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月が導く異世界道中 作者:あずみ 圭

三章 ケリュネオン参戦編

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アベリア

「アベリア。私は上で負傷した騎士の治療に行きますが、無理はしなくて良いですよ。戻ってきたら私が彼を何とかしますから。澪殿、しばし彼らを頼みます」

「ええ、若様がお呼びなのだから急ぎなさい。ここは心配いりませんわ」

 後衛にいる私に識さんが話しかけてきてくれた。
 イルムガンドだった存在に手間取っている私たちへの気遣いなのはわかる。
 でも、同時に期待に応えられていない自分に腹が立ってしまう。
 それどころか識さん、澪さん、ライドウ先生にとってこの程度は脅威ですら無いんだという事まで、今の一言の軽さから容易くわかってしまうのも辛い。
 ……私とイルムガンドの関係は、今はどうでも良い事だ。
 例え、それが少しだけ私の動きが悪いことに関係していたとしても。
 何せ誰の動きも良くないんだから。
 普段の講義でこんな事をしていたら戦闘中断からお説教になるのは目に見えているレベル。
 今相対しているのが、ただの魔物じゃなくて私たちと同じ学生だった人が変貌した相手だから。
 どうしても、やりにくい。
 殺すことに躊躇いがあるし、それに正気に返ってくれればと呼びかけてもまともな反応は得られない。
 命に別状は無いだろう場所に攻撃を集中させる事でさっき腕を落とした。
 でもその痛みも彼には何の効果も無かったようだ。
 多分怒りからであろう咆哮じみた叫び声は上がったけど、すぐに腕をまるごと再生して戦いを再開してきた。
 もしあの時にミスラが前に出てくれなかったら、私たちも動揺に呑まれてパープルコートみたいに引き裂かれていたと思う。
 彼には感謝するばかりだ。
 “悔しい”ことに、今のイルムガンドは私たちよりもかなり強い。
 ヒューマンとしての研鑽の結果じゃなくて、識さんの言っていた変異、の影響でだけど。
 戻れるかどうかは別にして、彼は私よりもまた強くなった。
 じわり、とある感情が滲んでくるのがわかる。
 感情のままに喚いてあいつに殴りかかりたい自分がいる。
 でもそれは絶対にやってはいけない事だ。
 まずパーティが崩壊する切っ掛けになってしまうから。
 大体そんなみっともない姿をあの人、いや皆に見せたくないし。
 だから、今の状況では識さんが戻ってくれるのを待つのが何より一番良い手段だ。
 一人残ってくれている澪さんは特に私達に手を貸すつもりは無いようで、これまでに与えた助言で何とかしろと言わんばかりだ。
 識さんとは大分タイプが違う人みたい。
 イルムガンドの攻撃の性質、有効な属性、そして急所。
 既に彼女は私たちがイルムガンドと戦う為の幾つもの欠かせない助言を与えてくれている。
 私たちが考察した事が合っていれば認めてくれ、間違っていればヒントをくれるやり方で。
 学園が誇る最強の魔法戦士部隊(ここに来たのは魔術師部隊だったけど)であるパープルコート。
 そう、初めて目にしたこの街最高の戦力は初見の相手とは言え信じられない位あっさりと敗れた。
 彼らを全滅させた相手に私たちが何とか戦えているのは、識さんの回復と澪さんの助言、そして先生からもらった装備、そして女神の祝福による部分が大きい。いや、殆どだろう。
 言い換えれば、幾重にも底上げされてこの様なんだ。
 迷いを引きずったまま回復も助言も優れた装備も無しに戦っていれば、もう私達は立っていない。
 この程度の能力差を覆す為の連携や考察は日々の講義で与えられていると言うのに、何て無様。

