10月に静岡で開かれた第84回全国盲学校弁論大会。
(拍手)各地の予選を勝ち抜いた14歳から47歳までの9人が出場。
障害を受け入れるまでの葛藤や将来の夢を力強く語りました。
今日は特別賞と上位3人のスピーチです。
(拍手)人の役に立ちたいと生徒会や部活動に打ち込む関さん。
その原動力となっているのが周囲の優しさに支えられた自らの体験です。
演題は…「力」にはいろいろな種類があって例えば「知力」「体力」「視力」「目力」そのほかにもいろいろあります。
そんな数多くある「力」の中で私が一番好きで常日頃から意識している「力」があります。
それは「優しさの力」です。
「優しさ」にはとても大きく人を幸せにする力があると思います。
私が「優しさの力」に気付き意識するようになったのは小学校2年生のある出来事がきっかけでした。
当時私は地元の小学校に通い周りの人とは何一つ変わらない生活をしていたのですが2年生の後半徐々に体調を崩し学校を休みがちになりました。
そこで心配した父に連れられ病院へ行きました。
担当医から「入院」を告げられました。
突然の事に驚き「いつになったら帰れるの?」と父に尋ねながら思わず泣いてしまいました。
その日から私の入院生活が始まりました。
私がかかった病気は急性リンパ性白血病。
入院生活は検査以外の時間はとても暇でいつもゲームをして過ごしていました。
そんなある日いつもどおりゲームをしていたのですが画面の文字が何だかぼやけ見えにくいと感じその症状は日に日に悪くなっていきました。
その事を医者に聞くと「それは病気の後遺症のせいで目が悪くなったんだよ。
病気が治っても目はよくならないかも」と言われ事実を受け入れられない自分がいました。
本格的な治療が始まりつらい思いをして耐えているのに体調はよくならない。
「こんなつらい事もうやめたい」。
そう思っていた私に「もう少しだから頑張ろうな」。
「大丈夫いつも私たちがいるよ」などとみんなが優しく声をかけてくれくじけそうになっていた私の心は周りの人の優しさで何度も助けられました。
そのおかげでつらい治療でも我慢する事ができ病気に打ち勝つ事ができました。
周りの人の優しさが私を変えてくれたのです。
視力の問題で授業についていけなくなった私は盲学校高等部に入学しゴールボールやフロアバレーなどいろいろなスポーツができるまで元気になりました。
そして今私は生徒会役員として生徒会行事を企画運営しまた人があまりやりたがらない事にも積極的に行うようにしています。
今あの時を振り返ると小さかった私に病気への不安を与えないよう支えてくれた人たちのおかげで今の私があるのだと思います。
自分を支えてくれた「優しさの力」を周りのみんなに返していきたい。
だからこれからも周りの人に「優しさの力」を与えていけるよう一つ一つの事を一生懸命取り組み人に力を与えられる人間になりたいと私は考えています。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)難病で入院生活を送っていた松岡さん。
支えてくれたのは院内学級の先生と仲間たちでした。
今度は自分が子どもたちを支えたい。
演題は…私には夢があります。
それは病気と向き合う未来の子どもたちに寄り添い笑顔と希望を与えられる院内学級の教師になるという夢です。
私にこの夢を与えてくれたのは11歳の時のある出会いでした。
幼い頃両目にがんを患い何度も入退院を繰り返してきましたが幸いにもがんは完治し地元の小学校に入学した私は周りの子どもたちとほとんど変わらない小学生らしい生活を送っていました。
しかし11歳の時がんは再び現れ今度は私の右足を襲ったのです。
絶望しました。
けれども厳しい現実の暗闇にもかすかな光はさし込んでいました。
それは「院内学級に行ってみませんか」というあるナースの言葉でした。
そう勧められ院内学級に足を踏み入れてみるとそこにあふれていたものはほかでもないみんなの笑顔でした。
その笑顔を見た時私はこう思ったのです。
「私は病気になりそれによってできなくなった事もたくさんある。
でも私が笑う事は病気にも止められないだろう」と。
この院内学級こそが私を暗闇から救い上げてくれたのです。
とはいっても長い入院生活の中には不安に押し潰されそうになり眠れない夜はたくさんありました。
そんな時いつも私を支え励ましてくれたのは常に私たち生徒の気持ちに寄り添い時には手を握り時には一緒に涙を流して下さる先生と夜遅くまで話し一緒に泣き腫らしそれでもまた病気を忘れてしまうほど大きな声で笑い合った友達の存在でした。
こうした人たちに巡り会っていなければ私がこの試練を乗り越える事はできなかったかもしれません。
15歳の時友達はがんが再発した事で亡くなりその時は再び笑顔を失いました。
しかし私の中からその存在が消える事はありません。
私にとってその友達はがんという病気に侵され生と死の境目を共に歩んだ人生の仲間だからです。
そして今も私の中で生き続ける仲間が私に笑顔と生きる力を与えてくれるのです。
この時私は同じように病気と向き合う未来の子どもたちに笑顔と生きる希望を与えられる院内学級の教師になりたいと思いました。
