つもりちがい
いくら素人は下手でいい、とはいえ、
楽しんで演奏ができる、というのは実はすごく大変なことで、
お気楽にペロペロと楽器が弾ける、サラサラと歌が歌えるレベルというのは、
実はとっても高いと思います。
それなりにうちでお稽古して行ったのに、なんで先生の前だと、こうなっちゃうんだろう・・、
と愕然として帰ります。とほほ。
以前の先生はよく言っていました。
「うちでは上手く弾けるんです、ここに来ると弾けなくなっちゃう、
おかしい、おかしい、ってみんな言うのよ。みーんなそう言うの。
おかしくないって、おかしいのはあなただって。」
なんだか、自分だけで弾いていると、どんどん勝手に自分の都合のいいように、
自分が弾きやすいように弾いてしまうのですね。
楽譜があっても、勝手な解釈をしてしまうのですね。
作曲してるかも・・。(汗)
家では自分の勝手な間で弾いていたものが、先生宅で先生の正しい間になると、
ガタガタになってしまう。
恐い恐い。
実際の演奏は一人ではなく三味線も何丁か、唄も何枚(何人)か、
そこにお囃子が加わり、踊りまで入っちゃうかもしれない。
そんな時、一人でも「つもりちがい」の人がいたら、
歌い手は息吸う所で息吸えず、踊り手は右左というところで、右右となってコケルかもしれない。
全員の心づもりがピタッとあったら気持ちがいいし、
演奏家はそれで「いい演奏でしたね」となる。
だから(一人で演奏するものでない限り)
素人の心得違いの「つもりちがい」からは決していい演奏は生まれない、
そういうことです。
楽しんで演奏ができる、というのは実はすごく大変なことで、
お気楽にペロペロと楽器が弾ける、サラサラと歌が歌えるレベルというのは、
実はとっても高いと思います。
それなりにうちでお稽古して行ったのに、なんで先生の前だと、こうなっちゃうんだろう・・、
と愕然として帰ります。とほほ。
以前の先生はよく言っていました。
「うちでは上手く弾けるんです、ここに来ると弾けなくなっちゃう、
おかしい、おかしい、ってみんな言うのよ。みーんなそう言うの。
おかしくないって、おかしいのはあなただって。」
なんだか、自分だけで弾いていると、どんどん勝手に自分の都合のいいように、
自分が弾きやすいように弾いてしまうのですね。
楽譜があっても、勝手な解釈をしてしまうのですね。
作曲してるかも・・。(汗)
家では自分の勝手な間で弾いていたものが、先生宅で先生の正しい間になると、
ガタガタになってしまう。
恐い恐い。
実際の演奏は一人ではなく三味線も何丁か、唄も何枚(何人)か、
そこにお囃子が加わり、踊りまで入っちゃうかもしれない。
そんな時、一人でも「つもりちがい」の人がいたら、
歌い手は息吸う所で息吸えず、踊り手は右左というところで、右右となってコケルかもしれない。
全員の心づもりがピタッとあったら気持ちがいいし、
演奏家はそれで「いい演奏でしたね」となる。
だから(一人で演奏するものでない限り)
素人の心得違いの「つもりちがい」からは決していい演奏は生まれない、
そういうことです。
素人は遠慮がない その2
どんな世界でも上に立つ者に逆らうとか、大きな態度をとるとかいうことは、
できにくいですよね。
その人から仕事を回してもらったり、便宜をはかってもらったり、
そういう恩義もあるし、人としてもね。
それはもちろん、邦楽の世界でも同じで、
プロになる方は大変だろうなあ・・と思います。
お家元は絶対だし、親子であっても、師匠が白と言えば、黒い物も白、
黒と言えば、白い物も黒。
ある意味体育会系と同じノリの縦社会で、
先輩後輩の関係とか、先生に失礼があってはならない、という気遣いとか、
そういうのが好きな人は上手く泳いでいけばいい世界です。
素人はそこから自由なはずなのに、
畳に頭を擦り付けんばかりに平身低頭して、
家元をよいしょすることを、勤めだと思う人も中にはいます。
そうやって回って来た世の中だから、される方もする方も
当たり前だと思っているのかもしれない。
っていうか、むやみにヘリクダルのが好きなんじゃないか・・と思ってしまう。
前回の「遠慮のない素人」のおじさんに言わせると、
その道でプロになろうと思ったら、6才の6月6日から習い始めなきゃ無理だし、
(実際は十代から始めれば充分間に合う)
そんなことは百も承知で、こっちだってプロになろうと思っているんじゃないのだから、
ビシバシ教えてもらう必要はまるでない。下手で結構。
お師匠さんの仕事は、そういう素人をいかに気持ちよくさせるか、で、
あ〜いいですね〜、お上手ですね〜。と上手くのせるのが、師匠の仕事だ、と。
ご自身のお嬢さんが長唄の先生に気に入られて6才の6月6日から稽古を始めて、
プロになりませんか、と言われたけれど、本人がやだよ、と言って辞めてしまったのだそうな。
だから聞くだけは十何年か聞いてきたのだけれど、
仕事関係の人からたまたま民謡やらないかと言われ、仕事ほしさに、はいはいと始め、
なんだかはまって、端唄小唄に手を出して、あとは、もう、
なんでもかんでもやりたくなってしまったのだと。
唄ったり、語ったりするのは、なんとか素人でもできるけれど、
楽器ばかりは練習しなければまともに音はでないので、
小唄バーとか、三味線バーとか、三味線を爪弾いたり、
伴奏したりしてくれる飲み屋は人気だそうな。
つまりは、カラオケですね。
未だに経済界のお偉いさんが唄ったり、踊ったりする会がさかんですよね。
昔から、そういう旦那衆のお遊びで花柳界も邦楽界も持っている、ということなのですが、
なんで、えらい先生たちはいばるのか・・?
