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通りすがりの者ですが、ずっとこの掲示板を拝見してきた者のひとりです。
この一凶を禁ぜんには。
立正安国論の一節が、この数年我が胸中から離れることはありません。
日蓮仏法は、事の世界です。理の世界ではありません。戦うべき対象は何か。ターゲットが不明確なままで、リアルに、何を持って結果とするのか、そこをはっきりと形にして祈る作業なくして不毛と考えます。
次期会長が問題?
現会長が問題?
4人組が問題?
除名が問題?
リアルマターとしての課題とその決着点をる明確にし、何を持って勝利とするのか。
曖昧な目的と目標では、それぞれの次元で収斂していくだけではないでしょうか。
論客の方々がおっしゃることについて、僕は原則同意です。しかしあやふやに過ぎる。
人の良さは、リアルの世界で意味をなさない。
変革と革命は、綺麗事の世界ではない。
何を持って決着点とするのか。
抽象的ではない、目的を明確にして祈ること。
現実はあらゆるリアルマターとの格闘です。
夢でも、映画でも、物語でもありません。
確かな場所で、確かな格闘の歴史を刻み、確かな結果を残した者にしか語れぬ真実があります。
ただ真実が事実では必ずしもない。
このことに思いいたらねば、リアルマターに長けた連中と事を構えたとて、
勝てません。
ホイットマン。
「さあ出発だ。悪戦苦闘を突き抜けて。決められた決勝点は取り消すことはできないのだ」
リアルマターの整理と、決着点の明確化について、みなさまのご意見をお聞かせください。
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