歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
おはよう。
(3人)おはようございます!
(込山)あれ?館長何持ってるんですか?これですか?ジャン。
見て下さい。
(生徒たち)うん?今回学ぶ歴史の重要な人たちなんですよ。
どうですか?
(向井地)「The男」って感じですね。
何か強そう。
今どきの男の人と全然違うね。
この人たちの活躍によって長く続いた江戸時代が幕を閉じるんです。
どうやって終わったんですか?まあまあ慌てないで。
まずは今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回は江戸時代の末期。
1867年260年余り続いた江戸幕府に終止符が打たれます。
江戸幕府が政権を朝廷に返上してしまったのです。
一体なぜ江戸幕府は自らの政権を手放したのでしょうか。
そして新しい政府はどのようにして生まれたのでしょうか。
そこには新しい時代を生んだ男たちの情熱がありました。
今回押さえるべき「三つの要」は…日本の歴史その一大転換期を見つめます。
前回日本は開国しましたがそれがどんな影響を与えたのか覚えていますか?人々の暮らしも大きく変わりました。
そうでしたよね。
そして開国してから日本はいろんな考え方が出てくるんですよ。
まず社会が混乱したのは外国と貿易を始めたせいだとか外国人を追い出せとかいやいや幕府のせいだとかいろいろますます騒然としてくる訳ですね。
そんな社会をまとめて新しい時代を切り開くのに活躍したのがこの人たちなんですよ。
(生徒たち)へえ〜。
20代30代の人たちが多くてですね若い人たちの情熱がこの国を動かしていったんですよ。
どんな人たちだったんですか?お公家さんとか当時の下級武士つまり政治にはあまり携われないような武士そういう人たちがいたんですね。
(3人)へえ〜。
まずは幕府の権威が大きく揺らいだ出来事から見ていこう。
「三つの要」その一。
1858年アメリカとの通商条約の交渉に臨んだのが大老に就任したばかりの井伊直弼でした。
井伊は天皇の許可を得ないまま条約を結びました。
井伊の独善的な姿勢に対して公家などから幕府の対外政策を非難する動きが高まっていきます。
こうした勢力に対して井伊は反対派の公家や大名など100人以上を処罰しました。
安政の大獄です。
これを機に幕府の専制に対する批判が急速に広がっていきます。
中でも天皇を中心に国をまとめようとする尊王論や外国人を排除する攘夷論が次第に高まっていきます。
そして1860年3月。
大雪の中江戸城に向かう井伊直弼の行列が桜田門の付近にさしかかった時刀を抜いた武士たちが井伊のかごに殺到しました。
そして…。
襲撃したのは尊皇攘夷を掲げる水戸藩と薩摩藩の浪士たちでした。
井伊が行ったアメリカとの通商条約締結と安政の大獄に対しての行動でした。
幕府の実質トップである井伊直弼が暗殺されたこの桜田門外の変によって幕府の権威は失墜。
以後独断で政治を行う事が難しくなります。
井伊直弼のあと幕府の政治を担当した老中安藤信正は朝廷との融和によって幕府の権威を回復しようとします。
孝明天皇の妹和宮を将軍家茂の夫人に迎えたのです。
公朝廷と武幕府が手を結ぶ事によって政治を安定させようとしたのです。
しかしこれも幕府が朝廷を操るための政略結婚だとかえって尊皇攘夷派を刺激する事になります。
1862年江戸城坂下門外で今度は老中の信正が襲撃を受けます。
その結果信正は老中を退く事になります。
立て続けに起こった最高権力者への襲撃事件により幕府の権威は失われ尊皇攘夷派が台頭していく事になります。
幕府の力が弱くなって天皇を中心にまとまろうって人が増えたんですね。
それと外国人を追い出そうっていう主張が増えたんですね。
そうなんですよ。
それが先ほど出ました尊皇攘夷という考え方ですね。
こうした人たちは弱腰になった幕府を見限って天皇を中心としてまとまろうとこう考えた訳ですね。
じゃあそう考えた人たちが幕府を倒したんですか?いやいやそんなに簡単には事は進みませんでした。
さてそこで先ほど挙げた人たちの中でもこの西郷隆盛さん坂本龍馬さん木戸孝允さんたちが活躍をするんです。
ではその様子を見てみよう。
「三つの要」その二。
西南の雄藩長州藩は当初尊皇攘夷思想を掲げていました。
彼らは朝廷に働きかけ攘夷の実行を幕府に迫ります。
そして1863年長州藩は下関を通行する外国船を砲撃。
海峡を封鎖しました。