芸に命を捧げるなんて、私はいや・・かも。
できにくいですよね。
その人から仕事を回してもらったり、便宜をはかってもらったり、
そういう恩義もあるし、人としてもね。
それはもちろん、邦楽の世界でも同じで、
プロになる方は大変だろうなあ・・と思います。
お家元は絶対だし、親子であっても、師匠が白と言えば、黒い物も白、
黒と言えば、白い物も黒。
ある意味体育会系と同じノリの縦社会で、
先輩後輩の関係とか、先生に失礼があってはならない、という気遣いとか、
そういうのが好きな人は上手く泳いでいけばいい世界です。
素人はそこから自由なはずなのに、
畳に頭を擦り付けんばかりに平身低頭して、
家元をよいしょすることを、勤めだと思う人も中にはいます。
そうやって回って来た世の中だから、される方もする方も
当たり前だと思っているのかもしれない。
っていうか、むやみにヘリクダルのが好きなんじゃないか・・と思ってしまう。
前回の「遠慮のない素人」のおじさんに言わせると、
その道でプロになろうと思ったら、6才の6月6日から習い始めなきゃ無理だし、
(実際は十代から始めれば充分間に合う)
そんなことは百も承知で、こっちだってプロになろうと思っているんじゃないのだから、
ビシバシ教えてもらう必要はまるでない。下手で結構。
お師匠さんの仕事は、そういう素人をいかに気持ちよくさせるか、で、
あ〜いいですね〜、お上手ですね〜。と上手くのせるのが、師匠の仕事だ、と。
ご自身のお嬢さんが長唄の先生に気に入られて6才の6月6日から稽古を始めて、
プロになりませんか、と言われたけれど、本人がやだよ、と言って辞めてしまったのだそうな。
だから聞くだけは十何年か聞いてきたのだけれど、
仕事関係の人からたまたま民謡やらないかと言われ、仕事ほしさに、はいはいと始め、
なんだかはまって、端唄小唄に手を出して、あとは、もう、
なんでもかんでもやりたくなってしまったのだと。
唄ったり、語ったりするのは、なんとか素人でもできるけれど、
楽器ばかりは練習しなければまともに音はでないので、
小唄バーとか、三味線バーとか、三味線を爪弾いたり、
伴奏したりしてくれる飲み屋は人気だそうな。
つまりは、カラオケですね。
未だに経済界のお偉いさんが唄ったり、踊ったりする会がさかんですよね。
昔から、そういう旦那衆のお遊びで花柳界も邦楽界も持っている、ということなのですが、
なんで、えらい先生たちはいばるのか・・?
芸に命を捧げるなんて、私はいや・・かも。
素人は遠慮がない
洋楽邦楽問わず、プロになるきっかけは親がその道の人だから自然に跡を継いだ、
というのも多いでしょうが、プロや高名な先生家元に弟子入りして修行するか、
大学や養成所に入るという方法もあります。
女流義太夫の場合は協会の規定で、プロを目指せるのは30代まで。
独立行政法人日本芸術文化振興会(国立劇場)の歌舞伎俳優、歌舞伎音楽、
太神楽、文楽などの研修生応募は概ね、中卒から18才以上23才まで。
大衆芸能(寄席囃子)の研修生のみ45才まで大丈夫ですね。
まあ、若いうちに志す事ができたとしても、
その道で食えるところまでたどり着くのは並大抵じゃありません。
で、この世界を支えるほとんどの人が「素人」ということになる
ただ好きでやっている人の方がよっぽど人口としては多い。
江戸時代から明治大正昭和の時代、戦争前あたりまで、
商人の旦那衆や奥様方、おぼんや、お嬢さまなど、いわゆるタニマチが、
こういった文化を支えてきた、と言われますね。
今はカルチャーセンターなんかが大流行りで、誰でも文化的なお遊びに近付けます。
というか、今だってある程度お金をかけなければお稽古は続かないし、
日舞や長唄などの名取りになるとか、大きな演奏会に出るとか、師匠の後援をするとか、
そうなるとお金は「うんとこさ」かかります。
「素人」これは怖いもの無しです。

義太夫は明治20年代から大正初期、娘義太夫に夢中になって追っかけをする
「どうする連」なんていうのがあったくらいの大人気。
当然自分で語りたくなる人も多い。
落語の「寝床」。
これは素人義太夫に夢中な大店の旦那が、店子や使用人に自分の義太夫を聞かそうとしても、
みんな逃げ出してしまい、最後に残った店の者を見台もって追っかけながら語った、
という壮絶な(笑)お話しです。
義太夫協会の協会員にも古くからの素人さんも多く、
昔は一ヶ月に20日、ほぼ毎日勤め帰りに師匠の家に稽古に寄って、
師匠の家の鍵も持って、勝手に入っていたとか、
毎月演奏会をした、のだそうな。
現在お弟子さんになるおじさま、おばさま方は、
今まで散々、三味線やなんかをやり散らかして、最後に義太夫にたどり着いた、なんて人も多い。
沖縄の三線にはまって沖縄まで修行に行ってコンクールにも出た、という人や、
津軽三味線のセミプロ、小唄の師匠、義太夫の研究者とか。
発声練習がわりに通う声優さんとか、
民謡やって、端唄に小唄をやって、散々お金使って、義太夫やりたくなって、
地方の人形浄瑠璃もやっている、というおじさんは、
自分の三味線の師匠に、語りの間が悪いと言われると、
「あなたが私に合わせるんでしょう」なんて言っちゃうし、
「阿古屋」という胡弓や琴も弾く出し物をやりたくなって、
勝手に楽器買って先生を探して、師匠に叱られると、
「じゃあ、あなたが習ってきて、私に教えなさいよ」なんて言っちゃうし。
義太夫は家元制じゃないから、なかなか皆さん、遠慮がありません。(大笑)
というのも多いでしょうが、プロや高名な先生家元に弟子入りして修行するか、
大学や養成所に入るという方法もあります。
女流義太夫の場合は協会の規定で、プロを目指せるのは30代まで。
独立行政法人日本芸術文化振興会(国立劇場)の歌舞伎俳優、歌舞伎音楽、
太神楽、文楽などの研修生応募は概ね、中卒から18才以上23才まで。
大衆芸能(寄席囃子)の研修生のみ45才まで大丈夫ですね。
まあ、若いうちに志す事ができたとしても、
その道で食えるところまでたどり着くのは並大抵じゃありません。
で、この世界を支えるほとんどの人が「素人」ということになる
