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月が導く異世界道中 作者:あずみ 圭

三章 ケリュネオン参戦編

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小さな二つの奇跡

 あぁ……。
 僕はその前で崩れ落ちた。
 後から建て直せば問題ありません。
 だから屋号の看板は取って放棄しました。
 状況を聞きに行ったら、巴からさらりとそう言われた。
 気付いたら僕はここに来ていた。
 お宅燃えてますよ、と言われたのに近い心境だった。
 燃えた経験は無いけど。
 思わず四つん這いになって瓦礫と化したその場所を見る。
 クズノハ商会。
 僕が初めて持った自分の店。
 バイト経験さえ無い癖に結構人任せにしてあぐらをかいてきた……って悪いことばっかり思い出したけど。
 色々イタイ思い出も多いけど、多いけど!
 こうやって破壊され尽くしたのを見ると、悲しくなってくる。
 特に大事な物も残っていないし、壊れても土地の権利までが無くなる訳じゃない。
 巴の言っていた事だってごもっともだ。
 確かに在庫品は全て亜空そうこに収納済みなんだから。
 それにもし周りが全部破壊されてウチの店舗だけが無事だったなら、いらぬ誤解も受けるかもしれない。
 店自体は居抜きだったし、リフォームだってほぼ一日で終わった。
 一から作ってもエルドワに頼めば、多分三日とかからないとは思う。
 それでも。
 理由には全部納得出来たけど、重いため息が口から漏れる。
 泣きたい気分は変わらない。
 両隣もしっかり破壊されているし、お向かいさんも瓦礫から煙が出てる。
 ええ、ええ。
 破壊されていて然るべきだとも。
 この付近にも運悪く変異体が出たんだろうって想像出来る。
 あいつらの行動原理は不明だけど、転移陣狙いなら街の被害はそこまで酷くないかもと思っていた部分がある。
 だから、無事な店の姿を少しだけ期待していた。
 はぁぁぁぁぁぁぁぁ。
 亜空とか、武力とか。
 色々活用してやってみよう。
 そんな決心をしたばかりだっていうのに。
 それとも、新たな船出は更地からやりなさいって事かなあ。
 ……前向きに受け止めよ。
 心機一転の方向で。

「完膚なきまでに瓦礫にしてくれた奴、まだこの辺にいたら僕が仕留めるんだけど……」

 火の玉がぶつかった風に見える跡。
 いや高熱の物体が突進したようにも見える。
 火属性持ちの猪とか、サイ似の変異体の仕業か?
 何となく犯人像を想像するも、既に見た二体ですら灰色以外の共通点が無い。
 思いもつかない姿である可能性も高いなあ。
 それでも僅かな望みを持って見渡す。
 だけど残念な事にこの辺りは既に静かだった。
 もう住民も避難し終えた後みたいで、遠くに騒がしさはあるものも近場でそれらしい音は無い。
 ウチの店の近場だし騒ぎの初期に避難完了していたんだろうな。
 まあ、形ある物はいつか壊れる。
 店の仇に少なからず未練はあるけど、今は学生の避難所にでも行くか。
 臨時講師がいても不思議では無い場所だし無難だろう。

