市長選には前区長の中川暢三さん、元会社員の高尾英尚さんも立候補を表明していて8日告示、22日に投開票されます。
(黒柳)まあおいたわしいお姿。
骨折とがんを患い半年以上ベッドに横になりながら痛みと闘いました。
そしてまた元気に今日ご登場くださいました。
まさに不死鳥です。
瀬戸内寂聴さん今日のお客様。
よくいらしてくださいました。
ありがとうございます。
93歳でいらっしゃいます。
私もどんなにうれしいかわかりません。
今ちょっとちゃんと言わなきゃいけないので真面目に言っておりますが。
よくおいでくださいました。
いやーおめでとうございました。
ありがとう。
もうねこうしてお目にかかれると思ってなかったの本当に。
うれしい。
私ももう夢のようです今。
とてもうれしいです。
うれしい。
胸がいっぱいです。
ありがとうございます。
途中でなんか退屈してらっしゃる時があるって伺ってそれであの…電話は枕元のところにあるので話しはできますっていうようなご連絡をちょっといただいたのでお電話を差し上げたじゃないですか。
はい。
もう電話いただいたし手紙もいただいてもうよくお見舞い…この忙しいのにね。
本当にありがとうございました。
その時一番おかしかったのは「もう背中が痛いわ何だわでね神も仏もない」と仰った…。
本当にそう思ったんです。
私びっくりしちゃって。
「そんなこと仰っていいんですか」って言ったら「いいのよもう!」ってね仰って。
「神も仏もない」ってね。
私でも本当に面白かったですあの時お話ししていて。
でもその時はそんなお気持ち?もうねもしも治ってねそれでまた法話することがあればね…。
まだそんなこと思ってたんですね。
その時にまず「神も仏もありません!」って言ってやろうと思ってたの。
本当にね。
そんなひどい目に遭わすなんてってね。
そうそうそう。
だって大体からしてまず圧迫骨折?そうそうそう。
93歳でいらっしゃいますよ皆様。
それで圧迫骨折で…。
これ2度目なんですね。
そうです。
前も随分…。
88歳の時ねなりました。
そう。
でもその時に私が…ずっと寝ててぼけちゃったりしないかと人が思うかもしれないけど「般若心経を指でずっとねおなかに書いてたんで私は大丈夫」と仰ったんで私ももしそういうふうになったら般若心経を覚えて書こうと思ったぐらいで。
そしたらそれを乗り越えて。
今度の時は本当に脊椎の圧迫骨折。
それがものすごく痛くて。
それが半年以上ずっと横になっていらっしゃったところへ持ってきてがんにおなりになったんですって?そうそうそう。
もうねお医者さんもね何も効かないからねもう退院してくださいっていうことになってね。
それで退院する前にちょっと調べるじゃないですか。
そしたらね「がんがありました」ってね。
それでね…胆嚢がんね。
ええ胆嚢。
その中にねいっぱいねあったの。
それでねそう聞いた時すぐね「あっ取ってください」って言ったんですよ。
言下に私はね。
すごい。
そうするとねその時もう…その時92でしたからね。
今93で。
92でねがんのね手術なんかする人いないんですって。
全身麻酔になっちゃう…。
放っておいても死ぬでしょ。
だからね…。
ひどい。
みんなしないんですって。
そうなんですか。
ええ。
それでね「どうしますか?」ってお医者さんがね仰ったのは取りますか?そのままにしますか?っていう意味だったのね。
私はそんなこともう考えないで「すぐ取ってください」って言ったんですよ。
その時ね私は宇野千代さんのことをねパッと思ったのね。
宇野さんがねあの時で74ぐらいの時かな?おなかにねがんがあったのね誰にも言わないでねそれ取っちゃったんですよね。
それで誰も知らなかったの。
その話をねあとで伺ったからねああやっぱりがんの時はねもう取ったほうがいいんだなって思ってたんです。
