日本の三菱航空機が開発したジェット旅客機「MRJ」が11日、名古屋空港を飛び立った。上昇と降下、左右旋回を繰り返し、1時間半後に着陸した。2008年にプロジェクトを開始して以来、7年目で初飛行に成功した。滑走路周辺に詰めかけた日本人は歓呼した。日本メディアはトップニュースで取り上げ、官房長官も「大変うれしい」と述べるなど国家的慶事として受け止められた。
日本は航空分野を自動車産業に続く重点産業として育成している。航空機に搭載する部品は100万-200万個に達する。2万-3万個でできている自動車とは比較にならない。航空機技術もレベルが異なる。成功すれば製造業全体の技術水準が何段階もレベルアップ可能だ。その上、中国、東南アジアの需要増で市場も拡大している。今後20年で3万8000機の航空機が世界の空を飛ぶ見通しだ。欧米の航空機市場独占が揺らいでいるのも最近のことだ。格安航空会社(LCC)の急増と近距離路線開設で小型、安価で燃料消費が少ない航空機が市場をリードしている。カナダ、ブラジルが航空機市場のすき間に既に食い込んでいる。
MRJの初飛行に対する熱狂は経済的理由だけでは説明がつかない。失敗と挫折にもかかわらず、100年間あきらめなかった奮闘の結果だからだ。日本の航空機開発の歴史は1917年にさかのぼる。フランスの技術を学び、1930年代に世界最強の戦闘機を開発したが、敗戦で芽が摘まれた。米国は日本が製造した戦闘機を全て破壊し、メーカーを解体した。全ての資料を没収し、航空機研究を禁止した。禁止令が全面解除されたのは56年のことだ。日本政府は「国産民間機計画」を立て、離ればなれになった技術者を呼び集めた。資料は消えたが、彼らの頭脳と手先にしみ込んだ技術は消えはしなかった。6年後にはプロペラ旅客機「YS-11」が完成した。