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「在米太地人会」創立100周年 移民の歴史知る機会に 和歌山
■町民ら訪問、11日15日に記念祝賀会
明治から昭和にかけて、太地町から米カリフォルニア州に渡った移民が結成した「在米太地人会」が創立100周年を迎えた。町民で組織する訪問団が現地を訪れ、15日に開かれる記念祝賀会で祝福する。厳しい環境のなかで、ふるさとに仕送りをするなどした移民だが、歴史を直接、知る子孫らの高齢化も進んでいる。訪問団長の宇佐川彰男町教育長は「この機会に若い人同士も交流を深め、次の世代にもつなげたい」と話している。
古式捕鯨発祥の地として知られている太地町では明治初めに、クジラ漁の船団が遭難して、100人以上が犠牲になるなどして活気を失い、米国など海外に出稼ぎに行く人が多かった。
太地人会は1915(大正4)年、多くの出身者が働いていたロサンゼルス近郊のターミナル島で結成された。島では当時、米国で広く食べられ始めたツナ缶の製造工場があり、男性はマグロ漁、女性が製缶工場で働くなどした。
厳しい環境の中でも、年に1回、公園などでひらかれる「ピクニック」と呼ばれる交流イベントで親睦(しんぼく)を深めていたという。1935(昭和10)年の記念写真には、総勢285人が写っている。
その後の太平洋戦争開戦で、ターミナル島在住の日系人約3千人が収容所などに強制移住させられ、太地人会は解散。しかし、戦後、出身者の家族などを含めた「在米太地人系クラブ」などを再結成して、活動を続けてきた。
祝賀会には、太地町からの訪問団約80人のほか、移民の子孫ら現地から約150人が参加。伝統の「鯨踊り」や「鯨太鼓」なども披露されるという。
訪問団に参加する町職員の美代取久典さん(54)は「遠縁にあたるおばさんに5年ぶりに会えるのを楽しみにしている。もう90を超えているので貴重な機会を大切にしたい」と話した。
また、町職員の上中たき子さん(55)は「現地にある親族のお墓参りをしたい。小さいころには、米国からお菓子や服など送ってもらい、うれしかった。小学生のときに太地で1カ月ほど滞在した同世代の親族もいて、再会を楽しみにしている」と話した。
町歴史資料室の櫻井敬人学芸員は「2世の世代がもう90代になる。直接話ができる最後の機会になるかもしれない。若い人にも自分が移民の歴史にもつながっていることを知る機会にしてほしい」と話した。