「ん?」

 何か聞こえたような。
 耳を澄ます。
 ああ、やっぱり聞こえるな。
 悲鳴だ。
 それも比較的近い。
 断続的に複数の人が叫んでる。
 この方向は……。
 店の裏手を真っ直ぐ。
 待てよ?
 ……娼館通り?
 あんな場所でも変異体が出たのか?
 住民の避難はクズノハ商会の現在のミッション。
 代表の僕も例外じゃない。
 と言うよりも、むしろこの辺りを荒らした奴である可能性も結構ある。
 報復のチャンス到来かも。
 エルドワに仕立ててもらった防具、秋バージョンのジャケットを速度重視にスイッチする。
 瓦礫でちょっとしたアスレチックになった広い通りを一本裏に入って真っ直ぐ悲鳴の方向に走り出した。
 しっかし、戦闘の際の目標には絶対にならなそうな場所だよねえ、娼館なんてさ。
 変異体、一体ロナは何の心算つもりであんな所に放ったんだろ。
 それもこんなタイミングで。
 本能のままに暴れるなら使い道がかなり限定されそうだけど、それでも転移陣狙いならもしかしてその近くであの変異を起こさせる為に人材を選んだ?
 違うか。
 だってイルムガンドは学生だ。
 闘技場で変異したし。
 大体、本能任せなんてただ騒ぎを起こすだけで終わる可能性が結構あると思う。
 手下の魔族を引き上げさせた上でやってくれた事を考えても、そんなんじゃ必ず成功させたい作戦には使えないよな。
 いや、もしも魔族がこの細工で変異が発動するタイミングをまだそこまでコントロール出来て無いんだとしたら……。
 破壊したい対象に近づく機会が多い人を狙って薬やアクセサリーをばらまいたって事も有り得る?
 数撃ちゃ当たる作戦で被害を抑える気が無いなら実行する価値はあるんだろうか。
 ロナの考えている事は相変わらず想像出来なかったけど、あれこれと考え事をしている内に悲鳴の音源に到着した。
 やっぱり娼館通りだ。
 ここはまだ比較的建物は崩れ落ちてない。
 だけど、その一角で派手な悲鳴と破壊の音が響いている。
 あそこか。
 迷う事なく向かうと、店の窓から僕に向かって何かの塊が飛んできた。
 なんだ、岩か。
 暖炉か何かの構成物だろう岩の塊だった。
 結構な速度で飛んできたそれはジャケットに触れる事も無く、僕に届く一メートルくらい手前で魔力に阻まれ、あらぬ方向に軌道を変えて落ちた。
 少し離れた所で重い音がする。
 尚も幾つかの塊が飛んでくるけど、それも全て同じ結果に終わっていき、気にする事もなく進んでいった僕が悲鳴がする娼館の中に足を踏み入れる。
 生涯初風俗入店がこんな形になるとは。
 おじゃまします、と。

「ハズレっぽい。……タコ?」

 思っていた何パターンかの姿は無く、思わず舌打ちと呟きが漏れる。
 そこにいた変異体は、タコだった。
 いや細部は多少違う。
 足は八本だったけど、その内二本が異様に発達していて長く、先端は人の手みたいになってた。
 でも印象は正に白いタコ。
 娼婦のお姉さん方を襲う軟体生物とはまたマニアックな……。
 戦闘用とも思えない刃物を手にして一人の女性がそれに対峙している。
 勇ましい女性だなあ。
 あと、何人かのお姉さん達がその戦う姿勢を見せている女性の後方にいた。
 泣いている人、腰を抜かしているのかへたりこんでいる人、様々だ。
 僕が加わった事で状況は変わって、タコは体を僕に向けて足をうねうねさせている。
 さっきの投石はこのお姉さんを相手にしながらやってきたんだろうか、器用な奴。
 しかも如何なる手段でか、店外にいた時から僕を認識して攻撃を仕掛けてきたし。
 こいつも特殊な能力を持っているのかな。
 足がそれぞれ独立して動くってだけでも十分凄い能力だと僕なんかは思うけど。
 まあ見た感じで大した強さでも無い。
 能力云々は気にするまでも無い相手だ。
 早くから僕に気付いてくれたおかげで、きっと無事なお姉さん達は増えたんだろうし、むしろ良かった。
 ここだって血の匂いはするし、既に犠牲者が出ているのは間違い無いけどね。
 今いる店があのタコにとって何軒目かは僕が考えても仕方無いし。
 果物ナイフみたいな刃物一つで頑張るあの人がいなかったらもっと死んでいただろうから、素直に喜んでおけば良い。

