外来種被害防止行動計画
『2020年までに侵略的外来種とその定着経路を特定し、優先度の高い種を制御・根絶すること』
最近ネットで騒がれている話題である。
言ってしまえば
これまで各都道府県の条例によって行われてきたバスの駆除が
今後は国家予算を投じて法的に行われるという事。
つまり
ほぼ確実に全国で駆除活動が行われ、リリース禁止になってしまうという事でもある。
そしてこれは
既にほぼ確定しているという噂まである。
2015年1月にはこの法案に対するパブリックコメントが募集されているのを知っているだろうか?
しかしこれは
10年前と同じ、特定外来生物にバスが指定された時とほぼ一緒の顛末をたどったと言ってもいい。
かつて9万もの一般市民から寄せられたパブリックコメントは
当時環境大臣であった小池百合子氏の一言によって
完全に黙殺されたのは今なお薄れる事のない記憶として皆の胸に刻まれている事だろう。
今回もそうだ。
雑誌社の話によれば、パブリックコメントの内容が読まれることはほぼなかったとされているらしい。
それはつまり
『国民の意見は集めましたよ、それを聞いた上で決めますよ――ただし、反映するかは知りませんが』
というただのパフォーマンスに過ぎない、と言ったとこだ。
日本のバスフィッシングは終焉を迎える……
誰もが最悪の結末になってしまうという気持ちを、払拭する事が出来ない現実が今眼前に迫っているのだ。
さて、ここで私の個人的な話しをしようと思う。
今世間ではバス駆除派とバス擁護派に分かれているのはご存知だと思うが
当然私はバス擁護派に分類される。
しかしバス擁護派の中で理屈っぽく語られることの多い
・バスフィッシングがもたらす経済効果
・在来種が減った本来の原因
・バスという魚に対する愛護精神
そんな物を引き合いに出した事は
今の今まで私は一度もなかった。
なぜか?
答えは単純だ。
どんなに屁理屈を捏ねても、結局のところ私がバス擁護派でいる理由は
バスフィッシングが好きだからでしかないのだから。
例えばの話しをしよう。
バスが完全に外来生物として法的に指定され
日本という国からバスという魚がいなくなれば、釣具メーカーは一体どうするのだろうか?
大手メーカーなら他魚種へと経営方針をシフトすれば生き残れるかもしれない。
しかしバス専門のインディーズメーカーは?
例えば琵琶湖のガイドで生計を立てている人たちは?
一体どうなってしまうのだろうか。
その人たちは全て仕事を失ってしまうかもしれない。
それに例えば河口湖のようなバスが漁業権魚種認定されている場所では
釣り人がもたらす宿泊施設の利用、入漁量、コンビニやガソリンスタンド等の年間の経済波及効果が約36億円にのぼるとされている。
こういった経済効果が、地域産業として地元を活性化させる要因となっているのも事実だ。
これを全て無に返してしまうのか?
そんな事をするくらいなら
バスフィッシングをレジャー産業として活かすほうが有意義だ!
という擁護派の意見がある。
だが残念ながらこんな声は全く駆除派・反対派の耳には届かない。
なぜか?
それはこの一言で全て否定できてしまうからだ。
『経済効果があれば何でも許されるのか?』
という事だ。
極端な話しになってしまうが
金が動くのだからそれでいいじゃないかと言ってしまうのは
戦争は金になるんだからやったほうが良いんだよ
と言うのとほとんど変わらないということである。
例え罪のない人間がいくら死のうが不幸になろうが
戦争は金になる、だから推奨する。
と言っている戦争屋とだぶる部分があるのではないだろうか?
私はもちろん戦争否定派だ。
そして、恐らく日本人の多くは戦争を好ましいと思わないだろう。
だからこそこの文を読んでくださっている方の多くは
先にあげた戦争屋の屁理屈などまともに受け取らないと思う。
これがバス擁護派と駆除派の間でも起こっていると考えれば
非常にわかりやすいのではないだろうか。
金になるから?
それで許されるわけがないだろ。
バスで生計を立ててた人間がどうなろうが、それよりも大事なことがあるんだよ。
そんな奴らの事なんて知るか
これが日本の現状だ。
バスのせいで在来種が激減、絶滅してしまった
という意見に対して
それはバスだけの責任ではないぞ
というもっともな意見が存在する。
つまり護岸工事や環境破壊がもたらす在来種への影響の方がはるかにでかいということだ。
それなのにバスだけを悪者にして駆除しようなんて言語道断、恥を知れ!
