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戦後最悪 三池炭鉱事故52年 国の支援訴え11月9日 15時07分
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死者400人以上に上った戦後最悪の炭鉱事故、三池炭鉱三川坑の炭じん爆発事故から、9日で52年となりました。炭鉱のあった福岡県大牟田市や熊本県荒尾市では関係者が集会を開いて、事故で重い後遺症を負った人たちへの国の支援を訴えました。
大牟田市の三池炭鉱三川坑で昭和38年11月9日に起きた炭じん爆発事故では、死者458人、一酸化炭素中毒が839人に上りました。
犠牲者の碑は隣接する熊本県荒尾市に設けられていて、事故から52年となる9日、被害者の家族や支援者など50人が集会を開きました。
そして、全員で炭鉱の労働者を励ます歌を歌ったあと、一酸化炭素中毒の後遺症で今も夫など家族が入院しているという女性2人が重い後遺症や家族の負担について説明し、治療のための国の支援を訴えました。
ふだんは休日にだけ公開されている旧三川坑も特別に公開され、集会を終えた人たちが「斜坑」と呼ばれる地下に通じる通路の前で花を手向けました。そして中を見学し、参加した女性が当時を思い出して涙ぐんでいました。
事故で夫を亡くしたという85歳の女性は「もうあのような事故がないようにと願い、遺族の代表のつもりで来ました」と話していました。
犠牲者の碑は隣接する熊本県荒尾市に設けられていて、事故から52年となる9日、被害者の家族や支援者など50人が集会を開きました。
そして、全員で炭鉱の労働者を励ます歌を歌ったあと、一酸化炭素中毒の後遺症で今も夫など家族が入院しているという女性2人が重い後遺症や家族の負担について説明し、治療のための国の支援を訴えました。
ふだんは休日にだけ公開されている旧三川坑も特別に公開され、集会を終えた人たちが「斜坑」と呼ばれる地下に通じる通路の前で花を手向けました。そして中を見学し、参加した女性が当時を思い出して涙ぐんでいました。
事故で夫を亡くしたという85歳の女性は「もうあのような事故がないようにと願い、遺族の代表のつもりで来ました」と話していました。