「た、助けて!!」

 一人の娼婦の言葉を切っ掛けに、口々に甲高い声で助けを求められる。
 言われなくてもその気で来ましたよと。
 んでも、こいつらさっきブリッドで倒した時は破裂したからな。
 流石に室内でびちゃびちゃ飛び散るのは御免だ。
 店内は強い香りが漂っていて今は血や脂の匂いはあまりしないけど変異体の肉片が四散すれば後々きつそうだし。

[私がこれを抑えますから今の内に店外に逃げてください。避難所に案内します]

「っ! ……坊や、こいつは相当に手強いよ。助けに来てくれたのは有難いんだけど……ここは何とか私がたせてみるから、後ろの娘たちを出来るだけ逃がしてやっておくれよ」

 まずは皆さんを外に出す。
 察してくれるかはわからないけど、一応避難所に案内するから待っててね、と伝えた心算つもりで。
 でも、その発言は戦っていた女性には受け入れてもらえなかった。
 自己犠牲の意図としか取れない台詞を聞かされて、他の人を逃がすように頼まれてしまった。
 反応を見ると、とりあえず他のお姉さん達は逃げる行動に出てくれたんだけど、腰が抜けているような人は中々思う様に動けていない。
 我先に逃げても無理もない状況で、それでも自分で満足に動けないお姉さんに手を貸し肩を貸して一緒に逃げようとする皆さん。
 仲間意識が強いんだなあ。
 だけどさ。
 考えてみろ。
 あの中に混じってお姉さん方を先導して外に出るのと、あの変異体を倒すのと。
 どっちが僕にとって“簡単”か。
 言うまでも無い。
 後者だ。
 むしろ僕がこれを倒して、あの女性にはナイフをしまってお姉さん達を逃がす方向で活躍してもらいたい。
 タコが動こうとしたけど、牽制して動きを制した。
 こちらの牽制に警戒する程度の知性はあるみたいだ。

「坊や、やめな! これは本当に危険な化け物なんだよ! もう何人も殺されてるんだ。こう見えても私は元冒険者だ、ここにいる中では一番戦闘ってものを知ってる。だから」

 へえ、元冒険者。
 ロッツガルドには冒険者が少ない。
 依頼を割り振るギルドが存在しないのが一番の理由だけど、実入りの良い狩場が少ないのもある。
 最近は一部地域で採れる薬草が高価買取されているから多少の改善はされたけど。
 ちなみに原因は多分僕が神殿に薬のレシピを公開した事じゃないかと思う。
 さらに言えば夏休みに生徒達がお土産だと言って取ってきた薬草でもある。
 神殿に教えた傷薬のレシピは、あの薬草を使った場合の逆引きで、識とアルケーに作ってもらったものだ。
 出来ますよって言われた時は驚いたけど、おかげで実力ある学生の小遣い稼ぎになっている。
 冒険者がメインの稼ぎにするには少し寂しいかな。
 そんなこの街で元冒険者の(多分)娼婦がいるなんて。
 ……そう言えば、冒険者って引退した後は何しているんだろうな。
 娼婦、は珍しい方だと思うんだけど、よく知らないな。
 男なら渋い雰囲気のバーとか喫茶店のマスターとかやっていてくれると格好良いと思う。

[なら私は学園の臨時講師です。貴女が一緒にいてあげた方が皆さんだって安心出来るでしょう。私なら大丈夫。すぐにそちらに合流しますから、どうか外へ]

「講師……学園の? ……そうかい。なら私みたいなロートルよりもずっと使えるかもしれないねえ。本当に任せて、いいのかい?」

 ウチの店に来る娼婦の何人かとは面識があるけど、この人とは無いんだよなあ。
 知っていてくれれば余計な説明はいらないのに。
 学園の実技講師だって分かっていてくれればこんなやり取りもさっさと済むんだから。
 多少の面倒を感じていると、タコが僕に懲りずに何か投擲してきた。
 勿論、それは僕に当たる事なく魔力に阻まれて弾かれる。

