世論調査の示すところ
    天皇制は消滅の一途


2005年3月20日
若槻 泰雄



1.NHKの世論調査・30年の軌跡
2.世代による「天皇に対する感情」の相異
3.過渡的な「戦後世代」・期待と栄光?の「戦無世代」!!
4.天皇制の最大の被害者たる「戦前・戦中世代」は?




1.NHKの世論調査・30年の軌跡

 NHKの放送文化研究所は1973年(昭和48年)以来、5年ごとに、『現代日本人の意識構造』と題する55問に及ぶ世論調査を実施してきた。その調査の中に、「天皇に対する感情」という項目があり、そこには次のような質問と4個の選択肢が設けられている。

(質問) 「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか」

  1.尊敬の念をもっている   (尊敬)
  2.好感をもっている     (好感)
  3.特に何とも感じていない (無感情)
  4.反感をもっている     (反感)


調査の概要は以下の通りである。

 ○調査相手
   全国16歳以上の男女5400人(450地区×12人)
   (注)第1回のみは5436人(302地区×18人)

 ○調査有効率
   78.1%(第1回)〜61.5%(第7回)、平均71.1%

 ○調査日
   6月または9、10月の土、日曜日の2日間
   (気象条件により、3日間または4日間に延長されたことあり)

 ○調査方法
   個人面接法

 ○調査時期
   第1回 1973
   第2回 1978
   第3回 1983
   第4回 1988
   第5回 1993
   第6回 1998
   第7回 2003

 ○調査結果の発表
   『現代日本人の意識構造』という題名で、編者「NHK放送文化研究所」、発行所「日本放送出版協会」より、その都度発表されている。但し、第1回の調査結果は第2回と合同。

 この調査のやり方には、若干の批判、不満がないわけではない。例えば、調査不能になった理由については説明がないし、調査有効率が、第1回、第2回の78%代から第7回には61.5%に、20%近く下降している点に関しても、格別論及していない。
 「天皇に対する感情」という設問に対する選択肢が、@「尊敬」、A「好感」、B「無感情」、C「反感」と、4個しかないのも若干問題があるように思われる。というのは、Bの「無感情」を中立的立場と解するならば、天皇にとってプラス的選択肢が@「尊敬」と、A「好感」の2個であるのに対し、マイナス的選択肢が「反感」の1個しかないのは、公平を欠くのではなかろうか。B「無感情」とC「反感」の間には、B「無感情」と@「尊敬」との間の、A「好感」に対応するような表現――例えば「あまりいい感じはもっていない」といった選択肢を設けるべきだ、という主張には充分説得力があるだろう。

 これを分りやすく示すと次のようになる。





 また、面接調査は、電話や郵便による調査より綿密正確なことは確かだろうが、個人面接法という方法自体の欠陥も考えられる。戦前・戦中時代において、「天皇神聖」という強圧的教育を受け、学校だけでなく社会に出てからも、法律的束縛、社会的圧力が続いた時代に生きてきた者としては、親しい友人間でも、いや家庭内でさえ、天皇のことを口にするのは差し控えられていたのである。そして、戦後にもそのタブーは事実上残存しているのだから、初めて会う――どんな人かも分らない調査員に、そのような重大かつ機微に立ち入った質問をされては、正しく自分の考えを表明するのに困難を感ずる人は、かなりの数に達するであろう。

 しかし、こういう議論を始めると、世論調査そのものが実施困難となってしまう恐れも生じてくる。この調査の結果報告書第六版(2004)のはしがきには、「同じ調査方法、同じ質問による全国規模の継続的調査であり、その調査結果は社会的に貴重なデータとして高い評価を得ている」と、NHKが自認しているのも単に自画自賛ではなく、現在の日本における世論調査としてはトップ・クラスと考えても間違いはないであろうから、この調査結果によって議論を進めていくことにしたい。

 そこでまず、1973年の第1回目の調査から、2003年の第7回目まで、ちょうど30年を経過し、その結果が昨年(2004)12月に発刊されたので、国民全体に関する調査結果を次に示すことにする。


           (図表はすべて原著からの引用)

この図を簡単に要約すると、

.「尊敬」は、88年まで33%から28%へと漸減し、93年以降20%前後に急減した。
.「好感」は、88年までは20%余だったが、93年以降、「尊敬」と「無感情」が、それぞれ10%余減少した分が加わって大きく増大した。
.「無感情」は、73年の43%から少しずつ、88年の47%へ増加していったが、「尊敬」同様、93年に減少して、その分は「好感」に移り、98年だけは復旧した。
.「反感」「その他・無回答」は終始1〜2%。

