テレビに出てる志村けんさんのことは知ってるけど、普段の志村けんさんのことはみんなあまり知らない
志村けんといえば、日本で知らない人はいないんじゃないかというくらい有名なコメディアン。子供のころから志村けんさんのことは知ってるけど、志村さんの素顔って考えたことがなかったです。きっとエッチでいつも面白いことをやっているデタラメな人なんだろうと、そんな風に思っていました。
この本を読むまでは。(10年前に出てる本だから、今更なんですが)
以外とみんなが知らない志村けんさんの素顔
1950年2月20日生まれ 3人兄弟の末っ子
東京・東村山で育つ
父は厳格な小学校の教頭先生
小学1年生の頃、運動会でみんなの前で「位置について、ヨーイ」どん!とウンコを漏らしたのがきっかけで、「ウンコもらし」と言われるようになり、そのイメージを消したくて面白いことをやり始めた。
柳家金語楼さんの落語を真似て酔っ払いの話を覚えてみんなの前でやった。お笑いでデビューしたネタも酔っ払いのコントからだった。
中学生の頃からお金が欲しくてバイトをコツコツやるようになる。
一度やりだすと辛くてもやり続ける努力家。
ビートルズが好きで長髪にタートルネックという格好の青年だった。
志村さんは武道館にビートルズを観に行った。その時の前座はドリフターズではなかった。
コント55号とドリフターズ、どちらかの付き人になろうと迷っていたが、音楽をやってるドリフターズに決め、いかりや長介さんの自宅にいきなり訪ねて行った。
荒井注さんがドリフを抜けるまで、志村さんはドリフの付き人や、自分のコントグループを組んで活動していた。マックボンボンというコンビ名だった。
東村山音頭はドリフの合唱コーナーで、いかりやさんに「志村は東村山音頭を歌え」と言われて勝手に即興で歌詞を変えてうたたのが最初。何度もやっているうちに大流行した。
「か〜ら〜す〜なぜ鳴くの〜 からすの勝手でしょ〜♪」という歌も流行ったが、もうみんな飽きただろうとやらなくなかった。そしたら「カラスの歌をやらなかったってうちの子が泣いてる!どうしてくれるんだ!!」と、苦情の電話が入って、それでまだ続けた。
志村さんは女性アイドルや女優さんとコントをすることも多いが、その子の前で屁をしてみる。それで腹を抱えて笑う子はお笑い向きだと判断する。早く打ち解けるためにお尻や胸を触る。そうすることで、女の子もバカ殿に向かって遠慮なくツッコミが出来るようになるそうだ。
ドリフの笑いはチームワーク。
誰かがウケるためにメンバーはそれぞれの役割に徹する。計算通りにウケるとメンバー全員が喜ぶ。自分一人が目立ちたいという無益な競争はない。
『だいじょうぶだぁ』の主要メンバーを選んだ理由
田代まさしさんや桑名信義さんを選んだのは、彼らがミュージシャンだったから。笑いには、間やタイミングが大事なので笑いのセンスもある彼らを選んだ。
人と同じことをやるのは好きじゃない。
「だっふんだぁ」っていう言葉は、桂枝雀さんの落語の中での偉い人の咳払い。なんといったのかわからないけど「だっふんだぁ」に聞こえたので、自分でもオチで言ってみたのが始まり。
面白いキャラクターのアイデアは日常から見つけてくる。
酔っ払い、ボケたおじいちゃん、テンポが少しずれたおばあちゃん、方言でしゃべる人、、 何でもおかしいと感じたものをサンプリングする。
変なおじさん、ひとみばあさん、バカ殿が志村さんのお気に入りのキャラクター。
ひとみさんは実在の人物がモデル。
普段はとてもシャイで静か。
2時間枠ぐらいの番組をやっても飽きない構成を作ため、DJが曲順を考えてる場を盛り上げるように、コントも順番を考える。
コントの台本をきっちり用意し、徹底的に練習する。
女性とは3年ぐらいで別れてしまう。
仕事に熱中するあまり、コントに没頭するため一人の時間が必要。
料理が得意。
部屋が真っ暗だと眠れない。寂しがりや。
時間に遅れるのが大嫌い。
努力できる人間が天才といっている。
子供から大人まで笑えるコントを考えてる。
好きな言葉は「忍耐」「努力」「心」
父親は志村さんが中学生の頃に家の前で交通事故にあい、後遺症でボケるようになった。志村さんがやるボケたじいさんのギャグは父親をヒントにできた。
「どちらさんですか」
「お前の子供だろ」
「ああ、どちらさんですか」の繰り返し
「飯はまだかい」
「飯はまだかい」
残念ながら父親は志村さんがドリフに加入する前にお亡くなりになった。
志村けんの本名は志村やすのり
父親の名前は志村けんじさん
ということを知って、泣けてきました(;_;
コントの天才、志村けんさん
ほかにも面白いエピソードがたくさんです。
あなたも志村さんの印象が変わります。