ただ好きでやっている人の方がよっぽど人口としては多い。
江戸時代から明治大正昭和の時代、戦争前あたりまで、
商人の旦那衆や奥様方、おぼんや、お嬢さまなど、いわゆるタニマチが、
こういった文化を支えてきた、と言われますね。
今はカルチャーセンターなんかが大流行りで、誰でも文化的なお遊びに近付けます。
というか、今だってある程度お金をかけなければお稽古は続かないし、
日舞や長唄などの名取りになるとか、大きな演奏会に出るとか、師匠の後援をするとか、
そうなるとお金は「うんとこさ」かかります。
「素人」これは怖いもの無しです。
義太夫は明治20年代から大正初期、娘義太夫に夢中になって追っかけをする
「どうする連」なんていうのがあったくらいの大人気。
当然自分で語りたくなる人も多い。
落語の「寝床」。
これは素人義太夫に夢中な大店の旦那が、店子や使用人に自分の義太夫を聞かそうとしても、
みんな逃げ出してしまい、最後に残った店の者を見台もって追っかけながら語った、
という壮絶な(笑)お話しです。
義太夫協会の協会員にも古くからの素人さんも多く、
昔は一ヶ月に20日、ほぼ毎日勤め帰りに師匠の家に稽古に寄って、
師匠の家の鍵も持って、勝手に入っていたとか、
毎月演奏会をした、のだそうな。
現在お弟子さんになるおじさま、おばさま方は、
今まで散々、三味線やなんかをやり散らかして、最後に義太夫にたどり着いた、なんて人も多い。
沖縄の三線にはまって沖縄まで修行に行ってコンクールにも出た、という人や、
津軽三味線のセミプロ、小唄の師匠、義太夫の研究者とか。
発声練習がわりに通う声優さんとか、
民謡やって、端唄に小唄をやって、散々お金使って、義太夫やりたくなって、
地方の人形浄瑠璃もやっている、というおじさんは、
自分の三味線の師匠に、語りの間が悪いと言われると、
「あなたが私に合わせるんでしょう」なんて言っちゃうし、
「阿古屋」という胡弓や琴も弾く出し物をやりたくなって、
勝手に楽器買って先生を探して、師匠に叱られると、
「じゃあ、あなたが習ってきて、私に教えなさいよ」なんて言っちゃうし。
義太夫は家元制じゃないから、なかなか皆さん、遠慮がありません。(大笑)
つっころばしみたいな男 その2
さて、前回の続きです。
「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)
これは近松門左衛門「冥途の飛脚」の下段を、のちに、
菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)の両名が改作したものです。
原作では、公金横領して故郷へ逃げる大阪の飛脚問屋の跡取り忠兵衛と新町の遊女梅川が
忠兵衛の故郷みぞれ降る大和の新口村で捕まってしまいますが、
改作では白い雪の舞う新口村から二人は逃げ延びて行きます。
私は、その改作の方の「新口村の段」をお稽古しています。
三味線の手もいい感じで節もいいです。
情緒豊かで、哀切でかっこいいです。
でもねえ、なんだか、忠兵衛が優男で頼りなくて・・。
まあ、そんな奴だから公金横領して逃げ出さなきゃならなくなったのでしょうが、
それにしてもねえ。
忠兵衛は自分の故郷に落ちて来たからいいようなものの、
梅川だって、京に残した両親が心残りだということに、言われるまで気が付かない。
自分の養子先の親や許嫁(いいなずけ)のお諏訪にも会って不埒の詫びをしたい、なんて言い出す。
この期に及んで、許嫁に会って詫びをする?
なんかズレた人だなあ。
梅川も「はあっ?」って思うでしょうし、お諏訪には「バカ言ってんじゃないよ」って
ビンタされるでしょうね。
「つっころばしみたいな男だから、しょうがない」
師匠はそう言って笑います。
「つっころばし」とは、wikiによれば、
歌舞伎、上方和事(江戸の荒事に対する上方芸)の立役(男性)のこと。
語源は「肩を突いただけで転びそうな」ということからで、優柔不断な若衆役。
商家の若旦那や若様という甲斐性無し。あわれを通り越して滑稽ですらある、と。
早い話しが、バカです。(笑)
はあーっ。(ため息)
先日、たまたま見たEテレで、「今からでも間に合うあさが来た」とか言う番組に出て来た、
ヒロインの旦那さんの新次郎、ああいうのが、大阪の「つっころばし」ですかね。
いやいや、ただのつっころばしではない・・その通りですね。
11月7日追記
近松門左衛門の原作はあまりにも冷徹で、愚かで哀れな結末。
それではあまりに厳しくつらすぎる、ということで、後の世に、舞台も人も美しく、
聞く者の涙を誘うように改作されたということです。
現在は近松門左衛門「冥途の飛脚」は上巻、中巻が上演され、
下巻のかわりに、もっぱら、「傾城恋飛脚」あるいは「恋飛脚大和往来」という題名の
最終巻「新口村の段」が上演されるようです。
「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)
これは近松門左衛門「冥途の飛脚」の下段を、のちに、
菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)の両名が改作したものです。
原作では、公金横領して故郷へ逃げる大阪の飛脚問屋の跡取り忠兵衛と新町の遊女梅川が
忠兵衛の故郷みぞれ降る大和の新口村で捕まってしまいますが、
改作では白い雪の舞う新口村から二人は逃げ延びて行きます。
私は、その改作の方の「新口村の段」をお稽古しています。
三味線の手もいい感じで節もいいです。
情緒豊かで、哀切でかっこいいです。
でもねえ、なんだか、忠兵衛が優男で頼りなくて・・。
まあ、そんな奴だから公金横領して逃げ出さなきゃならなくなったのでしょうが、
それにしてもねえ。
忠兵衛は自分の故郷に落ちて来たからいいようなものの、
梅川だって、京に残した両親が心残りだということに、言われるまで気が付かない。
自分の養子先の親や許嫁(いいなずけ)のお諏訪にも会って不埒の詫びをしたい、なんて言い出す。
この期に及んで、許嫁に会って詫びをする?