「っ!?」

 話していた女性は、何をして防御したのかわからないまでも何かをして防御したのはわかったようで。
 僕を見る目をまた一つ変えた。
 上方修正してくれたみたい。
 投げられたのは……げ、人の頭。
 美人でも血まみれの頭だけになったら、見惚れるもくそもないね。

[ご心配なく。外で待っていて下さい。出来れば他の建物にいる皆さんも誘導して下さると助かります。後で皆が避難している所まで案内しますから]

「こんなに近くにいる奴の実力も測れないなんて、私もヤキが回ったもんだ。……そいつは再生能力がかなり強い、注意しておくれ。何度か手傷を与えたけど、全部治っちまってる」

[情報、感謝します]

「……恩にきるよ。死ぬんじゃないよ」

 納得してくれたのか、娼婦の皆さんが見守っている場所に彼女も合流してテキパキと指示を出して動き始めた。
 助かる。
 そして室内には僕とタコだけ。
 あー緊張した。
 あんな扇情的な格好した沢山の女性から見られている状況なんて慣れてないからか、妙な圧迫感があった。
 パーティーとはまた違った緊張感と言おうか。
 さっきまで話していた女性にしてみても、ワインレッドのショートドレスでただでさえ露出が多いのに、さらに一部を破って動きやすくしていたもんだから目のやり場に困った。
 娼館って場所で、女性に囲まれるよりもタコと二人の方が落ち着く自分に少しへこむけどね。
 君の姿の方が目に毒だ、お礼は期待させてもらう。さあ、早く逃げろ。
 なんて言える日は今の所一生来る気がしないんだよね、これが。

「悪いけどこの辺りのお姉さん方は、ウチの栄養ドリンクをよく買ってくれるお得意さんなんだ。お前に殺させるのはちょっとね」

 幸い、まだこいつがシュコーシュコー言っている事は内容がわからない。
 イルムガンドのがレアだったのかもしれないし、わかって良い事も無い。
 今の内に片付けてしまおう。
 右手に魔力を集める。
 再生能力はどうのこうのと言っていたから、ブリッドに連射を加えるべく一言詠唱する。
 右の掌に生まれる白い光球。
 大きさは野球ボールほど。
 タコに掌を向ける。
 短いボウガンの矢サイズのブリッドが光球から何発も生まれて、次々にタコに突き刺さっていく。
 腕で防ごうとウネウネしているけど、構わず何十発も撃ち込む。
 次第に後ずさり、終いには壁に縫い付けられるタコ。
 さらに連射は続く。
 やがて、変化があった。
 タコの頭が本来のサイズよりもかなり大きく、そして不規則に膨れ始めた。
 再生の雰囲気じゃないな。
 終わりか。
 土属性で詠唱して床から奴の体を隠すように壁を発生させる。
 僕に飛び散られても困るからね。
 多分急所を上手くつけばイルムガンドが肉塊で残ったみたいに四散しないのかもだけど。
 一々それを探すのも面倒だし、属性付きだと耐性だの吸収だのがあって余計に面倒。
 なら無属性で再生の限界までダメージ与えて終わりの方が楽。
 ヒューマン何人分かの魔力で魔術への防御力云々なんて僕にはあまり関係無いし。
 ぶばっと。
 大きい、嫌な音がした。
 作った壁を解除してタコだった白い半固形のジェル状物質を見て倒した事を確認。
 生命は感じない。
 さっきの足と嘴の奴と同じだ。
 片付いたね。
 確認して僕は外に出た。

[お待たせしました]

