行動が全てだ。
私は、行動のない奴は認めない。
いくら心で思っていても、行動がなければ戯言 (たわごと=きれいごと) にすぎない。
「善」 は行動で証明され、「正義」 は行動で証明され、「美」 (愛) は行動で証明される。
彼女は、全てを行動という実践で示した。
人生の全てをかけて、投げ打って。
だが、まだそれを認めない奴らがどこかにいるのなら、私がそのお相手をする。
彼女はずっと、身の周りの奴らから、全てを否定されてきた。
家柄 (出身) も、両親のことも、学歴も、彼女の作る手料理も、そして、天真爛漫な、豊かな明るい性格も。
でも、家柄って何だろう?
人間の価値って何だろう?
自営の家に育ち、東京の短大を卒業し、きちんとした就職・勤めをしていた彼女が否定されるなら、日雇いの 「飯場 (はんば) 暮らしの出稼ぎ人夫」 の家に生まれた、立派な学歴も肩書きも何もない私の人生は、全くゴミ以下だ。
彼女が責められる理由など、どこにもない。
彼女は、本当に頭のいい、賢い人だ。
そして、生き方が潔く、その魂は本当に立派だ。
まあ、私にはちょっとかなわないけれど。 (笑)
師匠 (私) には、師匠のプライドがあるからね。
でも、そのプライドとは、単に彼女に対する感謝と責任感なだけだ。
彼女は、くだらない 「妖怪ババア」 にとことん虐 (いじ) められた。
悪たれをつき、毎日何時間にもわたって彼女を責め立てていたその憎たらしいババアは、年老いて自分の死が近づくと、地獄に堕ちるのが恐くなった。
自分のしてきたことがよく分かっていたからだ。
それで、奴は彼女に手を合わせた。
繰り返し彼女に、詫びを入れた。
身体の自由がきかなくなり、毎日下 (しも) の世話をしてくれていた彼女に、やっと心からの感謝を示した。
でも、奴が人間の心を取り戻したのは、死に直面してからだ。
死が近づかなければ、奴は人間の心を取り戻せなかった。
それは誉められたことではないが、でもまあいい。
取り戻さないよりは、まだましだ。
でも、はたして奴は、地獄には行かなかったのだろうか?
私は、それは知らない。
そして、その妖怪には、息子 (赤ん坊?) がいた。
まだ生きている。
じじいになったが。
そして彼女は、24歳から30数年にわたり、ずっとその妖怪ババアの赤ん坊 (子泣きじじい?) の面倒をみてきた。
毎日食事を作り、洗濯をし、掃除をしてきた。
それ以外にも、その赤ん坊の身の周りの面倒の全てをみてきた。
全てといったら全てだ。
普通の人には想像できない全てだ。
車の運転も、全ての荷物を持つのも、靴のひもを結ぶのも。
彼女のことを悪く言う奴がいたら、私がその相手をする。
そして、私はこう言うだろう。
「あんたが妖怪の赤ん坊の面倒を30年みれたら、その時はあんたの話を聞いてやる!」 とね。
資格のない奴ら、実態を何も知らない奴らが、気取って彼女を批判することは許さない。
お子ちゃま達が、よってたかって彼女のことを責めたとしても、私はそんな言葉は聞かない。
誰だって、30年以上妖怪の赤ん坊の面倒をみたら、嫌になる。
でもそれは、本当にお人好しな、馬鹿な彼女だからできたことだ。
一流を目指していた彼女だから、できたことだ。
全く、凡人のできることではない。
確かに彼女は、自己否定や自己犠牲を抱えていた。
だから、自分を磨く修行に必死だった。
でもみな、そんな彼女を利用し、踏みつけにし、彼女の上に胡坐 (あぐら) をかいた。
それを当たり前にさせてしまった彼女も確かに悪い。
確かに、彼女自身のせいでもある。
だが、彼女が注いできた行動・愛情は、どこまでいっても全てが真実であり、善意だ。
閻魔大王 (えんまだいおう) の息子の私が言うのだから、間違いない。
そして、その真実 (善意) を利用した奴らが、それを責めることは、決してできないはずだ。
少なくとも、その恩恵を受けてきた奴らは、彼女に文句を言う立場にはない。
何故なら、既に受け取るものを、みな受け取ってきているからだ。
それがあったからこそ、みな生きれてこれた。
彼女がもう一切、妖怪の赤ん坊の面倒をみなくても、それが批判される理由はない。
彼女は全てをやったのだ。
後はもう、彼女の問題ではない。
そして、彼女は雑巾でもゴミでもない。
彼女はやっと、自分のために生き出した。
この歳になって。
それは、全く遅すぎるくらいだ。
それに文句がある奴がいたら、私が相手になる。
私は、彼女の優しさ、一途さ、繊細さ、おおらかさ、美しさが大好きだ。
だから私は、彼女にはどうしても幸せになって欲しいし、彼女には普通の人以上にその権利があると思っている。
「 冬の寒さに耐えた人ほど、春の暖かさを知る 」 のだ…。
彼女は、これまでずっと、人を優先して生きてきた。
だから、これからは彼女に、とにかく自分を優先して、生きさせてあげたいと思う。
そして私は、私のこの気持ち (感覚) は、人間として別にごく普通であり、当たり前だと思っている。