以前、「街で見かけたJK」の絵をツイッターに載せていた人が炎上したことがあった。作者が街で見かけた(らしい)女子の絵が性的なタッチで描かれており、そこに矢印で作者の「汗だくでスケスケ!」と言った性的な視線のコメントが書き込まれているものだ。私も、これは批判されて当然だろうなあ、と思った。
で、その騒動のとき、私がツイッターでフォローしているエロ漫画家が「街で見かけたブラックホール」という体のネタ絵を描いてツイートしていた。その絵では街中にブラックホールが(なぜか)出現しており、そこに矢印で「時空の歪みが丸見え!」といったコメントが書き込まれたものである。明らかに「街で見かけたJK」絵のパロディである。
そのちょっと後のこと、「(街で見かけたJK絵への)批判すらネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」という、オタク批判ツイートを見かけた。そのツイートには、ツイッッターで絵描きがアップロードした画像が4つ添えられており、うち3つは「街で見かけたJK」と同様の体で非実在女性を性的に描いたパロディ。で、残り1つが「街で見かけたブラックホール」の絵であった。
わたしは驚いた。他3つの絵は別として、「街で見かけたブラックホール」の絵は、寧ろ「街で見かけたJK」の絵を皮肉っているものだと私は感じていたためである。なぜか街中にブラックホールがあり、そこに「時空の歪みが丸見え!」といった意味不明な細かな注釈をつける。そういう奇妙さが「やたら細かな注釈をつける行為」のグロテスクさを浮き上がらせており、元の絵の異常性をも際立たせている。わたしはそのように感じた。語彙力がないのでうまく表現できないし、ここまで書いたことには私の主観が多分に入り込んでいるであろう(リンクを貼らないのは本記事が無粋なマジレスめいており作者に申し訳ないからである)けど、しかし少なくとも、ブラックホールの絵が「ネタにして」いるのは「街で見かけたJK」絵に対する批判というよりは、「街で見かけたJK」絵(あるいはその作者)そのものではないか?何にせよ、「JK絵批判をネタにしている」と決めつけるのは偏見に過ぎる。
その「批判をネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」ツイートに賛同するツイートをいくつか見たが、「ブラックホールの絵は別」と指摘している人は誰もいなくて驚いた。しかしさらに驚いたことには、「批判をネタにするのが〜」のツイートをした人に「これらの絵はお前らみたいな(街で見かけたJK絵に文句をつける)繊細チンピラに対する揶揄だ」と食ってかかっているバカがいたことだ。両方の派閥から「批判をネタにしている」と決めつけられているブラックホール絵の作者が、私は気の毒でならなかった。
ときどき、「オタク差別」という言葉が話題になりますね。そのたびにこれはオタク差別だ、いや違う、だとか、オタク差別など存在しない、いやする、みたいな議論が巻き起こります。最近だと、とらのあなにヘイト本が置かれていた件のとき、ヘイト本を置かれていたことを指摘するツイートに「死ねよオタク」という文言があったことで、そういう議論が巻き起こりました。
この件では、「オタク差別ではない」とする側の中に、死ねよオタク、というのはヘイト本を買うようなオタクに対して向けられた言葉であって、あなたがオタクであるからといって「死ねよ」という言葉が自分に向けられているかのように思うのはおかしい、という趣旨のものがありました。このロジックが適切かどうかは、ここでは論じません。ただ、私自身はある種のオタクではあるけれども、普段から「オタクは○○(何かネガティヴな意味の形容詞)」だとか、「死ねよオタク」といった類の文言を見ても、別に自分のことではないと思うようにしています(あくまで私の生き方であり、他のオタクがそうすべきか否かなど論じるつもりはありません)。はてなっぽく言えば、「自意識の当たり判定を小さくしている」ということになるでしょうか。(あとついでに言っておくと、それはそれとしてオタクでヘイト本愛好者がいることは嫌ですし、とらのあなも本件でなるべく使いたくなくなりました。)
そんな私ですが、ブラックホール絵の人が批判された件に限って言えば、「オタク差別」と呼べるのではないかと思っています。というのも、「街で見かけたJK絵(の作者)をネタにしている」という解釈が可能な絵を見て、「街で見かけたJK作者批判をネタにしている」という正反対の解釈に確信を持ってしまうのは、「この人はオタクなんだから、同じくオタクである街で見かけたJK作者を擁護しているのだろう」という決めつけによるものだと思うからです。だから「オタクにとっての表現の自由って〜」という言い回しをしているのでしょう。(なお、じゃあオタク側で「繊細チンピラに対する揶揄」と主張していたバカは何なんだ、という話になりそうですが、この人は見たところ左翼やフェミニスト憎しが行き過ぎた人だったので、それで解釈を誤ったのでしょう……。)さきほど書いた通り、「オタクは○○である」といった言説については、少なくとも自意識の当たり判定を小さくしている私にとっては別に気にならないのですが、それがこのように「お前はオタクだから○○なはずだ」という個人攻撃になってしまうと、自意識の当たり判定の問題ではなく、もはやどうしようもありません。
「オタク差別」という単語は、時には濫用されることもあります。たとえば、あらゆる「性的消費」を批判しているフェミニストが二次元美少女にまつわる何かを批判したとき、調べもせず「このフェミニストは(他の性的コンテンツは批判せずに)オタク差別をしている」などと主張しだす人が時々いますが、こういうのは「オタク差別」概念の濫用ですし、こうした濫用は当然、(フェミニストの主張に同意する人もしない人も)どんどん批判していくべきだと思います。しかしそうであればこそ、そういった濫用とは別に「オタク差別」という表現が適正な事例もあることを記録しておきたいと思い、こんな文章を書いた次第です。
長くて読めん。 美少女やエロは苦手な人もいるのでほどほどにね、で済むところを長文で反論しちゃうのは 「アニメ・マンガ好き」ってより「オタク気質」な気がするね 自分もエロ...
わたしも自分が差別されてると感じたことはほぼないですよ。 あと今回は、別に美少女やエロじゃなくてブラックホールを描いただけの人が怒られてて、その怒られ方がオタク差別とい...
わたしも自分が差別されてると感じたことはほぼないですよ。 あと今回は、別に美少女やエロじゃなくてブラックホールを描いただけの人が怒られてて、その怒られ方がオタク差別とい...