「くっそぉぉ! いい加減に」

 ジンは優しい。
 彼はまだ急所を狙わずにイルムガンドを無力化しようとしている。
 あれをまだ学園の先輩だと認識しているんだ。
 二刀流で攻めきってしまうのが彼の今のスタイル。
 やられる前にやる。
 それこそがジンが目指す戦い方だ。
 なのに、相手の攻撃さえ呑み込む彼の苛烈な剣筋に勢いが欠けている。
 強い再生能力を持つ相手に、鈍った剣先は最悪の循環しか生まない。
 イルムガンドだったアレは、確実に私達を殺しに来ているのだから余計にだ。

「火属性は、苦手なんだけどね!」

 そう言って魔術を放つイズモも苦しそうだ。
 風属性による相手の移動妨害や視界遮断、それに高速機動を保ったままの術の連打。
 得意とする戦術はどちらも出来ていない。
 あれの周囲に近づいた風の術は片っ端から散らされてしまっている。
 耐性と言うよりは無効化されている感じだ。
 死角から放つ術も、彼の火属性では攻撃力が足りず有効打になっていない。
 ならば今やっている様に後衛に下がって、足を止めてその分攻撃に集中して少しでも威力を上げた方が良い。
 しかも本来得手では無い属性の術で急速に魔力を失いつつある。
 イズモは元々長期戦に向く程魔力の量は多くないから無理もない。

「まだまだ! 止める!!」

 最前線で攻撃を受け止めるミスラだけは気力十分だ。
 その気力とは裏腹に回復魔術が途切れれば彼の危険は一気に上がる。
 言葉通りに受け止めて安心するのは危険だ。
 彼が保つラインを死守しなければ全員が崩れる。

「終わりが無いな、こいつは!」

「決めたい攻撃に限って防いでくるし! 面倒くさい!」

 ダエナとユーノは速さと虚実を織り交ぜて攻撃を続けている。
 でも彼らの体力はとうの昔に限界を迎えている。
 しかも化け物になって頭が悪くなった分勘は良くなったのか、大事な一撃は決めさせてもらえない。
 瞬発力を活かした速度重視の戦い方は、当然ながら長期戦には致命的に向いていない。
 ユーノはもう下がって弓を持った方が良い位かも。
 気力の途切れた瞬間に一撃をもらえば二人ともひとたまりも無い。

「セフト、アルオステ……エダ、クライ」

 シフは火属性の高火力魔術を編んでいる。
 イルムガンドに一番効果の高い攻撃を浴びせられるのは彼女だ。
 ミスラと共に私たちの生命線。
 言い換えるなら、彼女の魔力を活かせる内じゃないと私たちに勝機は無い。
 ……。
 そう。
 この場を私たちの力で、これ以上の助力を得ずに乗りきりたいのなら。
 “無力化はもう有り得ない”んだ。
 殺す気で急所に一撃を叩き込むしか無い。
 本来ならジンがその作戦を組んで私たちをまとめてくれる。
 でも、今の彼には無理な相談だ。
 あれだけ悪態をついていた癖に、彼は先輩を助けたい、なんて思っているに違いない。
 ジンの最大の長所にして短所。
 残りの学園生活で少しは変わるんだろうか、いえ多分変われないでしょうね。
 思わず苦笑いが漏れる。
 私の中にはもう、作戦がある。
 何度も考えて、その度に同じ結論を出したから。
 殺すなら、まだ間に合う。
 やれる筈。
 ……悩んでいて手遅れになった時との選択は、迷うまでもない。
 治してもらえるから負けても良い、なんて私は嫌だ。
 それも、こんな自我も捨てたようなイルムガンドには、絶対に。
 こっちは関わり合いたくもないのに、一々私や皆に絡んできて。
 それでこの様で――
 甲高い音が響いた。
 ジンの剣が、変異体となったイルムガンドの右手に半ば取り込まれた彼自慢の剣と正面からぶつかった音だ。
 まともな力比べでは押し込まれる。
 結果がわかっているんだろう、そうなる前にジンは自分から衝撃に身を任せて自分から跳んで、少しでもダメージを軽減しようとした。
 イルムガンドはジンを追わない。
 代わりに口を大きく開いて奇妙な魔力の練り方をした。
 初めて見るパターン。
 瞬間、嫌な既視感が私の脳裏に浮かぶ。
 あ。
 まさか!