翌1864年これに対してイギリスフランスアメリカオランダの4か国が連合艦隊を組織し長州藩の砲台を攻撃これを占領しました。
欧米の軍事力を痛感した長州藩の木戸孝允や高杉晋作らは幕府を倒し欧米列強に対抗できる統一国家をつくるべきだと考えるようになりました。
もう一つの雄藩薩摩藩は当初幕府側の立場を取っていました。
しかしイギリスとの戦争薩英戦争の後幕藩体制に限界を感じる西郷隆盛や大久保利通らが実権を握るようになりました。
長州藩では高杉晋作らが中心となって倒幕の動きを強めました。
武力で対抗する長州に対して幕府は1865年に長州を討つ事を決めました。
各藩に動員をかけ大軍勢で長州を征伐しようとしたのです。
しかし薩摩藩は出兵を拒否。
実は薩摩藩と長州藩はひそかに同盟を結んでいたのです。
それを仲介したのが土佐藩出身の坂本龍馬でした。
彼は欧米に負けない新しい国をつくるためには薩摩と長州が協力する必要があると考えていました。
薩摩藩らの協力を得られない幕府は長州との戦いで敗北を重ね戦争は長州の勝利に終わりました。
この戦いを機に幕府が武力で全国を支配する事は難しくなっていったのです。
薩摩や長州は外国と戦ってその軍事力の強さこれを改めて知った訳ですね。
力の強い薩摩と長州が同盟を結んだら幕府はピンチですよね。
そうですよね。
しかし大逆転の手が残されていたんですよ。
え?大逆転?裏技ですか?まあ裏技といえばそうかもしれませんね。
ではその様子を見てみましょう。
「三つの要」その三。
1866年薩長同盟が結ばれた年に将軍となったのが…幕府の統治が難しくなる中公武合体を主張して幕府を支えていた孝明天皇が同年に崩御。
慶喜は更に厳しい状況に追い込まれました。
坂本龍馬らは土佐藩主の山内豊信を通じて将軍慶喜に意見を申し立てます。
…という考えでした。
1867年10月慶喜は大政奉還を受け入れました。
およそ260年にわたって続いた江戸幕府に終止符を打ったのです。
しかし実は慶喜は大政奉還をしてもなお政治の主導権を握ろうともくろんでいました。
慶喜は政権を朝廷に返すと表明する事で倒幕派の機先を制し政治の経験のない朝廷に代わり新たな政治体制の実権を握ろうとしたのです。
これに対し武力による徳川勢力の排除を進めていた公家の岩倉具視や西郷隆盛らはクーデターを起こします。
大政奉還が行われたおよそ2か月後岩倉たちは朝廷を動かして王政復古の大号令を発します。
「王政を復古して国威挽回の礎とする」。
天皇を中心とする新政府の樹立を宣言するものでした。
また徳川慶喜の政治力を奪うため領地や官職の返上を命じました。
慶喜ら旧幕府軍はこれに反発。
1868年京都郊外の鳥羽・伏見で新政府軍と旧幕府軍との戦いが勃発。
戊辰戦争が始まりました。
しかし戦いのさなか慶喜は大坂から船に乗って江戸へと帰ってしまいました。
その後関東各地や東北地方で戦いが繰り広げられましたが最新の武器を持つ新政府軍が旧幕府軍を圧倒。
翌1869年の箱館の五稜郭の戦いで旧幕府軍は降伏しました。
こうしておよそ260年続いた徳川家の支配に終止符が打たれ新しい政府明治政府が誕生する事になったのです。
長かった江戸時代が終わったんですね。
そうですね。
1854年に開国してから十数年で江戸幕府が滅亡したんですね。
まさに激動の時代ですね。
そうですよね。
こちら最後の将軍徳川慶喜です。
慶喜は政権を朝廷に返すという裏技で対抗したんですけれども幕府の滅亡という流れは止める事ができなかったんです。
私実はこの徳川慶喜さん演じた事があるんですよ。
(3人)え〜!どんな人だったんですか?どんな人だったんでしょう。
ではそれを先生に詳しく聞いてみましょうか。
(3人)はい。
我が女学館の特別講師小風秀雅先生です。
(一同)よろしくお願いします。
最後の将軍徳川慶喜さんこれどんな人物だったんでしょうか。
将軍の中であの〜徳川慶喜という人物がですね珍しく個性的な政治家リーダーシップを持った将軍だったという事がまず言えると思いますね。
例えば徳川家康八代将軍吉宗それから十五代将軍慶喜。
この3人というのはですね非常に重要な将軍なんですね。
で吉宗以降の将軍というのはどちらかと言うとお飾り的な存在老中たちがですね実権を握ってやっていたのが…。
先ほど言った大政奉還なんかも十五代将軍になると決めた時も彼が自分で決めてる訳です。
そういうリーダーシップを持った人物だったという事が1つ。
