日本の話芸 落語「ガーコン」 2015.11.08


(テーマ音楽)
(出囃子)
(拍手)
(川柳川柳)今日はようこそおいで下さいましてありがとうございます。
(拍手)時代がどんどん変わりまぁ「光陰矢の如し」と言いますがいや早いもんですよね戦後70年。
あの時生まれた子が70歳というそういう時代の流れですけれどもちょうどマスコミでもいろいろね「戦後70年」平和がよみがえって70周年だというんでいろいろやってますけれどもそういう訳でそのころの噺をやらして頂きますけれど。
その時代を歌が表してますね「歌は世につれ」。
厳しい時代でしたねとにかく。
まぁ歌ってぇのは大体明治の頃日本の歌が変わりましてねそれまではほら日本独自の三味線音楽。
我々のね?お囃子さんも三味線でやってる訳ですけど。
義太夫長唄常磐津清元端唄小唄民謡まぁいわゆる邦楽と言います。
そういう音楽を日本人が長い間歌い続けてきた訳です。
そこへほら明治になってこうなった訳ですよ。
ええ。
鎖国が解けて海外との交流が始まる。
そこでヨーロッパのほうから新しい音楽が入ってきた訳ですね。
まぁ楽器もそうだしピアノオルガンとかねバイオリンとか洋楽器がいろいろ入ってくる。
そこで小学校ができて唱歌の時間五本の線内におたまじゃくしみたいなものを書いて音を表現するというそういう音楽が日本に新しく入ってきてそこでいろんな学校ができて子供たちにもさっき言った・「ドレミファソラシド」とこの音律の中から歌を作るというそういう音楽が日本でも根づいてきた訳です。
そういえばそうですね瀧廉太郎小山作之助田村虎蔵とかまぁたくさんおりますけれどもいろんな名曲を残しております。
そして大正時代になると山田耕筰とかね中山晋平とかねその他たくさんの作曲家が新しい歌をバンバン作ってくる。
そして昭和に入ります。
この昭和長いですからね昭和になるともうそうですね古賀政男服部良一古関裕而とかねそういう作曲家が名曲をバンバン作ってくる。
そこでそういう流れできたのがまたガラッと変わったのが太平洋戦争です。
まぁ日本では大東亜戦争と言いましてねあの大変な戦争に突入した辺りから厳しくなっちゃってねうん歌を一つとってもアメリカイギリスフランスあの辺の音楽は全部禁止ですよ。
「敵の音楽だからいかん」という訳。
ああ一番徹底的にやられたのがジャズですね。
ジャズはもうアメリカの音楽ですからアメリカは最大の敵ですからね。
だから演奏しただけで警察へふん捕まって半殺しだって。
人権なんかないんだから。
そういう時代ですから結局歌とくると堅っ苦しいっていうか武骨な軍歌時代っつってね。
昭和10年代を軍歌時代っつってねちょっと変わってるんですよ。
大体歌ってぇのは明治大正昭和からズ〜ッと流れがきて大体「愛」「恋」というこれが主体なんですね。
テーマです。
ところが戦争が厳しくなると「『愛』だの『恋』だのそんな甘っちょろい事を言ってるようでこの戦争に勝てるか〜っ」とこういう時代だからもう作曲家や作詞家もそういうのなるべく避けて「軍部が気に入るような音楽」っていう事は軍歌ですね。
「やっつけろ」「殺せ」「占領しろ」というこういう荒っぽい歌ばかりがガンガン幅を利かせてくる訳ですよ。
だからちょうど少年時代で私もそういうのをラジオでガンガン流れてくるのを聴いてまぁ一生懸命覚えて歌ったりなんかしたもんです。
そうですね最初のうちはそう最初のうちは歌が明るかったですね勝ったから。
勝ったんですよ最初は。