「みんな、障壁を! 咆哮ロアがくる!!」

 咄嗟に怒鳴って私は後衛をフォローする防壁を展開する。
 前衛までは流石に射程が足りない!
 かつて亜竜に追い詰められた時の記憶が不意に蘇ってきて、私は反射的に咆哮への抵抗手段に考えていた防壁を使えた。
 あれは私にとって最悪のトラウマだったから。
 例え自分の選択肢をいくらか減らすとわかっていても、いつでも展開出来るように準備していたのが偶然にも功を奏した。
 案の定、身体の底に響くような何らかの付与効果をもった叫び声が私たちを襲う。
 どうやら効果も竜が用いたのと同じ威圧、だったのか金縛りにかかったようにジンとミスラ、ダエナとユーノの動きが止まった。
 その光景を見た時、私の中でもほんの少しだけ残っていた躊躇いが……消えた。
 硬直を伴う技だったのか、イルムガンドもまだ動きを止めたまま。
 私はジンとは違う。
 仲間を失う位なら、あいつを殺せる。 

「……シフ、その術私の矢に付与出来る? 苦手な付与を頼んで悪いんだけど」

「え? 無理です、苦手以前にもう術が完成しているんですよ? ……もしかして識さんが以前やって見せてくれたアレですか? まさか、あんな乱暴な付与、成功しても十秒と持たずに暴発します。アレは識さんだから……」

「十秒ね。問題無いわ、イズモ! 動けるわね!?」

「っつう、何とかね。防壁ありがと。切り札って奴? お婆ちゃんのポケット思い出した」

「無駄口はいいから。私に速力増加、いける?」

「え、ああ。いけるよ。でも今は皆のフォローが先じゃ」

 私は首を横に振る。

「もうそんな余裕が無いのはわかってるでしょう? ……私があいつを仕留める」

『っ!?』

「ほら、もう動きだす! 棒立ちであいつに殴られたら下手すればミスラだって即死よ!」

「で、でも」

 イズモは私が見る限り、どちらかと言えば助けたい派だ。

「……貴女が背負う、そういうつもりなんですか? なら私が今度こそあいつに直撃させるから隙を作って」

 シフは、倒しても構わないと思ってる。
 だから私が何かを背負う事を心配して自分の手を汚そうとも言ってくれる。
 でも、それじゃダメなんだ。

「無理よ。今のあいつの魔法防御は硬すぎる。物理だけでも魔術だけでも相当の威力が無いと破れない。さっきみたいな一撃、貴女に仲間を巻き込む状況であれ以上の事がやれるの?」

 十分に射線を確保していたからさっきの腕を落とした攻撃は撃てた。
 あれだけの威力を急所への命中力を維持したままシフが行使出来るとは思えない。
 命中精度はそこまで高くないのが彼女の欠点の一つ。
 それ以上のプラス要素が多すぎるからあまり気にもならないんだけど、今は別だ。

