贈りたいものの形に合わせてぴったりした包装を楽しんで下さい。
第2次世界大戦直後のフランスで「実存主義」という思想がセンセーションを起こしやがて世界を席けんしました。
今月の名著はそのマニフェストとも言える一冊「実存主義とは何か」。
著者は戦後思想界のスタージャン=ポール・サルトルです。
生きる事の不安と不条理そして自由。
価値観が大きく揺らぐ中どのように生きるべきか悩む人々に実存主義は熱狂的に受け入れられました。
サルトルは徹底した人間中心主義を貫いた「20世紀の知の巨人」。
あれから70年今サルトルの思想は有効なのか?現代にその言葉をよみがえらせます。
(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ伊集院さん今月の名著は読んでるとめっちゃかっこいいです。
何ですか何ですか。
みんなに声かけられます。
こちらの本でございます。
サルトルの「実存主義とは何か」。
もう久々の西洋哲学でございますよ。
これね持ってるだけでねみんなに声かけられます。
「わ〜すごいサルトル読んでるんだ」という。
どうです?その感じは分かります。
あと哲学のお話を聞くとすごくいつも面白いし何かわくわくするのは何かあとざわざわするのは経験として分かるんですけどただ入り口のハードルが高いと言いますか。
大丈夫です皆さん。
今チャンネル変えようと思った皆さん大丈夫です。
この本は出た当時日本でなんとサルトル全集300万部以上出てるんですよ。
えっ?それ日本で?日本で!日本だけでもう300…。
みんな読んでたの。
さあそのサルトルの思想が実は今の時代にすごくやっぱり効くんですって。
という事で今日はフランス文学者の海老坂武さんをお迎えしました。
先生どうぞ。
こちらへどうぞ。
(一同)よろしくお願いします。
高校時代にサルトルと出会い以来その文学や哲学の研究を続けてきました。
66年のサルトル来日時にはサルトルを囲む座談会にも参加しています。
サルトルってすごい人気だったんですね。
もうスターって感じだったんですね。
でも哲学者でスターって何かちょっと考えにくいです。
ものすごく人気があったんですね。
時代が揺れているそういう時に考える軸は何なのかという事を人々が考えた時にサルトルにみんなが注目して彼は何を考えてるんだろうかと。
何か起こるとサルトルに聞きたい。
サルトルは今どう考えているだろうかと。
何か今で言うとテレビとかニュースとかで簡単にご意見番って使われるじゃない。
「ご意見番の誰々」っていうレベルじゃないんですね。
何か起こるととりあえずはサルトルの考えをまず聞き〜の。
賛成するにしても反対するにしても彼はどう考えているかという事をみんなが気にしてた。
では実存主義とは一体何なのか見ていきたいと思います。
1944年8月パリはナチス・ドイツによる4年にわたる占領から解放され翌年戦争は終わりを告げます。
ようやく自由を手にしたという解放感に沸く一方で暗い現実もありました。
街では失業や食糧難が続き更に収容所におけるユダヤ人虐殺の事実が次々と明るみになり人々を震撼させていたのです。
人間はかくも残酷になりうるのか…。
若者たちが時代への虚無感や未来への不安を感じていたそんな時。
1945年のパリあるクラブで「実存主義とはヒューマニズムか」と題された歴史的な講演が行われます。
演者はジャン=ポール・サルトル。
その基本テーゼは「実存は本質に先立つ」というものでした。
サルトルはペーパーナイフの例を用いて説明します。
ペーパーナイフを作る場合「紙を切るもの」という目的つまり本質が先にあって作る事になる。
しかし人間の場合あらかじめ「人間の本質」が決まっているわけではなく本質を自らが選び取る存在となります。
つまり実存今ここにある存在という事が本質より先行しているのです。
「実存が本質に先立つとはこの場合何を意味するのか」。
それがサルトルが宣言した人間観でした。
ちょっと待って。
簡単なような難しいようなだけど。
人間はこうあるべきで人間というのは必ずこうなるもんなんだとかいう事じゃないですよ。
ないらしい。
