古代中国 英雄伝説「曹操と孔明」 2015.11.10


今からおよそ1,800年前紀元3世紀の中国大陸は群雄が割拠する戦乱の時代を迎えていました。
400年にわたって君臨した漢王朝は黄巾の乱で衰退。
魏呉蜀の三国が天下を分ける三国時代の幕開けです。
乱世を舞台に活躍したのは魏の国の礎を築いた曹操。
蜀の軍師諸葛孔明などの英雄たち。
近年中国大陸での発掘などで新しい事実が次々と明らかになりつつあります。
英雄たちの意外な素顔とは?2009年中国の考古学会を驚かせる大きな発見がありました。
国家文物局が曹操の墓を発見したと公表したのです。
墓は一部が盗掘されていましたが曹操の意外な素顔を物語る副葬品が数多く残されていました。
三国時代の魏を強国に育て上げ他国を圧倒した事で知られる英雄です。
その墓が発見されたのは河南省北部の安陽。
魏の国の都洛陽から300キロほど北東にあります。
安陽の郊外にある西高穴村。
曹操墓は小麦畑の一角で発見されました。
墓の広さは740平方メートル。
およそ40メートルの長い墓道を地下に下ると遺体が納められた墓室があります。
発掘報告書を基に墓室の構造をコンピューターグラフィックスで再現しました。
墓室は全部で6室。
後室には墓の主や妃などの棺が前室には副葬品が納められたと考えられています。
見つかった副葬品の数は400を超えます。
その中に墓が曹操のものである事を示す決定的な証拠がありました。
副葬品の名称を記録した石牌。
副葬品そのものは失われていましたが石牌からかつて何があったかが分かったのです。
曹操が亡くなった時の諡です。
「常に用いる所」。
曹操が日常的に使用していた事を示しています。
戟とは三国時代によく使われた武器です。
この石牌は曹操がふだん用いていた武器を副葬していた事を示していたのです。
墓からはひときわ研究者の注目を集めるものが見つかりました。
発掘担当者によれば海外のメディアに公開するのは初めてです。
鑑定にあたった中国社会科学院は「縫合線」と呼ばれる波状の線を分析しました。
その形から60代という年齢を判断したのです。
しかしそこには奇妙な点があると潘さんは言います。
頭蓋骨が発見されたのは墓室の前室です。
しかし曹操の遺体は後室にあった棺の中に埋葬されていたはずです。
頭蓋骨をよく見ると後頭部と側頭部は残されているものの顔の部分が失われています。
その一部は頭蓋骨の傍らに粉々になった状態で発見されました。
自然に壊れた感じがあまりしないのでその辺のところに盗掘した上に死体を損壊したのかなというふうな感じまで受けて。
曹操の歴代の評価というものは「三国志演義」に代表されるように非常に悪役として描かれてきましたし本当は時代を変えていった革新的な人なんですけれどもねその評価っていうものがなかなか根づかなかったんだと思いますね。
実は曹操には長い間悪役の印象が付きまとってきました。
200年ほど前から人々に親しまれてきた大衆演劇。
この中で曹操は助けてくれた恩人の一家を皆殺しにします。
こうした演劇などが曹操の極悪非道な悪人としての側面を強調してきたのです。
一方「正史三国志」と呼ばれる史料があります。
歴代王朝によって編纂された公式な歴史書の一つです。
ここには演劇や物語とは大きく異なる評価が記されています。
曹操は「時代を超越した英傑」だというのです。
更に曹操の墓を少し前の時代の墓と比べると意外な実像が浮かび上がります。
前漢時代の皇帝の兄が葬られた満城漢墓です。
遺体は2,500枚にも及ぶ玉で覆われ玉と玉は金の糸で縫い合わされています。
豪華な副葬品で墓を飾り立てるのは漢の貴族の習慣でした。
漢王朝は国を安定させるために目上の人に従順である事を説く儒教を国の教えとしました。
親を葬るにあたってもその墓を豪華に飾る「厚葬」が奨励されたのです。
このような厚葬は曹操の時代まで続いていたと考えられています。
漢の貴族に比べ曹操墓の副葬品は極めて質素である事が分かっています。
現在400点以上の副葬品が見つかっていますが陶器などどれをとっても華美なものはありません。
「正史三国志」の中に曹操の言葉が記されています。
「遺体を包むには平服をもってし金玉珍宝をおさむる事なかれ」。
曹操は生前自らを質素に葬るよう言い残していたのです。
曹操が生きた後漢という時代には自分の孝行親孝行の孝の表れとして非常にたくさんの副葬品を入れるという事がはやっていたんですね。
曹操が儒教というものに対する反発を非常に持っていてその儒教が定めていたあつい非常にたくさんの副葬品を入れるというそういう葬儀に対する反発の中から「薄葬令」というものを出したんだろうと思っています。
