(杏)
今年5月世界的なオークション会社で日本のはるか古の文化を象徴するものが驚きの金額で落札されました
縄文時代の…
今日本の縄文文化に世界の注目が集まっています
この縄文を代表する遺跡が青森県にある…
巨大な6本の柱で造られた…
段ボール箱4万個分に及ぶ縄文土器
未開で未発達と思われてきた縄文人が常識を超える巨大で豊かな集落を築き上げていました
縄文の知られざる謎に挑もうと最先端の科学調査が始まっています
更に世界を驚がくさせているのが縄文文化の持続性です。
今からおよそ1万5,000年前に始まり1万年を超える長きにわたって続きました
世界の古代文明と比べてもこれほど長く続いた例はほとんどありません
古のアジアの文明から現代に通じる叡智を探る…
縄文文化はなぜ巨大集落を築き1万年も持続できたのか。
これまでの文明論を揺るがす謎に迫ります
今回の舞台は日本最大級の縄文遺跡三内丸山
1万年に及ぶ縄文時代の前期今から5,500年前に人が住み始めました
発掘の成果をもとに巨大な建造物や竪穴住居が復元されています
私たちの祖先は世界の常識を覆す巨大な集落をどのようにつくりどんな暮らしをしていたのでしょうか
最初に向かったのは日本で最大規模の竪穴住居。
長さは32メートル。
幅10メートル近くに達します
ここは共同住宅あるいは集会所として使われたと推測されています
そもそも縄文人って皆さんどんなイメージですか。
食べ物を求めて少人数で移動を繰り返す不安定な貧しい生活を送る狩猟採集民…だったりしませんか
でも実際に発掘されたのは縄文人が移動せず一つの場所で住み続けていた痕跡。
地層にびっしりと埋まっているのは土器の破片です。
年代を調べると1,500年にわたって定住していた事が分かったのです
更に貧しい狩猟採集民のイメージを覆すものも次々と見つかりました。
ヒスイや耳飾りなどの装身具は豊かで文化的な暮らしがあった事を示しています
縄文文化に対する見方を大きく変えた三内丸山の巨大集落
同じ頃西アジアで栄えていたのがメソポタミア文明です
大規模な都市での定住生活を支えていたのは安定した食料を得られる農耕でした
古代エジプト文明インダス文明そして中国文明も農耕を基盤として定住していました
四大文明にあって縄文文化にないもの。
それは農耕です。
見つかった食べ物は木の実や魚。
そして動物の骨。
縄文人は農耕に頼らず狩猟採集を生活の基盤として定住を実現していたのです
人類史を研究するカリフォルニア大学のジャレド・ダイアモンド教授は縄文人は従来の文明論を根底から揺さぶっていると言います
ここ三内丸山も私たちの想像を超える豊かな集落でした。
そのシンボルが6本柱の木造建造物です。
物見やぐらとも灯台ともいわれています
柱の太さはおよそ1メートル。
高さは15メートル近くあります。
これほど巨大な建物を造るには高度な建築技術が必要で既に専門的な技術者がいたかもしれないといわれています
縄文人はどんな風景を見ていたのか。
特別に登らせてもらいました
よいしょ。
それにしても一体どのような集落をつくっていたのでしょうか。
謎が深まるばかりです
三内丸山が大きな注目を集めたのは1994年。
未開で未発達と思われていた縄文のイメージを一変させる発見が相次ぎました。
これは6本柱の建造物の柱穴。
直径は2メートルあります。
大規模な道も確認されました。
長さ420メートル以上幅は最大15メートル。
集落は土木工事が行われ計画的に整備されていました。
今も青森県が発掘調査を続けています。
去年遺跡の西側で謎の遺構が見つかりました。
遺構は最大1メートルの深さまで掘られています。
底は平らで住居などが造られた跡はありません。
分析の結果幅4メートルほど長さ25メートルの構造物である事が明らかになりました。
道なのかそれとも堀なのか。
国内でもほとんど例がなく謎の解明に向けた調査が続いています。
長年発掘を指揮してきた青森県の岡田康博さんです。
三内丸山研究の第一人者です。
計画的なインフラ整備を行い巨大集落をつくり上げていた縄文人
