質問。
お元気ですか?元気にやってますよ。
トップを走り続けるエンターテインメントの仕掛け人と女優。
表現の世界で挑戦する2人を作ったのはどんな音楽なのか。
大切な曲を持ち寄り語り合います。
(一同)お疲れさまでした。
斬新な楽曲とファンを巻き込む企画で国民的アイドルを生み出しました。
ウィナー渡辺美優紀!そんな秋元康が選んだ第1夜の5曲は…。
民が集まる豊かな国をつくるのです!演技力だけでなくライフスタイルまでが注目される女優黒木瞳。
彼女が選んだ第1夜の5曲は…。
これをずっとやってたんですか?ずっとやってました。
今夜は第2夜。
人生の度重なる試練に2人はどのように向き合い困難を乗り越えてきたのか。
新しい表現を求める2人。
試練があっても諦めず闘い続けたのは伝えたいメッセージがあったから。
エンターテインメントと共に歩んできた2人の人生を音楽を通して見つめていきます。
20代後半秋元康は迷っていました。
ヒット作を生みながらも抱え続けた人生への疑問。
高校生で放送作家デビューをして以来アルバイト感覚のままここまで流されてきた。
でも本当に自分がしたい事は何なのか?1988年30歳の時自分の実力を試すためにニューヨークへ。
しかし作った自主映画は公開すらできません。
エンターテインメントの本場アメリカで壁にぶつかります。
失意のどん底。
イーストリバーの川の流れを見つめて思います。
「この先自分に何ができるのか?」。
そんな時一本の電話が日本からかかってきました。
日本歌謡界のトップスター美空ひばり。
作詞の依頼でした。
芸歴40年幾多の名曲を歌ってきた女王美空ひばりにたかだか30歳の自分は太刀打ちできるのだろうか。
不安の中作詞を引き受けました。
ひばりさんがすごいのはあれだけの方なのに詞も曲も一切何も言わなかったんですよ。
何もおっしゃらなかった。
つまりポッと出のね秋元康だか何だか分からない作詞家がプロデュースして何を私でやろうが変わらないと。
だから好きにやりなさいと。
私を料理してごらんなさいというメッセージなんですよ。
だから一切言わなかった。
小細工は通用しない。
自分の全てをぶつける覚悟をします。
歌手美空ひばりと真剣に向き合いたどりついた秋元の答えは?この人の何を聴きたいか。
何がこの口から言葉になった時に一番聴きたいかと思った時に美空ひばりさんは応援歌だったんですよね。
美空ひばりさんみたいな波乱万丈の人生を送った方が「人生なんか大した事ないわよ」と「あなたも頑張りなさい」っていうような事を言ってくれたらみんなが勇気づけられるんじゃないかなと思って。
「人生なんてね川の流れのようなもんだから身を任せてればいいんじゃないの」っていうようなイメージで書いたんですよね。
何にも勉強してないけどもひばりさんがいい詞だって言って下さったんだから作詞家として名乗っていいかなって。
そこで初めてアルバイトから正社員になった気がするんですよね。
もう素人のふりはやめろっていう事なんですよね。
もう十分あなたはプロじゃないかという事でそれをメッセージしてくれたのが美空ひばりさんだと思うんですよね。
1985年。
黒木瞳は宝塚退団を決意。
最後の公演に出演します。
あなたのお力になれる事はありませんの?ええお約束しますわ。
喜んで。
退団後の先行きの見えない不安な生活で頼りにしていた人物がいました。
親友の吉田由美子さんです。
宝塚音楽学校の同期で入学して以来夢も悩みも打ち明け合って歩んできました。
吉田さんは1年前に宝塚を退団。
東京でテレビドラマの主演が決まるなど黒木の先を行く頼もしい存在でした。
しかし悲劇が襲います。
ちょうど私が退団の公演だったんですよね。
8月の13日にしか私が時間が取れなくって。
終演後の。
だから13日に会いましょうっていう事で12日に行く前に楽屋に電話があったんですけど。
「この小さな尾根の上に主翼の部分があります」。