 出てきた僕を大量の視線が迎える。
 おおう。
 結構いるな。
 しかもまだまだ増えていくみたいだ。
 中には助かった事を奇跡と喜んで抱き合う姿もある。
 少し大袈裟なような。
 この人数だと、巴が教えてくれた避難先だと亜人のいるスラムが適当か。
 幸いあそこの亜人のトップとは、商会の利用を通じて面識がある。
 今は森鬼のアクアが周囲を警戒してくれていると聞いている。
 広さはあるし、変異体も発生していない。
 驚かれはするかもしれないけど、この人数でも収容できるし拒否もされないだろう。
 集まったらこの人達を守りながらスラムに避難させに行こう。
 大分時間も潰せそうだ。
 巴曰く、一日か、状況次第では数日は様子を見る段階だと教えてくれた。
 それまではこつこつと無事な住民を避難させつつ、遭遇“してしまった”変異体については駆除していくとの事。
 従業員は散り散りになって各所で避難所で活躍させているらしいから皆が揃うのはもしかしたら事が終わった後かもしれないな。

「あんた! 無事だったんだね。……倒したのかい?」

 相変わらず目に毒な格好をしたさっきのお姉さんが僕に駆け寄ってきて無事を喜ばれた後に首尾を聞かれた。

[ええ。この付近にまだいないとも限りませんが、あの、怪物は倒しました。そちらはもう少し増えそうですね]

「学園講師、やっぱり大したもんなんだねえ。一人でどうのって相手だとは思えなかったんだけど。ああ、人については何しろ突然の事だったからね。あの通り、客も何人かいる始末さ。知ってるだろうが、娼館なんて場所は昼も夜も無いからねえ。避難所までは遠いのかい?」

 昼間っから、娼館って営業していたんだ。
 知らなかった。
 夜から営業するもんだと思っていたよ。

[ここからだと、スラムが一番近いです。広さも考えると、決まりでしょうね。皆さんを連れながらでも二十分ほどかと思います]

「スラム!? あの亜人がいるスラムかい!? 大丈夫なのかい、そんな場所に避難しても」

 スラムなんて名前の通り、ヒューマンには治安の良くない場所として認識されているから彼女が驚くのも無理はない。
 むしろ素朴で良い人たちなんだけどなあ。
 先入観とかで勝手に嫌悪しているから余計にそのテリトリーに入るのが怖くなるんだと思うよ。

[幸い付き合いがある人がまとめ役をしていますのでお願いしています。私は商会をやっておりますので、その関係で]

「ああ! あんた、もしかしてクズノハ商会の。ええっと、ライドウさんとか」

 一応安心してもらおうと知人がいますよ、と言ってみると。
 何故か別の場所に反応された。
 具体的にどの店の人が来ているのかまでは知らないけど娼婦のお客さんは店にちょくちょく来る。
 一気に親しみを感じてくれたのか、破顔した彼女はにこやかに僕の素性を言い当てた。

[はい。代表のライドウです]

「ふぅん。あんたがねえ。疲れによく効くドリンクを売っている所だよねえ。私は店に行った事は無いけど、何度かあれにはお世話になってるよ」

[それは、ご贔屓頂きまして。お仕事お疲れ様です]

 なんと、飲んでくれた事もある人だったとは。
 頭を下げてお礼を言う。
 今やそれなりに売れている栄養ドリンク。
 その何割かは夜の商売をしている人の購入だ。
 いや、昼もらしいから夜の商売ってのは違うのか。
 ただでさえ過酷な肉体労働だって言うのに時間も不規則なんて本当に辛い仕事だ。
 そう思ったら気持ち頭が深く下がった。

「……あんた、変わってるねえ。まあ変わった商会の代表なんだから当然か。ん。こんな状況、亜人のスラムだろうとどこだろうと受け入れてくれるならそれだけで有難い。少し待ってくれるかい? 私が面倒にならないように皆を先に説得しとくよ」

 でも僕が頭を下げたのがおかしかったのか、彼女はきょとんとしてその後苦笑い。
 変わり者扱いされた。
 何でだ?
 商品は沢山買ってくれるお得意様だし、僕はお世話になった事は無いけど昼も夜も頑張って働いている訳で。
 ま、よくわからないけど申し出は有難い。
 連れていった先で面倒にならないように。
 あそこは元々亜人の住まいだからと、巴も考慮して人を割いているとは言っていたけどね。
 避難している人が自身で心がけてくれるなら心配も減る。