先生もともとはこの本はあるクラブで行われた講演だったんですね。
そうなんですね。
これはもう狭い会場でいっぱいの人が来て入れないで入り口に座り込む人とか中に入った人では卒倒する人まで出てきたらしい。
そんなに人が集まったんですね当時。
翌日の新聞で大々的に報道されましてね。
そもそも当時の何と言うの雰囲気として「おいサルトルが実存主義についてしゃべるらしいぞ!」みたいな盛り上がりはあるわけですか。
そうですね。
そもそも実存主義者という若者たちがパリのサン・ジェルマン・デ・プレの辺りでたむろしてて。
夜はバーやキャバレーで夜中じゅうばか騒ぎをしてると。
そういう若者たちをマスコミというかジャーナリズムが「実存主義者」と名付けたんですね。
なぜ名付けたかというと恐らくサルトルの中にある実存という考え方とかあるいは不条理という考え方とか自由という考え方とかそういうものを読んだ人が「あこれだ」というんで多分恐らく名付けたんだと思うんですよ。
ですからサルトル自身は最初は「自分は実存主義者ではない」と「自分の哲学は実存の哲学である」と言ってたんですけどもある時期からこれを受け入れてですねこの講演によって実存主義とは何かという事を明らかにしていろんな批判にこたえようとしたんですね。
は〜。
面白い!その時述べられたその実存主義の基本テーゼ考え方ですねそれがこちらでございます。
実存というのは今ここにあるという事実ですね。
本質というのは何かである。
実存というのは今ここにあるものだと。
本質というのは「それは何ですか?」と聞かれた時にそれはこうこうこういうものですよというふうに説明する概念なんですね。
例えば椅子とは何ですか椅子とはどういうものですかと聞かれたら椅子というのは人が座るものである。
これが椅子の本質です。
例えば椅子の実存は何ですか?これが椅子の実存ですね。
このそのものがという。
今座ってようが座ってまいが。
ちょっとこちらをご覧下さい。
このペーパーナイフというのは本質紙を切るという本質が先にあって実存がある。
本質が実存に先行している。
ところが人間だと先生どうなるかというと。
人間の場合にはまず何ものでもないというここにある。
伊集院さんという人がいる。
しかし伊集院さんは選択をして現在の姿があるわけ。
いっぱい食べるという選択をしてでかい体の人になる。
そうです。
いっぱい食べるという本質が生まれる。
この場合は小説家なんですけどもね。
つまりどういう事かというと人間の場合は…物とちょっと逆。
人間というのはこうなんですよと定義をするとそれは人間の本質は決まってしまうわけですね。
キリスト教の場合にはこれは神様が自分に似せて人間をつくる。
人間はこうこうなものであるというふうに決めている。
それに対してもしも神様がいなかったらどうなんですかという事になるわけで。
やっぱりその戦争の中で戦争の前に教えられてた人間って…例えば人間ってもともと優しいものだよって思ってたのがアウシュビッツの情報が入るわけじゃないですか。
おやおや違うぞという事になるわけですよねきっと。
そうですね。
ある意味じゃその時代若者たちの自分たちが持ってた価値観みたいなものは揺らいだというか崩れていったというか。
崩れていったと思いますね。
特にその大人たちに対する不信が若者たちの場合には大きかったと思いますね。
つまり戦争を始めたのもそうだし戦争に負けてドイツに占領されたのもそうだしアウシュビッツみたいなものをつくり出したのも大人たちである。
つまりあらゆる事がもうくだらないばからしい不条理であるというふうな考えが恐らく若者たちの中に広がっていったんでしょうね。
その中で人間は新しい生き方考え方をしなければいけないと。
…という考え方が説得力を持って刺激的だったんでしょうね。
さあサルトルはじゃあなぜこういう考え方に至ったのか。
実は戦前からサルトル実存主義につながる考え方を温めてこの「嘔吐」という小説にしておりました。
1938年に発表された小説「嘔吐」。
サルトル自身が投影されたアントワーヌ・ロカンタンという男の実存についての発見が描かれてゆきます。