まぁ日本だってね大変ですよね中国とそれまでもう10年もやってんですから。
全部で「15年戦争」と言う敗戦に至るまで。
そいつをズ〜ッとやっていながら昭和16年12月8日ここから今度アメリカイギリスオランダこれに宣戦布告という。
アメリカやイギリスが「こりゃいかん」と「日本て国は恐ろしい国だ。
そのうちアジアを全部占領しちゃうんじゃないか。
そうなると手がつけられないから今のうちに潰しちゃおう」って訳で潰しにかかった訳です。
まず経済封鎖ですよ。
大変ですね石油鉄鉱石非鉄金属ゴムまぁその他いっぱいありますけどみんな日本は輸入してる訳でそれを全部止めちゃったんだ。
石油を止められたのはこれは大変ですよ。
江戸時代に戻れって事ですよ。
蝋燭ですよ。
石油が無かったらもう飛行機をいくら造ったって軍艦を造ったって飛べないし走らないからね。
もうそういう…。
だから日本の外交敵にもいろいろ頼んでそれを解いてもらってあれ輸入してもらう。
当時はね石油はアメリカから輸入したんですね。
今ほらあっちの何て言うんですか中近東あっちのほうから輸入してますけどほとんど。
そのころはアメリカから輸入してた。
よく知らないんだけどあのころは中近東のほうは石油を掘ってなかったんですかね?今度誰かにそういう科学者に聞いてみよう。
掘ってなかったんですよ。
ほとんどアメリカから輸入してたんですから。
それからインドネシアのねあれはオランダの植民地ですけどインドネシアのパレンバンという…それとかボルネオボルネオあの大きな島あの島はイギリスとオランダの植民地でそこにも石油がガンガン出る訳。
それも輸入してる。
今でもねインドネシア辺りから少し輸入してるらしいですね。
でもほとんどが中近東あっちですよアラブとかね。
まぁどっちにしてもそれでいろいろ外交的にあれしたけれども結局駄目です向こうは。
もう潰しにかかってんだから。
ああ。
「NoNoNo」でこれできたもんだから日本でも最後はもうじれにじれちゃって「そうですかこれほどお願いしても駄目ですか」。
「やってやろうじゃねえか」ってこうなっちゃった。
(笑い)やけっぱちの戦争ですよ。
どう考えたってね〜今若い人なんかに聞いたって「何でアメリカやイギリスと戦争したんだ?」うん「特にアメリカと。
中国とやっていながら」。
日本だってアメリカやイギリスとはやりたくはなかったんでしょう。
やらざるをえない状況に追い込まれちゃった訳です。
だから結局さっき言ったようにやけっぱちの戦争になって「やる以上はどうやったら勝てるか」。
うん。
「特に怖いのはアメリカ。
アメリカとまっとうな勝負をしたら勝てっこない」。
それは軍部だって分かってた訳ですよ。
だから相撲に例えればがっぷり四つに組んだらかないっこないから相手が塩をまいてるのに後ろからソ〜ッと行ってダ〜ッ。
(笑い)ボクシングならゴングが鳴る前に飛んでってぶん殴っちゃうって。
それやったのがハワイの真珠湾攻撃ですよね昭和16年12月8日。
いや〜大変な事になって。
私4年生でした小学校の。
だからあのころね結構新聞も読めたからなんかそういう戦争の状況も結構ラジオのニュースも聞いたし相当分かってきましたよ。
10歳ぐらいになると相当分かってきますから。
だからとにかく歌がそうです。
とにかくもう勝ってるから明るい歌が多かったですね。
ラジオからガンガン流れて。
一番最初にねそうね昭和15年辺りかな?昭和15年てまだ太平洋戦争に突入する前ですけどあのころ大騒ぎをして歌がありましたね日本がね昭和15年てのは意義のある年だったんですね紀元二千…。
