NEXT 未来のために「初めての対面 引き裂かれた家族の70年」 2015.11.05


まだ一度も会った事のない姉を訪ねて。
9月。
一人の日本人男性がフィリピンを訪れました。
姉のゼナイダ・フサトさん74歳。
戦争で幼い頃フィリピンに取り残された残留日本人です。
19年前亡くなった2人の父冨里山戸さん。
戦前フィリピンに移住し現地の女性と結婚。
ゼナイダさんをもうけました。
しかし戦争の混乱の中山戸さんはゼナイダさんを残して日本に帰らざるをえませんでした。
何も語らないまま亡くなった父に代わってゼナイダさんと対面した利雄さん。
孤児として生きてきた姉の苦労を初めて知る事になります。
戦後70年。
引き裂かれた家族の空白を埋めようとした姉弟。
その葛藤を見つめました。
熱帯の島国フィリピン。
かつてここには多くの日本人が移り住んでいました。
フィリピンは太平洋戦争の開戦前アメリカの統治下にありアジアにおける貿易の拠点として繁栄していました。
およそ3万人の日本人が豊かさを求めて移住していました。
建設業に携わっていた人。
食料品店を営んでいた人。
多くの日本人男性が現地の女性と結婚。
子どもをもうけ家庭を築いていました。
しかし戦争が始まると日本とアメリカはフィリピン全土で市民を巻き込み激しい地上戦を繰り広げます。
日本人の父親の多くが戦場で亡くなったり捕虜となったりして家族が引き裂かれていきました。
分かっているだけで3,500人を超える子どもたちがフィリピンに取り残され残留日本人となりました。
今も残留日本人はフィリピン各地に暮らしています。
父親の身元を特定するための聞き取り調査が日本のNPOによって続けられています。
当時を知る人も少なくなる中調査は年々難しくなっています。
8月。
NPOのスタッフがある知らせを持って一人の残留日本人を訪ねました。
ゼナイダ・フサトさん74歳。
日本に住む異母兄弟が「会いたい」とNPOに連絡を寄せてきたのです。
ゼナイダさんにとって初めて目にする血のつながった弟です。
ゼナイダさんが父親と生き別れたのは3歳の時。
その直後に母も亡くなったため両親の記憶はほとんどないと言います。
孤児としてフィリピン人の叔母に育てられたゼナイダさん。
自分が日本人である事を知ったのは小学生の時でした。
叔母が持っていた出生証明書を偶然目にしたのです。
父親はフサト・ヤマトという日本人。
母親はフィリピン人のアントニアとされていました。
確かにスミコと名付けられていた事も記されていました。
しかし長い間日本人の父親を捜す事はできませんでした。
16歳の時のゼナイダさんです。
当時はまだ戦争の影響で反日感情が根深く残っていたと言います。
ゼナイダさんが父親を捜し始めたのは戦後40年がたった頃。
日本とフィリピンの経済交流が活発になり反日感情が少しずつ和らいでいました。
ゼナイダさんは毎日教会に通い父親に会えるよう祈りました。
日本政府の支援は得られず日系人会やNPOに調査を依頼しましたが手がかりがないまま20年がたちました。
ゼナイダさんの依頼を受け調査に当たってきた東京のNPOです。
これです。
7年前決め手となる記録を見つけました。
外務省に保管されていた戦前海外に渡った人の名簿です。
そこに記されていた山戸さんの名前と沖縄の本籍地。
その情報を基に消息をたどる事ができたのです。
しかし山戸さんは既に亡くなっていました。
沖縄に家族がいる事も分かりましたがゼナイダさんは連絡を取ろうとはしませんでした。
ゼナイダさんの父冨里山戸さんの故郷沖縄。
長男の利雄さん67歳です。
父山戸さんは19年前に亡くなりました。
父親から聞かされた戦争の話は漁船で島々を渡りフィリピンから命からがら沖縄に戻ってきた事だけでした。
(利雄)これがおやじ。
冨里清繁さん。
戦前は山戸と名乗っていました。
戦争で焼け野原となっていた故郷で漁師をして新しい家庭を築きました。
7人の子どもを育て上げた山戸さん。
漁業組合の組合長も務め地域の人からも頼りにされていたといいます。
亡くなる2年前77歳の古希の祝いを受ける山戸さんです。
最後までフィリピンに残してきた子どもの事を家族に語る事はありませんでした。
その後フィリピンの姉弟の事は忘れていた利雄さん。
5年前ある記事を目にします。
ゼナイダさんが山戸さんの子どもであると日本の裁判所で認められた事が記されていました。
突然姉の存在を突きつけられた利雄さん。
悩んだ末フィリピンに行く事を決めました。
フィリピンに出発するのを前に利雄さんは父親の故郷津堅島に向かいました。
父親の墓参りです。
フィリピンを訪ね姉に会ってくる事を報告しました。
9月。
利雄さんが妻の春枝さんと共にフィリピンに到着しました。
70年間音沙汰のなかった父を姉はどう思っているのか。
サンキューサンキュ−。
初めて対面した姉弟。
利雄さんは言葉を交わす事もなく父親の写真を取り出しました。
利雄さんはゼナイダさんに聞かれる事に答えるのが精いっぱいでした。
「姉をね見つけてくれて」…。
ゼナイダさんの言葉に利雄さんはそれ以上何も言えなくなりました。
翌日利雄さんとゼナイダさんは父親が暮らしていた町に向かいました。
迎えてくれたのは戦後ゼナイダさんを育てた叔母の親戚たちです。
父山戸さんを直接知る人が存命でした。
ゼナイダさんの母アントニアさんの弟です。
戦争が始まると山戸さんは日本軍の通訳として村を離れたと言います。
その後戦火を逃れようと避難する途中アントニアさんが病気で亡くなった事を聞かされました。
利雄さんはゼナイダさんが幼くして孤児となった事を初めて知りました。
戦争の混乱の中アントニアさんは亡くなった場所にそのまま埋葬されたといいます。
墓標もないその場所に利雄さんは花を手向けました。
サンキューサンキュー…。
サンキューサンキュー…。
戦争でフィリピンに取り残された3,500人を超える残留日本人。
今年NPOを通じて肉親と対面を果たす事ができたのはゼナイダさんを含め2人です。
父の仏壇に供えられた2枚の写真。
70年かかった家族の再会です。
2015/11/05(木) 00:10〜00:39
NHK総合1・神戸
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戦後70年。ある姉弟が初めての対面を果たした。姉は、戦争でフィリピンに取り残された残留日本人。弟はその存在も知らずに日本で生きてきた。2人の対面を見つめる。

詳細情報
番組内容
戦後70年。ある姉弟が初めての対面を果たした。姉は、太平洋戦争でフィリピンに取り残された残留日本人。戦後、孤児としてフィリピンで父親を探し続けてきた。一方、弟は姉の存在も知らずに日本で生きてきた。姉のことを語ることなく亡くなった父に代わって、今年フィリピンを訪ねたのだ。戦争で引き裂かれた家族の空白を埋めようと初めて対面をはたした2人、その葛藤を見つめた。
出演者
【語り】久保田祐佳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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サンプリングレート : 48kHz

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