このとおり。
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アイリッシュ・ダンス
アイリッシュ・ダンスは、ソシアル・ダンス(社交ダンス)とステップダンス(足のみで踊る)に分類できる。
さらに分けるとステップダンスにはシャン・ノースからオールドスタイルステップダンスと進化し、今では競技用のステップダンス(コンペティションダンス)の3種類のタイプがある。
一般的に知られるようになったのは本来のアイリッシュダンスではなく、競技用のステップダンスをベースにつくられたパフォーマンス用のダンスで1994年ユーロヴィジョンコンテストで披露されたパフォーマンス『Riverdance』が注目を浴び、その後本格的なショーとして世界を席巻。今ではアイリッシュダンスの代名詞となったが本来のアイリッシュダンスではショーダンスのように横一列に並んでステップを踏みならすことはしない。
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・・・な?
けっきょく、後世の人々が定義付けしとるだけやろ?
ゆかるんのダンスを、後世の私が、"ゆかるんダンス"と言うたったらええだけやん。
そもそもや、たとえば"バクマン。"で観たように、マンガ家はマンガの専門家かというとちゃうわなあ。
マンガの専門家って、いわば評論家やろ。
お笑いだってそうやな。
お笑いを知り尽くした者のオハナシがホンマにオモロイか?
私のほうがよっぽどオモロくないか?
ダンスの専門家だってけっきょくダンスの評論家や。
ホンマに感心するようなダンスをするヒトは、「自分は○○ダンスを踊っている」なんて思うてないハズや。
スイセイミュージカルのヒトに聞いてみ?
まあ、スイセイミュージカルならば、「自分は○○ダンスを踊っている」と思うとるのもおるかもや。
けどたとえば、宮本あーもんが梅ちゃんにミュージカルを教えるとき、「アイリッシュ・ダンスができればいい」なんて教え方はしてなかったよなあ。
だいたい、AKBのパフォーマンスを、"アイリッシュ・ダンス"だなんて思うて観とるヤツはまずおらんし、メンバーだってそんなイメージでダンスしとるのなんてごく少数派なハズや。
・・・ちゃうか?
"バケモノの子"の熊徹は、具体的な剣術を教えたワケではなく、「ココロに剣を持て」と言うたよなあ。
伊達娘は、ココロに剣を持ったつもりになっていながら、実際は剣術をひとつ、入門したかどうかのところにおる。
私がゆかるんとかさややを褒めるのは、彼女らは間違いなくココロに剣を持っとるからやねん。
なぁちゃんやみきちゃんに対して、チガウチガウと言い続けとるのも、ココロに剣を持ちながら、妙な型に当てはめようというのが見えるからやねん。
私はよく観劇とか映画とかの感想を書くけど、監督がココロに剣を持った表現をしとるかどうかが大きな判断基準や。
篠原哲雄や西田直木をコテンパンに書くのも、彼らはココロに剣を持った表現をしてない、すなわち本当にヒトに伝えたいモノがないからやねん。
伊達娘も、いま、本当にヒトに伝えたいモノがない状態や。
研究生時代に、私と二人三脚しとったあたりまでは、少なくとも私に伝えたいという意思はあったよなあ。
それが、長いトンネルをもう3年半以上さまよっとる真の原因やぞ。
そう思わんか?
まあ、"人間老い易く学成り難し"やから、伊達娘がこのトンネルから一生出られん可能性だってあるとは思う。
それでもなんとかして、そのトンネルから出て欲しいと、私はずっと思っていて、手を替え品を替え、書き続けている。
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