――日本版ギャングスタ・ラップの立役者である漢とD.O。前者は新宿を、後者は練馬をレペゼンしながら、共にドラッグ、バイオレンス、セックスなど、アンダーグラウンドの現実を歌ってきたラッパーである。そんな2人のダイアローグを通して、日本におけるヒップホップとヤクザのリアルな関係をあぶり出してみたい!
(写真/岩根愛)
『ストレイト・アウタ・コンプトン』という、日本では劇場公開すら危ぶまれていた作品が、アメリカでは3週連続で興行成績1位を獲得するヒットを飛ばしている。1986年にカリフォルニア州コンプトンで結成されたラップ・グループ=N.W.Aのキャリアを描いたこの映画のタイトルを、文脈を踏まえて訳すならば「コンプトン刑務所から出たら仕返しするためにお前の家に直行するからな!」となるだろうか。そこには、アメリカの中でも特に犯罪率が高く、ギャングが横行する暴力都市として知られていた80年代後半のコンプトンのリアリティが反映されている。
また、映画のヒットによって、N.W.Aが89年に発表した同名のデビュー作もビルボード・チャートの4位にランクインするなど再び注目されているが、そもそも、このアルバムは26年の間に累計300万枚以上を売り上げ、ギャングのアティテュードやライフスタイルについて歌う“ギャングスタ・ラップ”というジャンルを形成し、それはすでにアメリカ文化のひとつとして認められているのだ。
ところで、ギャングを日本文化に置き換えるとチンピラ、今風に言えば半グレということになり、一方、マフィアがヤクザに当たる。ただし、アメリカのギャングには地元に密着したアウトロー集団というようなニュアンスもあって、いわゆる地回りヤクザに近いようにも思える。そして、日本でも映画『ストレイト~』は年末公開が決定したものの、ラップ・ファンにしか注目されていないということは、つまり、N.W.Aの持つリアリティが理解されていないということである。
そこには、この国で地域社会が弱体化し、追い打ちをかけるように暴力団を排除する法律が強化され、ヤクザが身近なものでなくなったどころか、タブー化したことが関係しているだろう。あるいは、日本のラップ・ミュージックは基本的にアメリカで起こったムーヴメントをその都度翻訳することで発展してきたが、日本版ギャングスタ・ラップ=ヤクザ・ラップは一般的になっていない。例えば、現代日本におけるN.W.Aとでも言えそうなレーベル〈9SARI GROUP〉による、ギャングの抗争を模した映像作品「9SARI HEAD LINE 番外編」が、拳銃ではなく水鉄砲で撃ち合うという設定なのも、臭いものにフタをするそのような状況を皮肉っているのだ。
それにしても、実際のところ、日本におけるヤクザとヒップホップの関係はどうなっているのか?〈9SARI GROUP〉のオーナーで、日本のストリート事情を赤裸々に歌ってきた漢と、同レーベルに所属し、バラエティからニュースまでお茶の間をにぎわせてきたD.Oに話を訊いた。
地方の繁華街を仕切る”地回り”とラッパー
左:漢 a.k.a. GAMIの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社) 右上:2015年3月に行われた9SARI GROUPと兄弟レーベルのBLACK SWANによるツアー・ファイナルのDVD『9sari × BLACK SWAN tour final live at SHINJUKU FACE』 右下:9SARI GROUPのミックスCD『ENTER THE 9』
――漢さんの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)には、「そのディールはトラップだった。(中略)相手は大人の不良、つまりヤクザだった。(中略)大切な仲間を巻き込むし、危険をおかして稼いだ金もすべて失った」「身内のあいだでMC漢がシャブつながりでヤクザとつるみ、本人もヤクザになったという黒い噂がささやかれていた」といったように、ヤクザに関する記述がたびたび登場しますね。
D.O(以下、D) オレらはヤクザと誤解されてるだけなんだけど、今は元極道のラッパーとか元ラッパーの極道とかって珍しくないよね。
漢 Y市のTというグループの初代メンバーは、あるときラップをやめて組に入って、そのうちのひとりは組長をやってる。今度、オレらは今のTのパーティに呼ばれて出るけど、ソイツが「久しぶりにマイク握りたい」と言ってるらしい。
――そういうケースは、お2人がラップを始めた90年代から見られましたか?
