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書き込むということ

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年11月11日(水)05時14分33秒
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  書き込むということ

板に書き込むということは、「始め」があり「終わり」がある。時間・空間があるということ。

しかし語られている内容については板の上の時間・空間ではなく別の時間・空間がある。またそ

の内容によっては時空を超えたものとなる場合もある。例:池田先生の過去のスピーチを引用す

る。その書き込みを読んで当時を思い出す。

読み手の意識により、その内容世界は異なる。

このことは書き手の真意は必ずしも伝わることは無いことを意味する。例えば釈尊の真意をどれ

だけの弟子が取り込んでいたのか、日蓮大聖人御在世当時、いろいろ御書を頂いた方々の多く

は、大聖人死後100年たたないうちに謗法を犯してしまった事実は「真意は必ずしも伝わらな

い世界」であることを知っておくことである。なぜならばストーリーとなると思考・概念となり

身体感覚を離れるからである。身体感覚を離れると自我の一部に取り込まれる。自我はどこまで

も自己都合なのだ。

戸田先生・池田先生は「感得」「自得」という言葉を使われている。ここに論理や思考を超えた

体感があることが示されている。体感する世界は自己都合が介入する余地はない。事実だからで

ある。

他者に伝えようと言葉・文字にする。言葉や文字は時間・空間を生み、ストーリーとなる。エピ

ソードと言われる内容も同様である。「真意を受け入れる」ためには、読み取る側の選択による

反応なのである。「読み取る」とは、思考・概念か、身体感覚か、という体験過程なのだ。

このように書いている内容は、読み手が何を感じて、何を理解しようとしているのか等は、書き

手の思いとズレてブレて当り前なのだ。その多くは最大公約数として伝わっているのが現実なの

だ。身体感覚による読み手にはズレず、ブレずに伝わる。一切、自我が関与しないから「抵抗が

無い」からである。そのまま、ありのまま伝わるのだ。

書かれた内容に一喜一憂する、怒る、拒絶する等は思考・概念による関与である。それは「わか

らない」という不全感による不安反応なのだ。このように「在り様」を観察していくと「いかに

何もわかっていないか」が見えて来る。このような事実に遭遇することは過去に経験がないから

戸惑うのである。自我という殻に閉じこもっているからである。自我を自分だと言う思い込み、

信念体系が揺さぶられるからである。

社会的現象である「引きこもり」「不登校」「ゴミ屋敷」「うつ病」「パニック障害」「孤立」

「孤独」等の不適応者たちの内的世界と同じ世界を生きているのだ。自我という妄想の産物が現

象化しているのだ。社会的現象は個人の内的世界観が投影され集団化され現れていることを意味

している。

ゴタクを並べて、能書きを学んでも、何も変わらない、変えられない現実、なぜならば自我の世

界にあるからである。体感することに自我を従へさえすれば不適応は改善回復する。(自然の法

則)現代人は自我に体感することを従えている。(パラドック世界)

何が、起きているのか、起きて来るのか、楽しみですね。

 
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