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先般、戸田先生の小説人間革命の獄中体験を投稿しました。皆さん方はストーリとして読んだだ
けのひとがほとんどです。法華経の智慧をいくら読んでもストーリとしての理解に留まる人々が
ほとんどです。
残念ながら、生命感覚で読めないのです。なぜならば身近にそういう人がいないからです。
師弟不二・真の弟子等としていくら自覚しょうとしても思い込み・信じ込みの世界で何も変わり
ません。それは創価の世界、なかんずく執行部、および職員の皆様も同じ思い込み・信じ込みの
世界にいるだけで、自分自身の気づかぬうちに世俗化という現象に陥っているのです。しかし彼
らも、どこかで戸田先生と同じ悟達をしたい、池田先生の不二の信心を体得したいと思っていま
す。ただそれだけ、板に集う心ある弟子の方々と同じ次元・レベルなのです。
先にも述べましたが、師匠の思いと不二なる生命を自得しない限り、思い込み・信じ込みという
愚考の世界で世俗化する方々と敵味方の世界でお互いに疲弊しカラ元気で11.18、総仕上げ
の3.16を迎えるようです。
それも、これも、選択している事実なのです。
「先生の思い」という自分勝手な思いは、そこ、ここにある現象です。
愚考の世界は、もうどうでもいいことです。それぞれが「イマイチ」の世界を今日も過ごしてい
るだけなのです。
獄中体験を「切実にわかりたい」という、弟子としての思いが無くては「イマイチ信心」が続く
のです。
切実さは希薄となり、出て来る現象に右往左往する愚考信心を肩書き。役職で取り仕切っている
だけの愚者集団と化しているのです。これじゃあ、師弟不二を冒涜するだけです。それも池田先
生が呼び起こしている働き作用なのです。
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