[助かります。学園が既に動いていますから事態は早々と解決すると思います。少しの間我慢して下さい]

「勿論。手間をかけて済まないね。遅くなったけど、私はエステル。よろしく」

[ライドウです]

 遅まきながら自己紹介を済ませた。
 エステルさんが人だかりに戻ってから十数分して。
 僕らはスラムに避難するべく移動を始めた。





◇◆◇◆◇◆◇◆





「識、その子達と観客の残りを連れて先に行きなさいな」

「は? 澪殿はどうされるので?」

「うん? 私は少し用事を思い出しました。学生が集まっている避難所までなら識だけでも十分でしょう?」

「それは勿論ですが……わかりました。ではお早めに」

「すぐに追いつきますわ」

 ジン達学生と真の従者二人が闘技場を後にしようとした時。
 不意に澪が識に先に行くように告げた。
 識は理由を聞こうかと悩んだが、結局彼女の意向を受け入れて了解を示す。
 学生と観客を案内する避難所までの距離はさほど無く、しかもその護衛に自分がついている。
 それだけで既に防御力は過剰状態にあったからだった。

「さて……」

 澪は踵を返して闘技場の舞台に戻ってきた。
 そこにいた、いやあったのは物言わぬ肉の塊になった変異体。

「私も再生とかは結構得意な方なんですけれど、だからなんでしょうか、匂いと言うか息遣いと言うか。感じるんですの、再生する兆しを」

 誰に向けたかわからない言葉の後、澪が大きな溜息を一つ。
 すると、それに呼応でもしたのか彼女の眼前にあった肉の塊が蠢き始めた。

「核になる部分は確実に壊れたと言うのに、哀れな。再生を得意とする括りでも、貴方と同じにされるのは御免ですがその生命力だけは褒めておきますわ」

 蠢く肉塊は一応、人の形を模す。
 しかしながら姿は人ではなく人の形をした肉に過ぎず、先の変異体のような力強さも感じられない。

「……断片だが、覚えている。お前クズノハの、オンナか。俺はまだ、生きているのか」

「あら、話せるんですか。人格があるとは思いませんでした」

「俺は、イルムガンド=ホープレイズ――」

「だったもの、でしょう」

 人の形をした肉の言葉を澪が途中で遮る。
 顔の下部が盛り上がり、口が裂けて出来上がって言葉を吐いた。
 次いで上部が二箇所細かに振動したかと思うと、横一線に切れ目が出来て、上下に開かれたそこには目が存在した。

「……俺は、あの連中に踊らされたのか。情けない。あのような醜態、家名にまで傷をつけて……!」

「……」

「薬漬けになって化け物にされて、それでも負けて。くくく、無様だ」

「ええ、本当に」

「先ほどまで感じていた破壊衝動も、高ぶってどうしようもなかった感情も、今は嘘の様に静かだ」

「……そうであった核が壊れたのですから当然でしょうに」

 澪は彼が正気を取り戻した原因に見当がついていたが詳細を口にする事もなく様子を見るかのように少し目を細める。
 その後も人型は自分をイルムガンド=ホープレイズと認識したまま、何度か呟きを漏らし、相対する澪は相槌を打ったり無視したりしていた。

「だが、このような身体の化け物となっては、最早俺としての人生など終えるべきだろうな。せめて死んでいなければホープレイズの家が負う責任も重くなる。それは領に暮らす民の負担を増やす事にもなろう」

「……ふ」

 貴族の次男であった彼は既に死んだ。
 よって彼は妄執からも解き放たれて穏やかな口調で呟いている。
 その事情も殆どわからずに己の責任や立場を考えるイルムガンドの様子は澪には滑稽に見えた。