NHK文化放送研究所のコメントによれば、1993年の数値の大きな変動は、89年における「天皇の代替りという時代の節目が、国民の天皇に対する感情を激しく変化させた」と説明されている。(第六版P.132)



2.世代による「天皇に対する感情」の相異

 この調査は、調査相手を次のように3個の世代に分けて、その考え方の違いを明らかにしている。

 「戦前・戦中世代」1938以前生まれ
     (2003年現在、65歳以上)
 「戦後世代」1939〜1958生まれ
     (2003年現在、64〜45歳)
 「戦無世代」1959以後の生まれ
     (2003年現在、44歳以下)

 「戦前・戦中世代」と「戦後世代」を分類する基準である1939年という年は、この年に生れた子供が小学校入学時(終戦の翌年)は、新しい学校制度が始まった時期にあたり、軍国主義教育、日本神国論的教育内容が、一応、民主主義的教育に変った年である。「戦後世代」と次の「戦無世代」(新造語?)の区切りは、戦後30年目の1975年に、16歳の青春期を迎えた人、つまり1959年以降に生れた人とされている。戦前・戦中、戦後、更には戦無世代の分類、殊に、その時代に生きた人々の精神的基礎が養成された時期との関係で、これを規定しようとすれば、その見解は十人十色に分れ議論は尽きないだろうけれど――私も若干異見がないではないが、このNHKの分類は一応合理的と思われるから、これを基準にして調査年次ごとの「世代の構成」を示すと図2のようになる。


(注)73年には「戦無世代」はまだ16歳に達していなかった。

 1973年から2003年に至る30年間で、16歳以上の一人前の日本国民のうち、「戦前・戦中世代」が過半数の59%から、その半分以下の24%に減少し、ゼロだった「戦無世代」は39%へと上昇しており、日本の国民構造はすっかり変ってしまったわけである。

 次に世代別の、「天皇に対する感情」の変化を見ることにする。




.「尊敬」は、「戦前・戦中世代」では50〜40%という高い数値を示している。「戦後世代」になると、「戦前・戦中世代」より激減し、その1/3〜1/4しかない(03年だけは1/2.2)
「戦無世代」の「尊敬」は更に減少し、「戦後世代」のほぼ1/2〜1/3で、すべての年の調査が10%以下、平均6%に過ぎない。

.「好感」は「戦前・戦中世代」は20〜40%、「戦後世代」は73年の17%から、前述の"変化の調査年次"ともいうべき93年をきっかけに急増し、同年には73年の3倍になった。NHKが示唆しているように、この大きな変化は、天皇の世代代りの影響とも考えられるが、73年の第1回調査では、「戦後世代」の最年長者が34歳であったものが、20年後の93年には54歳となり、「戦後世代」の全員が34歳以上の中年の時代にはいったためとも思われる。すなわち、率直正直に本心を語る場合の多い青年時代から、社会に気を使い、生活の安定維持が最大の関心事の中年になったわけで、特にこの世代には"団塊の世代"と名づけられた、人口が特別多い年代が数年間続くので、これらの人が40代後半にはいったことが、93年の調査の、異常なばかりな「好感」増加の原因のように想像される。
「戦無世代」も93年以降、「好感」が増えているが、これも中年化の表れかもしれない。

.「無感情」は「戦前・戦中世代」は27%から14%へと一途半減しており、「戦後世代」も65%から28%へと半分以下になった。「戦無世代」は78年の72%から03年の57%へと凹凸があり、平均は60%で「戦前・戦中世代」の3倍、「戦後世代」の1.4倍にあたる。

.「反感」「その他・無回答」は、いずれもたいした数値ではないが、「反感」が、「戦無世代」で6%、「戦後世代」で4%という年もあり、この数値は天皇制の圧政を直接体験していない世代としては、少し注目に値するかもしれない。



3.過渡的な「戦後世代」・期待と栄光?の「戦無世代」!!