あの〜つまり西暦を使っちゃいけなかったんだ当時。
「日本は日本の立派な歴史があるじゃないか」っていう事で。
で昭和15年が紀元二千六百年っつったんです。
一番最初の天皇が神武天皇。
その神武天皇が天皇の即位をなすってそこから2,600年目がちょうど昭和15年だというこういう事を決めちゃったんですね。
相当怪しいあれらしいけどね。
(笑い)まぁ当時それを考古学者とか歴史学者が「あれは違う」そんな事を…「それは違いますよ」なんて言ったら刑務所へぶち込まれちゃう訳ですから。
紀元二千六百年大騒ぎをしたもんですよ。
「皇紀二千六百年奉祝歌」ってね「奉って祝う歌」ってんで。
いい歌でしたよ。
・「金鵄輝く日本の榮ある光身にうけて」・「いまこそ祝へこの朝紀元は二千六百年」・「あゝ一億の胸はなる」バ〜ン。
こんな歌です。
(拍手)この歌も相当怪しい歌詞でね。
・「あゝ一億」一億いなかったんですよ。
(笑い)七千三百五十万だったんです。
だけど・「あゝ七千三百五十万の」じゃね歌になりませんから・「あゝ一億の」とこうなった訳です。
とにかくそんなような訳でそれから昭和16年にね?ついに12月8日ついに戦争に突入した訳です。
最初はさっき言ったように相手の虚をついてね奇襲戦法でいったから勝ったんですよ。
だから歌が明るいですね。
「大東亜決戦の歌」ってのがあったな。
「起やたち…」。
こんだけ入ってりゃ3人ぐらい知ってる…。
知らねえだろうな。
(笑い)・「起や忽ち撃滅のかちどき挙がる太平洋」・「東亜侵略百年の野望をここに覆す」・「いま決戦の時来る」バ〜ン。
こんな歌でした。
(拍手)いやいろいろありましたよ。
うん。
2日後に…。
あ〜そうあれが好きだったな。
12月8日が真珠湾でハワイでしょ?で2日後にマレー半島シンガポールあっちですよあそこにクワンタンという港町がありましてその沖合で英国東洋艦隊イギリスの艦隊ですそれでその中の一番でかいのが戦艦と言うそれがプリンス・オブ・ウェールズレパルス。
それからそれを護衛する巡洋艦とか駆逐艦とかねそういうのを空から攻撃してね魚雷やなんかバンバンぶち込んでやっつけちゃったんですよ。
国中大騒ぎでね歌がすぐできましたね。
うん。
なかなか調子のいい歌で。
・「滅びたり滅びたり敵東洋艦隊は」・「マレー半島クワンタン沖に今ぞ沈みゆきぬ」・「勲し嚇たり海の荒鷲よ」・「沈むレパルス沈むプリンス・オブ・ウェールズ」バ〜ン。
こんな歌でした。
(拍手)まぁあのころ歌はみんな明るいですよね。
そう「若鷲の歌」なんて流行ったな。
・「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨」・「今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃでかい希望の雲が湧く」・「ランチャンラランチャンララリラランラララララランチャン」中間奏までやる事はないんだけどね。
(笑い)盛り上げようと思ってさ爺さん頑張ってる訳よ。
うん。
「若鷲の歌」であるとか空が多かったな〜。
「空の神兵」好きだったな〜一番。
落下傘部隊の歌でね「空の神の兵」と書いて「空の神兵」。
高木東六さんが一曲だけ作ったという。
何百とある軍歌の中でも名曲とされてんですよ。
きれいなメロディーでしたよ。