1985年8月12日日航機墜落事故。
520人の犠牲者の中に吉田由美子さんはいました。
夢半ば24歳の若さでこの世を去ったのです。
ちょっとひと言では言えないけどただものすごくショックだったのと人が死ぬという事が何か本当にあるんだっていう事を知ったというか。
まあ一番いろんなお話ができた人だったので一緒にいろんな旅行行ったところどころの思い出とか一緒に見た満月とかね。
本当に一生の友達でいられたのにっていう。
吉田さんと学生時代寮の部屋で一緒に聴いた思い出の一曲があります。
よく夢を見るんですけどね彼女のね。
「あっ何だ生きてたんだ」。
だけど何かね性格とか人格とか変わってるんですよねすごく。
何かすごく弱い部分もある人だったんだけども何かすごく強くなって。
どういう夢なんだろうなっていつも思いますけど。
彼女の夢も半ば破れてしまったのでその無念さとかいろんなものを全部引き受けたっていう感じで。
だからすごく友達を大事にするようになったし人に対するその優しさとか何か全部そういう尊さ絆とかそういう事を彼女の死によって教えてもらったっていうか。
夢破れた親友の無念さ後を託された思い。
「彼女の分まで生きる」と黒木は強い決意で映画女優への道を突き進みます。
親友の死から半年。
大きな仕事が舞い込んできました。
映画「化身」。
恋をしてひょう変していく女性を熱演。
宝塚で夢の世界を演じる女優から現実を表現する女優黒木瞳へと変貌します。
帰ろう。
嫌よ!もう帰れない。
駄目なの。
やめて下さい。
帰れない!来ないで!人のうちでみっともないまねするなよ!帰ろう。
どこ行くんだ!ごめんなさい。
その演技は高い評価を受け映画女優の登竜門日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
秋元は「川の流れのように」を書いて作詞家としての自信を深め帰国します。
しかしちょうどその時日本は昭和から平成へ変わる時代の転換期。
音楽業界も激変していました。
レコードからCDへ。
ポップスのミリオンヒットが次々生まれる時代。
そんな時代の申し子として現れたのが秋元と同じ年に生まれた小室哲哉。
秋元は実感します。
「音楽そのものが変わってしまった」。
小室君のこのダンスミュージック。
このころ90年代ぐらいが本当に大きく変わったなと思うのは声も楽器の一つになるんですよ。
ああ〜。
僕らの頃は声がメロディーを奏でる歌う訳ですよね。
だけどこのダンスミュージックになった頃から僕らがこう何か口ずさむ歌謡曲とかフォークソングとかつまり地の声が届くものだけではないんだと。
時代っていうのは本当に川の流れのように変わっていく訳で。
ダンスミュージックっていうのは本当にサウンドになってきたんだな。
流行の音楽と自分のやりたい音楽にギャップを感じた秋元。
時代のうねりを見つめながら静かに次の一手を考えていました。
20代後半黒木瞳は女優として実績を重ねながらもプライベートでは手痛い失恋を経験していました。
その時胸にしみたのがこの曲。
20代よくね失恋したんですよ。
えっ失恋するんですか?はい。
どういうふうに失恋するんですか?普通に振られますね。
振られましたね。
何で?世の中に黒木瞳を振る男がいる。
いた。
いた?いた。
いや会ってみたいわその人に。
その人は相当もてる人なんですか?それともたまたま黒木瞳は口に合わなかったんですか?う〜ん…タイミングでしょうね。
まあそうですね。
タイミングなんですよ大体が。
そうですね。
もうテレサ・テンさんのこの「時の流れに身をまかせて」とかこういう歌とかすごい励まされましたね。
だって歌詞がね「いまはあなたしか愛せない」でしょう。
これおかしいですよね。
そうね。
強いんですよね女が。
強いですね。
はっきりしてるんですよ。
「今は好き。
でも時の流れに身をまかせる」っていうその辺りが何か歌詞がね力強いなと思って。