でもそれを冷静に「がんです」って告知した若いお医者さんが若い青年だったんですって?そう。
すぐに「悪性です」って言ったのね。
えっ?「悪性です」ってしかも。
「悪性です」って?そう言ったの。
あのね「がんがありましたよ」って「悪性です」って言ったの。
けろっとして。
そしたらねああこの馬鹿かと思ってたらねそしたらね立派なお医者さんがあとから見えてねその方はね悪性なんてひと言も仰らなかった。
だけど取ったらやっぱり悪性だった。
でもその若い人も何だってそんなことをね。
そうそう。
わからないんでしょ。
別にハンサムじゃなかったんですか?はい?ハンサムじゃなかったの?その時もう…ハンサムもねブスもねそんな考えられないもう。
男はもうみんな男ですよ。
そんなふうになったんですか?その時は。
そんな際でもやっぱりこの人はハンサムだとかってお思いになるかなと思ったんだけどそうでもなくて?あんまり気にならなかった。
じゃあ全身麻酔?ええ全身麻酔。
それでそれがちょっと怖かったですけどしたことないからね。
でもね平野啓一郎さんね小説家の。
あのおばあちゃんがねマツコさんっていう方が私より2つ年上なんですよ。
まだお元気でね美しい方なの。
一度お会いしているんですけどねそのマツコさんがやっぱり病気になって全身麻酔なすったんですって。
そしたら平野さんの話ですけどねもうとてもその全身麻酔の間美しいね楽しい夢を見てね鹿鳴館時代のねこんな服を着てねそれでヨーロッパのね小さい国のね王様に招待されてねダンスパーティーで踊ったっていうんです。
その時のね相手がとてもねハンサムでよかったって言うんで…。
麻酔で?うん。
そんな話をねしたっていうことを平野さんから聞いたの。
だから私もそんな夢だったらね見たいからね全身麻酔も悪くないなと思ってたんですよ。
それで「全身麻酔」って言うから「ああやってください」ってどんな夢を見るかなと思って。
夢なんか見ないでもう途端にいい気持ち。
あれはもう本当いい気持ちよ。
スーッとねいい気持ちになって甘いね気持ちになってねあのまんま死ぬんだったらもう死ぬの傑作だと思う。
そう。
うん。
だからねなんか癖になりそう。
夢はなかったんですか?夢なんか見る暇なかった。
もうすぐ終わっちゃったでしょ?それでもうその間に手術したらしいんですけどねおへそとその横に2つ穴開けるのね。
それで何かあの…機械でもってスッと…。
引っ張り出すんですね。
引っ張り出すの。
その袋ごとね胆嚢ごと全部引っ張り出すの。
そうするとその中にがんがあったの。
そうですか。
でもこういうギザギザで縫った痕なんかはもうないの?穴だけ?ないのないの。
穴がこうあったの。
それでももう奇麗になって何にもないの。
おへそも何ともない。
昔と違います。
昔はなんだか胆嚢ってこんなほうからこんなほうまでみんな縫い目がこんなにあるような手術の方いらっしゃいましたよね。
でもねそのあとでね新聞見たらね私と同じような手術した人がね死んでるの。
あら。
だからねそのね誰でもがいいっていうわけでもないの。
あら。
だから怖いですよねやっぱりね。
やっぱりね神も…。
神も仏もあった。
あった。
神も仏もあったんですねそれじゃあね。
その時ねやっぱりねがんが見つかった時ねやっぱり観音様がこの辺りにいらっしゃるかなと思った。
そうですよね。
でもそれにしても90…もう3歳におなりのところですから93歳で脊椎の圧迫骨折でその時セメントを入れたって仰いましたよね?この前の時…。
でもそれ入れたらすぐ痛くないんです。
そうですか。
えー。
本当痛くないの。
あれグラグラするから痛いんでしょうねきっとね。
でもそれはね効く人と効かない人もたまにあるらしいのね。
それでまだね保険が利かないの。
そう。
でもねどんなにね高いかと思ったらね80万ですって。