「そ、それは」

「だから、私がやる。物理、魔術の両方を叩き込むには私の矢と術の強制付与が一番だから。大丈夫よ、勝算はそれなりにあるの。……識さんの前で格好をつけさせて?」

 少しおどけたように軽口を、でもシフを真剣に見つめて協力を願う。
 不意に私の身体が軽くなった。

「ああああ!! もう自棄やけだ!! 魔力の限界まで牽制するから、アベリア、後任せるね! 後ろに識さんがいるから後先考えないって、こんな格好悪い……!!」

 一件自棄になった様子のイズモが泣きそうな顔で言い切ってイルムガンドに攻撃魔術を放ち始めた。

「……わかりました。ジンが動けない時は貴女がリーダー。そうでしたね」

「ありがと、シフ」

 シフの完成された強大な火属性の力が私の右手にある矢の先端に凝縮されて宿る。
 何が例え成功したとしても、よ。
 貴女が確実にやってのける事位わかってた。
 同じ所を目指していた私だから、貴女が今何歩先にいるかわかっていた。
 十秒は、確実につ。
 私は一気に駆け出した。
 イズモの最後の力を振り絞った弾幕援護の脇から一気に加速して大地を蹴る。
 通常よりも遥かに高い跳躍の限界高度から、効果時間を絞った浮遊の術を展開。
 ふわりと身体ごと押し上げられる感覚が生じて、私はもう一度跳躍した程度の高さにまで運ばれる。
 眼下には私を見上げるイルムガンド。
 予想通りだ。
 あいつは、攻撃を受ける事を当たり前に思っている。
 それだけ防御に自信があるんだろう。
 でもね、今お前の周りには防御にあてる障害物も無い。
 私とお前の間には遮る何も無い。
 空からの射撃。
 私は比較的普通にやっていたけど、何故かライドウ先生は驚いてたな。
 器用なもんだ、とか真顔で書かれた。
 百発百中のあの人に言われてもからかわれているとしか思えなかったけど、状況によっては飛んで射つのは有効な手段だ。
 射線がとりやすい。
 戦況を見てやらないと、こっちも相手の攻撃に晒されるリスクはあるから良い事ばかりでも無いけど。
 さっきのシフの一撃でご自慢の防御力も程度はわかった。
 例えその両腕で防いだとしても、凶暴な付与を施した私の矢は貴方の首くらいまでは射抜ける。
 だから――!? 

「っ!! まさかそれを!? まずっ――!」

 構えに入ろうとした私は信じられないものを見る。
 先ほど落とされた腕を左手に掴んだあいつは私に向けてそれを振りかぶっている。
 嘘でしょ、自分の腕をって、そんなの予想……。

「名も無き土の子どもたち! 助力を! っ、いけた!!」

 シフの声!
 完成した術を託してもらった彼女には、これ以上の援護は期待してなかった。
 でも彼女にはまだ精霊魔術があった。
 あいつにはあまり効果は出ないけど、彼女にはまだ考えがあったみたい。
 イルムガンドの足をシフの足元から伸びた、幾つもの土の腕が掴む。
 面倒きわまりない事に、火属性と無属性以外の術はあいつの周辺では指定さえままならない。
 足場を崩したり風で視界や動きを遮ったり。
 やりたい事が中々させてもらえない。
 特に水属性の能力低下なんて、逆にパワーアップさせてるようにさえ見えた。
 最悪だ。
 そこでシフが使ったのは、自分の近くで術を発動させて相手の所まで伸ばすってやり方。
 バインド系列の術は基本的に相手の付近で発動させるから、かなり変則的だ。
 ……そっか、私は何となく発想の原点がわかった。
 夏休みにエリスさんの使ったあの時の術を参考にしたのか。
 触れるまではいったが、やはり一瞬で蹴散らされて術は解かれてしまった。
 でも飛んでくる腕の軌道が少しだけ逸れてくれた。
 十分だ、有難い。
 腕は脇腹に鈍い衝撃を加えたものの、直撃を避けた私は痛みなど感じる事なく弓をつがえる。
 良かった、落下の時の万が一を考えて痛覚麻痺を使っておいて。
 まずい感じの衝撃だった。
 見ると泣きそうだから、見ない。
 暴走寸前の矢の先端を見ながら、同時に私を見上げる“変異体”の額に狙いを付ける。
 迷うな。
 もう時間が無い。
 着弾より前に術が暴走しても終わりだ。
 魔力の付与じゃなくて、魔術の付与。
 こんなのは付与魔術ですらない、異端中の異端だ。
 デメリットが多すぎる。
 でも識さんは当たり前にやっていた。
 そして今はそのメリットが活きる所だから。
 私は、あれを倒したい。
 乗り越えてしまいたい。
 何も臆する事なく“次の段階”に行きたいの。
 必ず、当てないといけない。
 だから……あやかる。
 識さんと、そしてもう一人、私はある人を頭に浮かべた。
 ……あなたに肖った所で、きっとその力など今の私には得られないだろうけど。
 思い浮かべる。
 今の私には、これ以上無い程に頼もしい二人の姿を。

