あじゃぷいぷいー、あじゃぷいぷいー、と呟きながら、小さいほうの小さいひとがホールを行ったり来たりしている。
モニさんがひさしぶりに家に帰ってきたので機嫌が良いものであるらしい。
なあああんとなく、さりげなあああく、本を読んでいる、おかあさんのそばに座って、顔をくっつけてみたりしている。
おとうさま(←わしのことです)のほうは、どうでもよいらしくて、だいたいシカトされているもののよーである。
もしかすると、おかーさまはやくざもののおとーさまを北半球に捨ててくればよかったのに、と思っているのかも知れないが、あじゃぷいぷい語で、なんと表現されるのか、おとーさまには判らないので聞きようがありません。
画像を見て、いっぱつで浄智寺だと判ってしまった人がいて驚いたが、日本に行った目的のひとつは、なつかしい鎌倉の山に登ることで、行ったことのある人なら判るが、「ハイキングコース」という、チャラい名前がついているわりには急峻な丘が続いている。
モニさんは、わざわざ高い所に足を滑らせながらのぼる作男的趣味はないので、フランス人の友達たちと下界でお茶を飲んでいて、わしひとりが標高80メートルになんなんとする鎌倉の鋭峰を登山することになっていた。
それが、ひょんなことから、なんとなくにやけたおっさんと一緒に歩くことになったのは、義理叔父が鎌倉に来ていたからで、ひさしぶりに会う義理叔父は、なんちゃら茶とかいうお茶を飲んでマンハッタンを徘徊していたとかいうので、痩せて、なんだか大学生の顔だけが老人になったような、ヘンな姿です。
「ガメ、きみはなりがでかいから入らないだろうけど、ぼくなんかエコノミー席だからね。へっへっへ」とヘンな自慢をする。
「でも、ほら、足が日本人の割には長いから非常口の前の席で来たんだよ」と、マンハッタンのリーバイスで買ったら20センチくらいも丈を詰めなければならなかった屈辱の過去を持つ短い足を、見せびらかして、ぶらぶらさせています。
わしのほうは、はあ、とか、おお、とか言いながら、相変わらず、いいとしこいて、なんちゅうけったいなおっさんや、と考えている。
けったいなおっちゃんは、年ふりて、けったいな半ジジイになって、白い髪の毛を風にふらゆらさせながら、「ひえー、どひゃあー」とヘンな声をあげながら、ついてくる。
観察していると、わしが5歩でゆくところを、およそ8歩くらいで進んでいるよーである。
折角ひとりで丘歩きをして迷走にひたる、じゃないや、瞑想にひたろうと思っていたのに、台無しです。
日本には三日しかいないっちゅうのに、なんで、あんたのような訳わからんおっさんとつるんで歩かねばならんねん。
途中で、道に迷ってるらしき、女の人の二人連れに出くわしたので、鎌倉に土地鑑をもつ颯爽青年、「どちらにいらっしゃりたいんですか?」と聞いたら、なんだかギョッとした顔でこちらを見ています。
もっと驚いたのは、義理叔父が横で半分パニクっている。
道を教えてあげてから、なに地団駄踏んでますのや、と聞いてみると、
「バカだな、ガメ。この頃はな、日本では知らない人に声かけたりすると、警察がくるんだぞ」と言う。
「不審者に声をかけられたら警察に通報するアプリまであってだな。
音もなく110番される」
うっそおおおー。
しかし、これがあとで日本に住むフランス人たちに聞いてみると、ほんとうのことなのでした。
日本の人に聞いてみると、「電車でも、痴漢だって言われちゃいますから」と述べる人がいる。
「ぼくなんか、電車混んでると、両手挙げて乗るんですから、手をおろしてて『この人、痴漢です!』とか言われちゃったら、もうそこで人生おわっちゃいますから」
うそでい。
いや、それが嘘ではないんですよ、ガメさん、ともうひとりの人も陳述する。
遊び半分でやる若い女の子もいるんですから。
わたしたち男は、日本では虐げられるべき存在なんです。
うーむ。
いいとしこいたおとなが、ふたりでマジメで深刻な顔をならべてオダキンのようなことを述べている。
うーむうーむうーむ。
子宮はないんだけど。
そうするとニュージーランドではチョー普通な「きみたち、こんな遅くにガソリンスタンドなんかで何をしてるの?」とか、ぜんぜんタブーで、声かけると警察が来ちゃうのか。
いつか、クイーンストリートで、アジア系の女の子が、ぶち倒れそうになって、ハンサムで聡明なだけでなく反射神経抜群のわしが、さっと身体ごとうけとめて事なきをえたが、あんなにもろに抱きかかえちゃったら、日本では処刑されるのではないか。
なんだか、ものすごいことになってるんだなー、と、この5年の変化に驚いてしまった。
日本はもともと「規則や法律を過剰につくって、運用をゆるくする社会」だった。
「お目こぼし」がたくさんあって、たとえば会社の「接待費」などは良い例で、わしもよく義理叔父の会社の法人カードでカツ丼を三つ食べて、3人でビジネスランチをしたことにしていた。
ひとりでワインを3本飲んで、企業間のコミュニケーションを円滑にするために遅くまで努力したりも、もちろん、しました。
領収書さえとればテキトーで文句を言われない素晴らしい国だった。
日本の税務署は優秀なので、実は帳簿をみれば、なにが起きているか、すぐに見抜いていると思う。
ああいうものは、見慣れてくると、領収書があろうとなかろうと、「これは接待費ということにして、自分の夕食に使ってるな」とか、
「この電気代で、この月に、そんな仕事しているって言われてもねー」とか、