 「戦前・戦中世代」と「戦後世代」では「好感」が多いが、個人面接の世論調査に当って、天皇に対し「好感」と答えるのは、それが事実である回答者はもとより相当存在するとしても、日本人の性格ともいうべき「まあまあ主義」、「信念の欠如」、「いい加減さ」、「万事穏健に」といった傾向が、かなり現われているように思われる。特に最初に記したように、「無感情」と「反感」の中間に、「あまりいい感じはもっていない」といった公平な選択肢を欠き、NHKが天皇に有利な、具体的に言えば、「尊敬」または「好感」を多く選ばせたいという意図をもっているのではないかと――明確ではないにしても――何となく感じた回答者も稀ではなかっただろう。いずれにしても、こういった配慮からだけではなかったにせよ、「尊敬」と「無関心」に挟まれた「好感」という選択肢には、両側から"流入"した数は相当あったように思われる。

 「反感」も、前記のように、面接調査である以上、これを選択するのは、今の日本では、過激な人間と目されては好ましくない、という心理的圧迫のため、実際の感情との相違はかなり大きいだろうし、調査結果の比率もごく少ないので考慮の外におくことにする。従って、選択のキーポイントは「尊敬」というのが一番妥当だと思われる。

 もともと、見たことも、話したこともないし、役人の書いた挨拶文を読み上げる以外には、講演を聞いたこともなく、著書を読んだこともなく、その業績も、人柄も、人格も全く知らない人を、「尊敬する」とか「しない」とか答えさせられること自体、質問される人にとっては当惑することで、少し失礼な質問とも言えよう。だが、「真実を述べる義務も必要もないのだから、適当に・・・」と、内心、苦笑しながら答えた人も珍しくはなかったであろう。

 「尊敬」については、「戦前・戦中世代」は、七回の調査すべてにおいて40%以上の安定した数値を示し、他の二つの世代を引離している。この「戦争・戦中世代」についてはあとで論ずるとして、「戦後世代」を取り上げてみると、前記のように「好感」は急増しているのに、「尊敬」は10%代の低い数値でおおむね一定し、「戦無世代」は図3−(3)のように、「尊敬」は「戦後世代」の大体1/2にあたり、どの年の調査でも10%になったことはなく、5%以下も2回ある。

 「戦無世代」の調査が始まった1978年には、この世代の人たちは16歳から19歳までの青年であるから、「尊敬」がわずか6%だったのも理解できるが、03年の調査――この年「戦無世代」の最高年齢は"中年前期の盛り"ともいえる44歳に達しているのに、「尊敬」は8%、その5年前の年、最高年齢が39歳のときも4%に過ぎない。要するに、現在45〜6歳以下の「戦無世代」は、「天皇を尊敬している人」は、きわめて少数だと見込まれる。

 私は4個の選択肢のうち、「尊敬」だけを重視し、これを基準にして、若い世代の急速な「天皇離れ」を強調してきたが、「好感」を軽視したことに反対する人も少なくないかも知れない。そこで、この選択肢についての説明不足を補足しておきたい。

 私が今ここで問題にしているのは、隣人や知人、友人についてではなく、また面識のないスターや有名人のことでもなく、日本国の象徴たる「天皇」に対する感情についてである。いやしくも「国家・国民の象徴」たるものは、国民の――圧倒的多数の国民の「敬意」と「賛仰」を一身に集中されている、というのがその大前提であり、国民の常識であるはずだ。「好感」というような語句は極く軽い表現、人との接触関係において、プラス的感情を表わす語としては低い方に属する用語である。「国家・国民の象徴」たる人物に対して、国民が「好感」程度の感情しかもっていないというのでは、象徴の座にある資格はありえないと考えるものがいても不思議ではない。

 先ほど、天皇に対する感情のプラスとマイナスの境界線上に、中立的選択肢として「無感情」を位置させたが、「好感」について説明を付け加えたので、「無感情」に対しても、更に踏みこんで論じておきたい。

 前掲の例と同じような論理になるが、隣人・知人・友人、そして会ったこともないスターや有名人に対して「無感情」というのは、明らかに中立的感情であるが、国民の尊敬と賛仰の的であることが前提にされている――そうであることが、その地位の本来の定義であり、資格条件である天皇というものに対し、国民の多数が「無感情」であるということは、その人物が天皇の地位に留まるのは許されないことであって、前記「好感」と「無感情」が大半を占めるような天皇制は、すでに形骸化していると言わねばならないのである。

 今後15年から20年たてば、「戦後世代」の多くも隠退し、「戦無世代」の最年長者が60歳を超えて、あと次々とより若く、理性的で率直な、"くだらん伝統"とかいうものに縛られない青壮年が第一線に登場してきたら――保守的な「戦前・戦中世代」はほとんど消滅してしまっているのだから――日本は、「世代の一大転換」などという段階ではなく、「日本国民の基本的思想」の一大変換の時代が訪れることは確実であろう。それは、"目前の"、その「一歩先」ぐらいに迫っているのである。