「……てる!!」

 そうでしたよね、ライドウ先生。
 私の放った赤矢は、ご利益が少しはあったのか見事に狙い通りの場所、イル、“変異体”が交差させた両腕に刺さり。
 一瞬は勢いを緩めたものの難なく貫いた。
 さらに両腕に隠れた額から、急所と目星をつけた首の一部、その奥の背骨へと深く沈むのがわかった。
 当たっ、た。
 ……終わったんだ。
 確信する。
 私はふと、観客席からこちらを見て何度か叫んでいた男の人を目だけで見る。
 あの人がきっとリミア王国ホープレイズ家の当主。
 あの人が私の――
 面倒な事は御免とばかりに誘われるままに、帝国辺境の村から学園ここに来たと言うのに。
 どうしてこんな結末になってしまったのか。
 でも、ああ、もう良いや。
 だって全部、これで。
 上手く、思考できない。
 何故か、寂しさが少し混じった虚ろな爽快感が胸に広がっていく。
 そして、結果を見届けて緊張が途切れたんだろう瞬間に。
 脇腹の激痛に私は一瞬悲鳴を上げ、それでも何とか歯を食いしばりながら無言のまま、落下する感覚と脱力感に身を委ねて意識を手放す。
 一瞬遅れての爆発による轟音と光。
 それらと一緒に耳に響いた、最後まで“彼”としての感情など感じさせない醜い叫び声を、どこか遠くに感じながら。 





◇◆◇◆◇◆◇◆





「やあ、巴」

「ルトか。良いのか、冒険者ギルドの長がこのような場所に出てきて」

「幸い、本部はハリボテみたいなものだからね。それと、ルトじゃない、ファルスだよ。ここではね」

「ふん、まあ協力してくれた礼じゃ。そこは従ってやろうさ」

 リミア王国を除く来賓を学園長の知るシェルターの一つに避難させた巴。
 彼女はその後、彼らを守るという建前でシェルター入口の守りについていた。
 その実は、単純に商会のメンバーに念話で指示を出すのに都合が良かったからであり。
 また、真が各勢力の来賓にどう動く気なのかまでは相談もしていないため、接触を控えたのもある。

「それで、状況は? 僕に言える範囲で構わないけど」

「殆ど良い様にやられておるな。恐らく一日二日では収拾しまいよ」

「ん、いやいや。そっちじゃない。まこ、若様さ、聞きたい事とか……聞けたのかなって思ってね」

 現在の騒動の様子を教えられる範囲で伝えようとした巴に対して、ルトはそれを否定すると自身の聞きたい事を切り出した。
 対して巴はその一言に、やや狼狽えた顔で反応を返す。

