もう一つの戦争 番外7
7.ボチさんへの通信3
ミミさんが亡くなって、俺らにとって近衞家は益々実感のない、縁遠いものとなって行きますね。
直系で言えば、長男(嫡男)のボチさんの血を引いたのは、俺ら唯一人。
「近衞」を名乗っていないから、直系は俺らで途絶える事になりますね。
貴方が芸者(若菜)に産ませた子、その子と芸者は、貴方が差し向けて呉れた人に依って、終戦の何ヵ月も前に満州を脱出する事が出来ました。あの脱出がなければ、此の親子はどうなっていた事か……。感謝してます。
「戦争が烈しくなります。美代子(若菜)さんは故郷に帰ってて下さい。戦争が終わったらキチンとしますから、それまでお腹の子を大事にして無事に産んで下さい。次に逢える時まで、楽しみに……」
という内容のボチさんの手紙を、86才になった美代子は、今も宝の様に大事に持ってます。母に死が訪れた時、その何通かの手紙を棺の中に入れてやろうと思ってます。
二十年前、此の手紙の写しをミミさんに見せたら、
「うーむ。兄貴の字体は優しかったんだな――。俺の字も何だか」と云い乍ら手帳を取り出し、自分の字と比べ出した。
それを見た俺らも手帳を出し見比べる。
何と! 三つの書体、字体が実に似ている。皆、柔かくて優し気で、一寸女性っぽい。DNAか……絆か、不思議な繋がりを思わせる感動でしたね。
若菜(美代子)が故郷に辿り着いて、暫くしたS19年9月28日、3400gの多い髪の毛に包(くる)まれて、男の子が誕生した。
名は、赴任先のボチさんからの手紙と、若菜の伝言を、何度も往き来して呉れた、ボチさんの親友秋本中尉に感謝して、一字を戴き、秋を明として「隆明」と名付けられました。
隆明誕生の一週間後、ハルピンで近衞文隆と大谷正子さんとの結婚式が挙げられた。
遠い日本の、和歌山の地で、若菜は知る由もない……。
つづく。
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