 この調査を実施分析したNHK放送文化研究所も、「天皇に対する感情は世代によって強く規定されているので、今後の国民全体の値は、中年層をへて、若年層のものに近づいていくものと思われる」と確信に近い表現で近い将来を予想している(NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造』第五版、日本放送出版協会発行 1998、P.129)

 私は何も、天皇への「尊敬派や好感派」の霧散消失し、逆に「反感派や無関心派」の台頭拡大といった事態が、そのまま天皇制廃止につながるなどと、単純に事態が進展することを予想しているのではない。天皇制への容赦なき批判と、共和制実現の理想が、格別の恐怖や妨害を受けることなく、その反対論ととも論戦を交えることのできる「自由の日」が一日も早く実現することを切に願っているだけである。



4.天皇制による最大の被害者「戦前・戦中世代」は?

 「戦後世代」「戦無世代」、特に後者の「天皇尊敬」は、遅まきながら急速かつ確実に減少し、日本の将来に曙光がさしてきたことは、世論調査の図表が明示するところだが、天皇制による最大の被害者層である「戦前・戦中世代」は、表3−(1)が示すように、「尊敬」が40%を超え続けているのである。

 彼らと共に同じ時代を生きてきたものとして、この事実に対しては、残念とか遺憾といった表現ではとても及ばず、心底からの長嘆息と言うより他はない。私にとっては、「天皇を尊敬する」などという言葉は、最も屈辱的な、最も不愉快な記憶にすべて重なるのであって、「天皇」という語句を見ただけでも憤怒がこみ上げてくることも珍しくはない。「天皇尊敬」を口にする老人・同世代人が多いということは、ほんとうに驚きである。

 1973年に始まったこの世論調査との関係で言えば、この「戦前・戦中世代」というのは、昭和初期に生れた少数の少年志願兵を別にすれば、ほとんど全員が大正時代と明治末年生まれであって、彼らは先の大戦で直接戦闘に参加した兵士たちの大部分であり、240万の戦死者の大半を占めている。彼らは5年、6年にわたって召集に次ぐ召集により、東へ西へと、いつ果てるとも知れない戦場を転戦し、しかも、日本軍の兵器や機動力は敵に比べれば甚だしく劣等で(中国軍は除く。但し戦争末期には中国軍も米式装備により日本軍より近代化された)、弾丸が不足している、などという段階ではなく、医療はもとより食糧も、飲む水さえ尽き果てて、戦死者の60%余は餓死したのである。

 世の中で飢えほど辛いものはない。これに比べれば、弾丸や爆弾により短時間で死ぬ方が遥かに幸いなのであって――この表現は少し不適切かもしれないが、それは真実なのである。私の経験などは、戦場の凄惨な餓死者に比べれば、比較にもならないケチなものだが、それでも172センチの身長に対し体重は40キロに落ち、しかも朝から晩まで、いや夜も走り廻され、そこらのものを何でも拾って、時には盗んで食べた頃の苦しみを思いおこすと、今でも胸が痛くなるほどだ。

 資源が決定的に不足している二流の工業国が、明治・大正の中古兵器で世界を相手に戦争を挑み、こんな惨憺たる状況に兵士を追いこんだのも、「日本は神国であり、世界を天皇の統治下におくのが日本国民の祖先以来の名誉ある使命である」「『現人神』である天皇陛下のなさる戦争が負けることは有りえない」という、日本国中をおおった、おおうことを強制した妄想から来ているのである。

 「天皇制という誇大妄想を基盤にした戦争」による被害者は戦場の兵士ばかりではない。女性の場合も、戦死者の未亡人は80万余、若い男子が出征したことによる男性不足のため、結婚の機会を失った女性は100万余、愛する、そして頼みとする我が子を失った老父母、わが父を戦場で奪われた孤児たち、更には、兄弟、親戚、友人、知人が戦場で亡くなった経験は、たいていの国民の心に刻みこまれているだろう。

 戦死者だけでなく、今なお戦傷の後遺症に悩む人は何万、何十万にも達するだろうし、戦場に限らず、国内でも爆撃や戦闘による民間人の死、満州(中国東北部)その他の旧植民地や占領地におけるソ連軍等による殺害、暴行(シベリアにおける日本兵捕虜の虐待、死亡を含む)によりその生命を失った人も数十万人、そして350万の海外引揚者、千万を超える戦災者・・・。こういったことを次々と思い出し、その一人一人、その肉親の悲惨な人生の一端でも想像すると、胸がつまってくる陰惨な気分と、押さえきれない怒りにとらわれる。

 この戦争は一体誰が命じたのか!?この戦争の総指揮官は一体誰なのか!?日本国民のすべての身体、精神を動員したのは誰なのだ!?その生命を「天皇」に捧げるのが日本国民の名誉であり、使命である、という訓示・規範はどこから出て来たのか!?

