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自分自身の検証

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年11月 1日(日)05時29分44秒
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  私たちの多くは、池田先生の著作・スピーチを何回も、その都度手にして困難を乗り越えてき

た。また信心の確信を深めてきた。同時に信心年数(入会年数)を重ねることにより、幹部と称

する人々の質の悪さ、組織運営の

自己都合といった姿を垣間見ることにより、信心とは、かけ離れた世俗化の世界を生きている組

織人を見る事になってきた。

組織である以上「人の世界」。尊敬できる先輩もいるが、いつしか尊敬できた先輩のアラを見て

しまうこともある。相対的世界であり、信心と言う絶対的世界が揺れ動き、気づかぬうちに親分

子分の師弟ごっこに入り込んでしまう人が多いのも現実。または組織と距離を持ち、自己都合の

師弟ごっこをしている孤立する選択をしている疲弊・疲労している10年20年30年等と入会年数を

重ねただけの人もいる。

「イマイチ信心」「見かけ信心」「親分子分信心」「師弟ごっこ信心」いろいろな人の姿を見せ

ていただいている。まさに千差万別。百人百様の姿。本来は百人一様であるハズなのでだ

が・・・

獄中体験・悟達・悟りは、時代が変わったとしても「百人一様」誰もが同じ体感・体験をするこ

とを意味する。

残念ながら、こうしたことは別世界と勝手に分け隔てをし、疑問を持たないと言う臆病者の信心

がある。

発迹顕本と言いながら何もしない、何もできない、思い込み・信じ込みという信念体系・知識体

の強化体験のみに依存し期待している方が多い。「今、ここ」という言葉は知っていても「今、

ここ」を思考で避けているのだ。

「法華経の智慧を判りたい」という切実な思いを、「いつするか」が「イマイチ信心」の方々の

課題なのだ。

気づいた人が身読する時期にあり、これは個人のレベル。ということは「どうでもいいことか

も・・・」

「能書き上手の役立たず」愚考者の特徴である。思考をハズせば見えて来る真実を自分自身で検

証すべき時がきているのだ。発迹顕本とは自分自身の課題なのだ。
 
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