未開と思われていた狩猟採集民がなぜ定住を実現できたのでしょうか
謎を解くための研究が三内丸山のバックヤードで進められています
発掘で次々と見つかったのは植物です
その数80種類以上。
そこから見えてきたのが縄文人の食生活の実態です
中でも最もたくさん見つかったものの一つが…
でも木の実を拾い集めるだけで集落の人々の食料は足りていたのでしょうか
専門家が注目したのが遺跡から採取した土です。
土の中には縄文時代の花粉が壊れる事なく残っています。
これを時代ごとに分析しました
およそ6,000年前それまで大量にあったブナやミズナラの花粉が突然激減。
代わりにクリの花粉が急増します。
これは集落が形成されていった時代と一致します
更にクリの花粉の飛散状況を分析しました
三内丸山にクリの森はどれほど広がっていたのか。
結果は驚くべきものでした。
薄い緑と濃い緑はクリの木があったエリア。
濃い緑はクリの木の密度が特に高い事を示しています。
集落のほとんどがクリの森に覆われていたのです
クリの木を植え計画的な森づくりを行っていたと見られる三内丸山の縄文人
食べ物を求めて移動する必要はありませんでした
生活が不安定で貧しいと思われていた狩猟採集民が身近に森をつくる事で定住を可能にしていたのです
集落を覆っていたクリの森はどれぐらい豊かだったのでしょうか。
それを教えてくれるのが実は6本柱の建造物です
これは実際に出土した柱。
クリの木でした。
高さは最大23メートルと推計されましたが今の日本ではこれほどの大木はありません
縄文時代を彷彿とさせるクリの森がロシアにありました。
カフカス山脈の麓にある緑豊かな小さな村です
直径2メートル樹齢は200年以上
高さは40メートルに達します
この森にはクリの巨木があちこちにそびえていました
秋になると森は山ほどのクリの実で覆われます。
三内丸山にもこんな豊かな森があった事でしょう
更に縄文人は狩猟採集民の貧しい食生活を劇的に変える発明をしていました
縄文文化の象徴土器です。
三内丸山で発掘された土器は段ボール箱でおよそ4万個分に上ります
最近この土器を巡って驚くべき発見がありました
世界的な科学雑誌「ネイチャー」。
2013年縄文土器の新たな研究成果が発表されました。
取り組んだのはイギリスの大学を中心とした研究チームです。
これは1万4,000年前の縄文土器の破片。
表面に黒いものがこびりついています。
その成分を科学的に分析したところ魚などの水産物に含まれる脂質が検出されました。
土器にこびりついていた黒いものは食べ物を煮炊きしたあとのお焦げだったのです。
煮炊きの跡は三内丸山でもたくさん見つかっています。
縄文人の食生活は煮炊きをする事で大きく変わりました。
ドングリは煮る事であくが抜け日常的に食べられるようになりました。
魚や貝などの魚介類は火を通す事で食中毒を防ぎより食べやすくなりました。
煮炊きは人類史上の調理革命といわれ食生活を飛躍的に向上させました。
こうして縄文人は農耕に頼らない定住生活を実現していたのです。
巨大集落三内丸山の姿を長年の研究成果を基に再現します。
集落では大規模な土木工事によって道路や住居が計画的に造られていました。
人口は正確には分かりませんが数百人規模だったとも考えられています。
人々が着ているのは植物で編んだ布製の服。
女性たちは装身具を身につけおしゃれも楽しんでいた事でしょう。
たくさんのクリの木が植えられ人々の食生活を支えていました。
三内丸山の縄文人は私たちの想像をはるかに超える定住型の豊かな狩猟採集民だったのです。
縄文には世界が注目するもう一つの大きな謎があります。
同じ文化が驚異的に長く続いた事です
縄文文化は三内丸山が出現するはるか以前から始まっていました。
しかも世界のほかの地域と異なり狩猟採集を生活の基盤とし農耕に移行する事はなかったのです
西アジアや中国が狩猟採集生活から農耕社会へ変わっていったのはおよそ1万年前。
その後文明を生み出しました。
一方縄文は1万年以上にわたり狩猟採集生活を変える事なく独自の社会と文化を持続させていきました。