なんかズレた人だなあ。
梅川も「はあっ?」って思うでしょうし、お諏訪には「バカ言ってんじゃないよ」って
ビンタされるでしょうね。
「つっころばしみたいな男だから、しょうがない」
師匠はそう言って笑います。
「つっころばし」とは、wikiによれば、
歌舞伎、上方和事(江戸の荒事に対する上方芸)の立役(男性)のこと。
語源は「肩を突いただけで転びそうな」ということからで、優柔不断な若衆役。
商家の若旦那や若様という甲斐性無し。あわれを通り越して滑稽ですらある、と。
早い話しが、バカです。(笑)
はあーっ。(ため息)
先日、たまたま見たEテレで、「今からでも間に合うあさが来た」とか言う番組に出て来た、
ヒロインの旦那さんの新次郎、ああいうのが、大阪の「つっころばし」ですかね。
いやいや、ただのつっころばしではない・・その通りですね。
11月7日追記
近松門左衛門の原作はあまりにも冷徹で、愚かで哀れな結末。
それではあまりに厳しくつらすぎる、ということで、後の世に、舞台も人も美しく、
聞く者の涙を誘うように改作されたということです。
現在は近松門左衛門「冥途の飛脚」は上巻、中巻が上演され、
下巻のかわりに、もっぱら、「傾城恋飛脚」あるいは「恋飛脚大和往来」という題名の
最終巻「新口村の段」が上演されるようです。
つっころばしみたいな男 その1
1月の発表会での私の出しものは
「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)です。
「傾城恋飛脚」は近松門左衛門の「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)を
のちに菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)が改作したものです。
「新口村の段」は主人公忠兵衛と遊女梅川が公金横領をして、
忠兵衛の故郷新口村へ逃れるという、物語全体の最終章です。
「冥途の飛脚」と「傾城恋飛脚」の二作は大筋では
大阪の飛脚問屋亀屋の跡取り忠兵衛が新町の遊女梅川を身請けするために
堂島の大名の為替金三百両の封印を切って流用してしまい、
二人は忠兵衛の故郷大和の新口村へ逃げていく。
という情けないお話しなのです。

近松門左衛門の「冥途の飛脚」には実にスッキリクッキリと
忠兵衛が追いつめられて「我が身の一分川が面目、すすいでやろう」と
つまり自分と梅川の面目と名誉を毀損されたとブ千切れて、
大名の為替金に手を付ける、公金横領のようなことをしてしまうという、
その様が描かれています。
忠兵衛は大和の新口村の大百姓から大阪の飛脚問屋(為替金を扱う)に養子に来た身、
都会の生活が水に合って仕事を覚えて商才を発揮し、町人必須の趣味教養も身に付け
着物の着こなしもセンス良く、廓にも平気で行けるような、
「いい感じ」の若者なんですが、
新町の遊女梅川に入れあげた。
歯止めが利かなくなっているところに、梅川の身請け話しが持ち上がった。
田舎者のひひじじいに請け出されてしまう前に、
と友人である丹波屋の主人八兵衛あての為替金五十両を使い込んで手付金にしてしまう。
八兵衛は諸々飲み込んで、まあ、表沙汰にはしないでやろうということにはなりますが、
大阪商人として、色町(廓)へ出入りして遊ぶのは当たり前のことだけれど、
忠兵衛はこのままでは危うい、道を踏み外すのではないかとみて、廓に乗り込み、
忠兵衛はこうこうこういう奴だからと、為替金流用の件を開陳し、
どうぞ忠兵衛を相手にして下さるな、とお女郎たちに頼み込む。
それを聞いていた短気な忠兵衛は、自分の「一分」、梅川の「面目」をつぶされた、と
理性も何も吹っ飛んで、
懐に入れていた大名の為替金三百両を養子に来たときの持参金だと偽って、
その場で八兵衛に五十両を突っ返し、残金払って梅川を身請けしてしまう。
バカである。
お女郎たちや八兵衛は、なあんだそうかそうかと帰っていくのですが、
事実を知らされた梅川は忠兵衛と大阪を落ちて行く決心をする、というわけです。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」の下巻では、忠兵衛と梅川はみぞれ降る新口村まで落ち延びて、
忠兵衛の父孫右衛門から路銀をもらいますが、すぐに追手に捕まってしまいます。
捉えられた忠兵衛は親の嘆きを目にしては来世の極楽往生祈念のさまたげになるから
目隠しをしてくれ、と大声で叫びます。これは「めんない千鳥」として有名です。
愚かで哀れな結末です。
ツラい。
これはツラすぎるということなのか、
近松門左衛門の下巻の代わりに、現在演奏されるのは、
もっぱら、のちに改作された方の「傾城恋飛脚 新口村の段」です。

どこが違うか。
まず、舞台はみぞれまじりの寒村ではなく、白い雪につつまれた故郷。
ふたりは揃いのすそ模様の黒紋付きなど着込んで色っぽく粋なご様子。
親爺殿の孫右衛門に出会うのですが、目隠しをされるのは忠兵衛ではなく、孫右衛門。
ここで親子の体面をしたら大阪の養親に会わせる顔がない、と言って、
息子に会う事を拒む孫右衛門に目隠しをしてあげましょうと梅川がいい、
ありがたいありがたい、と孫右衛門は感激して親子の体面をするのです。
孫右衛門から路銀をもらい、逃げ延びる道を教えてもらい、落ちて行く二人。