と擁護派は言うかもしれない。
実際私もその湖の在来種が減った理由がバスだけとは思わない。
これは私がバスアングラーであるからこその確信があるわけだが
バスという魚は皆が思っているほど食事回数は多くない。
そして、決して獰猛でもない。
これはかつて外生法が作られる前に私自身バスを飼っていたこともあるし
これまでのバスフィッシングで培ってきた知識も総括して言えることなのだが
バスはそんなに餌を食べない魚なのだ。
正直1日1匹2匹
自分の体に対して充分なサイズ、もしくは量の餌を摂取すればそれで満足してしまう魚なのである。
必要以上の餌を獲らない。
これはバスを飼ってみてずっと思っていた事だし
また釣りをしていて如実に感じることでもあるのだ。
この辺りがトラウトと違う部分である。
トラウト(ニジマス)はかなりの暴食で、餌が居れば居るだけ食うとされている。
まぁ受け売りなのでどこまでホントかはわからないが。
またバスという魚はその姿形を見れば一目瞭然であるが
完全に待ち伏せ型の魚だというのはわかるだろう。
もちろん中には回遊性の強いバスもいるよ
なんて釣り人らしい意見もここでは言おうと思うが
それでもバスという魚は元来待ち伏せ型の魚類であるというのは明確な事実だ。
ちなみに回遊・追跡型の魚の代表はマグロである。
身の色と流線形状の体から一発で判断できるだろう。
話しを戻して
バスのような待ち伏せ型の魚は
いわば目の前に無警戒で侵入してきた餌だけを捕食する事を大半とし
餌が居れば居るだけ喰ってやろうなんていう獰猛さは実はない。
これがバスは『都合の良い捕食者』と釣り人の中で語られる理由である。
当然この都合の良さは餌の割合にも影響してくる。
どういうことかというと
例えばそのフィールドではバスの餌となり得るモノがいくつか居たとしよう。
あえて具体例を挙げるとすれば
・ギル
・ワカサギ
・ザリガ二
・虫
・鮎
とかが居たと仮定する。
この割合が例えば
・ギル(35%)
・ワカサギ(30%)
・ザリガ二(20%)
・虫(10%)
・鮎(5%)
だとしよう。
この場合バスが主に捕食する餌は
かなりの高確率でギルとなる。
理由は単純
割合が多い餌の方が捕食しやすいからだ。
わざわざ少ない鮎を探し回って追い回してまで喰うほど
バスという魚はグルメではない。
つまり、バスがその種を根絶するほどまで喰い散らかすような事は
可能性としては低いと言っても言い過ぎではないということなのだ。
もし仮にバスがグルメだと言うのなら
虫パターンが虫がいる時期だけしか効かないなんて定説が蔓延るわけがない。
餌としてあんなに捕食しやすいモノはないのだから、例え虫がいなくなる真冬であってもバスは虫を探しているはずだ。
居れば確実に喰えるのだから。
でもそうしないのは、冬に虫はいないと本能的に察しているからであり
当然捕食する為には相応の労力を必要とすることをわかっているためである。
そんな非合理的な事を、バスがするはずがない。
そしてそれは虫以外の他の餌相手にも普通に当てはまる事なのだ。
なんせバスは『都合の良い捕食者』だから。
ならば在来種が激減、絶滅する理由は何か?
先にも言ったが、人間が在来種の産卵床となるような場所を護岸工事で潰してしまったり、水質悪化をはじめとする環境汚染をしてしまったり
そっちの方が影響は確実にでかいだろうということだ。
ならばバスを駆除する資金を、環境改善に当てたほうがどう考えても良いだろうという話しなのである。
だがしかし、ここまで理屈を並べておいて語ったとしても
やはり駆除派・反対派の耳には届かない。
なぜか?
『議論はバスが持つ魚食性による在来種減少の可能性についてなのだから、環境汚染の話題を引き合いに出すのは論点ずらしである』
と一蹴されるからである。
非常にミクロな視点だ。
結局のところバスって魚食うんでしょ?
なら在来種の減少にも影響がないわけないじゃん
と言いたいわけである。
もっと大元の部分
在来種が『何故減っているのか』という部分は大して重要視されない。
バスが魚を食うか食わないのかを問いている
食うならギルティ
ただそれだけ
在来種が減っている理由? 論点ずらしだ
これが反対派・駆除派の思考回路である。
まぁわからんでもない。
もう一つある。
これは私自身バス擁護派の意見としては最悪だと思っている類いなのだが
『バスに罪はない』
『外来魚だから殺しても良いというのか』
『人間の都合で殺すなんて酷い』
などという
バス愛護精神からくる発言だ。
これは完全に
動物愛護の人間が語るそれと何一つ変わらないのである。
つまり
一切の論理性を排除した感情論ということだ。
これは駆除派はおろか
同じ思考を持つ人間以外には全く届かない類いの言葉である。
動物愛護の話は
例えば食肉や狩猟の世界でよく語れる部分だと思うが
私の場合は肉食も狩猟もほぼ完全に肯定派ゆえに
動物愛護精神を持つ人間の発言ほど愚かなものはないなと常々思っている節がある。
だからこそわかるというのもあれだが
『バスがかわいそう』と声高々に言う人間は
正直バス擁護派として区分するのは駄目なのではとすら思う。
擁護派からも駆除派からも疎まれて然るべき人種だと私は考える。
まぁ他にもいろいろあるがこの辺にしておこう。
結局何が言いたいか?
