パラワン捕虜虐殺 

オリバー・ノースの「War Stories」は最近、第二次大戦中の日本軍捕虜に関するプログラムを放映した。番組の中でオリバー・ノースからインタビューを受けたロジャー・マンセル氏 (彼のウエブサイトは http://www.mansell.com/pow-index.html ) によると、フォックス・ニュース・ネットワークの人気番組であるこのショーは、毎週1800万人のアメリカ人が観ているという。

番組の中で取り上げられたエピソードの一つは、1944年12月14日にフィリピン・パラワン島で139人の捕虜が日本軍により焼き殺された「パラワン捕虜虐殺事件」であった。

ローナ・ニールソン・マーレイさんが作成した犠牲者リストは以下の通り。
http://www.west-point.org/family/japanese-pow/Palawan.htm 
マーレイさんの父親ユージン・ニールソン氏は、パラワン虐殺の11人の生存者の一人である。

2003年10月4日には、ミズーリ州セントルイスのジェファーソン兵舎国立墓地で、パラワン虐殺犠牲者のための追悼碑が除幕された。以下は、式に参加した元第四海兵隊軍楽隊員で 日本軍の捕虜だったドナルド・ヴァーソー氏の、報告である。ヴァーソー氏の軍楽隊仲間の二人が、パラワン虐殺の犠牲となった。

 

 

200人あまりの参加者の前で、1944年の奇跡的脱出について語るグレン・マクドール氏。彼は、たった3人となった「パラワン虐殺」生還者の一人である。彼の前に広がる墓地には、第二次大戦を通して最も残酷な虐殺のひとつで死んだ123人が埋葬されている。座っているのは右から、ジェファーソン国立墓地管理者ラルフ・チャーチ氏、パラワン虐殺生還者ユージン・二ールソン氏、第四海兵隊アソシエーション副代表で自らもパラワンに収容された元捕虜のジョーゼフ・デユポン氏、第四海兵隊アソシエーション代表で元捕虜のマーチン・クリステイ氏、ミズーリ州警備隊従軍ウェバー牧師。この写真では、ジョーゼフ・デユポン氏や他の人々の尽力によって完成した銅製の追悼碑は、写真の左側の国旗で覆われている。

 

1944年12月14日
フィリピン・パラワン島 プエルトプリンセサにおいて
日本軍に虐殺された犠牲者

ここに眠る米兵捕虜は、フィリピン・パラワン島において、奴隷労働者として日本軍のための飛行場建設に従事していた。米軍の上陸が間近に迫ったと信じた日本軍は、捕虜は如何なる手段によってでも処分すべし、という最高司令部からの命令に従って、3つの地下防空壕に捕虜を押し込んだ。バケツでガソリンが防空壕に注がれ、続いてたいまつが投げ入れられた。爆発で即死しなかった捕虜は、燃えながら防空壕から逃げようとしたが、銃で撃たれるか銃剣で刺されて殺された。