そしたらね私は何カ月も仕事しないでね1銭も入らないんだけどねもうそれだったら80万ね出してしたほうがいいと思いましてね。
でもそしたら痛くも…?もう痛くもかゆくも…。
もうパッとしてそれで痛くなくてその間にスッと取られてあとは何にもない。
本当に楽でしたよ。
すごいですね。
だからその圧迫骨折っていうところにセメントで。
そしてその間中にがんにおなりになったのは手術して穴開けて取って。
今もうそれじゃ快適っていう…暮らしは。
そうそう。
もう何にもない。
何にもない?それでもしかしたらねいくらかがんがどこか残ってるかもしれないんですって…。
でも生まれて初めて救急車にお乗りになったんですって?そうですそうですそうです。
やっぱりもう…病院にね「痛くてたまらない」ってね言ったらすぐね15分も経たないうちに救急車が来てそれに乗っけられてその病院に行ったんですよね。
だからあっという間にね。
ストレッチャーっていうのに乗って?そうそうそうそう。
もう全部ストレッチャーにね。
それであれですか?痛いかもしれないけど中はどうなってるかとかってご覧になったりしたんでしょ?ちょっとこれお食事してらっしゃるところですけどこれは病院ですか?胸のところにこうなんかくっついてるものを押さえて?そうそうそうそう。
ほう…。
胸もそれから腰も…腰もね。
本当だ。
腰もありましたね。
ああいうもので押さえてるんですか。
でもお電話で話したらすごいお元気な声だったら「声は元気だからみんな元気だと思うのよ」とかって…。
そうなんですよ。
そうなんです。
声がねこういう普通の声だったのね。
だからみんなに「病気なんて嘘でしょ?」なんて言ってね信じてくれなかった。
でもねその病院に入ってる間…もう家に帰ってからもね誰にも会わなかったの。
お見舞いを断って。
それでねもう女の人でも会いたくないんで男ならなおさら会いたくない。
会いたくない?それで誰にも会わなかったの。
本当にもうみっともなくなってたのわかってるしね。
会いたくなかった。
そうですか。
でも…何ていうのかしら…。
前の時には色んなことをお考えになったって…。
でも今度の時もやっぱり色んなことをお考えになりました?いやもうね考える暇がないくらい痛かったの。
そう…。
それはねがんの痛みじゃないのよ。
もう全くそのね年を取ってこう…腰が痛いとかっていうけどもあれです。
神経痛ね。
なんか「皮膚の神経痛」って言われましたけどねお医者さんもよくわからないらしいの。
みんななるんですってそれに。
へえー。
それでそのね痛み止めの注射っていうのがあるんですよね。
「それを普通の人のね2倍しました」って言うんだけどね効かないの。
もうたくさんしてくれたけど効かないの。
それでもう駄目な病院で駄目な医者だなと思ってたんですよ。
そしたらねがんが見つかったらみんなそっちのほうにね気持ちがいくでしょ。
そうするとね考えてみたら何しろがんだって言われて騒いでる間にねその痛み忘れてるの。
そうなんですか。
えー。
やっぱりなんか人間ってすごくドンッと考えることがあるとちょっと痛いのを忘れることってあるんでしょうね。
やっぱり神経ですねあれはね。
でもやっぱりがんがねいつの間にかできてたんですよね。
お酒飲んじゃいけないとかは何にもなかったんですか?お酒召し上がっちゃいけませんよなんていうのはなかった?もちろんそんな飲めませんよね。
そしてまた欲しくもなかった。
そうですか。
えー。
ちょっとよくなってね…よくなったらお酒飲みたいなんて思いましたけどね。
今もう前の倍ぐらい飲んでますけどね。
もう飲んでらっしゃるの?すごい。
前の倍ぐらい飲んでらっしゃる?じゃあ今はもうすっかり本当にお元気…。
何でも召し上がって?はい。
それでもうどこも痛くないしね。
でもよくね治ったと思いますね今になって。
そうですよ。