それは
もはや反対派の人間を納得させる事が出来るまともな理屈は存在しない
と言っても良いということだ。
たとえどんなに
バスフィッシングがもたらす経済効果を提出しようと
たとえどんなに
バスという魚が在来種に対してそこまで影響を与えないよと資料を作成しようと
たとえどんなに
多くのバサーが叫ぼうと
もう声は届かないのである。
じゃあ諦めるのか?
と言ったらそうではないが、逆転の可能性はそれこそ限りなく0に近いのかもしれない。
正直私はあんまり明るい未来を期待していない。
どう足掻いても絶望だと、そう思っている。
だからと言ってバスフィッシングやめたりとか他の魚種に移ったりとかは
それこそありえない話ではあるが。
私は自分に出来る事しかしない主義であり、したいことであればどんな事でもやるような人間である。
そこに善悪の頓着は存在しない。
もし将来的にバスフィッシングが完全に規制され
犯罪行為になったとしても
私はバスフィッシングをやめる事はないだろう。
それは
快楽殺人犯に対して殺しはいけない事ですよ、犯罪ですよ
と言うのと相違はないと思う。
つまり
『だから?』
で終わってしまうことなのだ。
こんな事を書いたら犯罪自慢となって色々問題なのかもしれないが
今のところバスフィッシングは犯罪行為とはされていない。
ただ、もし今後犯罪行為と認定されたとしても
私がやることは何も変わらないだろうという意思表示である。
それに私は魚釣りが好きなわけではない
バスフィッシングが好きなのだ。
バスがいなくなっても他に魚いるから良いじゃんという言葉は
彼女にフラれても他に女なんて一杯いるから良いじゃんと言われるのと
何一つ変わらないということだ。
私は別に女であれば誰でも良いなんて思った事は一度もない。
好きになるからこそ人生を共有したいと思うし
好きになるからこそ付き合いたいと思うものだ。
そして、かならずそこには好きになる理由が存在する。
だからこそ、誰でも良い訳じゃない。
そいつでなければいけないのだ。
なんて思うタイプの人間である。
私には
バスフィッシングしかないのだ。
一応私はこう思っていた。
別に日本からバスフィッシングがなくなったとしてもアメリカ行けば良いし。
ま、英語できないけどねー
なんて風に。
だが、実際直接言われたことでもあるしバス駆除派の人間が言ってることでもあるのだが
『バス釣りしたいなら北米にでも行けば?』
という言葉である。
正直これを言われた時
日本でバス釣りができなくなったからアメリカに行こうかな、なんて思考回路は
泣き寝入り以外の何物でもないと思ってしまったのだ。
とても悔しかった。
自分の意志にも関わらず
バス駆除派・否定派の人間に言われたからそうしたと思われるのが
何よりも耐えがたかった。
なんとしてでも日本のバスフィッシングを死なせてはいけないと
そう覚悟した。
だが現実問題気合や情熱だけでどうにかなる次元ではなくなっているのだ。
先にも言ったが、まともな意見はもはや通らない。
バス擁護派というだけで条件反射的に否定される世界が
既に構築されつつある。
仮にバスが国を挙げて駆除される事になったとしても
正直バスを全て駆除する事は叶わないだろう。
それゆえ楽観視している人間もいるのもまた事実だ。
しかしそうではない。
日本という国がバスという魚を完全に敵視するようになったという現実が
我々バスアングラーにとっての敗北なのである。
そこに未来はない。
ならばどうするか?
正直、私には方法が思いつかない。
どうしようもないのかもしれない。
だからあえて何も語らないでおこう。
今はまだ、私が語れることなどなにもありはしない。
だが、唯一つ言えることがある。
私は常にバス釣りと共にあるということ
それだけは確かだ。
さて、最後に
そろそろ私もリアルな事情で忙しくなってきそうだ。
今までどおり更新できるかは正直わからなくなってきている。
そして現段階
数年はまともにバスフィッシングが出来ないかもしれないという覚悟すら持っている状態だ。
まぁ私にとってのまともなバスフィッシングと言うのは
フルタイムで年間釣行300日みたいな釣りのことを言うのだが。
5年後
いや、もうあと4年か。
それまでに私達が一体何をするのか
それはまだわからない。
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