漢 90年代のラッパーたちには、“バック”がいることはダルいって感覚があったな。準構成員とか組に出入りしてるヤツもいるにはいたと思うけど、新宿みたいな都心より、郊外の練馬なんかにそういうラッパーは多かったかもしれない。
D そうね、オレ自身、極道になるかラッパーになるか選択を迫られたんで。
――D.Oさんは『JUST BALLIN’ NOW』(09年、発売中止)収録の「N-WAY」で「金バッチ もしくは M.I.C. 選択せまられた 98年」と歌っています。
D でも、ここでオレらが日本語ラップと極道は関係あるとかないとか明言すると、問題が起きたりもするんで言いづらいけど、その距離は“無”ではないかな。
漢 というか、極道と関係なくラップできる唯一の街が東京なんだよ。
――『ヒップホップ~』でも「東京は大都市で人口も多く遊び場もたくさんあるから、不良や悪い人と関わらないで夜の繁華街で遊ぶことができる」と指摘していますよね。一方、地方については「不良のバックがいないとクラブ経営などできない街もあるし、バックがあることで揉め事も大きくならずかえって安全なクラブ経営ができる」と書かれている。
D 北海道から沖縄までいろんなクラブやディスコでライブをしてきたけど、店を仕切ってる地回りに必ず話を通さないといけない土地はたくさんあるよね。
漢 O県のFというクルーのパーティに出たとき、そのラッパーたちと一緒に地元の夜の歓楽街を歩いたら、「コイツらの街なのか?」って思った。つまりFには、グループの中に役割で組に入ってるヤツもいるんだよ。
D 九州にも同じようなグループがいるよね。地方では、土地の秩序を守るために仲間の誰かが極道にならなきゃいけないこともあるから。
極道にナメられないアーティストになるには
――元関東連合幹部・工藤明男の手記『いびつな絆』(宝島社)には、ZEEBRAさんが関東連合のメンバーに「悪そうな奴はだいたい友達って誰のことだ? 俺はお前なんかと友達じゃないぞ!」と言われたことが綴られていますが、お2人のようにストリートのバイオレンスやイリーガルなことをラップすると、ヤクザなど裏社会の人間から探りを入れられるリスクもありますよね?
漢 オレらが「イレズミか何かわかんねぇモン入れてるいい年こいたヤツが、こんな歌を歌いやがってよ」ってヤクザに思われてもしょうがねぇんだけど、「オマエが思ってるより、オレは面白いヤツじゃね? それなのに殴れっか?」みたいな感じで、そういうヤツとはあくまでもラッパーとしての表現とか人柄でもってガッツリ向き合えばいい。もともと暴走族なんかをやってた不良のラッパーでも、マジメにラップをやればやるほどヤクザは手を出すのがダサいって気づいて、ラップの質を見るようになってくれる。まあ、リスペクトしてくれてるとは言わねぇけど、「ラップに結構ヤラれてんじゃん」って(笑)。
D オレの場合、テレビで笑いを取ろうとがんばったりもしたんで、小学生にまで「おい、メーン!」ってナメられるな(笑)。ましてや、ガラの悪い大人なんて……。でも、それも受け入れながら、自分のヒップホップをどうメイクするかが重要。しかもオレらは、ヤクザだけじゃなくて警察にも目をつけられていて。
漢 D.OはFBIにもチェックされてるし。
D それは言いすぎだけど(笑)、裏社会でも表社会でも目立つのは、オレらにとってはプラスになる。誰にもチェキられなかったら、ラップやってる意味がないからね。漢もそうだろうけど、特に警察には小学校の頃から成長を温かく見守っていただいて(笑)、地元で暴行事件があって犯人が見つからなかったりすると、いつもオレの名前と顔写真が挙げられてた。でも、ガキの頃、少年院とか教護院とかに行かされた仲間の中には、極道になったり泥棒をやったり人を殺しちゃったヤツもいるのに比べて、ラッパーとしてサバイブしてるオレは「なかなかマジメじゃね?」と。その上で、極道の地位の高い方とも対等に向き合えるアーティストとしてガッチリやってるつもり。だから、最初はナメてた極道でも、一回ライブを見せればラッパーとしてのオレを認めてくれる。
漢 明らかにソッチなのに、オレのラップでヒップホップを好きになって、ラップを始めたヤツもいるな。ソイツと同じパーティに出たときに、特攻服を着た親衛隊みたいなヤツらが会場に乗り込んできたよ(笑)。まあ、オレらみたいなラッパーは悪いヤクザに「不義理をしても大丈夫だろ」って利用されるリスクもあるけど、極道に対しては、自分はラッパーという別の立場だってはっきり示すことが重要。そうやってくぐり抜けず、痛い目に遭って飛んだヤツもいるから。
不良とヤクザが救われる特別ゾーンのヒップホップ
――ブラック・スペーズというギャングにいたアフリカ・バンバータが抗争を止めるべくヒップホップのパーティを始めたこともあって、ヒップホップは脱ギャング的な文化である、と教科書的には語られますが、一方でN.W.Aのようなギャングスタ・ラップも重要です。もっともN.W.Aの場合、イージー・E以外のメンバーはギャングではなかったので、彼らのラップはフィクションともいえますし、最近はギャングスタを演じている元刑務官のリック・ロスが楽曲に実在のギャングの名前をつけて脅されるなんてことも起こりました。日本のラッパーも、そうしたギャング・カルチャーと結びついたアメリカのラップに感化されてきたのでしょうか?