「長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」
という段切れ。
日本人はこういう方が、好きなんだよねー。

師匠竹本土佐恵が2011年兵庫で演じた時のポスター。
長くなりましたので、続きます。
「傾城恋飛脚 新口村の段」(けいせいこいひきゃく にのくちむらのだん)です。
「傾城恋飛脚」は近松門左衛門の「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)を
のちに菅専助(すがせんすけ)若竹笛躬(わかたけふえみ)が改作したものです。
「新口村の段」は主人公忠兵衛と遊女梅川が公金横領をして、
忠兵衛の故郷新口村へ逃れるという、物語全体の最終章です。
「冥途の飛脚」と「傾城恋飛脚」の二作は大筋では
大阪の飛脚問屋亀屋の跡取り忠兵衛が新町の遊女梅川を身請けするために
堂島の大名の為替金三百両の封印を切って流用してしまい、
二人は忠兵衛の故郷大和の新口村へ逃げていく。
という情けないお話しなのです。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」には実にスッキリクッキリと
忠兵衛が追いつめられて「我が身の一分川が面目、すすいでやろう」と
つまり自分と梅川の面目と名誉を毀損されたとブ千切れて、
大名の為替金に手を付ける、公金横領のようなことをしてしまうという、
その様が描かれています。
忠兵衛は大和の新口村の大百姓から大阪の飛脚問屋(為替金を扱う)に養子に来た身、
都会の生活が水に合って仕事を覚えて商才を発揮し、町人必須の趣味教養も身に付け
着物の着こなしもセンス良く、廓にも平気で行けるような、
「いい感じ」の若者なんですが、
新町の遊女梅川に入れあげた。
歯止めが利かなくなっているところに、梅川の身請け話しが持ち上がった。
田舎者のひひじじいに請け出されてしまう前に、
と友人である丹波屋の主人八兵衛あての為替金五十両を使い込んで手付金にしてしまう。
八兵衛は諸々飲み込んで、まあ、表沙汰にはしないでやろうということにはなりますが、
大阪商人として、色町(廓)へ出入りして遊ぶのは当たり前のことだけれど、
忠兵衛はこのままでは危うい、道を踏み外すのではないかとみて、廓に乗り込み、
忠兵衛はこうこうこういう奴だからと、為替金流用の件を開陳し、
どうぞ忠兵衛を相手にして下さるな、とお女郎たちに頼み込む。
それを聞いていた短気な忠兵衛は、自分の「一分」、梅川の「面目」をつぶされた、と
理性も何も吹っ飛んで、
懐に入れていた大名の為替金三百両を養子に来たときの持参金だと偽って、
その場で八兵衛に五十両を突っ返し、残金払って梅川を身請けしてしまう。
バカである。
お女郎たちや八兵衛は、なあんだそうかそうかと帰っていくのですが、
事実を知らされた梅川は忠兵衛と大阪を落ちて行く決心をする、というわけです。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」の下巻では、忠兵衛と梅川はみぞれ降る新口村まで落ち延びて、
忠兵衛の父孫右衛門から路銀をもらいますが、すぐに追手に捕まってしまいます。
捉えられた忠兵衛は親の嘆きを目にしては来世の極楽往生祈念のさまたげになるから
目隠しをしてくれ、と大声で叫びます。これは「めんない千鳥」として有名です。
愚かで哀れな結末です。
ツラい。
これはツラすぎるということなのか、
近松門左衛門の下巻の代わりに、現在演奏されるのは、
もっぱら、のちに改作された方の「傾城恋飛脚 新口村の段」です。
どこが違うか。
まず、舞台はみぞれまじりの寒村ではなく、白い雪につつまれた故郷。
ふたりは揃いのすそ模様の黒紋付きなど着込んで色っぽく粋なご様子。
親爺殿の孫右衛門に出会うのですが、目隠しをされるのは忠兵衛ではなく、孫右衛門。
ここで親子の体面をしたら大阪の養親に会わせる顔がない、と言って、
息子に会う事を拒む孫右衛門に目隠しをしてあげましょうと梅川がいい、
ありがたいありがたい、と孫右衛門は感激して親子の体面をするのです。
孫右衛門から路銀をもらい、逃げ延びる道を教えてもらい、落ちて行く二人。
「長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」
という段切れ。
日本人はこういう方が、好きなんだよねー。
師匠竹本土佐恵が2011年兵庫で演じた時のポスター。
長くなりましたので、続きます。
お江戸情緒の新内流し
もう11月ですもの、寒くて当たり前なんですね。
そうは思いますが、いや、寒い。
トレーナーなんかじゃ駄目です。薄手のセーターを着ました。
エアコンは暖房にして、ストーブをつけました。
これから冬になるのですね。
夏からここまであっという間だったのに、
ここから来年の4月までは、なんと長く感じられることでしょう。
春よ来い、早く来い、
今からそう思います。
気が早過ぎですね。ははは。
昨日は新内の演奏会に行きました。
新内とは浄瑠璃(三味線音楽の中の語りものというジャンル)の一流派で、
江戸中期に、京都生まれの浄瑠璃の太夫宮古路豊後掾が幕府による弾圧にあって帰京したあと
門弟たちによって起こった分派のうちの一つで、鶴賀若狭掾の門人の一人鶴賀新内によって起こった
豊後系浄瑠璃の新内・常磐津・富本・清元(江戸浄瑠璃4派)のうちの一派です。