いいですよね。
女優はそういうものが全て肥やしになりますからね。
いやならないと思う。
何で?あんまり実生活は演技には関係ないと思いますね。
いや絶対ありますよそれは。
いや絶対ないと思う。
だって芝居は想像力ですから。
もし経験とか体験とか見聞きしてきた事だと例えば私だったらこうするっていう演技の…すごくこう狭くなる場合が多いんですね。
全然知らないっていう事の方が想像の翼がこんな…知ってる事よりかは広くなるおっきくなるっていう事も…。
それもありますよね。
でも…。
多々。
でも実は失恋したとか実は何とかっていうのはイメージよりも奥行きが広くなる訳じゃないですか。
それは面白いなと思いますけどね。
秋元が40代を迎えた2000年代前半。
日本はバブル崩壊からの長い不況に苦しんでいました。
一体これからどうなるのか?若者が夢を描きづらい時代。
秋元は決意します。
「こんな時代だからこそ夢はかなうんだと伝えるエンターテインメントが必要だ」。
そして2005年にスタートさせたのがAKB48です。
無名の女の子が失敗も挫折も乗り越えてアイドルとして成長していく。
その姿を見せる事で夢を諦めない大切さを伝えたかったのです。
じゃあ頭に加護ちゃんを思い浮かべて「加護ちゃん」って言って下さい。
加護ちゃん!はい。
(笑い声)どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
みんなにね「君たちは将来『紅白歌合戦』に出場させて頂いたりそういうふうなグループになるんだよ」って言った時に誰も信用しない訳ですよね。
本当にそう思って言うんですか?もちろんもちろん。
そうさせようと思って言うんですか?ううん。
その時本当に思う。
本当に思うんですか。
いろんな人をプロデュースしたりこういう仕事をしてきたんで夢がかなう瞬間っていうの見てるんですね。
みんな無名の人なんですよ初め。
はい。
無名の人がやり続けた1ミリ先に夢があるんですよ。
でも多くの人はみんなその夢を届いてないと思って下げちゃうんですね。
でも本当あと1ミリなんですよね。
でもそれを続けたやつらがスターになったり突然成功したりしてるのを見てるので夢ってかなうんだと。
AKB48最初の公演。
観客は僅か7人。
ここから日本のトップへと成長する姿こそが人々に勇気を与えると秋元は信じたのです。
共に夢を追う秋元も必死でした。
(一同)はい!ありがとうございました!夢はかないました。
デビューから2年を経て…AKB48の快進撃が始まりました。
次々ミリオンヒットを連発。
時代の歌を送り出します。
更に日本各地5か所の拠点に加え世界へも進出。
上海ジャカルタなど海外でも女性たちがアイドルを目指して夢を追い続けています。
総勢500人以上。
秋元が彼女たちに作詞した曲は1,000以上。
中でも一番大切にしているメッセージソングがあります。
伝えようとしたのは平和の尊さ。
中学時代に聴いたフォークソングが原点となったこの歌。
「僕たちは戦わない」ってやっぱりメッセージソングなんですよね。
憎しみは連鎖するんで戦う事も勇気だけど戦わない事も勇気だみたいな事をたかだかアイドルと人は言うかもしんないしされどアイドル。
こんなアイドルたちがメッセージソングを歌うっていうのがもしかしたら僕がずっとフォークから影響を受けた事の僕なりのメッセージなんですよね。
こんなアイドルでこんな事が伝わったらいいかなっていうような事を書いた曲だから僕は好きな曲なんですけどね。
黒木瞳は30代半ば女優としての未来に迷い不安に襲われます。
もう年の若いヒロインを演じる事はできない。
といって母親役でもない。
どんな役を演じる事ができるのか分からなくなったのです。
やっぱり35歳には川が流れてるんですよね恐らく。