魏という新しい国を築こうとした曹操。
400年にわたって安定を維持してきた漢王朝から新しい時代に変わろうとする転換期を生きていました。
更なる勢力の拡大を目指す曹操。
大軍を長江流域へと進め呉などの連合軍と対峙します。
紀元208年赤壁の戦いです。
この時曹操に対立する英雄が歴史の表舞台に登場します。
あの名軍師諸葛孔明です。
孔明は藁で覆った船を使って矢を集めるなどの奇策を次々と繰り出し曹操軍を翻弄します。
孔明はここで曹操に屈辱的な敗北を味わわせたのです。
この戦いをきっかけに曹操の勢力は一旦後退。
孔明の蜀曹操の魏などが天下を目指して激しい争いを繰り広げます。
ところが赤壁の戦いには大きな謎があります。
「正史三国志」には曹操の敗戦が記されているものの孔明の軍略については何も記されていないのです。
更に「正史」には孔明の軍師としての才能を疑う記述まであります。
「孔明は臨機応変の軍略は得意でなかった」。
諸葛孔明とは一体どんな人物だったのでしょう?かつて孔明が活躍した蜀の国。
険しい山々が広がり三国の中では最も国力の低い国でした。
その南四川省の雷波です。
険しい山あいに少数民族のイ族が暮らしています。
イ族は4,000年以上の昔からこの地に住み着いてきたと言われています。
トウモロコシやジャガイモの栽培などをなりわいとしてきました。
この少数民族の間に諸葛孔明の伝説が残されていました。
なぜ孔明はこの地の人々に愛されてきたのでしょうか?雷波の山あいに馬湖と呼ばれる湖があります。
湖に浮かぶ小さな島。
この島に孔明の実像を知る手がかりがありました。
島には500年以上の歴史を持つ廟があります。
廟には孟獲という人物が祀られています。
孟獲は孔明と同じ時代に活躍したイ族の英雄です。
孟獲の伝説の中に孔明の知られざる素顔が隠されているといいます。
三国時代孔明が仕えた蜀の国は大きな困難に直面していました。
南方で反乱が起こったのです。
そこに王として君臨していたのが孟獲でした。
紀元225年孔明は孟獲の反乱を鎮圧するため大軍を率いて出陣します。
孔明は圧倒的な力で孟獲の軍を破り孟獲を捕らえます。
しかしその後の行動は意外なものでした。
生け捕りにした孟獲をすぐに釈放したのです。
孟獲は「布陣を知ったので次は簡単に勝てる」と言い放ちます。
孔明は再び孟獲を捕らえますがこの時も笑って釈放しました。
こうして捕らえては釈放する事を7度繰り返すと最後に孟獲は屈服したといいます。
孔明はなぜ孟獲を何度も釈放したのか。
「正史三国志」はその理由を記しています。
「孟獲を赦しもって南方を服す」。
「心を攻めるを上策とす」。
「心を攻める」これこそ孔明の秘策だったのです。
この後孟獲が離反する事はありませんでした。
南征の成功で遠くはインドにまで通じる交易ルートが開かれ蜀の国は大きな富を獲得したのです。
孔明はその後蜀の軍を率いて何度も魏の国に戦いを挑みます。
奮闘する孔明。
しかし魏の力は強大でいずれも決定的な打撃を与える事はできませんでした。
やがて戦いのさなか孔明は戦場で病に倒れ命を落としました。
志半ばで世を去った孔明。
やがて蜀は魏によって滅ぼされました。
その魏の後を継いだ晋によって三国は統一されたのです。
「正史三国志」は孔明の生涯を記したあとその人物像をこう評しています。
「諸葛孔明は誠実さをもって公正に政治を行った。
蜀の民は皆敬愛した」。
三国の中で最も弱小だった蜀の国を支えた孔明。
魏の国を後に天下を統一する強国に育て上げた曹操。
2人の生き方は新たな時代を切り開くには何が必要かを問いかけています。
2015/11/10(火) 02:50〜03:10
NHK総合1・神戸
古代中国 英雄伝説「曹操と孔明」[字]

奸臣・曹操に悲劇の名軍師・諸葛孔明が挑む三国志の物語。ところが最近、河南省で曹操墓が発掘され曹操が名君だったことが明らかになった。さらに孔明の意外な実像も浮かぶ

詳細情報
番組内容
奸臣・曹操に悲劇の名軍師・諸葛孔明が挑む三国志の物語。 実は、私たちが知るエピソードの多くは、後の時代に脚色されたもの。ところが、2009年、河南省で曹操墓が発見された。今回、曹操と思われる遺骨などが外国のテレビに初めて公開された。発掘から明らかになる曹操の実像は、意外な名君の姿だった。また、諸葛孔明は、実は軍師としての才能より政治家としての才能が勝っていたのではないかと、実像が見直されつつある。
出演者
【語り】兼清麻美

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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