江戸浄瑠璃4派のうち新内は当初の歌舞伎用音曲から離れ、
吉原根城にいわゆる流しという街頭芸お座敷芸になっていきました。
流しは普通の三味線の手とそれより高い手(上調子)の2人一組で街を練り歩きます。
元祖の鶴賀新内は伝説によれば「鼻に抜ける声」にたまらない味があって、
誰も彼もがこれを真似たのだそうです。
語られる題材も心中物が多く、まさに江戸情緒満載。
私がお稽古している義太夫は浄瑠璃(語りもの三味線音楽)の元祖ですが、
大阪発祥大阪育ちなので、
私たち関東の人間にとってはなんともはや、実は近づきたくても遠い遠い、
異国の言葉の異国の芸なのです。
以前私の師匠竹本土佐恵(東京生まれ)が文楽の師匠に稽古をつけてもらって
毎回イントネーションを直され、しまいには
「まあ、よろしいのやおまへんか。東京では語るお人も東京のお方、
聞くお人も東京のお方ですさかい」
と突き放すように言われ、それを言っちゃあお終しまいよ、と複雑な気持ちになった、
ということを記事にしたことがあります。
明治期の洋楽に対する日本人のように、いまだに関東の人間には関西は異国。
関東の語感と関西の語感は相容れないのですね。
人間国宝竹本住大夫の本に三味線にさえ東京なまりが出るから関東出身者は困る、
と書かれていますが、まさに、なまった関東臭い義太夫を東京もんは語っているわけです。
はっはっは、だったら江戸情緒満載の新内があるじゃないか。
って言ったって、このお江戸、今の東京に住んでいる人間のうちの何%が
生粋の江戸っ子でしょうね。怪しいもんです。
私も、大学で東京に出た田舎者。
そんなもんです。
そうは思いますが、いや、寒い。
トレーナーなんかじゃ駄目です。薄手のセーターを着ました。
エアコンは暖房にして、ストーブをつけました。
これから冬になるのですね。
夏からここまであっという間だったのに、
ここから来年の4月までは、なんと長く感じられることでしょう。
春よ来い、早く来い、
今からそう思います。
気が早過ぎですね。ははは。
昨日は新内の演奏会に行きました。
新内とは浄瑠璃(三味線音楽の中の語りものというジャンル)の一流派で、
江戸中期に、京都生まれの浄瑠璃の太夫宮古路豊後掾が幕府による弾圧にあって帰京したあと
門弟たちによって起こった分派のうちの一つで、鶴賀若狭掾の門人の一人鶴賀新内によって起こった
豊後系浄瑠璃の新内・常磐津・富本・清元(江戸浄瑠璃4派)のうちの一派です。
江戸浄瑠璃4派のうち新内は当初の歌舞伎用音曲から離れ、
吉原根城にいわゆる流しという街頭芸お座敷芸になっていきました。
流しは普通の三味線の手とそれより高い手(上調子)の2人一組で街を練り歩きます。
元祖の鶴賀新内は伝説によれば「鼻に抜ける声」にたまらない味があって、
誰も彼もがこれを真似たのだそうです。
語られる題材も心中物が多く、まさに江戸情緒満載。
私がお稽古している義太夫は浄瑠璃(語りもの三味線音楽)の元祖ですが、
大阪発祥大阪育ちなので、
私たち関東の人間にとってはなんともはや、実は近づきたくても遠い遠い、
異国の言葉の異国の芸なのです。
以前私の師匠竹本土佐恵(東京生まれ)が文楽の師匠に稽古をつけてもらって
毎回イントネーションを直され、しまいには
「まあ、よろしいのやおまへんか。東京では語るお人も東京のお方、
聞くお人も東京のお方ですさかい」
と突き放すように言われ、それを言っちゃあお終しまいよ、と複雑な気持ちになった、
ということを記事にしたことがあります。
明治期の洋楽に対する日本人のように、いまだに関東の人間には関西は異国。
関東の語感と関西の語感は相容れないのですね。
人間国宝竹本住大夫の本に三味線にさえ東京なまりが出るから関東出身者は困る、
と書かれていますが、まさに、なまった関東臭い義太夫を東京もんは語っているわけです。
はっはっは、だったら江戸情緒満載の新内があるじゃないか。
って言ったって、このお江戸、今の東京に住んでいる人間のうちの何%が
生粋の江戸っ子でしょうね。怪しいもんです。
私も、大学で東京に出た田舎者。
そんなもんです。
最近忘れていたこと
ヴァイオリンの教本に「カイザー」というのがある。
ただひたすら、4本ある弦のどの位置を押さえたらどういう音程の音が出るのか、
またそのための運指はどうしたらいいのかを頭に叩き込むための教本で、
それこそ本当にひたすら取り組むものだから、
何かを考える余地はない。
編み物もそれに似ていて、
何目編んだらそこで一つ編み目を変えて、と、それをひたすら繰り返す。
更に何段か繰り返したら、しかるべきところで、目数を減らすなり、増やすなりする。
何目編んで糸を変え、何目編んでまた戻す。
そうやって頭の中では数をかぞえるばかりで「数」に占拠されてしまう。
それが心地良い。
その感覚を最近忘れていた。
ただひたすら、4本ある弦のどの位置を押さえたらどういう音程の音が出るのか、
またそのための運指はどうしたらいいのかを頭に叩き込むための教本で、
それこそ本当にひたすら取り組むものだから、
何かを考える余地はない。
編み物もそれに似ていて、
何目編んだらそこで一つ編み目を変えて、と、それをひたすら繰り返す。
更に何段か繰り返したら、しかるべきところで、目数を減らすなり、増やすなりする。
何目編んで糸を変え、何目編んでまた戻す。
そうやって頭の中では数をかぞえるばかりで「数」に占拠されてしまう。
それが心地良い。
