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急変
(とんでもないわね……)
ローレルの祭事を実質取り仕切り、政治的な発言力も強い、つまり真が思うところの「偉い人」である彩律。
空を一瞬だけ明るく染めた光がもたらした結果を知って、彼女は冷や汗が頬を伝うのを感じていた。
周辺都市まで巻き込む学園都市の凶事、その影響と思われる念話の広域妨害。
彩律は一連の事件は十中八九、魔族の仕業であると見当を付けていた。
ヒューマンに比べて相当進んだ魔術関係の知識を持つ彼らが仕掛けた事であれば、事態の早期の解決は難しいとも思っている。
いや、いた。
(これが彼の、出来ればやってみます、の結果という訳。内緒にしておく、礼はする。その程度の口約束だけで、こんなにも簡単に。これ程に常識外れな存在となるとライドウは、やはり間違いなく賢人。それも歴代でもかなり強力な力を持っている……。リミアとグリトニアにも知られてしまっているのが面倒だけど、いよいよ彼を取り込む手を考える必要があるわね)
人を懐柔し、取り込み、そして囲い込んでおく為の手段は彩律の中に幾つもある。
魅力的なサクであったり、恐怖や痛みを与えるサクであったり、実に多彩にだ。
だが彩律はネガティブな方法を使ってライドウを手に入れる策はひとまず捨てた。
その危険を今更ながら実感したからだ。
(出来れば情を使って彼を縛りたい所ね。無理に思い通りに操ろうとすれば国ごと食い千切られかねないもの。誘いをかけて興味を誘ってローレルに呼ぶのが第一、過去の賢人達の行いを知ってもらって親愛を感じてもらうのが第二、我が国を第二の故郷と思ってもらえる所までいければ理想なのだけど、まあ自然な流れにしたいもの、当面は誘いも軽いものにした方が良いか。いえ、先に他国と彼の接触を極力減らしていく方に注力すべきね)
魔族がいかなる手段で念話の妨害などという単純かつ恐ろしい手段を用いたのかはわからない。
ヒューマンが到底たどり着いていない魔の理によるものか、それとも綿密に計画を立てた上で時間をかけて実現させたものか。
だと言うのにだ。
それを少人数で、事も無げに打ち破る者がいる。
クズノハ商会、そしてその主であるライドウだ。
はっきり言って、当初彩律が想定していた規模と能力を遥かに超えていた。
変異体を歯牙にもかけない戦闘能力、魔族の策をあっさりと破る知識。
それに加えて数日前に見せられた、彼の従者だと名乗った巴の持つ驚異的な転移能力を有する剣。
これらの組み合わせが意味する最悪のケース、彩律は国潰しまで届くと考えている。
下手に刺激するのは最も愚かな事であり、他国に渡してしまうのは国の未来を差し出すのと同等の行為と彼女は認識した。
そうして、ライドウの評価を上方修正して改めて彼を見ると、彩律は彼の有するあまりの危うさに意識が遠のきそうになるのを感じる。
彼は一見腰が低い。
実力を思えば、ライドウを目一杯に低く評価したとしても有り得ない程にだ。
故に少し力を持った連中や、貴族や豪商に位置づけられる傲慢になりやすい連中は彼に対して高圧的に振舞う事も考えられる。
もしも彼がいずれその態度に気分を害したら、と思うだけで彼女は冷や汗が出てきそうだった。
また、ライドウは亜人を好んで雇用している。
もしも特定の亜人に入れ込んで彼らの為にクズノハ商会が力を振るったらどうなるのだろうか。
冷や汗どころか数日寝込んでいたい気持ちになる彩律。
間違いなく四大国並の亜人の国が出来る。五大国など、笑えない冗談だ。
(賢人には亜人への差別が無い者もいるから笑い話にも出来ないのが怖いのよね。消去法で消えはする筈なんだけど、最悪彼が魔族に肩入れなんかした時には……)
彩律は途中で考えるのを止めた。
どこぞの亜人に味方して彼らの国が出来て大国になる程度ならまだ可愛い、そんな結末が浮かんできたからだ。
世界の統一。
神に挑む魔族。
それこそ、世界の終わりと言っても良い事態になってしまう。
クズノハ商会は、諸刃の剣。
国を切り裂く程の威力を持った最悪の剣。
(最悪ね。滅亡って書かれたマスのあるルーレットに、ずっと参加しなきゃいけない気分だわ)
貧血に似た不快感を感じながら右手で額を触る彩律。
べっとりとかいた汗は冷たく、彼女の心境を如実に示していた。