振り返れば20代だし先へ行けば40代だしっていう時に「このままずっと女優続けていられるかしら」とか「仕事が来るかしら」とか何かそういうような事をすごく感じました34〜35って。
そんな時舞い込んできたのは不倫相手と心中する人妻という難しい役。
他人からは理解されない究極の愛をどう表現するか。
黒木は再び体当たりで演じる道を選びました。
それが37歳で出演した映画「失楽園」。
一度結婚したら許されない。
夫以外の人を愛したら途端に不倫だとかふしだらだとか言われてしまう。
黒木は恋に溺れる女性のときめきや心の奥に潜む孤独など繊細な表情を見事に表現しました。
その演技は高く評価され日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。
名実ともにトップ女優となったのです。
仕事で大きな達成を果たしたこの年待望の第1子にも恵まれます。
黒木の口から自然に流れ出た子守歌は宝塚の曲でした。
子どもを37で産んだ時にいざだっこしてみて子守歌が浮かんでこなかったんですよ。
「あっそうだ!宝塚の歌を歌えばいいんだ」って思って宝塚の中でも大好きな歌なんですけど最後にね「愛している愛している愛して」ってずっと「愛している」っていうのをずっと繰り返すんです。
でその歌が「あちょうどいい」と思って。
まあちょうどいいっていうのも変ですけど。
それをずっともう何万回歌ったか分かんないですね子守歌代わりに。
そして勇気ある決断をします。
出産後すぐに子育てと仕事を両立させる。
それが女優黒木瞳が選んだ道でした。
私は産んですぐ仕事しようと決めていたので1か月半ぐらいにはもうカメラの前に立ってたんですけどもね。
結婚しても子どもを産んでも女優として仕事していくっていう事が一つの自分のスタイルになればいいなと思ったので。
多くの女性に憧れられてるのは多分そこのブレない感じがいいんでしょうね。
今は本当に当たり前のように皆さん仕事も子ども産んでもすぐ仕事なさったりとか。
私の時は結構難しかったので今はたくましいなと思ってますけどね。
そうですね。
子育てしながら働く女性が増えていく時代。
仕事と家庭を両立し美しく輝き続ける黒木の姿は憧れの的になっていきました。
年の離れた若い俳優とのラブストーリーも堂々と演じる事ができる。
年を重ねるごとに魅力を増していく黒木は美しい大人の女性の代名詞となったのです。
壊れたおもちゃは要らないの。
今年黒木瞳は映画監督に初めて挑戦しました。
よ〜いスタート!原作にほれ込みどうしても映画にしたいとメガホンをとったのです。
女優という立場を超えて伝えたいメッセージがありました。
原作は小説「嫌な女」。
弁護士と詐欺師2人の女性の半生を描いたヒューマンドラマ。
反発していた2人が次第に認め合い晩年には友情へと変わっていきます。
人ってみんな老いるんだなと。
でいつか終わりが来るんだなって。
でも一日一日は本当に美しいし頑張って生きてるし輝いているし。
だから本当に人生って捨てたもんじゃないし美しいんだっていう何かそういうメッセージを受け取ってしまったんですね。
ちょうどこの「嫌な女」という原作を読んだのが2011年の春で震災の頃だったんですけどもねそのころ私大阪の舞台に立っていて「舞台になんか立ってていいのかな。
日本が大変な時に」とか思ったりもしたんですけどやっぱり私たちができる事は1人でも2人でもお客様に希望とか未来とかそういうのを届けるというのが自分の役割なのかなって再確認して。
この年齢になって挑戦する事があるんだなって自分で驚いてるくらいなんですけども。
オーバーに言えばね勇気だなと思う。
勇気をもらったというか映画をやりたい映画を作るんだっていうのが「いや大変ですよ」ってみんなで…。
そうでしたね。
この作品を見て元気になってくれる人がいるんじゃないかってただそれだけを信じて前に進んできてそれで撮ったんですけどね。
表現者として新しい挑戦を続ける黒木瞳。