「!?」

「可愛いよねえ、酒の力を借りてまで何を聞き出したかったのかは知らないけど。どう、酔っ払ったお前に、彼は何か話してくれた?」

「うるさいわ。結局、あのような秘薬に頼らずとも若の胸の内は多少知れた。今は……それで良い」

「なんだ、酔った意味は無しかい。勿体無い。あれ、耐性が出来ちゃうからひと月もすればもう使えないのに。折角だから効果がある内にまた飲もうよ」

「別にあそこまで酔わずとも、酒は楽しめる。得難い経験だったとは思うがな。まったく、何を言い出すかと思えば下らん事を」

「だって気になるんだよ。彼がどんな道を進む気なのか」

「……あまり馴れ合う気も無い。が、この所多少世話になっているのも事実。少しは教えてやる。若は、これでご自分が選べる道の多さにお気付きになるだろう」

「……ふぅん。なるほどね。君達にはどうにも秘密が多いようだけど、それは世界への干渉を始めるって事で良いのかい?」

 ルトが目を細めて巴に真意を問う。
 それは、嬉しそうでもあり興味深そうでもあり。
 そして警戒しているようでもあった。

「さてな」

「もうちょっと教えてくれても良いんじゃない? 例えば、リミアの勇者と合流してヒューマンの希望になるとか、グリトニアの狂気を加速させるとか、ローレルの賢人信仰の下で庇護を受けて静かに暮らすとか。アイオンでツィーゲを独立させてみる、とかさ」

「……よくもそれだけ考えるものじゃな」

 ルトの示す可能性に巴は呆れたように呟く。

「なら……神殿に赴いて女神の信徒にでもなる? それもこの世界に馴染む気なら手段の一つだよね。彼はヒューマンに馴染もうともしていたようだし」

「黙秘じゃ」

「……彼にとっては歪んで感じられるヒューマン社会を、魔王に加勢して滅ぼすなんてのも道の一つ、だよね?」

「……」

「怖いねえ、彼は自覚なく戦争の規模さえ左右する立場で将来への道を選んでいる訳だ。ああ、僕としてはむしろ、彼は自分たちが持つ力を少々低く見積もり過ぎじゃないかとも思うんだよ。何か窮屈に感じるならとうに動いていてもおかしくないのに、ってね」

「……若にもこれまで過ごされた経験や価値観がある。あの方はあれで頑固な所もあるからの。ご自身で見ずして納得はされまい。こちらにも色々あるんじゃよ」

「価値観? 彼の? 是非知りたいな」

「……」

「だんまりかい? 困るな、それは。じゃあさ、一つだけ教えてくれない? それも全部でなくて良い。交換条件として僕も一つ有意義な情報を教えてあげるから。このままじゃ生殺しだよ」

「ふん。知りたい内容によるのう」

「脈アリ? 嬉しいね。僕が今一番興味があるのは、前に少し話したけど彼が化けそうかって事。どうかな?」

 ルトの言葉は以前、夏を迎えた頃に、夜の闇の中で交わした内容についてでもあった。
 巴がぴくりと眉を上げ、考え込むように俯く。

「それか。少しならよかろう」

 巴は顔を上げてルトの言葉を受け入れた。

「本当かい!? 彼があれから多少の変化を得たのはわかるけど、近くで見ていただろう巴の意見が欲しかったんだよね」

 ルトは無邪気に喜んで笑顔を浮かべた。

「お主が想定しているような劇的な変化は未だ無い。若はまだご自分がどう在るかを定めてはおらんからな。だが、能力と言う意味では完全に開花した。例え今、お前と若が戦う事になっても、儂らはそれを安心して見ていられる。それほどにはな」

「!? へぇ。でも僕の相手くらい出会った頃の彼でも出来たと思うけど? それほど大きく成長したようには聞こえないな」

「安心して見ていられる、と言うたであろう? 正面から戦ったとして、まあお前は一応我らの頂点、かすり傷程度ならつけられるかもしれぬな」

 ルトは完全に言葉を失った様子で巴を見る。
 絶句、という言葉が良く合っていた。

「お主がどれほどの高みから今の世の中を見下ろしているのか、何を考えているのかは未だ儂の知らぬことじゃ。しかし、こと若に関して言うなら手を出さぬ事じゃな。お主が言う“化ける”段階まで進めば、例え上位竜であろうとトカゲとなんら変わらぬかもしれんて」