「彩律様、こちらにおられましたか!」
「……どうしました?」
気分は悪かったものの、部下の声に反応して彩律は顔を起こす。
「はい、緊急事態です。どうかすぐにシェルターにお戻り下さい!」
「緊急? 今夜はファルス殿の提案された会議しか予定は無い筈ですが、なにか――」
「とにかくお急ぎ下さい!」
言葉を遮ってまで急がせようとする部下に、若干の無礼を感じたものの、彩律は何かが起こったのだと判断して彼の後を追って中庭のシェルターに入った。
出る時には感じなかった緊迫した雰囲気と、まるで事件初日に戻ったかのような騒がしさに彼女は驚く。
言葉足らずの部下の背はもう遠く、少しは落ち着かせて事情を話させるべきだったかと僅かに悔いる彩律。
(ただ事じゃないわね……。ウチは飛竜部隊が早朝には到着出来そうって事くらいしかまだ報告は来ていないけど、念話の復旧で新しい情報が入ったと考えるべきね)
それも良くない知らせが、と彩律は内心で付け加えた。
慌ただしさの中心を目指して歩いていくと、そこには彩律が普段お目にかかる事がない顔色をした大国の代表がいた。
リミア王自らが荒々しく指示を出し、王子と病み上がりの騎士も忙しく動いている。
グリトニアの皇女は数人の部下にテキパキ指示を与えながら、しかし隠せぬ苛立ちを時折覗かせていた。人を見る事に長けた彩律だから気付いた僅かな様子ではあったが。
立ち止まっていても詳しい事は何もわからない。
彩律の取った行動は、輪の中に入る事だった。
「リミア、グリトニア、大国を代表する方が一体どうされたと言うのですか?」
彩律が穏やかに放った言葉に返って来たのは、二つの厳しい表情。
リミア王、リリ皇女。
どちらにも共通していたのは焦りだった。
「っ、……彩律殿か。急ぎ尋ねたい。ライドウはどこか?」
「同じく、ライドウの居場所を知りたいのだけど」
「先ほど、すぐそこでお会いしました。お二人と話した通り、念話の妨害を何とか出来ないか頼んで参りましたが」
そして、念話はその後十分も立たない内に復旧した。
事実と受け止めると彼女は何度も寒気を感じてしまう。
数日間動かなかった理由はわからないが、つまり彼らは必要であれば非情に振舞うと言う事。
一つの顔が見える度に彼と彼の商会が恐ろしく感じてしまっていた。
「……やはり、彼らなら出来るのか。それとも出来てやらなかったのか……いや、それは不問とすると皆で決めた事、今は良い。探している時間も惜しい、こうなれば連絡がつき次第戻るであろうあ奴を、シェルターの入口で待つが一番か」
「ご一緒しますわ」
リミア王と彼に付き従う王子、それにリリ皇女が並んで出口に向かおうと歩き出す。
まだ事情を聞かされていない彩律はたまらない。
何とか事態を把握しようと二人の背に追いついて説明を求める。
彼らが一番詳しそうに見えたからだ。いや、当事者なのだと彼女の直感がささやいていた。
「お二方、私にも事情の説明をお願い致します」
「……襲撃だ」
「襲撃?」
リミア王の苦々しい表情から放たれた言葉。それをオウム返しにする彩律。
「魔族よ、彩律殿」
「ええ、この事件の変異体達は確かに彼らの手によるものだと私も考えておりますが……」
「違う、王都と」
「帝都によ」
「!!」
言葉にならない悲鳴が彩律の喉の奥にこもった。
大国の代表が口にした内容はそれだけ恐るべき事実だったからだ。
魔族の進軍。
世界を揺るがすニュースだ。
「ライドウを刺激するのは、愚策であろうと余にもわかるがな。ここはどうしても奴に無理をしてもらわねばならぬ」
「全く同感ですわ陛下。彼らの転移は一つ間違えば脅威、この願いで破損するのなら密かに有り難くもありますけれど」
「おや、物騒な。リリ様は彼らを脅威と仰るのですか?」
「彩律殿。はっきり言うけれど、今は腹芸の時間では無いわ。彼らの処遇について密談をした時点で私たちはほぼ共犯関係にあるって事、忘れないで」
「っ!?」
「帝国の皇女に同感じゃ。彩律殿、そなた状況がまだ飲み込めておらんな。良いか、攻撃をしているのは魔族の将が率いる軍。攻撃を受けているのは我が国の都と帝国の都。つまり、ローレルの大事な巫女殿も戦っておられる」
「チヤ様までもが!? 陛下、どういう事でございましょう! 王都まで攻め込まれて勇者様と巫女様がどちらも交戦中など、おかしいではないですか! 王国軍は何をしていたのですか! そこまで侵入を許して勇者様達を逃がしていないなど、世界に対する責任の放棄と――」