その感覚を最近忘れていた。
犬猫供養塔
ブログのカテゴリーは色々あるけれど、
ワンちゃんブログ、ニャンコブログというのは、
すごい数ありますね。
ご訪問下さる方にもワンコやニャンコを飼っていらっしゃる方が多く、
犬猫はペットどころか、切っても切れない絆を育んでいらっしゃる家族だ、
というのが、ひしひしと伝わります。
生活を共にする、というのは、男と女、親と子、に限らず、
勿論人と動物でも、距離を縮め、絆を深め、わかりあうために、
とっても大切なことなんですね。
以前、遺棄された犬猫の保護活動に協力されている方が、
恋人と別れた理由として、「その恋人の娘が、自分の反対を聞かずに、
ペットショップで売っている犬を飼い始めたから」だと言っていました。
「価値観が違う」のだそうです。
うーん、それはどう捉えたらいいのでしょう。
高価に売られるペット一匹の裏には、ブリーダーで間引きされる何匹もの犬猫がいる。
捨てられて殺処分を待つ犬猫を譲渡会で貰い受けて飼うということの方が正しい、
と言うのです。
うーん、それはそうかもしれませんが・・。
ちなみ彼には奥さんがいて、恋人というのは愛人です。
その「価値観」もなんだかなあ、です。
和楽器の三味線は、木でできた胴に犬か猫の皮を張ります。
撥は象牙。(津軽三味線では鼈甲。)
駒は水牛の角。(長唄三味線では象牙。)
張ってある糸は蚕の吐き出す絹糸です。
それらの命なくしては一音も奏でることのできない楽器です。

両国の回向院に今から80年前の昭和10年義太夫協会有志建立の犬猫供養塔があります。
「犬猫の菩提のため供養塔を建てて音曲報恩の香華となし
あわせて撥の象牙も駒の水牛も弔魂の慰霊を加え
内外四獣の法要に因縁の浅からざる人は
この墓前にて一片の回向あらん事」
と刻まれています。
「犬猫ばかり供養して、三味線の糸になるお蚕は生きながら煮られちゃう、
可哀想な運命だ」
と指摘されてあとから横に糸塚もつくったのだそうです。
回向院には義太夫節の開祖ともいうべき竹本義太夫、また多くの義太夫関係者のお墓があり、
明治の頃から毎年祖先祭が催されおり、先日行ってお参りをしてきました。
また回向院にはペット墓も多く、そちらは常に花盛りです。
今回の祖先祭でお話しをして下さった研究家の先生によると、
どうも、そちらにお参りに来た方々がお供えして下さるらしく、
竹本義太夫のお墓に花のないことはあっても、犬猫供養塔にお花のないことはない、のだそうです。
これが三味線に張られる犬猫の供養塔だと知ったら、どう思うでしょうね、と言っていました。
今、和楽器に使われる「犬猫の皮」「象牙」「絹糸」「木材」
全てが危機的状況にあります。
温暖化などの環境の変化や希少種保護を目的とした国際条約による輸入規制、
林業従事者の高齢化、等々々。
確かに残酷といえば残酷なことをしているのかもしれませんが・・。
研究家の先生が新聞の投書欄に載ったある小学生の文章を読み上げました。
その子は三味線の演奏を生で聞く機会があって、
三味線は猫の皮を張ってあるんだと聞いて、はじめは嫌な気持ちがしたけれど、
演奏を聞いて感動し、それはそこに命があるから感動するのだ、と思った、というのです。
小学生に教えられます。
私たちは日々、命を頂き、命に感動して生きているのですね。
ワンちゃんブログ、ニャンコブログというのは、
すごい数ありますね。
ご訪問下さる方にもワンコやニャンコを飼っていらっしゃる方が多く、
犬猫はペットどころか、切っても切れない絆を育んでいらっしゃる家族だ、
というのが、ひしひしと伝わります。
生活を共にする、というのは、男と女、親と子、に限らず、
勿論人と動物でも、距離を縮め、絆を深め、わかりあうために、
とっても大切なことなんですね。
以前、遺棄された犬猫の保護活動に協力されている方が、
恋人と別れた理由として、「その恋人の娘が、自分の反対を聞かずに、
ペットショップで売っている犬を飼い始めたから」だと言っていました。
「価値観が違う」のだそうです。
うーん、それはどう捉えたらいいのでしょう。
高価に売られるペット一匹の裏には、ブリーダーで間引きされる何匹もの犬猫がいる。
捨てられて殺処分を待つ犬猫を譲渡会で貰い受けて飼うということの方が正しい、
と言うのです。
うーん、それはそうかもしれませんが・・。
ちなみ彼には奥さんがいて、恋人というのは愛人です。
その「価値観」もなんだかなあ、です。
和楽器の三味線は、木でできた胴に犬か猫の皮を張ります。
撥は象牙。(津軽三味線では鼈甲。)
駒は水牛の角。(長唄三味線では象牙。)
張ってある糸は蚕の吐き出す絹糸です。
それらの命なくしては一音も奏でることのできない楽器です。
両国の回向院に今から80年前の昭和10年義太夫協会有志建立の犬猫供養塔があります。
「犬猫の菩提のため供養塔を建てて音曲報恩の香華となし
あわせて撥の象牙も駒の水牛も弔魂の慰霊を加え
内外四獣の法要に因縁の浅からざる人は
この墓前にて一片の回向あらん事」
と刻まれています。
「犬猫ばかり供養して、三味線の糸になるお蚕は生きながら煮られちゃう、
可哀想な運命だ」
と指摘されてあとから横に糸塚もつくったのだそうです。
回向院には義太夫節の開祖ともいうべき竹本義太夫、また多くの義太夫関係者のお墓があり、
明治の頃から毎年祖先祭が催されおり、先日行ってお参りをしてきました。
また回向院にはペット墓も多く、そちらは常に花盛りです。
