もう一つの戦争 番外5
5. ボチさんへの通信1
ボチさん。あんたの弟ミミさんが逝って、明日は四十九日の法要です。4月5日は霞山会館最上階、37階で「近衞通隆を偲ぶ会」が執り行われますよ。
89才、大往生でした。最期の最期まで酒を娯しみ、最後の最後まで、霞山会の総帥で、現役の侭の卒業でした……合掌。
ミミさんより七つ上のボチさんは、41才で、卒業したくないのに命を絶たれましたね。
無念の死――とは、どんなだったでしょう。
ボチさんの父上も無念の死……。時代の波に翻弄(ほんろう)され、犠牲となって散った人達は、どんなに無念だったでしょうね。今もあの世で口惜しがっているでしょうね。今の、決して平和ではないが、人間らしい生活が送れているのは、ボチさん、貴方がたの犠牲のお陰です。
その犠牲を決して忘れてはならない。蔑(ないがし)ろにしてはならない。
二度と戦争を行ってはならない、起こさせてはならない。でないと、ボチさん達の犠牲を裏切る事になる。
ボチさん。貴方がたの死を無駄に、貴方がたの犠牲を無視する様な、現代の嘆かわしい風潮……申し訳なく思います。
ミミさんは良く「近衞の筋は短命が多い。だからボクは兄貴の分まで長く生きてやろうと思う」と張り切っていましたよ。最年長まで、あと少し、数年を残して、記録を伸ばせなかったが、先ず先ずの満足であった事は、その死に様で分かります。
ところで、67才の俺らは、ミミさんに逝かれて、直系の身内がいなくなりました。ボチさんの兄妹はミミさんが最後です。
ミミさんとは、巷の安酒場をよく梯子(はしご)しました。酒を酌み交わし乍ら、
「兄貴はね、兄貴はね」と、ボチさんの事をいっぱい教えて呉れましたよ。
その度に、ミミさんを通してボチさんに逢ってる様で、嬉しくて堪りませんでした。父を知らずに育った俺らにとって、ミミさんはボチさんの代役だったのかも知れない。否、父そのものだったかも……
明日は――四十九日。
つづく。
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