職業野球人〜大沢啓二/第1章
4・尾張メモ
計算されたファインプレーが「尾張メモ」の存在をクローズアップさせたとする大沢氏
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続く25日の第2戦。巨人は必勝を期して肩の痛みが残る藤田、南海はこの年わずか2勝だが、度胸のいい右腕・田沢芳夫が先発。巨人は初回、4番・長嶋の先制2ランでリードしたが、田沢の後を受けた三浦清弘が2回途中から好投。4回裏に4点を入れて逆転すると、鶴岡監督は迷わず5回から杉浦を投入した。
杉浦の右手中指はマメがつぶれ、血が噴き出していた。球威、制球とも普段より劣る杉浦は3点リードの8回表、二死一、二塁で打者・国松彰を迎えた。一打出れば、流れが変わる場面で、打球は第1戦の長嶋とは逆に左中間へ。7回から中堅に入っていた大沢が今度はあらかじめ左翼寄りに守備位置を変えて、これを好捕。息を吹き返した杉浦は最終回、王貞治、森昌彦、藤尾茂を3者連続三振。6−3で逃げ切り、対戦成績2勝0敗で次の後楽園決戦に弾みをつけた。
大沢の大胆な守備位置に代表される、南海の堅いディフェンスの裏にはスコアラーの草分け的存在、尾張久次が対戦相手を克明に分析した「尾張メモ」の存在があると当時言われていた――
大沢「国松の大飛球はフェンスすれすれでランニングキャッチよ。第1戦の長嶋の打球より伸びたし、あれが抜かれたら試合は分からなくなっていたぜ。これも杉浦の真っ直ぐを国松は引っ張りきれないと読んで、左寄りに守っていたから捕れたのよ」
「よく、尾張さんのメモがこのシリーズで武器になったとか、取り上げられるが、実際にはどうだったかな。逆に尾張さんを有名にした一因はあのシリーズでの南海の守備だったと言えるんじゃないかな。尾張さんはチームのためにと一生懸命データを集めてくれた。その努力は頭が下がるが、オレに限って言えば、正直言って、尾張メモの存在はそんなに影響がなかった」
「第4戦が雨で中止になった後、新聞社の企画で尾張さんとの対談があった時のことだよ。マネジャーに“尾張さんを立ててやってくれ”と頼まれたんだ。尾張メモのお陰というようにな。尾張メモは大まかなもので、それほど細かいものではなかった。実際、外野の守備はオレがリーダーでやっていたんだよ。杉浦が投げる時は、杉浦の調子と巨人の打者の構えを中心に判断して、守備位置を決めていた。ファインプレーが何度か出たことによって、尾張メモの存在が大きくなったが、メモそのものが凄かったというより、好プレーとメモがマスコミに結び付けられたというのが真相じゃねぇかなあ」
【メモと実際のシフト】
尾張久次著「“尾張メモ”の全貌」(84年、講談社)などによると、59年の日本シリーズでの巨人の打球の傾向として、75〜80%の確立で中堅に飛ぶと尾張は分析。具体的に阪神の外野シフトを例に挙げ、巨人戦では左翼と右翼が中堅寄り守り、左中間、右中間を狭めていると報告している。
長嶋、国松の打球とも右中間、左中間に飛んでいるが、報告通りの守備なら中堅は動かず、右翼、左翼が打球を処理することになるはず。大沢が動いて捕球していたことを考えると、大沢がメモに頼らずに独自の判断で守っていたことになるようだ。