大政奉還で将軍を泣く泣く辞めた訳ではなくてここで辞める事によって新しい日本をつくりそこの中心に自分が位置するんだという事を目指して大政奉還をしたというふうにも考えられると…。
何か江戸城の奥で周りにこう囲まれて何にも知らないで将軍やってるんじゃなくて何か自分でいろんなもの勉強してたって人なのかもしれませんね。
そのとおりだと思いますね。
何かイメージとして何と言っても鳥羽・伏見の戦いの最中というかその〜自分だけ大坂から船に乗って逃げ帰ってきてしまうっていうのは武門の棟梁としてはいかがなものかというイメージがどうしても残るんですけどね。
そうでしょうね。
鳥羽・伏見の戦いが始まったような時その時には彼は非常に潔くリーダーシップを捨てる訳ですね。
(生徒たち)う〜ん。
(小風)で捨てる事によって新しい時代を生み出そうとしている。
そういう政治家として考える事もできると。
つまり従来の十四代までの将軍たちは自分たちが政治の中心にいると思っていた。
ところが将軍としては十五代目だけれども将軍職というものが日本の政治の中心にいるべきではないと考え出した将軍だというふうに考えられると思います。
はあ〜。
では我々が最後の将軍って言ってますけど本人にとってみりゃ「ちょっと違うんじゃない?」と。
そうです。
慶喜さんは将軍じゃなくなったあとはどうなっちゃうんですか?彼はリーダーシップを潔く捨てました。
完全にそういう意味では政治的に引退するんです。
ご存じですよね。
明治時代の慶喜の趣味人としての…。
趣味ばっかりですよ。
それも今の人たちと同じ趣味ですよね。
そうですね。
写真。
写真とかサイクリング。
(3人)へえ〜。
この時代にですよ。
(3人)すごい。
でも普通革命に近いですよね明治維新というのは。
そうですね。
世界の歴史を見ても革命が起きるともともとの元首徳川慶喜という人は普通殺されてですね次の権力者が現れるというのが普通なんですけどずっと生き延びていきますよね。
(小風)はい。
ただ生き延びるだけではなくてですねこれはもうちょっと後の話ですが30年ほどあとの話なんですけど…。
徳川家というのは華族ですねいわゆる貴族。
貴族の称号5つあるんですがそのうちのトップが公爵「公」の「爵」という。
例外的に慶喜は分家を許されて彼も「公」の公爵になるんですよ。
公爵になるという事は明治維新を生み出した功労者という意味合いも含む訳ですね。
新しい政府にとってみりゃ敵ですよね。
敵のトップだった人が実は新しい政府を作るための功労者だったという判断をされる訳ですね?そうです。
だから見方によっては全然別の人間に見えてしまう訳ですね。
はあ〜。
不思議な見方もあるもんですね。
(一同)どうもありがとうございました。
若い人たちのエネルギーが新しい時代を作っていったなんて私たちも頑張らないとって思いました。
そうですよね。
もう君たちはですね新しい時代を作っているのかもしれませんよ。
え?そうですか?そのほとばしるようなエネルギーこれさえあれば何だってできますよ。
でも先輩たちの知恵や経験も大切にしていきたいです。
何かみーおんいい子になってずるい。
フフフ。
フフフ。
桜田門外で大老井伊直弼暗殺。
薩摩藩と長州藩は同盟を結び幕府の長州追討は失敗した。
徳川慶喜は政権を朝廷に返したが西郷隆盛らがクーデターを起こし戊辰戦争が始まった。
幕府は降伏し徳川家の支配に終止符が打たれた。
2015/11/06(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「幕府の滅亡」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
外国との貿易による経済の混乱は幕府の動揺に拍車をかけた。そんな中、長州藩と薩摩藩は倒幕を志向するようになり、密かに同盟を結ぶ。諸藩を統制できなくなりつつあった幕府は1867年、大政奉還を行い、政権を天皇に返上してしまう。大政奉還を決断した将軍徳川慶喜の狙いは何だったのか? また、それに対して薩摩藩と長州藩はどんな対応を取ったのか? 開国から幕府滅亡に至るまでの激動の歴史を見つめる。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】お茶の水女子大学大学院教授…小風秀雅,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
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