主人公ロカンタンは30歳にして働かずなるべく人と関わらないで親の遺産で暮らしています。
ロルボン侯爵という人物の伝記を書く事を日課にしその生活は図書館とカフェを往復するだけの自由だが孤独で単調な毎日。
そんな中ロカンタンは時々不思議な感覚にとらわれるようになります。
「そいつはこっそりと少しずつ私の中に居座った。
私はいささか気分が落ち着かず窮屈な感じがした」。
ロカンタンは海岸で拾った小石やカフェの店員のサスペンダーに突然「それ」を感じ時には自分自身の手のひらにさえ…。
彼はその感覚を「吐き気」と名付けます。
やがてロカンタンは町を歩いていてもものそのものの存在に襲われるような恐怖にさらされるようになります。
そしてついにある日マロニエの根っこを見て強烈な吐き気に襲われ同時にある啓示を得るのです。
「それは物の生地そのものだった」。
「そのニスは溶けてしまい…」。
それはものの実存むき出しの存在に対する吐き気でした。
つまりロカンタンは「実存の不安」に襲われたのです。
それ以来彼はロルボン侯爵の研究も手につかず生きる事の不安にさいなまれます。
何か感じるものはすごくあります。
あとそれから今実存と本質についてをね教わったばかりで聞いてるからその辺りにあるこううごめいてるものは分かりますけど。
この実存って何なんだみたいなそれが押し寄せてくるという感じですけど。
このロカンタンという人は30歳なのに仕事もせず遺産で暮らしていて誰とも関わらないというちょっと先生引きこもりというか。
社会との関わりを持たないという意味では確かに引きこもりですね。
すごいな。
偶然性についての哲学論文がサスペンス仕立ての小説に変えられるというのもすごいですけどでもそういう物語という形式をとってるから何かちょっとひしひしとというかぐっと入ってくるんでしょうね。
でも一番自分が知りたいのはこの場合におけるこの吐き気を催すという事は一体どういう事。
何に吐き気を催してるんだろう。
一種の比喩なんですけどもね。
要するに全てが何の意味もなくただそこにあると。
我々は庭があって椅子があって木があるというふうに普通の人は見るわけでしょう。
だけどもし庭という意味椅子という意味木という意味がなくなったらそれは何ですかという事になる。
そういう裸の眼と言ったらいいかもしれませんね。
ましてや何となく知識でだけ理解してるこの木があるという事は心が穏やかになるわけでとか木というものは酸素をつくってるわけでみたいなそういう隠れてる部分を全部取っ払っちゃうと何だこれみたいな。
ですからそこにある…比喩を使って語ってるわけですね。
「肥満」っていう言葉を最初は俺太ってるな痩せなきゃなと思って見てるけど何だこの柄はってなってくる瞬間に。
要するに違和感みたいなものやその事について考えだすと止まらないぞみたいな事を考えてみようよみたいな事を吐き気としてるわけですか。
要するにあらゆるものが偶然的に実存すると。
…という事を発見する物語と言えるでしょうね。
人生はただの偶然で何の意味もないと気が付いたロカンタン。
生きる事への不安に直面するあまり数少ない話し相手である「独学者」に自らの発見を伝えます。
「私たちは貴重な自分の存在を維持しようとして食べたり飲んだりしてますが実際には…」。
すると独学者は…。
生きる理由など全くないですって?人生には目的はないと多分おっしゃりたいのですね。
我々の人生の意味はそんなに遠くまで探しに行く必要はないと思いますが。
というと?一つの目的があるのですよ。
一つの目的がある。
人間がいるのです。
安っぽいヒューマニズムを説く独学者にロカンタンは大きな違和感を感じます。
(独学者)結局のところあなたは人間を愛しておられるのでしょ。
私と同じく愛しておられる。
「人間か」。
うん…確かに安っぽいよね。
その先の悩みを聞いてる人に「人間はすばらしい」みたいな。
この「独学者」というのは一体何者なんでしょう?独学者というのはこの本の中で一番よく出てくるのは図書館にいる独学者なんですね。
彼はアルファベット順に本を借りて読んでるんです。
端から?端から端まで。
面白いキャラクター設定ですね。
