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【国際】

シュミット元西独首相死去 96歳 冷戦下で緊張緩和推進

 【ベルリン=垣見洋樹】米ソ両大国の緊張緩和や欧州の結束強化に尽力した旧西ドイツのヘルムート・シュミット元首相が十日、自宅のある北部ハンブルクで死去した。九十六歳。感染症で数日前から体調が悪化し、危篤が伝えられていた。

 ブラント首相の下で国防相、財務相を歴任。ブラント氏が東ドイツのスパイを秘書に起用し、責任を問われたギョーム事件で、ブラント氏が辞任したのに伴い、一九七四年五月、急きょ首相に就任した。

 在任中は、ジスカールデスタン仏大統領と緊密な関係を築き、欧州理事会の設立や先進国首脳会議の開催に貢献。ソ連のアフガニスタン侵攻やポーランド問題で米ソの対立が深まる中、両国の間に立って東西の対話の維持、緊張緩和に努めた。

 七七年のルフトハンザ機乗っ取り事件では、犯人側が求めた西独赤軍派幹部の釈放に応じず、特殊部隊を派遣し人質を解放。危機管理の対応で名をはせた。だが不況や高失業率に苦しみ、八二年十月に退陣した。

 八六年に政界を引退し、週刊新聞ツァイト紙の共同発行人を務めたほか、美術愛好家、ピアノ演奏家としても知られる。

 歴史の反省を踏まえた日本への辛口の忠告でも知られ、「日本はアジアにもヨーロッパにも親しい友人や同盟者を持たない」と指摘。近隣諸国との友好関係の大切さを繰り返し説いた。

 ハンブルク生まれ。第二次大戦中、砲兵将校として東部戦線でソ連軍との戦いに従軍。復員後、ハンブルク大学で経済学を学び、在学中に社会民主党(SPD)に入党した。

 

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