 次句を続けられないでいるルトに巴は追い打ちのような言葉を掛ける。

「それで、お主の有意義な情報とは何じゃ?」

「……ヒューマンの切り札が動きつつあるよ。まあ、彼がそこまで強くなっているのなら心配はいらないかもしれないね」

「切り札、竜殺しじゃったか? 確かヒューマン最強じゃったな」

「竜殺し、ソフィアの事かい? まさか。あのはギルドに登録している中で最高レベルでランサーを倒したってだけさ。最強かと言われれば違うね」

「なら誰の事じゃ?」

「勇者に次いで女神に愛されている者、さ。今代のはかなり出来が良いらしい」

「今代……継承される存在か?」

「そっか、君は知らなかったかもしれない。女神にさえ扱えない属性を使いこなす特殊な血統のヒューマンだよ。今は、女神も忙しいながら本腰を入れ始めているって感じてもらえればいいさ。忙しいのも、彼女の場合自分で蒔いた種、なんだけどね」

「ふむ。まあ有り難く情報は頂いておく。用が済んだならもう戻れ。ずっと一緒にいて関係を勘ぐられても面倒じゃ。それから、少々払い過ぎた気もするでな。転移の件、上手く収めてもらうぞ?」

 去れ、とばかりに左手でしっしっとルトを追い払う仕草を見せた。

「わかったよ。折角真君に感謝してもらえる機会なんだ、ちゃんと働くとも。ヒューマンの扱いは君達よりも慣れているし。後でどうなったか報告しに行くよ。若様に、ね」

「ふん、言っておくが刀はやらんぞ。勿論儂の転移をどうこうしようなど、論外じゃ」

「勿論。任せてくれて良いさ、じゃ、彼によろしく。それから……どの国も気づいた様子は無いけど、念話の傍受は程ほどにね。まったく、君らは念話一つとっても驚異的だよ。安心して真君と話せやしない。念話と転移、それだけでも各国に伝えられたら魔族は後何年戦争を長引かされる事やら」

 呆れた様に肩をすくめてルトは巴から遠ざかっていく。
 進む先は来賓が集まっている場所。
 巴に話した様に大人しくギルド長ファルスとして振舞うようだった。
 警備の名目で一人離れた場所に立つ巴は、その後ろ姿を見送っている。

「長引かされる……ルトめ魔族の内情にも通じておるか。別にヒューマンと魔族の戦争になど興味も無いが、奴に引っ掻き回されるのであれば些か同情もするのう。さて、我らはいつから反撃に出ようか。当面は避難の手助けをさせておくとして……数日はその守りを名目に出来そうじゃが」

 再び一人になって商会への指示を再開する巴。
 ルトと話している間にも次々に入る念話での報告を整理していく。
 部下からの報告、各国の連絡の傍受。
 巴自身が収集しているのと合わせた大量の情報。
 その上で巴は動くタイミングをはかっている。
 既に在庫も無いただの建物に過ぎない店舗は破棄させている。
 直そうと思えば修繕も建て直しも容易だからだ。
 無理に無事に拘る必要は無いと彼女は考えていた。
 巴から指示を受けた商会の従業員は今は街の各所に散り、リストアップされた変異体の暴れていない場所や既に避難所となっている場所に、慌てふためく街の住民を誘導している。
 現在は亜人の住まうスラムに了解を取り付け、避難箇所に追加した所。
 混乱は未だ広がるも、クズノハ商会も巴も、まるで混乱した様子もなく活動を続けて行った。





◇◆◇◆◇◆◇◆





「そうか、既にそこまで強くなっているんだね、真君」

 ルトは巴の言葉に多少のショックを受けながらも、しかしそれ以上に楽しそうにしていた。
 自分を確実に倒せる、そう言われたのに悲観した様子は無い。

「もしかすると、君は本当に女神を討ってしまう程の存在になるかもしれないね。君は自分が不運だと言うけれど、中々どうして。今の女神の動くに動けない状況を考えると、真君は実は物凄く幸運なのかもしれないね……僕は、とても楽しいよ。やはり君は最高だ。どんな形でも良い。君のその力、拝める日を楽しみにしてるよ……。願わくばいつか、君と肩を並べて同じ景色を見たいね。ふふ」

 小さく呟く彼の表情は悦に入り、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
ご意見ご感想お待ちしています。
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