これは世界でも類がありません
縄文時代農耕は既に大陸から朝鮮半島まで伝わっていました。
しかし日本列島で広がる事はありませんでした
縄文人はあえて農耕を受け入れなかったとダイアモンド教授は考えています
縄文人はなぜ農耕を受け入れなかったのでしょうか
実はある時期縄文に大いなる幸運がもたらされていた事が分かってきました。
福井県にある水月湖です。
湖底から掘り出しているのは泥です。
断面を見ると鮮やかなしま模様になっています。
落ち葉やプランクトンなどの堆積物が積み重なり1年ごとに違う層が出来ているのです。
湖底に蓄積した堆積物は…これを分析する事で7万年分の環境の変化が分かります。
立命館大学の中川毅さんは堆積物に含まれる花粉に注目しました。
これはモミの花粉。
冷涼な気候を好む針葉樹です。
縄文時代よりも前日本列島には針葉樹の森が広がっていました。
限られた木の実しかならず定住には厳しい環境です。
しかしそこに変化が起きます。
およそ1万5,000年前を境に針葉樹の花粉が減少。
一方同じ時期に増え始めたものがあります。
ブナやクルミなど温暖な気候を好む落葉広葉樹です。
落葉広葉樹の森には多くの木の実がなります。
気候の移り変わりとともに豊かな森が長い時をかけて日本列島に広がっていきました。
そのころ縄文人はあの画期的な道具土器を手に入れます。
これは1万5,000年以上前のものとされる最古の縄文土器の破片。
土器の始まりは西アジアが1万年前中国は1万数千年前と考えられていて縄文土器は世界で最も古いものの一つです。
豊富な木の実を手に入れた縄文人は食生活に革命を起こした土器も世界に先駆けて発明していたのです。
更におよそ9,000年前日本海に暖かい海水暖流が流れ込み森をより豊かなものに変えていきます。
暖流は大陸からの寒気と出会い水分を多く含んだ上昇気流を生み出し大量の雪を降らせるようになりました。
日本列島が温暖で湿潤な気候に変わる中春夏秋冬という変化に富んだ四季が生まれたのです。
縄文人はこの四季の恵みを活用し持続可能なライフスタイルを作り上げていきました。
緑芽吹く春。
森は縄文人にとって食べ物の宝庫です。
ワラビコゴミウド。
春を代表するさまざまな山菜を食べていました。
夏は漁が盛んでした。
丸木舟で海に出て魚を釣っていました。
発掘されたブリとサバの背骨の一部です。
頭の骨はほとんど見つかっていません。
頭を落として干物にしていたと考えられています。
これは漆の木。
水平につけられている傷は樹液をかき取った跡と見られています。
縄文人は土器やくしなどの装身具に漆を塗って暮らしを彩っていました。
実りの秋。
森に入って木の実を拾います。
発掘された木の皮で編み込んだ籠。
中からはクルミが見つかり縄文ポシェットと呼ばれています。
冬になると森で狩りに励みました。
獲物は食べるだけでなく毛皮としても活用しました。
暮らしの中に豊かな四季の恵みを巧みに取り入れていた縄文の知恵。
それが1万年にわたって定住生活を持続させた秘密でした
縄文の持続社会は1万年の年月をかけて独自の文化も発達させました
それを象徴するのが土器の紋様です。
単なる実用品の枠を超えて特殊な形に変容していきました
中でも目を引かれるのが独特の造形美を持つ…
燃え盛る炎のように見える事から名付けられました
その美しさに心を奪われた芸術家がいました。
「芸術は爆発だ!」の岡本太郎です
岡本が圧倒された縄文土器の紋様。
その意味を読み解こうとする研究が意外な場所で進められています
パプアニューギニア。
その奥地を流れるセピック川の流域です。
縄文文化が専門でこの流域に10年にわたって通い続けている高橋龍三郎さんです。
訪れたのは伝統的な生活を受け継いでいるクウォマの人々の村です。
クウォマの人々は縄文土器と同じように独特の紋様を持つ土器を使っています。
紋様という共通の手がかり。
高橋さんはクウォマの土器の紋様の意味が分かれば縄文土器の秘密に迫れると考えています。
村に数人しかいない土器作りの職人に紋様に込められた意味を尋ねました。