だから本来彼は名前を持ってるんだけどもロカンタンは「独学者」というふうに呼んでるんですね。
一人で勉強してる。
独学者の何がロカンタンに吐き気を催させたというか…。
自分の不安というものを隠してるというふうにロカンタンは見たのでしょうね。
人間はこうしなきゃいけない。
人間はすばらしい。
人間なんだから人間を愛さなければいけないみたいなのじゃない。
ロカンタンから見ると独学者だけではなくてみんな自分が何者かであると思い込んでいる。
ある人は自分は社長であると思い込んでる。
ある人は自分は医者であると思い込んでる。
そうではないんじゃないかと。
そうではなくて本当は自分は何者でもないというそういう人間の生を我々は生きていかなきゃいけないんじゃないか。
その出発点ですね。
人間は何者でもない人間の生を生きていかねばならないと。
彼はだから確かに仕事をしてないニートと言えるでしょうね。
彼の日記に「午後3時だ。
3時というのは何しよう何をしようと思ってもいつも遅すぎる。
あるいは早すぎる時間だ」と言っているんですね。
もうほんとに僕が学校行かないでぶらぶらしてた時のあの感じです。
ああ3時かって。
これは「人間は働くものだ」という考え方に立つと午後3時に何もしてない人間というのはうさんくさいわけでしょ?そうですね。
しかし「人間は働くものだ」という言い方自体が実は人間の本質を規定してるわけで。
ああそうか。
そんなの「人間イコール働く」は違いますもんね。
そんな本質はないと。
元からあるというその考え方を打ち壊していくという。
これはギリシャ哲学以来人間とは何だという事をいろんな哲学者がいろんな言い方をしてるわけですよ。
ヴォルテールは例えば「人間とは幸福になる存在だ」と言ったしソクラテスは「人間とは自己を追求する存在だ」と言ったしカントは「共同体の中で善を追求するそれが人間だ」と。
そういうふうに人間はこうだこうだこうだというのが恐らく何百とあるでしょう。
しかしそんなふうに決めないでくれよと。
すごいな。
サルトルはこういう事を言ってるんですね。
こことセットだよね。
こことセットじゃないと高校行かずにぶらぶらしてる俺は「いいんだよもう。
サルトル先生がおっしゃってんだから」と言って「働かなきゃいけないなんて事はないんだから」で終わっちゃうけど大事なのはだからここからお前がつくるんだよ全責任をもってという事なんですね。
あとはね皆さんの中にもそういう方いてほしい。
僕だけじゃないと信じたいんですけど分かったような分かんないようななんだけれどもという方に一緒にこの先あと3回ありますので。
私も今それの状態。
一緒に入ってまいりましょう。
来週もまだまだ続きます。
海老坂さんどうも今日はありがとうございました。
2015/11/04(水) 22:00〜22:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 サルトル“実存主義とは何か”[新]第1回「実存は本質に先立つ」[解][字]
「人間の本質はあらかじめ決められておらず、だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取らなければならない」と宣言したサルトルの講演をわかりやすく読み解く。
詳細情報
番組内容
人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」と高らかに宣言したサルトルの講演は、その後世界中で著作として出版され、戦後を代表する思想として広まっていた。その第一回は、「実存主義とは何か」を読み解き「根源的な不安」への向き合い方を学んでいく。
出演者
【講師】フランス文学者…海老坂武,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】川口覚,【語り】小口貴子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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