「うるさい!」
彩律がにわかにリミア王を責めるのを見て、リリが怒鳴った。
言葉を断たれた彩律は尚も言いたい事を腹に残したままリリを睨む。
彼女にとって、いやローレルにとって巫女はそれほどに大切な存在だった。
国中の親愛を集める巫女が他国にいる事だけでもリミアに良い感情は持っていないのに、その上更に攻め込まれて危機に瀕しているなどと聞かされては、冷静さを一時とは言え失ってもおかしな事ではない。
彼女が、どちらかと言えば主張が近いリミア王とではなく、グリトニアの皇女と親しく振舞っているのも巫女の一件があるからだ。
「いい、彩律殿。我が国の帝都も、幾つかの部隊の進軍に遭っている。そのどれもが、一斉に現れたそうよ。何方向からか攻められていて今対処している所。リミアの場合も同じ」
「我が国は星湖沿岸に黒い塊となって進軍している所を発見したらしい。最早王都の目と鼻の先だ。わけがわからぬよ。奴ら、幾つの隠し球を持っておるのか」
「戦況の根本的な見直しも必要ね。ステラなんて鉄壁の砦を持ちながら二手に分かれて王国と帝国を同時に相手にする魔族の意図。読み違えれば致命傷になりかねない。そういう訳だから、ライドウとの交渉で私達が無茶してると思ったら、上手く間に入って取りなして頂戴。ローレルとしてもポイントが稼げて一石二鳥でしょう。悪くない報酬よね、私達の心証は悪くなり、貴女の心証は良くなるんだから」
「飴でも鞭でも構わん。どうしても、奴に余を国に送ってもらわねばならん」
「私も、帝都で指揮を取らなければ。勇者様が孤立する事だけは避けなければ」
彩律にも焦りが湧き上がってくる。
巫女が死ぬかもしれない。
次代の巫女は未だ見出されていない。
今チヤが死ねば、ローレルは精神的な支柱を失ってしまう。
しかも、リミアとグリトニアに何かあればローレル連邦とて前線国家になってしまう。
最悪が二つ重なれば国がどうなるか、とても見通せるものではない。
「まさか、ここでの変異体を使った事件そのものが、囮ですか!?」
「全くの偶然では、なかろうな」
「今年に限って妙にVIPが集まるのは流石に偶然と信じたいけど、学園都市が襲撃される、なんて一報が入れば各国が軍隊や物資を送るのは当然。囮としてどこまでの効果があるかは不安定さが目立つものの、一定の効果はあるでしょうね」
「魔族がステラで亀の様に篭っておると決めておれば援軍を送ったとて、こちらが攻める時期をずらすだけの事。そう思って気を緩め、見事に裏をかかれた間抜けという訳だな、腹立たしい」
「まあ、悪い事ばかりじゃないわ。少なくとも、このタイミングで念話を復旧させたクズノハ商会とライドウは魔族のスパイでは無いと見て良いでしょうから」
「この上凌いでも、今度は謁見の間に転移して襲撃、などとても笑えん。ライドウがもしも魔族に通じる者なら念話の復旧はまだ行わなかったであろう。そこは余も少し安心しておる」
大国を代表する三人は足早に話しながら、お付きの者が追いついてくるのを待たずにシェルターの入口に到着した。
一秒がとにかく長く感じる、苦痛の時間が数分経過する。
大国の王と、大国の皇族、それに大国の重職。
大国づくしの面々を待たせる役者、ライドウが学園からの連絡を受けてシェルター前に現れる。
巴と識、二人の従者に冒険者ギルドの長ファルスを連れて。
「ライドウ、話がある」
「とても大事な話です」
「先ほどに続いて恐縮なのですが」
三者の切羽詰った声が同時にライドウに向けて放たれた。
一瞬キョトンとした顔で立ち止まった彼は、その後表面上は臆する事なく三人の前まで進み一礼。
従者もそれに倣う。
三人から話を聞いていく内、ライドウの表情が歪んでいく。
王たちはそれを魔族への憎しみからの感情の発露だと思っていた。
しかし実際は違う。
ライドウこと真は、いつか会うだろうと漠然と思っていた二人の日本人と会う事なく終わってしまうかもしれないという不安と、ロナがこの街でやらんとしていた事の核心が囮目的だった事に対する怒りなどで表情を歪ませているのであった。
長い夜がゆっくりと更けていく。
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