(2015年5月25日更新)
フランスから帰国して、テレビの映画番組に携わりはじめた松崎さん。そこから仕事が広がり、次に関わったのは、映画の吹替翻訳をテーマにしたバラエティ番組でした。その頃、松崎さんは20代後半。ここまで映画にはどっぷりつかりつつも、映像翻訳に関してはほとんど無関心だったのですが、ここから一気に吹替翻訳、そして字幕翻訳の世界へと足を踏み入れることになっていきます。翻訳の勉強をまったくしてこなかったことを逆手にとって、自分の翻訳者としての武器としていきます。果たして、その方法とは?
選ばれる翻訳者になるには、自分にしか作れない訳文を紡ぎ出すこと
――テレビの映画番組の制作に携わり、吹替翻訳をテーマにしたバラエティ番組に関わり、いよいよ映像翻訳に近づいてきましたね。
そうですね。お待たせしました(笑)、このあたりからようやく本格的に翻訳の話になるのですが、テレビ番組の仕事を続けているうちに『ゴールデン洋画劇場』の吹替翻訳をやってみないかと声をかけていただいたんです。翻訳者の方がご高齢で勇退されることになり、代わりの翻訳者を探しているとのことでした。
当時のテレビの洋画放送は、元の台本と違ってもいいから、とにかく面白くしろという方向性だったんです。今なら誤訳と言われるかもしれません。それくらい違っていてもOKで、声優さんもアドリブを入れたりしていました。厳密に正しく翻訳しなくてもいい、だったら自分で台本書いて映画撮っているような若い者にやらせたほうが面白いんじゃないか、という判断で僕に白羽の矢が立ったようでした。
翻訳の勉強は一切していなかったので、まず何をどうすればいいかがわかりません。吹替の場合、日本語版台本に仕上げなければいけないので、その書き方を大まかに教えてもらい、参考にこれまでの台本を何冊かもらって、見よう見まねでやりました。
そもそも僕は、洋画は字幕で観る主義だったので、吹替ものをほとんど観たことがありませんでした。でも、逆にそれがよかったのかもしれません。「普通はこう訳す」という既成概念がなかったので、いままでの翻訳者が使わないような言葉づかいで訳す結果になり、それが「面白い。もっとやらせてみよう」ということになったようでした。最初は2カ月に1本くらいだったのが、徐々に増えてきて、最終的には僕ともう1人の翻訳者と交互に、2週間に1本の割合で訳すようになっていました。
――その後は吹替だけではなく、字幕も手掛けていらっしゃいますね。
吹替翻訳を始めてしばらくして、テレビ局のプロデューサーが映画会社に僕を紹介してくれたんです。それが1990年代中頃で、劇場で吹替版が少しずつ上映され始めた頃だったんです。最初に仕事をいただいたのはビデオの作品でしたが、それから少しずつ劇場の吹替版をやらせてもらうようになり、そのうち字幕も依頼されるようになりました。はっきりとは覚えていませんが、劇場公開作品で吹替版と字幕版の両方をつくるとき、1人の翻訳者に両方やらせれば統一がとれるから、といった理由だったような記憶があります。両方やらせてもらっているうちに、今度は字幕だけの依頼というケースも出てきて、今ではどちらの依頼も半々くらいになりました。
――字幕は吹替とはまた違った難しさがあるかと思いますが。
字幕のほうは文字数が限られてくるので、吹替だと全部入れられる意味が、字幕だとなかなか入れられません。僕も最初の頃は言っていることを全部入れようとしすぎて、まとまりがつかなくなることがありました。字幕はいかに省略するかが勝負です。何とか工夫をしていますが、未だにコツをつかみきっていないような気がします。何年やっても悩み続けるのではないかと思いますね。
ただ、字幕のほうも吹替と同じで、他の人の作品を見て参考にしようという気にはなりませんでした。むしろ、今まで見てきた映画の字幕と違うものをつくりたいという思いがありますね。例えば、“間違いだと思う”を“間違いだと”とするように、字幕では字数制限があるゆえに、文章の最後の動詞まで言わずに省略してしまうことがあります。確かに多くの翻訳者はこうしているけど、僕はちゃんとした文章にしたい。できないかなぁ、と工夫をしたことはあります。でも、頑張りすぎると、いわゆる「吹替っぽい字幕」になってしまうこともあるので、そこは難しいですね。
――吹替も字幕も、訪れたチャンスを次々とものにしていった松崎さんですが、その秘訣はなんでしょうか?
秘訣と言えるかどうかわかりませんが、学生時代のバイトも含めて、どの仕事でも常に自分には何が求められているかを考えながら仕事をしてきました。
例えば、映像翻訳という仕事で、僕が最初に認めてもらえたのは「他の翻訳者とは違うセリフ」を書いたからです。そのことをずっと意識していました。
ある映画会社の制作担当者に気に入られるきっかけになったセリフがあります。英語で“Dickhead”、辞書を引いていただくとわかりますが、まあ「ばか」「マヌケ」くらいの訳をつけるのが無難でしょう。そこを僕はあえて直訳調で、小学生の男の子が喜んで叫びそうな言葉にしたんです。そしたら「こんな日本語を使うヤツがいるんだ」と面白がられて、以来もう十年以上ずっと仕事をさせていただいています。
もちろん、ただ突飛な訳を書けばいいということではありません。かなりのドタバタコメディだったので、その作品の色づけを強く出したいという狙いがあってのことで、それが運よく成功したわけですが、翻訳者として選ばれるためには、時にはそのようなチャレンジも必要ではないかと思います。
――また、フランス語の映像翻訳もなさっているそうですね。英語の翻訳との違いはありますか?