・「藍より蒼き」・「大空に大空に忽ち開く百千の」・「真白き薔薇の花模様」・「見よ落下傘空に舞い見よ落下傘空を征く」・「見よ落下傘空を征く」・「キンコンカンコン」って。
(笑い)きれいな歌でしたよ。
(拍手)あ〜もういろいろあったあ〜「空」の歌。
空っていえばやっぱりあのころはね太平洋戦争ってぐらいですから「海」と「空」で陸軍の歌はあんまり無かったんですよ。
「海」と「空」ですね。
ええ。
「空」の歌で「加藤隼戦闘隊」とかね。
零式艦上戦闘機ってのがある。
まぁ零戦って言ったんですけど当時は。
今ゼロ戦って言ってますがね。
あのころ英語使っちゃいけないんだからうん英語は全部禁止されてたんだ。
「敵の言葉だから使っちゃいけない」。
さっき言ったジャズなんかもそうだしねシャンソンとかみんな駄目ですよ。
もうそういう時代だからとにかく。
零式艦上戦闘機いい戦闘機でね活躍しましてね歌がありましたねいくつか。
「ラバウル海軍航空隊」なんて流行ったもんです。
・「銀翼連ねて南の前線」・「ゆるがぬ護りの海鷲達が」・「肉弾砕く敵の主力」・「栄えある我等ラバウル航空隊」バ〜ン。
こんな歌です。
(拍手)海軍のほうにもあったないろいろ。
うん。
あ〜そう「轟沈」ってのがあったね。
潜水艦の歌でね。
・「可愛い魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた」・「男世帯は気ままなものよ髭も生えます」・「髭も生えます無精髭」ってやつ。
これを友達が嫌がってこれ歌うと。
「おい。
やめろよよだれが出ちゃうからやめろよ」。
というのは「青いバナナも黄色く熟れた」バナナ思い出しちゃうんだ。
「思い出したら買って食やぁいいじゃないか」と思うでしょ?若い人は。
そんな時代じゃないんだから。
バナナなんか高級な物でね庶民の口になかなか口にできるような物じゃなかったんだから。
そうねそういえば大正時代の子供の戯れ歌に歌い込まれてますね。
それは…。
・「いろはに金平糖」かな?・「金平糖は甘い甘いは砂糖砂糖は白い白いは」うん?・「白いはウサギ」だ。
・「ウサギは跳ねる跳ねるはノミノミは赤い赤いはホウズキ」・「ホウズキは鳴る鳴るはおならおならは臭い」・「臭いはう…こ」と。
(笑い)だんだん汚くなるんですがね。
・「うんこは黄色い黄色いはバナナバナナは高い」ほら「バナナは高い」。
(笑い)高かったんですよ。
だからね戦後いつごろまでだったんでしょうね?ご年配の方はみんなご存じでしょうね?バナナがもう贅沢な物でね。
病気見舞いにバナナ一房と生卵。
生卵貴重なもんでしたよ。
それもう10個かなんかね病気見舞いかなんかに持ってったら喜ばれて「まあ〜こんな結構な物をありがとう」。
大変でしたよ。
今持ってってごらん250円だから。
(笑い)「持って帰ればか野郎」って言われちまう。
(笑い)ね?時代によっていろんな物の価値も変わりますよね。
まぁそんな歌であるとかね。
うん。
あっ「月月火水木金金」かあれが一番流行ったな海軍の歌で。
海軍の猛訓練。
すごいね昔の海軍は土曜日曜祭日は無いんだから。
「月月火水木金金」。
私は「土土日日祭祭祭」。
(笑い)こっちが好きですがね。
・「朝だ夜明けだ」・「潮の息吹きぐんと吸い込む」・「あかがね色の胸に若さの漲る誇り」・「海の男の艦隊勤務月月火水木金金」こういう歌ですよ。
ね?
(拍手)もう今日のお客様ほとんど知らないだろうけどこんな歌は。
だけど聞いてて「勝ってるな」って感じするでしょ?