この職種で、こんな出費がこんなにあるわけねーじゃん、と、わしでも判りまする。
でも、まあ、範囲の内だろう、とおもえば、税務の原則にまったくあてはまらない、例えば名前だけが役員の奥さんのジムの経費は認められません、と告げるだけにする。
どうも、この会社には、ひとりでカツ丼を三つ食べるやつがいるよーだ、と見当をつけても、それには触れない。
もっと簡単な例で言えば、高速道路の制限時速を80キロにしておいて、だいたい105キロくらいまでは良いことにする。
軽井沢から東京に帰る途中のガイジンが「雨天 80キロ走行」とか書いてある電光掲示板を見てキレることになる。
初めから、80キロですがな。
なんという、社会ぐるみの不正直。
60年代の映画を観ると、特段にコメディでなくても、会社員たちは、ごく普通に「止められるまでは、なんでもやっちゃえ」で仕事をすすめてゆく。
上役の目を盗んで、こっそり予算を積み増しする。
酷い人になると、営業費から、遊興費や買春費用まで捻出してしまう。
やりたい放題の規律のなさに見えて、案外と、自分が規則が過剰に存在する組織のなかで息をつけるようにしながら、のびのびと仕事をすすめていく。
だいたい、週刊誌でみていくと、それが80年代くらいから変わってきます。
若い人に1ミリの狂いもなく規則を守らせようとする。
一群の「マジメな高校生たち」があらわれて、学校から走って帰って塾に行き、勉強して、宿題を毎日こなす小学生たちが出現する。
「通報しますた」に象徴的に顕れるような、お互いを監視して、「一分の隙もない」社会をつくろうとする。
だから、おれは嫌になったんだよ、と義理叔父が、まだときどき足が痛むらしくて、ぎょえええー、むはああーとうめきながら、源氏山公園の石の椅子に座って述べている。
いつか、記事に書いた、
大学を出て、就職もせず、院にも行かず、そんなことをしていたら将来はどうするんだ、と教師や同級生に問われて
「飢え死にするからいい」と答えたトーダイセイは、実は義理叔父のことでした。
その頃は、外国に行くことなど考えてもみなかった義理叔父は、ただ部屋にこもって、ときどき居酒屋や塾、予備校でバイトをしながら、少しオカネができると、また一日、本を貪るように読んで、かーちゃんシスターと出会うまで、「引きこもり」を絵に描いたような生活を送っていたという。
個人を徹底的に追い込むことが生産性をあげる方法として堂々と横行する社会で、でもほんとうは将校として暮らせたはずの義理叔父は、
「おれは軍隊みたいな社会が嫌いだったんだよ」だとかで、
こんな社会は、いずれは滅びるに違いない、と述べて、年長者たちの失笑を買っていたりした。
あとで、かーちゃんシスターに恋をして、ふたりでドビンボ生活を始めた経緯は、このブログの前のほうの記事でいくつか説明してあります。
記事には書いていないが、まだかーちゃんシスターが育った環境では、日本人と結婚する、ということそのものが「とんでもないこと」が常識で、まるで駆け落ちするみたい、というか、よく考えてみると、親子喧嘩で声を張り上げたりしないだけで、駆け落ちそのものの生活を始めて、他にはどうしようもなくて始めた会社が、全員の予想を裏切って成功したのだった。
わしが、いまのようなチョーええかげんな暮らしでも、やっていけるのだ、とヒントをもらったのも、義理叔父の経験からでした。
いまでは、生徒のほうが全然できがよくて、足も長くて、見栄えがいいので、先生はしょぼくなったが、それでも先生は先生なので、すごおおくおいしい飲茶のコリアンダーのギョウザが3つしかなければ、ちゃんと2つ食べさせてあげている。
で、結局、なんだか「正しい」「規矩の隅々まで居住まいをただした」「整然たる」社会は、20年以上にわたって、義理叔父の、「いったいおまえの眼はどこについているんだ。この社会の世界一の繁栄が見えないのか」と失笑された預言のとおりに衰退の一途をたどることになった。
規則がたこ糸のように社会の一面にからみあって、だんだんきつく緊縛しはじめて、窒息して、社会がまるごと生気を失っていった。
ガメ、いつか、日本の大企業や政府のことをコントロールフリークて書いてたけど、あの通りの社会なんだよ、むかしからずっと、と言う。
人間の生活が内からの欲求でなくて、外から規定されると、社会はこうなる。
日本には自由社会の容れ物があるのに、肝腎の人間のほうは、おとなになるまでに徹底的に痛めつけられて、自由を望んだりしないようになってしまっているのさ、と言います。
自由を金輪際求めない人間たちが住む自由社会。
あげくのはては、通報社会になった。
いつか、おまえたちが、わざとどうなるか見ようと言って「いじめられっ子」のパターン通りふるまってみせたら、何千という人が嘲笑に集まって来ただろう?
ああいう安っぽい正義や知性をこれみよがしにふりまわす、品位のかけらもない人間達というのは、おれの世代がつくったんだ、という。
やっとこ立ち上がると、ま、おれには、もう関係ないけどさ、とのびをしている。
「アメリカ人になったんだっけ?」と聞くと、いや、アメリカは税金がやばいから、イギリス人、とすました顔で答えている。
それから、にやっと笑って、老後はニュージーランドに定住するかもよ、という。
ブームじゃん。
リングの魔法で。
175センチしかない、ちっこい身体をしゃんとのばして、
おれが勝った。
日本の負けだ、と述べる。
ざまーみろ、という声が、とても、寂しそうに聞こえました。