|
京都乃鬼さん、諸天についてのお話をありがとうございますm(__)m
んと、経験的に感じているのですが『諸天』のそれぞれの性分自体が一念には含まれているのではないかと推察してるんですが。
様々に話されているのは、それぞれの性分の特徴を象徴として話されてるように感じてるんです。
一念三千で、性分を具体的にわかりやすくするために特徴をいくつか抜き出して象徴としてそれぞれ表したのかなぁと。
そして、その様々な性分の力用を引き出すのが『南無妙法蓮華経』なんじゃないかと。
人を幸せにしようと感謝に包まれた一念で祈るとき、自分が本来は仏の性分であるのを自覚できずとも仏の力用を引き出すことができるのかなぁと。
実際に様々な好結果が生じてしまうから、それで『私は本来は仏』というのを自覚することができるのですね。
大聖人様は凡夫の姿のままで仏になったと感じてるんです。
だから、ご自身で凡夫の姿のまま仏になれたのだから、末法の人々も同じくなれるのをわかったのではないか。
またそれを信じることができるから、その術のために御本尊様を表し題目を唱えさせ、力用を引き出すキーになる一念の重要さを説いたのかなって。
まぁ僕は十界論レベルの判断だし、これまでの信仰体験からそのように感じてるということなんですけどね。
ともかく、朝からとても素晴らしいお話をありがとう!
と、僕の諸天は感謝してるように感じました。
今回、大きな難を乗り越えたことで、諸天について思索する機会になりました。
とはいえまだまだたくさん学ばないといけないなぁと実感です。
追伸
●●●●●
またある関係者はこう証言する。
「恐らくT副会長やKさん(創◯大学教授)、Mさん(創◯大学教授)たちの考えには、『諸天なんてない』『非科学的だ』『現代人に合わない』『世界で受け入れられない』という前提があるのでしょう。」
●●●●●
他にもあるんじゃないでしょうか。
最高幹部らよりも「力を持たせない」のも目的に感じます。
「信じてない」ならそもそも学会にはいないでしょうから。
完全に信じてないわけでもないから、学会員が万が一にも力をつけないよう、諸天供養を外す案を出したんじゃないかと。
目にみえぬ『諸天』が不気味だ、ということなのでしょうか。
逆にいえば、今回で外されるものは最高幹部らにとっては『恐怖・弱点』ということになるのでしょうね。
それにしても、改定から一年も経ってから変更とは『遅すぎる』というものですね。
これらは結局のところ『不信』を象徴してるものです。
最高幹部らが不信というのは完全に自己責任だけど、それを末端まで引きづられる義理もないことですね。
真面目にやる気すらないなら『自己責任』というしかないです。
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
|
|