(笑い)ね?歌がグイッグイッグイッと盛り上がってくるようなね躍動的な明るい歌がラジオからガンガン流れてきたもんですよ。
ええ。
もうあのころを思い出すと最初はさっき言ったように勝ってるバンバン勝ってるから海軍の歌はみんな明るいですね。
ところがあれあれまぁ途中からですがねだいぶ最初のうちですがラジオから流れる歌がどんどんどんどん暗くなってきた訳です。
うん。
さっきの歌と全然違うなんか暗い歌ばかりラジオから流れてくる。
結局負けてきたんですよ。
勝ったのは最初の半年だけ。
あと3年半負け続け。
(笑い)4年やったんですから。
最初の半年だけですよ。
ミッドウェー海戦から後はもうもう負けに負けるもう連戦連敗ですよ。
とにかくプロ野球で言うなら4月だけかな?勝ってたのは。
(笑い)分かりやすいでしょ?あとは56789全部負け。
地獄の戦場ですよ。
うん。
とにかく玉砕玉砕。
「玉が砕ける」と書いてね「玉砕」。
全滅の事です。
玉砕玉砕玉砕玉砕。
そしてついに神風特別攻撃隊の出撃という悲しい事になる訳ですね。
いくら最後の手段とはいえ無惨というかかわいそうですね。
18〜19から20代それもここの優秀な若い尊い命が南海の空にあまた散っていく訳ですよ。
当然歌のほうも暗くなりますよ自然とね。
・「貴様と俺とは同期の桜」・「同じ兵学校の庭に咲く」ボ〜ンボ〜ンボ〜ン。
・「咲いた花なら散るのは覚悟」・「みごと散りましょ国のため」ボンボボボ〜ン。
(拍手)もうそれであるとか「学徒出陣の歌」。
・「花も蕾の若桜5尺の命引っさげて」・「国の大事に殉ずるは我等学徒の面目ぞ」・「嗚呼紅の血は燃ゆる」ボンボボボ〜ン。
ね?
(拍手)全然違うでしょ?さっきの歌と。
音楽的に言うとさっきの歌はメジャーですよいわゆる長調長い調べメジャー。
この今の歌あといくつももう暗い歌がいっぱいありますけどみんな短い調べ短調ってやつね。
いわゆるマイナーっていうやつ。
うん。
勝ってる時はメジャー負けてきたらマイナー。
うん。
とにかくそういう大変になっちゃう。
そうくどいようだけどもう一度ちょいとやってみようか。
・「藍より蒼き大空に大空に」・「銀翼連ねて南の前線」・「朝だ夜明けだ潮の息吹き」・「貴様と俺とは同期の桜」
(笑い)「みごとに国のために桜の花のように散っていこうじゃないか死んでいこうじゃないか」というもう悲しい歌ですよね決死の覚悟で歌った特攻隊の歌ですから。
そしてついにB29の来襲という事です。
サイパンテニアングアムあの辺からB29の大編隊がゴ〜ゴ〜と押し寄せ東京はじめ都市という都市が火の海です。
一番悲惨なのは広島長崎の原爆ですよね。
昭和20年8月15日ついに敗戦という運命の日を迎えた訳です。
まぁとにかくあの日を境に日本が新しい日本としてね変わった訳ですよガラッとね。
全て変わる中で当然ラジオから流れる音楽もガラッと変わりましたね。
今歌った歌は全部これ。
アメリカの命令で「軍歌は一切演奏しちゃいかん」。
「アメリカの音楽はジャズである。
ジャズは20世紀の音楽だ。
だからジャズをどんどん放送しろ。
で日本人をジャズに馴染ませてでアメリカを好きにさせよう」とまぁこういう訳なんでしょう。
戦争中あれだけ弾圧されたジャズがブ〜ワッときた訳。
すごかったですねラジオが朝から…。
・「ブンブンブンブ〜ンブルブブンブンブ〜ンブルンブン」・「ブンブンブンブ〜ンブルブブンブンブ〜ンブルンブン」・「ブンパッパ〜ララバランバンババンバランパンパ〜パラララ」・「ブンパッパ〜ララバランバンババンバランパンパ〜ン」・「パ〜ララバランパンラバランランパ〜ララバランパンラバランラン」・「パバラバラバラバパ〜パ〜パッパラバラバ」・「ララバッパッパララバラッパ〜ララバッパッパララバラッパ〜」・「ラバリュバラバラバラパッパ〜ラバラバラパラパラパ〜ン」・「ラバラバラバラバラバランポ〜ン」・「ランパバラバラ〜ンパラバランポンポンポン」・「ン〜バン〜バン〜ババンキ〜ンン〜バン〜バン〜ババン」・「ボ〜ンポ〜ンパラッパッパッパラパラララ」・「パラパラッパッパパララララピイ〜」・「ツツンツンツンツンツンツンツンツンツンツン」