「良いさ。いつまで生きるかもわからん身体だ。なら、せめて。想いを通して死ぬさ」

 澪の嘲笑にもイルムガンドは気にした風も無い。
 彼は重い足取りを引きずって澪の方に歩き出す。
 その顔は徐々に彼がヒューマンであった頃の造形に似てきていたが、到底その容姿を再現する程ではない。
 顔のパーツはそれぞれがあるべき場所を微妙に離れ、見る人に嫌悪を抱かせる。
 更に酷い火傷を負った後のケロイドを思わせる爛れ、今の彼は亜人と呼ぶにもはばかりが出そうなアンバランスさと醜さが漂っている。

「その身体、別に死を覚悟する程不安定でもありません。けれど、その身でイルムガンド何とかとして生きるつもりですの?」

 澪からの情報に人型は彼女を横目で見る。

「ほう、そうか。生きられるのか。それは良い事を聞いた。想いを通すと言ったが、安心しろ。もう、ゴテツにもルリアにも、手は出さん。何故かな、あれほど拘ったと言うのに。俺は今彼女への思慕の念より理想を選んでいる」

「うん? ゴテツ、ルリア?」

「俺は、戦う。全身を鎧で覆えば、この醜い身体を隠す事も出来る。例えもう陽の当たる場所で理想を追う事は叶わずとも、せめてあの方の、ひびき様の盾になる事くらいは、まだ俺にも出来るのだから。そう思えばこの醜くも強靭な身体も嬉しく思えるさ」

「ん、響? 今貴方響と言いましたか?」

 知った名前を連続で出されて、澪はまた聞き返した。

「……ああ。リミアに降臨された勇者様だ。あの方が居られるなら、魔族など必ず打倒出来る。そして必ず、人が己の役割を果たし、また己の可能性を追う事が出来る平和な世界を実現して下さる」

「なんだ、勇者の事ですの。なら私の知る響とは別人ですわね。あの娘、同名とは哀れな。そう、リミアにいる勇者は響と言う名前なんですか」

「そうだ。響という名の知り合いがいるのか。ローレルならそのような名も珍しくはないからな、有り得ない事ではない。ではな、もう会う事も無いだろう」

 イルムガンドの記憶を持った人型は澪の横を通り過ぎ、彼女を振り返る事も無く。
 舞台を去ろうとする。

「そう。ただの駆除のつもりでいましたけど、本人の記憶がベースになっているのならこれは嬉しい誤算ですわね。制裁になります」

 背後からの澪の声に人型は振り返ろうとした。
 だがそれは正確には出来なかった。
 体を支える足に力が入らず、彼は地面に倒れたからだ。
 地に伏しながら首を彼女の方に曲げ、イルムガンドの記憶を持つ人型は同時に自分が何をされたかを知った。

「足、が。お前、何をする」

 何をされたのか。
 手段はわからないが、結果は見ればわかる。
 両足の切断。
 膝から下が切り離されていた。
 痛みは感じないのか驚きはあれど悲鳴はなく、人型の表情も苦痛を浮かべてはいなかった。

「何を? 制裁ですわ」

 澪は特に先ほどまでと何ら変わった様子も無く、人型との距離をゆっくりと歩いて詰めていく。

「く……っ!? 俺はもう、イルムガンドとしてお前たちにもライドウにも、危害を加える気は無いのだぞ」

「だから?」

「だから、だと?」

「ええ。貴方、随分と若様に迷惑をかけ、暴言を吐きましたわね。貴方が何をしたいと思っているのかはわかりましたけど、つぐないが先ですわ」

「つぐない?」

「そう、償い。簡単な順番ですわ。貴方は若様に敵意を向け、対立し、妨害を企て、そして若様の生徒を相手に暴れました。そして敗れて今はヒューマンですらない」

「……」

「ほら、若様への振る舞いを償っていないではありませんか。貴方はただ敗北しただけ。けれど今、奇跡でも起こったのか貴方は見たところ、記憶や人格、身体の主導権を取り戻した状態でまだ生きている。貴方を構成していた魂もその核も、明らかに砕かれたと言うのに、まだ人として振る舞える程度には」