 この戦争の責任者は今どこにいるのか!?割腹自殺したのか!?その跡を継いだ者は!?

 いくら日本国民が、忘れっぽい、合理性のない人間であるにしても、この戦争の、血にまみれた時代を辛じて生き残った者の半分近くが、「天皇を尊敬している」というのは、あまりにもひど過ぎる。

 戦前・戦中時代の、「天皇は生きている神様である」という荒唐無稽な教育が、幼児のときからいかに強圧をもって押しつけられ、それが心中深く根付くまで繰り返されたか、何も子供だけでなく、天皇に関し何か批判的なこと、いや、当たり前のことをちょっと口にしただけでも、不敬罪という刑法犯で忽ち逮捕される可能性はあったし、天皇制に反対したなら、別に何も行動をおこしていなくても、仲間と協議をしただけでも、治安維持法という恐るべき法律により死刑ということもあり得た。まさに金正日ショウウグンサマの君臨する北朝鮮、毛沢東圧政下の中国、スターリン統治下のソ連と、大日本帝国は同類の国だったのである。

 戦後半世紀以上たっても、「戦前・戦中世代」の老人が世論調査に対し、「天皇尊敬」と答える異様な現象の第一の原因はここにあると言わねばなるまい。

 そしてもう一つの理由として、民主主義的憲法が施行されて同じく半世紀余たった今日、天皇のこと、天皇制に関して、兎や角言うのは未だに日本ではタブーであり――事実、そういうことを言ったり、書いたりしたため、右翼に脅かされるのはもとより、殺傷された人も存在する――天皇に関しては真実は語らず、沈黙もしくは無難なことだけを口にする習慣が、各人に深く根ざしているとしか考えられない。情けないことに、これが民主主義国家を自称する国の実態なのである。

 「戦前・戦中世代」の人たちは、少し遅過ぎるかもしれないが、「戦無世代」の成長によって日本の前途に希望の灯が見えてきた今こそ、あの無謀極まる戦争、そしてその理念であり、絶対的権力者であった気違いじみた天皇制という体制の下に生きてきた世代として、後世の国民のために、些かなりとも寄与し得るよう、残り少ない余生を、天皇制論議の自由のために、天皇制の廃止のために、自己の為し得るすべてを献げて努力すべきであろう。それが、怒りの言葉も、悲しみの声も発する術もなく、戦場に野たれ死にした若き戦友たちの3倍も4倍も生きてきた者の義務である。

 あの凄絶なる戦場の万難千苦を思いおこせば、体力の減退や頭脳の鈍化といった老化現象などは大して問題ではない。その気にさえなれば、世の中で出来ないことはないはずである。何も、街頭に立って演説しろとか、デモをしろ、などと言っているのではない。専門書は別として、教科書などではすべて隠され、国民の記憶から喪失しつつある「天皇制というものはどんなものであったのか」、また、「君が代」を歌わされ、「教育勅語」を暗唱させられ、「神話を歴史の真実」として教えられ、「天皇や皇族の写真」にも深々と頭を下げさせられ、「神社」には事あるごとに拝礼させられ・・・そうした戦前の日本というものが、いかに未開野蛮な国であったかということを、戦場の凄惨な体験、天皇の私兵だった日本軍隊の暴力の横行、不合理、神がかり等々とともに、自分の孫子はもとより、機会さえあれば、機会がなければ機会をつくって、青少年に、壮年にも話し伝えることが、いや本来は――先の大戦に結末をつけるためには、その責任体制である「天皇制を廃止」しなければならないのであり、それが天皇の命令により戦わされた「戦争世代」の内外に対する絶対的責務なのだ。「戦前・戦中世代」には、それを実行するだけの手持ち時間が残されていないだろうから、第二次的義務として、戦前・戦中の真実、とりわけ、天皇の重大な役割と真の姿を後世に伝えることを、枯れかけた声をふりしぼって訴えるべきである。

 私は、「あの世」とか「天上」などというものは一片も信じていないが、分相応の「言い伝え」を終ったときには、「為すべきことを為した」という満足感をもって、あの、血にまみれた傷跡にガーゼの切れ端をあてる手当てさえ施すことなく散っていった戦友に、心おきなく再会することができるであろう。彼らと会う場所がどこにあるのかよく知らないが、おそらく自分の良心とか、プライド(矜持)とか、そういったところの近くであろう。




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