私がこうした夢を持つ一方で最近院内学級の減少という言葉を少しずつ耳にするようになってきました。
その理由の一つは病院という限られたスペースの中で患者をより多く救うために必要なのは院内学級より一つでも多くの病室や設備だと考える医療スタッフが多い事です。
確かにその理由も理解できますが病気の子どもたちにとって何より大切なのはまずその気持ちに寄り添ってくれる仲間がいる事だと私は考えます。
院内学級で仲間と支え合う事で院内学級に通いたいという思いが生きる希望となり病気を治す力につながるのではないでしょうか。
だからこそ私はたとえ病気は深刻な状態であったとしても子どもたちに一人ではないという安心感と笑顔そして希望を与え続けたいのです。
何度も絶望しそれでも希望を持ち続けて生きてきた17年間の経験全てが今日のこの私を作っています。
これから先はこの経験を生かし夢を実現させるために一歩一歩確実に夢に向かって歩んでいきます。
そして立派な教師になるのではなくただ寄り添える先生になりたいです。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)松岡さんの家へ院内学級で担任だった斉藤淑子先生がお祝いに駆けつけました。
入院中勉強以外でも話を聞き支えてくれた斉藤先生。
今もよき相談相手です。
小学生の時障害が原因でいじめを受けた和唐さん。
その時勇気を出して自分の思いを伝えた事がクラスを変えました。
演題は…私は生まれつき弱視です。
右目は全く見えず左目は磨りガラスを通したような見え方です。
これから話すのは私が小学校の時に体験した事です。
小学校は一般校に入学しました。
「みんなについていけるかな?いじめられへんかな?友達はできるかな?」と不安でいっぱいでした。
そして3年になり不安に思っていた事が起きてしまいました。
移動教室から自分の教室に戻ると拡大読書機の台の上には「バカ死ね」と大きな字で書かれたりある日にはドッジボールでわざと顔に当てられたりまたある日には階段を下りていると女子3人グループに十数段上から蹴り落とされたりしました。
私はいじめにあった時心の中でずっと思っていました。
「自分から障害の事についてみんなに伝えよう!自分の気持ちを伝えればきっと分かってもらえるに違いない!」と。
そして私はある決意をし担任の先生に相談をしました。
「先生私みんなの前で自分の障害の事について話したい!だからどこかで時間をもらう事はできませんか?」。
そして担任の先生に伝えて2週間ぐらいがたった時校長先生交えて時間を作ってもらう事ができました。
私は話を3つに絞って言いました。
1つは「右目は全く見えない事。
左目は見えますがぼんやりとしか見えない事」。
2つ目は「遠いところが見えにくく暗いところになるともっと見えづらくなる事」。
3つ目は「皆さんの手を貸して下さい!自分でできる事は頑張ってやります。
しかしもしもの事があれば助けて下さい」。
そう言いました。
聞いているみんなは「何であんた一人のために手貸さんとあかんの?」と嫌そうな雰囲気が出ていました。
そしてやはり2〜3日では分かってもらえず私は単眼鏡やルーペ義眼などを見せたり触らせたりしながら理解してもらおうとしました。
そして何日かたちクラスにある変化がありました。
それは夏の宿泊学習の夜夜空を見ていると先生が「夏の大三角があるよ!」と言いました。
私は見えなかったので下を向いていると隣にいた男の子が私の手を持ち「見て!星が1つあって右下と左下に星があって全部つなげるとほら三角形!」。
そう教えてくれました。
その時につないだ手は普通に手をつなぐよりかははるかに温かいものでした。
なぜこれだけみんなが変化したかというとそれは私が総合的学習の時間に発表した時のクラス全員からの感想文に書いていました。
「今回初めて障害の人に会いとてもびっくりしました。
どうやって話せばいいか分かりませんでしたがとてもいい勉強になりました。
これからももし困っている人がいたら助けてあげたいです」という言葉がたくさんありました。
私はうれしくて今でも忘れられません。
これはあくまで小学生時代の話ですがこのような体験をし「人に気持ちを伝えればこんなにも分かってもらえるんだな」と改めて感じ健常者ともっと仲よくなれる世界が出来たらいいなと思います。
人生には明日があります。
しかし道しるべとなる地図などはありません。
私は優しさと勇気を忘れず自分の生きる道は自分で切り開いて健常者と一緒に手をつなぎ頑張っていこうと思います。
自分を信じて。
Compassofmyheart。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)和唐さんが小学生の時みんなの前で自分の障害について話したのは母扶美さんの教えがあったからでした。
和唐さんは今文化祭の準備で大忙しです。
牛乳が320グラム。
軽量カップ持ってこなあかん。
率先して行動しみんなを盛り上げるクラスのムードメーカーです。
自分の気持ちを伝え仲間と喜びを分かち合いたい。
かつての経験は今も和唐さんの心のコンパスです。