紋様の多くは自然にまつわるものを表していました。
波のように見えるギザギザの紋様は水の精霊を意味しています。
川の恩恵を受けるクウォマの人々にとって水は特別な存在です。
これはサソリを表す紋様。
人を刺すサソリは自然を畏怖する心の表れと捉えられています。
自然の中に精霊を見いだしながら暮らしていく。
紋様にはありのままの自然を敬い恐れる精神世界が描かれていました。
縄文の人たちも自然の精霊と共に生きていたのでしょうか
そんな事を想像しながら土器を手に取りました
独自の文化を育んだ縄文。
土偶もまたその個性的な造形が世界の注目を集めています
こちらは「縄文の女神」。
均斉の取れた立ち姿が特徴です
「縄文のビーナス」はおなかや腰の柔らかい曲線がふくよかな体型を際立たせています
両手を合わせる「合掌土偶」。
祈りをささげているようにも見えます
祭りなどの儀式で使われたと考えられている土偶。
三内丸山でも数多く見つかっています
人々が祈りをささげた土偶にはどんな役割があったのか。
それをうかがわせる研究があります
三内丸山で20年以上研究を続ける岡田康博さんです。
土偶が集落の巨大化と関係していると考えています。
岡田さんは三内丸山から出土した土偶およそ2,000点を作られた時期ごとに分類。
土偶が周辺の集落にどんな影響を及ぼしているのか分析しました。
三内丸山が築かれ始めた頃周辺にはいくつかの集落が点在していました。
この時期三内丸山で作られた土偶は僅か17個でした。
次の時期に入ると土偶の数は10倍以上に増加。
周辺の集落から住居が減る一方三内丸山に住居が集中していきます。
更に土偶が最も多く作られた時期になると周辺の住居はほとんど無くなり三内丸山で巨大集落が形成されます。
土偶は祭りの時人々の中心にあった事でしょう。
特別な支配者がいなかった縄文社会の中で人々を引き付け集落を安定させていたと考えられています。
縄文に花開いた独自の文化。
それもまた縄文の社会を長く持続させる役割を担っていたのです。
縄文文化はおよそ2,300年前終わりを迎えます
水田による米作りを行う弥生時代の到来です。
なぜ縄文が大陸からの技術を受け入れたのか詳細な理由は明らかになっていません
以後社会には富が蓄積され国家が出現。
日本列島から縄文の影は薄れていきます
現代の日本で今も縄文から受け継ぐものがあります
自然の恵みを活用する漆づくりの文化です
樹液を採った木は切り倒され新たに苗木が植えられます
樹液を採れるようになるまで15年から20年。
縄文と同じように森を持続させています
「自然を持続的に活用する」。
当たり前すぎて意識してこなかったけれど縄文を深く知るにつれて少しずつ実感できた気がします
人類史上類いまれな文化を生み出した縄文
自然との共生が巨大集落を生み出し1万年にわたって持続する社会を築き上げました
縄文の知恵が私たちの未来へ続く道を照らしています
2015/11/08(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第4集「縄文 奇跡の大集落」[字]
日本の原点とも言われる縄文文化に今、世界の注目が集まっている。1万年にわたり独自の繁栄を持続した秘密は何か?従来の文明論を揺るがす縄文の真の姿に女優・杏が迫る。
詳細情報
番組内容
縄文文化の象徴・青森県の三内丸山には、巨大な6本の柱が並ぶ木造建造物や長さ32メートルもの大型住居が建ち並ぶ。芸術性の高い土器や神秘的な土偶、数千年を経ても色あせぬ漆製品など、縄文人の洗練された暮らしぶりは欧米の専門家から高い評価を獲得している。さらに世界を驚かせているのがその持続性。本格的な農耕を行わず、狩猟採集を生活の基盤としながら、1万年も続いていたのだ。世界に類の無い縄文文化の真実に迫る。
出演者
【出演】杏,【語り】秋鹿真人
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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