もうね長く誰にも会えませんでしょ。
だからねみんなね死んでたと思ってる人が多くてね「寂聴さんってまだ生きてるの?」なんて編集者言ってたんだって。
それでねもうとっくに死んだかと思ってたって。
それくらいね音沙汰なくね暮らしたんですよ。
でもそれがよかったんで…。
それに若い方が周りにいらっしゃってその方たちがとてもよくテキパキやってくだすったって?本当に。
二十歳代のね23から来て今27になったのかな?今ね秘書の役してもらってましてね。
ちょっとこのお写真なんですけどこれ左?左が?これね私のパンツもねそれから上のねシャツもねみんなね彼女がねプレゼントしてくれて。
そうなんですか。
安いんですって。
「だけどこれだけは高い」なんて言ってましたけどね。
でもこの左側が…そうね寂聴さんで。
随分でもお若く足なんかあんなふうに曲がったりなんかして。
足はもっと上がるんです。
あっそう。
それはねリハビリのね先生がびっくりしてた。
もうね「92や3でねこんなに足の上がる人いません」なんて。
そしたらもうまたいい気持ちになっちゃってパーッて足上げるの。
本当?でもこういう…今のも身軽ですものね。
全然そんなすごい病気なさったりした「もう神も仏もない」と仰った方とは思えない。
でもこういう若い人がそうやってこういう若いものを着なさいとかこういうのをお召しになってとかっていうのそういうのがやっぱりよかったんでしょうねきっとね。
それでびっくりするぐらいね安いんですね。
それでそういうの買ったことないでしょ。
ああいうもの?そうそうそう。
「これいくらと思う?」なんてね「賭けしよう」って言うんです。
いつも負けるんですよね。
私が言うのが高いからね。
そうなんですか。
「賭けしよう賭けしよう」って言ってね。
そんなことがね楽しいんですよね。
でもこれの前に…。
あっこれはお食事?これは家ですね。
随分色んなもの召し上がれるようになったんですか?もう何でも?何でも食べるんです。
これはねあのねえーと…カレー。
カレーですね。
カレーですね。
えー。
だからカレーのナンですねあれ。
こっち側ね。
そうか。
それでこっち…。
カレーをね持ってきてくれる人がね時々いるんですよ。
そうなの?いいですね。
パンみたいなやつが…あの白いのがナンなんですね。
はい。
ナンなの。
蓋が付いてるのはカレーが中に入ってる…。
何にも食べられない時にカレーは食べられたの。
そう…。
だからね「カレーが食べられる」って言ったらねそしたらこう持ってきてくれる人が…。
やっぱりインドだから…。
そうそう…。
まあ私もおかげさまで元気でおりますけど。
75年来のお友達がいらっしゃる。
その方たちも随分長生きですよ考えたら。
お元気ですね。
2人いるんですけど女子大のねお友達がね。
私より1つ下と2つ下がいるんですけども。
こちらがね2つ下で…。
右の方が。
こちら1つ下。
それで2人とも今でもお元気でねこんなふうにおしゃれでね。
随分あれですよね?皆さんも大体90…もう今92とか93?92とか1ですね。
特にこちらの右のほうの工藤さんと仰る方はすごくご親切でなんかあの…。
もうね姉妹以上にねとても仲がいいんです。
どんな時でもね来てくれるし。
これは若い時の。
可愛い。
こんな若いんだ。
えー!これこんなしゃれた格好して歩いていらしたんですか?これはね2人でおそろいのねワンピース着てね御茶ノ水のね坂道を歩いたの。
知らない人が写真撮ってくれて送ってくれた。
可愛いですね。
本当に可愛い。
若々しい。
一体何年前ですかね?すごいですね。
でも東京女子大にいらっしゃったんですよね?はい。
でもよくこの仲のいいお二人をどなたかが撮ってくださいましたよねこうやってね。
知らない人がね撮って送ってくれたんです。
