦(太平洋戦争と言った方がよいのでしょうか。日中戦争…?)…酷いですね。その後も酷いですが…。偉大で、恐ろしくて、怖い国だなあと感想をもちました。
真珠湾攻撃にしても、アメリカは事前にそれを知っていて、宣戦布告するために奇襲させたという話はよく出てきますが、ルーズベルト大統領は…。その後のトルーマン大統領なんて、酷いなあと感じることでした。
残念ながら「勝てば官軍」なんだなあと感じることでした。
Re: アメリカ“帝国主義”
鹿児島のタクさん、コメントありがとうございます。
「勝てば官軍」という言葉は昔から知っていたものの、いつの時代もどこの国でも勝者が歴史叙述を都合よく編集していることに私自身が気が付くのに、ずいぶん時間がかかりました。
いつの時代もどの国も「為政者にとって都合の良い歴史」が編集されて公教育やマスコミで広められ、「為政者にとって都合の悪い史実」が伏せられて人々の記憶から消えていきます。
そうして、人々は「キレイ事の歴史」に洗脳されて「為政者にとって都合の良い国民」が作られます。
戦後のわが国に広められた歴史は、つまるところ「戦勝国にとって都合の良い歴史」なのだと考えています。
「勝てば官軍」という言葉は昔から知っていたものの、いつの時代もどこの国でも勝者が歴史叙述を都合よく編集していることに私自身が気が付くのに、ずいぶん時間がかかりました。
いつの時代もどの国も「為政者にとって都合の良い歴史」が編集されて公教育やマスコミで広められ、「為政者にとって都合の悪い史実」が伏せられて人々の記憶から消えていきます。
そうして、人々は「キレイ事の歴史」に洗脳されて「為政者にとって都合の良い国民」が作られます。
戦後のわが国に広められた歴史は、つまるところ「戦勝国にとって都合の良い歴史」なのだと考えています。
No title
真珠湾に行き 日本人の団体客は、多いんですけど日本人で個人で観光してる人は、今でも少なく昭和30年代に真珠湾に行くと 「ジャップ」とアメリカ人から言われ二度と行かないと言ってました。
真珠湾攻撃もアメリカからの戦争への誘導だったとは、聞いたことがあります。
私もハワイに行くことがあり 見聞を広めるために見学してアメリカに有利なガイドの説明で日本が相当な悪い印象でした。
ハワイ在住の人は、自動車の免許証を提示すると真珠湾の施設は、全部半額になります。
真珠湾攻撃もアメリカからの戦争への誘導だったとは、聞いたことがあります。
私もハワイに行くことがあり 見聞を広めるために見学してアメリカに有利なガイドの説明で日本が相当な悪い印象でした。
ハワイ在住の人は、自動車の免許証を提示すると真珠湾の施設は、全部半額になります。
Re: No title
アメリカはアメリカ人にとって都合の良い歴史を国民に押し付けているので、そういうもののだと思います。
他国にとって都合の良い歴史を押し付けられて、未だにその歴史を信奉している国民は日本人ぐらいではないでしょうか。
他国にとって都合の良い歴史を押し付けられて、未だにその歴史を信奉している国民は日本人ぐらいではないでしょうか。
種村佐孝
はじめまして。
大変面白いブログで、勉強させて頂いております。
種村佐孝について今調べている京都の大学院生です。
種村が戦後、日本共産党員となった、とありますが、
このことについて何か典拠や資料などはありますでしょうか。
もし何か御存じであれば、ご教授頂ければ幸いです。
大変面白いブログで、勉強させて頂いております。
種村佐孝について今調べている京都の大学院生です。
種村が戦後、日本共産党員となった、とありますが、
このことについて何か典拠や資料などはありますでしょうか。
もし何か御存じであれば、ご教授頂ければ幸いです。
Re: 種村佐孝
コメントありがとうございます。
Wikipediaには共産党員になったことが書かれていませんが、例えば産経新聞編集委員の岡部伸氏の論文では、こう書かれています。
「ラストヴォロフの米国での証言は、「(抑留中に)十一名の厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」として志位、朝枝の他に瀬島、種村の名前を挙げている。共産革命のための、これら日本人トップ工作要員に対する訓練は、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で実施された。種村は帰国後、日本共産党員になっている。」
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikondaHaisenKakumei.html
Wikipediaには共産党員になったことが書かれていませんが、例えば産経新聞編集委員の岡部伸氏の論文では、こう書かれています。
「ラストヴォロフの米国での証言は、「(抑留中に)十一名の厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」として志位、朝枝の他に瀬島、種村の名前を挙げている。共産革命のための、これら日本人トップ工作要員に対する訓練は、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で実施された。種村は帰国後、日本共産党員になっている。」
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikondaHaisenKakumei.html
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プロフィール
Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
5年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。
***********************
コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。
また、お叱りや反論もお受けしますが、一方的に批難するだけのものや不適切と思われるコメントなども管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
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