彼女が選んだ今の自分を表す1曲はエディット・ピアフ「水に流して」。
波乱万丈の人生を送ったピアフが亡くなる3年前に人生の希望を歌った名曲です。
いいね。
このエディット・ピアフの人生も壮絶ですけれど。
壮絶でしょう。
あの壮絶なだからやっぱり人生をしょった悲しみというかそこに何かにじみ出てきてしまうようなものが何かすごく重要な気がするんですよね。
やっぱり愛そのものでずっと貫いてきた人っていうか。
ひばりさんの「川の流れ…」みたいにその人を象徴するような歌っていうのが何か心にズンと来るっていうか。
一方秋元康が選んだ今の自分を表す1曲は平和の尊さを訴えるメッセージソングでした。
ジョン・レノン「イマジン」。
もうすばらしいですよね。
すばらしい。
もうかかった瞬間にとろけますね。
はい。
「イマジン」って本当に不思議なジョン・レノンという人の愛が言葉ではない何かこの曲を作った事自体に愛のオーラがあるような感じがしてね。
だから多分それがイントロを聴いただけでもファ〜ンと温かくなっちゃうような…大好きな曲ですね。
やっぱり平和っていいなとかその当たり前の事がメッセージされてるじゃないですか。
何かそういう事を後輩とか後の世代に渡したいっていう気がするんですよね。
やっぱり秋元さんの中にすごい愛があるんですね。
慈愛というか思いが。
やっぱり人と人が認めたりしないとハッピーじゃないでしょう。
柔らかくなりました。
丸くなりましたね。
2人に最後に聞きました。
人生の終わりに聴きたい曲は何ですか?ちょっとノスタルジーかもしれませんけどピアノをずっとちっちゃい時からやってて毎日毎日弾いて何時間も何時間も弾いて。
大人になったら全然もう弾かないじゃないですか。
だからこうピアノの曲を聴くと自分の家で父がいて母がいて姉がいて兄がいてそこで何時間もピアノを弾いてた事を思い出すんですね。
でそこがそのふるさとが私の原点でもありエネルギーなので。
でこのショパン「コンチェルトEモール」っていうのが私が最後に弾いたピアノ曲なんです。
その曲まで頑張りましたみたいな。
やっぱり人生は旅だなと。
ふっと気が付いたら57歳になってた自分がいてそういうふうに思った時に加山雄三さんのね「旅人よ」がしみるんですよ。
で時々加山雄三さんにお会いするとなんてすてきな人だろうと。
今船を設計してて自分でね世界に行くというふうにおっしゃってて。
すごい頼もしいというかすばらしい人生の先輩ですよね。
やっぱりこう魅力的な先輩を見てると必ず自分で初めての事を作る。
自分で作るとこんなに魅力的なんだなと思って。
川の流れのようにこれからたくさんたくさん旅をされるんですね。
します。
人生を彩った音楽は記憶を鮮やかに呼び覚まします。
人生の大切な10曲。
あなたは何を選びますか?2015/11/09(月) 01:10〜01:55
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「秋元康×黒木瞳 第2夜」[字][再]
秋元康と黒木瞳が選ぶ「人生で出逢(あ)った10曲」エンターテイメントの高みを目指す二人の表現者の人生に寄り添った音楽とは?
詳細情報
番組内容
「あなたが人生で出逢(あ)った『大切な歌』を10曲選んでください」この問いに、あなたは何を選びますか?この番組では、二人の表現者が自分の人生の『大切な歌』を持ちより、対談。それぞれの人生を「音楽」を切り口につづっていきます。今回は、秋元康と黒木瞳。 ▽名曲「川の流れのように」を作詞した秋元康にかけた美空ひばりの言葉とは? ▽親友の永遠の別れを経験した黒木瞳。かけがえのない思い出の曲とは?
出演者
【出演】秋元康,黒木瞳
ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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