大体写真ってごちゃごちゃ人がいっぱいいて「これが私たちです」って探すのが大変なのが多いのにこんないい写真撮って…。
この工藤さんという方はひどく…ひどくっていうのは大変にご親切でさっきから仰ってたけど何でもわかってくれるって言うけど夫も娘も東京に残して駆け落ちみたいになって京都にいらした時も京都の駅まで迎えに来てくれたっていう…。
もう一人のねミナミさんと2人がねその時ね着いたのがね…持ってたお金…借りたお金でねちょうどね駅に行って調べたらね普通列車ね急行のお金がないのね。
だから普通の列車で行って京都まで行けたんですよ。
だからもう何でもいいから京都買ってね。
そしたら朝の4時ごろ着いたの。
2月ですから寒いの。
えー。
それでねそれなのに2人がね震えながらねプラットホームで待っててくれたの。
朝4時に?ええ朝の4時。
あらー。
寒いでしょ?寒いです。
もう本当にありがたいですよ。
それですぐそのねミナミさんのお宅へ行ったらねお母様がねお鍋でねそのねごちそうって…ちょうどものがないでしょう。
だからもうなんか煎りじゃこかなんかでねだしにしてねそれで野菜…京都の野菜をそれだけをね食べさせてくれて。
もうおいしくてねもう本当にねその味忘れられません温かくて。
でも優しいお友達がいらしてよかったですよね。
それでもう…もうお金も何もないから工藤さんの下宿に転がり込んでそれで居候してそれから弟さんの世話で大翠書院っていうところへね小さな出版社へ入ってそれで生き延びたんです。
でもそうです。
工藤さんも大体よそから借りてるところにまた転がり込んでね。
そうですよ。
それで弟さんと一緒の部屋を弟さん追い出してねそれで私が入ってね随分ねわがままなことしましたよ。
それでねもう着るものないから下着からね靴から洋服から全部工藤さんに借りてねそれで勤めてた。
でもねいいお友達が本当にいらしたんですね。
ええ。
それで今でもね付き合ってるっていうことは本当にねとてもいいお友達ですね。
だって東京女子大に行っていらした頃っていったらもう随分昔ですものね考えたらもうね。
実は工藤さんからいただきました。
えー。
読ませていただきますね。
「瀬戸内さんは10代の頃から読書家でそして早熟な方でした」「人生が何たるかをよく知っていて学友たちが次々と瀬戸内さんに悩みを打ち明けたり人生相談をしていました」「一本気で全く裏表がなく人のために一生懸命になる姿は10代の時と同じです」「瀬戸内さんがお元気でいらっしゃることが何よりの励みです」「いつまでもお元気で」工藤さんからです。
ありがとうございます。
なんてお優しい。
本当にね姉妹よりもね親しいです。
そうですよね。
ありがたいです。
もう恩人ですからね。
私よりもね彼女たちがずっとね私よりも長く生きていってほしいと思います。
そういうお友達が本当に…。
そして「一本気で裏表がなくて人のために一生懸命になる姿は10代の時と同じです」ってもうその時から瀬戸内さんをずっと見ていらしたっていうことですものね。
とんでもないです。
それでね東京女子大はね新渡戸さんがねつくった学校ですからね要するに人間は一人の時間が大切だっていうんで寮はね一人部屋なんですよ。
そうですか。
だけどねたまに姉妹部屋っていうのがあってねそこは姉妹2人が入るのね。
そしたらね姉妹がなくて姉妹部屋がね空いたことがあったんです。
そして寮監がね私と恭子さん…工藤恭子さんにね「あなたたち姉妹のように仲がいいからね姉妹部屋入ってちょうだい」って言ってね姉妹部屋2人で入ったことがあるんです。
私は散らかし魔でねもう工藤さんが私散らかしたらあとお掃除して片付けてね今でもそのとおりね。
来たら笑ってますけどね。
そうね。
いい方。
そうですか。
普段携帯で…携帯メールでやり取りしていらっしゃるんですって?両方とももう携帯できますから。
すごいですよね。