漢 日本のヒップホップも、脱ギャング的なんじゃないかな。オレらの表現はヤクザや不良にエンターテインメントとして面白がってもらえてるし、ラッパーが銃撃されることもないし、関係性はアメリカよりうまくいってるはず。ただ、若いラッパーが「拳銃、持ってみてぇなぁ」ってあこがれることもあるだろうね。実際、ヤクザとか不良外国人とか悪い人間と付き合えば、拳銃を手に入れるのはたやすいこと。D.Oも持ってた時期があるかもしれないし。
D いやいや(笑)。日本語ラップにはアメリカのギャングスタ・ラップを踏まえてるゾーンが一部あるけど、「イージー・Eって誰?」みたいなラッパーもいる。特にオレらの前の世代まではストレートな表現のラッパーが少なかったんで、ガキの頃は「それは違くね? 日本のストリートにもヤバいことはいっぱいあるじゃん」とか思ってた。日本語ラップにガラ空きのゾーンがあるぞと。
漢 しかも単にアメリカの真似をするんじゃなくて、日本バージョンのギャングスタ・ラップができるなと。我々はそのゾーンでかなり貢献したよな(笑)。
D 大学のヒップホップ・サークルでラップを始めたヤツとか、いろんな人間のヒップホップがあって構わないけど、オレらがやってるのはガキの頃から生活してる地元のストリートと連動したヒップホップ。そして、オレが練馬、漢が新宿のヒップホップをメイクしてきたように、日本中のストリートには必ずラッパーがいる。そういう土地で仲良くなって一緒に遊んだ同世代のラッパーの後輩たちが、何年後かにまたそこに行ったときにラッパーとか稼いでるハスラー(ドラッグの売人)とかヤクザとかになってて、「覚えてますか?」って声をかけてきたりすることもあるし。やっぱ、特別なゾーンのヒップホップじゃなきゃ、つながれない人間がいるんだよ。自分と同じように極道になる選択を迫られたり、極道をやめられなかったりするヤツから「曲を聴いて救われた」って手紙もよく送られてくるしね。オレもヒップホップでいろいろ学ばなければ、違う形の悪党になってた可能性もあるんで、ソイツらの気持ちがスゲーわかる。
漢 オレは精神病院からも手紙が届く。一時期、リストカットしてる女の子が近寄ってくることも多かった。不良じゃなくても、同じように追いつめられた精神状態になったことがある人が拾っちゃう電磁波みたいなものがラップから出てるんだろうな。それに、たまたまヤクザが反応することもあったりね。
D とにかく、オレらがチョイスしたヒップホップは“グレー”と言われたり、現に極道との距離はすごく近かったりするけど、何か揉めごとが起きたときに後ろ盾のヤクザに頼るのはダサい。
漢 ケンカが強いとか人を殺してるとか、ヤクザの“悪さ”に間違えてあこがれる時期はあるかもしれないけど、今、カッケーと思うのは任侠道を貫いたヤクザ。筋道を間違えないように心がけたりする姿勢はラッパーにも必要だから。
D ビシッとしたヤクザは男としてカッコいいよね。
漢 ただ、今はヤクザと知り合いの時点で、自分とか会社の口座まで止められてしまう時代で……。
D 「ヤクザと付き合うのも、かばうのもダメ」って空気になってるけど、オレらは「バカじゃねぇの? そんな世の中、気持ち悪ぃんだよ!」って言える立場にあるんで、実際にそう言っていくよ。これからも生き方と表現でもって、ヤクザも警察も含めた、ストリートの全部と向き合いたいね。そうじゃなかったら、ラップしてることが嘘になる。
漢 一部の警察やヤクザにも認めてもらってるからこそ、オレらはラップを継続していられるわけだから。
D 「オレらみたいなラッパーがいるのが現実だろ? 直視しろ!」って話。
(文/磯部涼、中矢俊一郎)
漢 a.k.a. GAMI(かん)
1978年生まれ。新宿出身。2000年代前半、MSCのメンバーとして頭角を現し、『帝都崩壊』『MATADOR』といった作品を発表。ソロ作に『導~みちしるべ~』など。05年にフリースタイルバトル大会「UMB」を、12年に自身のレーベル〈9SARI GROUP〉を立ち上げる。14年には西早稲田にスタジオとカフェが併設した〈鎖オフィス〉をオープン。
D.O(でぃーおー)
1978年生まれ。地元は練馬区大泉学園。2000年代、自身が率いる練マザファッカーの面々とテレビ番組『リンカーン』(TBS)に出演し、お茶の間に「ディスる」などヒップホップ・スラングを浸透させたが、09年にコカインの所持・使用容疑で逮捕。現在は〈9SARI GROUP〉に所属。ソロ作に『ネリル&JO』『TOKYO RAP CARTEL』などがある。