そして見事優勝したのは…小中学校で先生をしていた渡邊さんは病気で徐々に視力が低下。
今年3月教職を離れました。
葛藤の中にあった渡邊さんを救ったのは娘綾乃さんの言葉でした。
今新たに歩み始めた渡邊さんの道しるべとは。
演題は…私が生まれて1年後1969年7月20日天上にさん然と輝くあの月に宇宙史上初めて人類が降り立ちました。
アポロ11号です。
まさに「歴史的な第一歩」でした。
地球から38万5,000キロメートルものかなたにあるあの月にどうやって人がたどりついたのか幼い私には想像する事すらかないませんでした。
では光り輝くあの月は本当に私たちにとって遠い存在なのでしょうか?ある数学者がこんな話をしています。
「ここに厚さ0.1ミリメートルの紙があります。
この紙を1回折り曲げればその厚さは0.2ミリメートル2回折り曲げれば0.4ミリメートル3回折り曲げれば0.8ミリメートルになります。
ではこの紙を何回折り曲げればその厚さが38万5,000キロメートルものかなたにあるあの月に届くのでしょうか?」。
小学生に聞いてみると大概1万回あるいは100万回などと答えます。
ところが実際に計算してみると驚くべき事にたったの42回なのです。
本当です。
会場の皆さんもちょっと紙を折りたくなってきませんか?こうして考えてみると月も案外近くにあるのだなと思えてきます。
私はこれまでの23年間小学校や中学校の教員として働いてきました。
何より生徒と関わり合う事が楽しくて楽しくてなりませんでした。
今考えればとても掛けがえのないぜいたくな時間であったと思います。
しかしそんな充実した生活の中にもじわりじわりと困難はやって来ます。
ある日縦書きの文庫本が読めなくなった。
ある日黒板に自分で書いた板書の文字が読めなくなった。
そしてある日料理上手の妻の手料理。
おいしそうな香りはするのだけれどその彩りが見えなくなった。
しかし一番切なかったのは大好きな生徒たち何より愛する我が娘の表情が捉えられなくなってきたという事。
毎日がいらだちと切なさとの葛藤の日々でした。
そんなある日私の小学生になる娘が「目が見えなくなったってパパはパパ。
私がパパの分まで見てあげるよ!」。
そう言って私を優しく手引きしてくれました。
衝撃を受けました。
こんなにもすてきな家族が私のすぐそばにいるのにこれまでの数年間どんな背中を見せ続けてきたのか?その時パパは気が付いた!ドキドキする事。
ワクワクする事。
ハラハラする事。
そしてその感情を努力をして楽しむ事。
新たなもの人との出会いにときめく事。
新鮮さをこの体でこの胸全体で味わう事。
そうだ忘れてた!そう思って外に目を向けた時この盲学校の存在がありました。
その時脳内にす〜っと光がさし込んできた感覚を今でもよく覚えています。
その光は暗闇に座り込んでいた私を優しく照らすまさに月の光にも似たギラギラと照りつける太陽の光とは違った実に穏やかな光でした。
この学校は私にとっての「希望の月」になる今そう思えるのです。
47歳にしてグランドソフトボール部に入部した私。
更に調子に乗ってフロアバレーボール部にも入部。
なんと17年ぶりの東北大会優勝。
感動。
私は応援だけでしたが。
しかしこれも新たな自分。
光り輝くあの月はそんなに遠くにある訳じゃない。
新たな場所で新たな一歩を踏み出した自分は今確実に月に向かって0.1ミリメートルの紙を折り始めたのだなと実感しています。
さあ輝くあの月に向かって自分の気持ちに正直にワクワクドキドキしながらさあいざ行かん!光輝くあの「希望の月」へ!あとはこののんきなパパに任せろ!ありがとうございました。
(拍手)多くの聴衆に感動を与えて幕を閉じた全国盲学校弁論大会。
来年は大阪で再び熱いスピーチが繰り広げられます。
2015/11/04(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「いま 伝えたいこと〜第84回全国盲学校弁論大会 後編〜」[解][字][再]
10月2日に静岡で開かれた「第84回全国盲学校弁論大会」。7地区の予選を勝ち抜いた中学部・高等部の生徒が熱弁をふるう。2夜目は上位入賞者と特別賞の弁論を紹介。
詳細情報
番組内容
盲学校生の生徒が熱弁をふるう「全国盲学校弁論大会」。第84回の今年は、10月2日に静岡県浜松市で全国大会が開かれた。7地区の予選大会を勝ち抜き、全国大会に出場するのは、中学部・高等部の生徒たち9人。日常生活の中での自らの気づきや、将来への思いなどを発表した。ハートネットTVでは、2夜にわたって、この弁論大会の様子を伝える。2夜目は、上位入賞者と特別賞の4人の弁論を紹介する。
出演者
【語り】河野多紀
ジャンル :
福祉 – 障害者
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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日本語(解説)
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