絵なんか時々ちょっと入れたりなんか…絵文字も入れたり?はいはいはい。
そうだそうですね。
絵文字入れるの好き。
最近お出しになったのかしら?なるのかしら?私読ませていただいた短編集。
はい。
その中の『わかれ』っていうのがあって若い男の人と90歳以上の女の人が…。
携帯メールが出てくる…最後も携帯メールが出てくる。
もうねすごい私…色っぽいことも色っぽいんですけどやっぱり胸打たれて…。
ああそうですか。
ええ。
本当に涙出ました。
ああうれしいです。
本当に。
もうそんなこと言って…とてもうれしいです。
本当に涙出ました。
何ですかね…。
セックスなんかないんですよね。
そう。
ないの。
それでもねなんか男女でそういうね…。
気持ちがね。
気持ちが通じることがあるんですね。
それからその若い人は年取ったほうの人…画家っていうことになってるその90歳の人のことを尊敬もしてるしそういう性格が大好きだしとてもいいんだけど何か…そういう肉体的なことはないんだけどでももう精神的につながってるっていう感じが出ててでもそれがやっぱり『わかれ』っていう題になってることなんだけど。
とてもねよくて私ね泣きました。
ありがとうございます。
私のね夢ですね。
そういうのがあるといいなっていうね。
そうですよね。
だから死ぬまでねやっぱりそういう何かあるといいなと思いますね。
そうですよね。
そこら辺のところがとてもうまく…。
それでちょっとなんか他のところには色っぽいところもあったりなんかして。
こういうお気持ちまだあるのかなっていう感じも…。
ない?徹子さん。
ない?私ですか?私ありますよ。
たまにあるでしょ?あります。
だんだん年取ってきますから…若い人と会うことがありますよね。
そうそうそうそう。
どうすることもできないんだけどでもとても気が合ってっていうね。
もうねこの年になったらねもう年寄りはいいの。
だって自分より年寄りっていったら95とか…それはもういいの。
だからねどうしようもない若い人と仲よくなりたい。
そう。
そうですよね。
仲よくなったってもうそのねもうそれはセックスはないのね。
だけどね心理的にねつながりはあると思う。
それからそういう若い人がそういう年取った人の持ってる何か自分にはないもの他の女の若い人も持ってないものそういうものを持ってる人に憧れたりね。
まだ色気があるんですねそういうのを書けるのはね。
そうですよ。
そう思います。
そうです。
色んなところに色んな表現が色っぽいっていう感じがあちこちに見えてあっすごい。
初めて若い頃読ませていただいたすごい頃の瀬戸内さんと同じだと思いましたよ。
とても色っぽいんですよ。
それでね私はねこれだと思ってねそういうものを書きたいと思ってたの。
2015/11/04(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 瀬戸内寂聴[解][字]
〜93歳…がん手術と骨折を克服〜瀬戸内寂聴さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
今年5月に93歳を迎えた作家の瀬戸内寂聴さんがゲスト。
◇番組内容
昨年、脊椎を圧迫骨折して入院した瀬戸内さん。退院前の検査で、胆のうにがんも見つかった。既に92歳になっていたが、迷うことなく摘出手術を決断し全身麻酔で臨んだという。辛い闘病の最中、手紙や電話で激励を続けた黒柳さんに明かす、驚きの闘病生活とは?また、瀬戸内さんには75年来の友情を育む90代の友がいる。10代の頃から東京女子大で共に学び、波瀾万丈の人生を見守る学友が明かす瀬戸内さんの素顔とは?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0x0818)
EventID:41568(0xA260)