「……だが俺は、もう」

 ライドウに抱いていた憎悪も、ジン達に向けた敵意も、既に彼の中にはない。
 どうしてあのような、自分が最も嫌う貴族をなぞったような愚かな行為に出たのか。
 正気ではなかったとは言え、恥じるばかりだと人型は思った。

「敗北も、今の状態も。それは罰ではありませんわ。貴方の弱さが招いただけの結果。ああ、こう考えればいいのかしら。貴方は“償う為に”奇跡を得た」

「何を、言っている。それに今の俺には償いに差し出せるものなど、何も……。だが謝罪を望むならライドウにもあの生徒達にも手をついて謝ろ――」

「命で結構ですわ」

「!?」

「無念の死。大分足りませんけど、奇跡に免じてそれで許してあげます。貴方に叶えたい願いがあるなら果たせぬ後悔を抱いて消え去りなさいな」

 人型が大きく震える。
 澪が、笑ったからだ。
 無邪気で、思わず見惚れそうな艶がある。
 それでいて。
 人型の持つイルムガンドの記憶にとって、生涯見た事の無い凄絶な迫力を伴う笑顔だった。

「っ!」

 体に鈍く響く大きな衝撃に人型は自分の腹を見る。
 大きな穴が開いていた。
 澪の人差し指と中指が人型に向けられていた。

「馬鹿な。俺の身体、魔術への抵抗力は……」

「凄く強くなってますわね。一撃で跡形も無くす気でいたんですけれど。闇にも耐性があったとは少し驚きました。奇跡で獲得したのかしらね、償いの時を十分に味わえる様に」

「……ライドウは、そこまで俺を憎んでいるのか! 俺が奴を憎んだからか、だからあいつもっ!?」

 またも響く衝撃。
 今度は胸に穴が開いた。

「若様が貴方を? うふふ、愚かも度が過ぎれば可愛げがあるものですのね。若様は貴方の事など、足に触れた小石程度にしか思っていませんわ。その生死にも、当然さしたる関心など持っておられません」

「っ!? な、ならばどうして、お前は……」

 ライドウの命令で無いのなら、どうして澪がそんな事をするのか。
 人型にはそれがわからない。

「私が貴方を許せないからに決まっているでしょう? 若様のご命令なら助けもしますけれど、そんなご命令はありませんでしたもの。識に無力化を命じていた気もしますけどそれは貴方が死ぬ前の事ですし」

「だが、そう命じたのだろう、奴は! ならば」

 人型はもう理解していた。
 勝敗を。
 いや、これは最初から勝負ですら無いと。
 何をどうしても、絶対に自力で切り抜ける事は出来ないと。
 一向に再生が始まらない、体に開いた二つの穴がこれ以上無い位に力の差を彼に教えている。

「でも……若様は貴方が死んでも特に何も言いませんでしたもの。それは、死んだとしても仕方無い、その位には思ってらっしゃったと言う事でしょう? なら、奇跡の再生を私が無かった事にするだけですもの。問題などありませんわ」

「俺は、死ねない。こんな所で、たとえ拾った命であっても――!?」

 腹、胸、そして。
 人型の頭に向けられた澪の二本指。
 その後も何度か、鈍い衝撃が舞台に響く。
 既に無人と化したその場所は誰の目にもつく事は無い。
 識と共に、残っていた人を全て学生と一緒にまとめて避難所まで移動を始めさせた彼女はそれもよくわかっていた。

「リミア、響……。かわいそうに。あの程度の力で勇者と同名だなんて、あの娘も災難ですわねえ。次に会ったら料理人に転職を勧めてあげましょう」

 イルムガンドだったものの処理を終え。
 闘技場を出て識の後を追おうとした澪は不意に立ち止まる。
 人型との会話を思い出したからだった。
 彼女の記憶に残っている名前、響。
 確かリミアから来たと言っていた黒髪の娘を、澪は思い出していた。
 しかしそれもわずかの事。
 主である真からの命令に戻るべく、彼女は識と合流したのだった。
 
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