これは、お付き合いのあるクライアントから、フランス語もできるならと依頼が来ることがある、といった程度で、そもそもフランス語の映画は数が少なく、専門の翻訳者の方もいらっしゃるので、年に1本あるかないかくらいです。
本当かどうか定かではありませんが、聞いた話ではフランス語は世界最速の言語だそうです。確かにフランス人って早口ですよね。だから同じ秒数のセリフでも、英語よりフランス語のほうが情報が多く入っている。それで、訳すべき日本語は、フランス語と反対でおっとりとした言語ですから、限られた文字数でどう表現しようか、英語以上に苦しみますね。
チャンスを逃さないよう、何にでも興味を持つことが大事
――これまで手掛けた作品の中で、印象に残っているものがあったら教えてください。
今までにいちばん苦労したのが、『メン・イン・ブラック』の劇場版吹替の翻訳です。アメリカから、セリフのディレクターという方が、監督と脚本家の意向をすべて背負って日本にやってきたんです。僕が訳したセリフ一つ一つについて、「ここはどう訳したのか」とチェックが入るのですが、その方は日本語ができないので、僕はその質問に対して英語で説明しなければならないわけです。それで、その説明に対して「このセリフにはこういう意味が込められているから、それを盛り込んだ訳に直せ」などと細かくダメ出しされるんです。2時間弱のセリフについて、3日間くらいやり取りをして、それでも終わらずに収録スタジオの隣で、今まさに収録しているセリフについて説明を求められたりしました。
――『メン・イン・ブラック』は続編もありましたが、毎回それだけチェックが入ったのですか?
『1』のときに、僕がある程度注文に応えられたので満足してくれたようで、『2』『3』ではそこまで厳しくはなかったです。ただ電話会議で5時間くらいやり取りをしたり、自宅に直接電話がかかってきて説明を求められたり、ということはありました。
――字幕版のほうで印象に残っている作品はありますか?
『トランスフォーマー』シリーズの劇場字幕版を担当したのですが、海賊版対策のために公開ギリギリまで画像を見せてもらえなくて、スクリプトだけを頼りに翻訳せざるを得ない、ということがありました。長いセリフよりもむしろ、短いセリフのほうがこういうときは難しいですね。どうやらロボットが暴れていて、人間が逃げていると思われる場面で“Come on! Come on!”というセリフがあったんです。それが「逃げるぞ」なのか、「こっちに来い」なのか、はたまた「やっちまえ」なのか、何通りも選択肢がありすぎて、画がなければ判断できない。結局、公開直前まで画像が届かず、確認することができませんでした。
――それでは最後に、映像翻訳家を目指して学習中の方にメッセージをお願いします。
翻訳者を目指している方は、おそらく語学が好きで、ある程度得意な方でしょうから、外国語の勉強に関しては、特にアドバイスすることはないと思います。問題は、日本語能力のほうではないでしょうか。僕はもともと本を読むのも好きで、国語も得意だったので、日本語能力はそこそこあると思っていたのですが、やはり翻訳を始めてからは、うまく訳せないことがあり、もっと意識して勉強しなければと今でも思っています。
例えば、映画の中にニュースのシーンがあって、経済の専門家が株式市場について話しているとします。そんなとき、専門家はどんな用語を使い、どのような言い回しをするのか。僕は経済に強くないので、意識して経済新聞の記事を読むようにしています。それから、落語を聞きに行ったり、歌舞伎を見に行ったり。こちらは思いのほか楽しくて、今では趣味として定着しています。
それから江戸文学が好きで、けっこう読むのですが、その江戸言葉の言い回しが、西部劇のセリフで使えたりします。まったく知らない世界だと言葉も全然出てきませんが、少しでも馴染みがあれば、ちょっと調べればわかると思いますので、何にでも興味を持って、特に自分があまり足を踏み入れたことのない世界に興味を持って知見を拡げることが大事です。チャンスが訪れたときに、それを逃さないためにも、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
編集後記
巡ってきたチャンスについて、松崎さんは「何かを求めている人の近くにたまたま僕がいた。運がよかっただけです」とおっしゃっていましたが、映画を年間1000本見たり、フランス語をマスターしたり、といった積み重ねがあったからこそチャンスをものにすることができたわけで、やはり努力の賜なんだと思いました。ここ一番のタイミングに備えて、皆さんはどんな努力をしていますか?
松崎広幸(まつざき ひろゆき)
1963年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。子どもの頃から映画が好きで、映画監督を目指した時期もあったが断念し、フランス遊学を経て、テレビの映画番組制作の仕事に就く。その後、テレビ放送用の洋画の吹替翻訳を始め、やがて劇場公開映画の吹替翻訳、字幕翻訳を手がけるようになる。2000年頃から劇場映画翻訳の仕事に絞り、現在に至る。主な作品は、『パシフィック・リム』(吹替・字幕)、『スパイダーマン』『メン・イン・ブラック』(吹替)、『トランスフォーマー』『ソーシャル・ネットワーク』(字幕)など。
<最新情報>
キアヌ・リーブス主演
2015年10月劇場公開
『ジョン・ウィック』(字幕)
<翻訳作品>