もう一つの戦争 番外14
14.ボチさんへの通信10
8月11日。その日はミミ叔父さんの半年目の月命日。4月5日の偲ぶ会以来、近衞家とは疎遠になっていたが、そろそろ落ち着いた頃だとオバチャマ(通隆夫人)に電話を入れました。電話の声は歯切れも良く元気そうだが、この半年間色々大変で、寝不足が続き、疲労困憊(ひろうこんぱい)だったらしいです(電話は妻との話)。
「もう落ち着いたわよ」と云うので、命日でもあるしお墓参りに行こうという事になりました。
タクシーで俺らとカミさんが迎えに行ったら、軽装でニコニコ笑い乍ら、荻外荘の門前に立っているオバチャマがいた。一路、練馬の桜台にある寺に向かう。 静かな住宅に融け込む様に、その寺は在った。木々の緑に囲まれ、竹林をも擁(よう)し、その荘厳さに包まれて墓々は、その御霊は安らかに穏やかに眠っている様に見える。立派なお墓ばかりである。
近衞家の墓は、その相当の部分を占め、代々の二男、三男達の墓である。嫡男の墓は京都の大徳寺に在って、文麿公やボチさん達が眠ってますが、御無沙汰してます。
ボチさんが逝って早56年。俺らも68才になり、墓参りが出来るのも後数回。もう少しでそちらに行って、ボチさんやミミさんに今生では聞けなかった事を色々と教えて貰いたいと思います。
母美代子と俺らの戦後のもう一つの戦争……生半可ではなかった、遺された者の、生きる為の必死の戦い。 そちらに行ったら確(しっか)り聞いて貰いたいと思います。
人間の一生は、その価値は、その死後も永遠と続くものですよね。人はその人生の中で、死後も遺せし者達が幸福に暮らせる様に、配慮してこそ尊敬され、感謝される人生だったと云えるでしょう。俺らは――
「直系の孫として、何等恥じる事のない人生を、誇りを以て生きて行きます」と、墓前に手を合わせた夏の一日でした。
(写真一番上は近衞家の家紋)
つづく。
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