今回の祖先祭でお話しをして下さった研究家の先生によると、
どうも、そちらにお参りに来た方々がお供えして下さるらしく、
竹本義太夫のお墓に花のないことはあっても、犬猫供養塔にお花のないことはない、のだそうです。
これが三味線に張られる犬猫の供養塔だと知ったら、どう思うでしょうね、と言っていました。
今、和楽器に使われる「犬猫の皮」「象牙」「絹糸」「木材」
全てが危機的状況にあります。
温暖化などの環境の変化や希少種保護を目的とした国際条約による輸入規制、
林業従事者の高齢化、等々々。
確かに残酷といえば残酷なことをしているのかもしれませんが・・。
研究家の先生が新聞の投書欄に載ったある小学生の文章を読み上げました。
その子は三味線の演奏を生で聞く機会があって、
三味線は猫の皮を張ってあるんだと聞いて、はじめは嫌な気持ちがしたけれど、
演奏を聞いて感動し、それはそこに命があるから感動するのだ、と思った、というのです。
小学生に教えられます。
私たちは日々、命を頂き、命に感動して生きているのですね。
川の流れ
2011年11月にブログを始めて、やがて丸4年になる。
同年10月に始めた方のブログで、あ々、私もやがて丸4年なんだ、と気付いて、
なんだか感慨深い。
その方も書いていらしたが、その頃は思ってもいなかったようなことが
自分の身に現実になっている、ということ。
4年は短いようで長い。
「タカ子のきものスタイル」で丸3年。
「つわぶきの記」に移って1年。
私自身も変わったし、ブログに訪れる方々も、私の訪問先も変わった。
正直、ちょっと疲れたかもしれない。
どこへ流れて行く当てもないのだけれど、
流れる、というよりは、流されていけるところまでいくしかないか・・。
いつか大海原に出ることがあったら・・。
いや、それでもやっぱり、ゆったりとたゆたっていくしかないなあ・・。
同年10月に始めた方のブログで、あ々、私もやがて丸4年なんだ、と気付いて、
なんだか感慨深い。
その方も書いていらしたが、その頃は思ってもいなかったようなことが
自分の身に現実になっている、ということ。
4年は短いようで長い。
「タカ子のきものスタイル」で丸3年。
「つわぶきの記」に移って1年。
私自身も変わったし、ブログに訪れる方々も、私の訪問先も変わった。
正直、ちょっと疲れたかもしれない。
どこへ流れて行く当てもないのだけれど、
流れる、というよりは、流されていけるところまでいくしかないか・・。
いつか大海原に出ることがあったら・・。
いや、それでもやっぱり、ゆったりとたゆたっていくしかないなあ・・。
じみへん
寒い。急に何だろう。
ストーブをつけたい。今つけたら冬はどうする。
そう考えて我慢しているけれど、寒い。
1989年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にてスタートした
中崎タツヤの「じみへん」が、今年8月、中崎が還暦を迎えるにあたり、連載終了。
8月に最終巻の「じみへん 仕舞」も発売された。

26年も連載していたんだと。
26年前辺りは、なんだこれヘッタクソな絵!と思っていただけなんだけど、
ほんと、地味に変な漫画で、じわ〜っとくる。
地味に、「生きる」ってことについて考えてしまう(笑)
まあ、読まなきゃわからないけど・・。
で、この中崎タツヤの「もたない男」がすごい。

中崎氏は物欲はあるが所有欲がないのだと。
何でもかんでも捨ててしまう。仕事部屋は机と椅子だけ。ボールペンは使った分だけ削る。
パソコンも捨ててしまい、ブログも終了。
で、還暦を機に漫画家をやめ、漫画を描く道具も捨てるのだそうだ。
あっぱれ。
物欲と所有欲にまみれた私からしたら、夢のような存在だ。
ああ、うざい、これらの物が全てうざい。
が捨てられない。
それが普通。
以前知り合いの女性が「究極の断捨離をしてスッキリ」したと言っていた。
離婚して旦那を捨てた。
自分の人生を断捨離してしまわないようにしないと・・。
恐い恐い。
ストーブをつけたい。今つけたら冬はどうする。
そう考えて我慢しているけれど、寒い。
1989年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にてスタートした
中崎タツヤの「じみへん」が、今年8月、中崎が還暦を迎えるにあたり、連載終了。
8月に最終巻の「じみへん 仕舞」も発売された。
26年も連載していたんだと。
26年前辺りは、なんだこれヘッタクソな絵!と思っていただけなんだけど、
ほんと、地味に変な漫画で、じわ〜っとくる。
地味に、「生きる」ってことについて考えてしまう(笑)
まあ、読まなきゃわからないけど・・。
で、この中崎タツヤの「もたない男」がすごい。
中崎氏は物欲はあるが所有欲がないのだと。
何でもかんでも捨ててしまう。仕事部屋は机と椅子だけ。ボールペンは使った分だけ削る。
パソコンも捨ててしまい、ブログも終了。
で、還暦を機に漫画家をやめ、漫画を描く道具も捨てるのだそうだ。
あっぱれ。
物欲と所有欲にまみれた私からしたら、夢のような存在だ。
ああ、うざい、これらの物が全てうざい。
が捨てられない。
それが普通。
以前知り合いの女性が「究極の断捨離をしてスッキリ」したと言っていた。
離婚して旦那を捨てた。
自分の人生を断捨離してしまわないようにしないと・・。
恐い恐い。