(笑い)・「ツ〜ンツツンツンツンツンツンツン」
(拍手)・「ダンダンスカダンダンダンスカダダダダンダンキ〜ン」・「クッスカダンダンスカダンダンダンダカダカダンスカダンダン」・「南無妙法蓮華経」
(笑い)いやもうあのころはすごかったですねグレン・ミラー流行ったな〜。
グレン・ミラーベニー・グッドマンルイ・アームストロングハリー・ジェームスジーン・クルーパーねライオネル・ハンプトンとかご年配の方は懐かしい名前でしょう。
こういうのがラジオからガンガン流れてくる訳。
14歳の私あのころねジャズなんか聴いた事もないしねうんとにかく好きも嫌いもありませんけどもねまぁあのころはひどい状況でしたから娯楽ったらラジオしか楽しみなかったもんね。
しょうがないから毎日なんか呆然と聴いてましたよ。
聴いてるうちにだんだんおかしくなってきちゃって。
ジャズって毎日聴いてるとおかしくなりますね体が。
こうなってくるの。
(笑い)ジャズってもっともリズムがねアフタービートっつってね特殊な叩き方するからあれ聴いてると体がだんだんこうなるんです。
(笑い)どこの国でもそうだけど手拍子で歌を歌う場合大体頭にピシャンがくる訳。
・「チャ〜ンチャンチャチャンチャラリンチ」
(手拍子)・「チャンチャラリンチチャン」
(手拍子)・「ほ〜らチャ〜ンチャンチャチャンチャラリン」こうでしょ?まぁ「さくらの歌」なら…。
・「さくらさくら」
(手拍子)とこうくる。
それがジャズの場合は「さ」でこないの「さ〜」「あ」でくる。
・「さくらッパッパバラ」
(手拍子)・「ボンパンパラララッパッパ」・「ウンパバラッパッパパバラボンパバラ」・「ボンホ〜ッパッ」というふうにね。
・「オーホエンザセインツ」とこうなる。
・「オーホエンザセインツホ〜ッ」・「ゴーマーチンインハ〜ウッ」・「オーホエンザセインツゴーマーチンイン」・「ハロードーリー」84歳でやる仕事じゃねえんだ。
(笑い拍手)それがこのリズムで・「ンッパンンッパンンッパン」とくると体がだんだんこうこうなってこうなってくる訳。
あのころ日本の若い奴らみんなもう若いくせにみんなこん…こんななって…なっちゃって。
そうよね今でもいますよ学生かなんかで親不孝な顔しやがってね指をこんな事してるのが。
(指を鳴らす音)足を踏んで…。
・「ハ〜ララビラビラ〜シャ〜シャ〜シャ〜シャ〜ラビラビ〜」・「ア〜バラバッパスカスカララビ〜ンメエ〜ン」当人はのうてんきにね東京でこんなんになってますけどかわいそうなのは田舎のお父っつぁんですね。
「いや伜は東京の大学で一生懸命勉強してるだろう」っていや親はそう思ってんですよ。
「だから一円でも多く仕送りをしてやって伜が心おきなく勉強に打ち込めるように」ってんでお父さん大変本当はからばかな伜にごってり送金しちゃってるから新しい高いコンバインああいう高い物は買えません。
(笑い)しかたないから物置から古い脱穀機引っ張り出してきて。
ウ〜ンコンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コンガ〜コン。
伜は東京で…。
・「ビリビリバ〜」・「ハ〜ララビラビラ〜シャ〜シャ〜シャ〜」同じ格好したりなんかして。
「歌で綴る太平洋戦史」という。
どうも。
失礼します。
(拍手)
(打ち出し太鼓)2015/11/08(日) 14:00〜14:30
NHKEテレ1大阪
日本の話芸 落語「ガーコン」[解][字]

落語「ガーコン」を放送する▽川柳川柳

詳細情報
番組内容
川柳川柳 〜東京・ニッショーホールで収録〜
出演者
【出演】川柳川柳

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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